遠近両用レンズ(第2弾)

投稿日: 2017/03/19 1:44:03

今日は平成26年(ワ)第8134号 特許権に基づく損害賠償請求事件について検討します。

本事件も先日検討した侵害訴訟と同じように原告が株式会社ニコン・エシロールで被告がHOYA株式会社です。調べると原告・被告が入れ替わった侵害訴訟事件もあるようで、両社の知財係争の中で訴訟まで発展したものと思われます。ちなみにどちらも判決を下した裁判官は3人とも同じなので、どうしてまとめなかったのか不思議な気がしますが、こちらも約3年かかっており、3年前の裁判官も同一だったかわからないのでなんともいえません。

 

1.各手続の時系列の整理

 

2.特許の内容

訂正審判で訂正された請求項1は以下の通りです。

【請求項1】

A レンズ屈折面を鼻側領域と耳側領域とに分割する主子午線曲線(MM´)に沿って、近景に対応する面屈折力を有する近用視矯正領域(N)と、近景よりも実質的に離れた特定距離に対応する面屈折力を有する特定視距離矯正領域(F)と、前記近用視矯正領域(N)と前記特定視距離矯正領域(F)との間において両領域の面屈折力を連続的に接続する累進領域(P)とを備え、

B 前記近用視矯正領域(N)の中心は、近用アイポイント(E)から前記主子午線曲線(MM´)に沿って下方に2mmから8mmだけ間隔を隔て、

C 前記近用アイポイント(E)での屈折力をKとし、前記特定視距離矯正領域(F)の中心での屈折力をKとし、前記近用視矯正領域(N)の中心での屈折力をKとし、前記特定視距離矯正領域(F)における明視域の最大幅をW(mm)としたとき、

0.6<(K-K)/(K-K)<0.9 (1)

≧50/(K-K) (2)

の条件を満足する

D ことを特徴とする累進多焦点レンズ。

 

3.被告製品

判決文に添付された被告物件には被告製品の構成についての記載がなかったので省略します。抵触性に関する原告・被告の主張から構成上の争点はわかると思います。

 

4.原告・被告の主張(主なもの)

(1)抵触性

① 構成要件A

(被告の主張)

本件明細書の段落【0016】に照らすと、「特定視距離矯正領域」とは、装用者の老視の度合いに応じて矯正される領域であって、近景よりも実質的に離れた特定距離に対応する面屈折力を有する領域をいうものと定義付けられており、装用者の老視の度合いに応じて「矯正」されることを前提として用いられる語である。そもそもメガネレンズは、単なる光学レンズとは異なり、視力矯正という機能を必須とするものであるところ、「矯正」という以上、眼鏡装用者の度数に応じた処方値が必要となり、処方度数を設けることが可能となるようなレンズの構成を備える必要があることは当然の事であるし、「矯正領域」という以上、1点のみでたまたま焦点距離が合うだけでは安定した視力が得られないから、特定の度数である屈折力が一定である領域が確保されている必要がある。しかも、本件発明においては、「特定視距離矯正領域」は、屈折力が連続的に変化する「累進領域」と明確に区分されているところ、仮に「特定視距離矯正領域」において屈折力が一定でなくてもよいとするならば、「特定視距離矯正領域」と「累進領域」とを区分する境界が不明となってしまう。

被告製品においては、近用度数測定位置より上方には屈折力が変化し続ける領域(累進領域)しかなく、近景よりも実質的に離れた特定距離について、特定の度数(処方値)である屈折力が一定の領域は確保されておらず、眼鏡装着者の視力に応じて「矯正」するような領域は一切備えていない。

したがって、被告製品は、いずれも本件発明の構成要件Aを充足しない。

(原告の主張)

被告製品は、いずれも累進屈折力レンズであり、本件発明の「近用視矯正領域」、「累進領域」及び「特定視距離矯正領域」に相当する各領域を備えている。

本件発明において、「特定視距離矯正領域」は、「近景よりも実質的に離れた特定距離に対応する面屈折力を有する」領域と定義されており、「近景よりも実質的に離れた特定距離に対応する面屈折力」を有していれば「特定視距離矯正領域」に該当するというべきである。遠方(近景よりも実質的に離れた距離)について装用者の老視の度合いに応じて矯正するための領域が設けられているかどうかや処方値が定められているかどうかは、この要件の該当性とは関係がない(なお、近景に対応する領域〔近用視矯正領域〕に比べて小さい屈折力が付与される領域においては、実質的に異なる距離に対応する被写体に対して見え方が矯正されることは明らかであるといえる。)。また、本件発明では、特定視距離矯正領域において屈折力が一定値をとるといったことも要件とはされておらず、遠方視(近景と異なる特定視距離)の領域において屈折力が幾らか変化していることがあっても、遠用部ないし特定視距離矯正領域に当たり得ることは、技術常識である。

したがって、被告製品は、いずれも本件発明の構成要件Aを充足する。

 

② 構成要C

(被告の主張)

被告製品は、いずれも「特定視距離矯正領域」を備えていないから、「特定距離矯正領域の中心」は存在しない。したがって、被告製品については、「特定視距離矯正領域の中心での屈折力」である「K」も存在し得ない。

このように「K」が存在しないため、被告製品が条件式(1)や条件式(2)を満たすこともない。

被告製品1については、条件式(2)を満たすことの主張立証が全く欠けている。

他方、被告製品2及び被告製品3については、原告は、「特定視距離矯正領域における明視域の最大幅W」を透過非点隔差により定義して算定しているが、条件式(2)の右辺にある「K」及び「K」は「面屈折力」であるにもかかわらず、どうして左辺の「W」の値だけが「面非点隔差」ではなく「透過非点隔差」の数値となるのか疑問である。のみならず、「W」は、透過非点隔差により定義しようとすると、①眼と物体との距離及び位置関係、②眼球とレンズ面との距離及び角度、③幅を特定するための基準となる面といった多様な要素により変化する(上記①によって光線の透過条件が変わり、上記②によって光線の収束条件が変わるため、非点隔差が変化するし、上記③については、表面、裏面及び参照球面のいずれを基準とするかによって3通りの幅があり得る。)ため、一義的には定まらない。また、原告は、上記①につき、特定視距離として無限遠を設定しているが、そのような条件は、被告製品のような近近レンズには適さない。さらに、仮に、被告製品の透過非点隔差が0.0~0.5Dの領域を「特定視距離矯正領域における明視域」と見立てたとしても、(a)近近レンズに適した55cm~30cmの範囲で見る、及び(b)本件測定円における近用視矯正領域との屈折力の差1.5Dを加入度とみなす、という条件で算定すると、被告製品2のWFは、凸面座標では20.1mm、参照球面座標では14.1mmであり、被告製品3のWFは、凸面座標では31.1mm、参照球面座標では22.5mmであって、いずれも50/(K-K)の値33.3mmより小さいから、条件式(2)を満足しない。

したがって、被告製品は、いずれも本件発明の構成要件Cを充足しない。

(原告の主張)

本件明細書の段落【0016】【0028】等に照らすと、「特定視距離矯正領域の中心」とは、「特定視部の測定基準点とされる点」を意味しており、「特定視距離矯正領域の中心」(特定中心)及び「近用視矯正領域の中心」(近用中心)は、眼鏡レンズの「加入度」を定めるための基準点であるところ、被告製品においては、本件測定円及び近用度数測定円が、加入度を定義するための円として定められている。そして、本件測定円を用いてタイプ識別をするに当たっては、本件測定円の中心がレンズメータの開口部の中心と一致するようにレンズメータを当てるのが通常であるから、本件測定円の中心が、特定視部(特定視距離矯正領域)の測定基準点、すなわち「特定視距離矯正領域の中心」に該当するというべきである。

被告製品1の度数分布については、(K-K)/(K-K)=0.717であるから、被告製品1は、条件式(1)を満足する。被告製品2の度数分布については、(K-K)/(K-K)=0.716であるから、被告製品2は、条件式(1)を満足する。被告製品3の度数分布については、(K-K)/(K-K)=0.724であるから、被告製品3は、条件式(1)を満足する。

本件明細書の段落【0004】【0026】【0033】等に照らすと、本件発明における「明視域」とは、「非点隔差が0.5ディオプター以下の範囲」と定義されているところ、この「非点隔差」は、「面非点隔差」ではなく「透過非点隔差」を指す(面ではなく、レンズを透過した光線の収束位置における像のずれを示すものであり、物体側の面のみの性能を評価したものではなく、眼球側の面をも考慮した性能〔透過による性能〕を評価したものである。)と解される。すなわち、構成要件Cの「明視域の最大幅」は、透過非点隔差(眼球側の面及び物体側の面の三次元形状に基づいて求められた透過屈折力から算出された非点隔差)に基づいて定められると解される。そして、本件明細書の【図4】や技術常識に照らすと、①眼と物体との距離については、近用視距離が0.5m、特定視距離が無限遠であること、②眼球とレンズ面との距離は12mmであり、眼球とレンズ面との角度(前傾角)は0度であること、③幅を特定するための基準となる面は、累進面である物体側の面(外面)であることを前提に、明視域の最大幅を求めるべきである。

以上を前提に算定すると、被告製品2の特定視距離矯正領域における明視域の最大幅Wは36mmであり、50/(K-K)の値32.3より大きいから、条件式(2)を満足する。また、被告製品3の特定視距離矯正領域における明視域の最大幅Wは38mmであり、50/(K-K)の値34.4より大きいから、条件式(2)を満足する。

以上によれば、被告製品は、いずれも本件発明の構成要件Cを充足する。

(2)有効性

有効性については省略します。

 

5.裁判所の判断

(1)構成要件A

本件特許請求の範囲中の「特定視距離矯正領域」という文言の意義について検討するに,この「矯正領域」という文言自体及び本件明細書の記載等に照らすと,「特定視距離矯正領域」とは,「近景よりも実質的に離れた特定距離に対応する一定ないしほぼ一定の面屈折力を視力の矯正にふさわしい位置及び広がりにおいて有する領域」を意味するものと解される。したがって,眼鏡レンズが「特定視距離矯正領域」を備えているというためには,レンズ中の①視力の矯正にふさわしい位置(レンズを眼鏡フレームに合わせて加工したときにフレームの外側に外れることがないような位置)かつ②ある程度の広がりを持ったエリアで,③屈折力(面屈折力)が一定ないしほぼ一定の度数であり,かつ④その屈折力(面屈折力)が近景よりも実質的に離れた特定距離に対応するものである領域を備えていることを要するというべきである。

原告は,本件測定円を根拠として,その下端より上方の領域である本件上方領域が被告製品における「特定視距離矯正領域」に該当する旨主張するが,本件測定円は,「Aタイプ」と「Bタイプ」というタイプ識別のための円にすぎず,これは,レンズ内で「矯正」のための領域になくても,レンズとしての屈折力の変化の度合いを測定する基準とすることができればよいものである(上記タイプ識別の目的に合った適当な基準点を2つ取って,その2点間の屈折力の差を測定することができればよい筋合いのものである。)から,「特定視距離矯正領域」とは関係がないとみられる。

また,本件上方領域は,レンズを通常の眼鏡フレームに合わせて加工したときに,その全部ないし大半がフレームの外側に外れてしまう部分であるとみられるから,前記ア①の視力の「矯正」にふさわしい位置ということはできない。

(2)構成要件C

被告製品においては,「特定視距離矯正領域の中心」を特定することができず,したがって,「特定視距離矯正領域の中心での屈折力」である「K」を算出することもできない。

ア 被告製品1について

もとより被告製品1については,原告は,Wの値を算出した主張立証を何らしていないから,条件式(2)(「W≧50/(K-K)」)を満たすとは認められないことは明らかである。

イ 被告製品2及び被告製品3について

「W」を透過非点隔差によって定義しようとすると,眼と物体との距離及び位置関係,眼球とレンズ面との距離及び角度,WFを測定する基準となる面が表面か裏面か参照球面かといった条件により数値が異なり得ることは明らかであるところ,本件明細書の記載と技術常識を総合しても,これらの条件が全て一義的に定まっているとはいい難い。

 

6.検討

本件については裁判所の判断に対してあまり疑問の余地もなく、原告・被告の主張を比較しても被告の主張の方が技術的な面での説得力が高く妥当な結論だと思われます。

 

7.感想

正直に言って少々無理スジの訴訟と思われます。控訴はしないのではないでしょうか?