海生生物の付着防止剤事件
投稿日: 2019/09/09 4:37:28
今日は、平成30年(行ケ)第10145号 審決取消請求事件について検討します。
1.検討結果
(1)本件発明は、海水冷却水系の海水中に、二酸化塩素と過酸化水素とをこの順もしくは逆順でまたは同時に添加することで海水冷却水系への海生生物の付着を防止するものです。
(2)特許無効審判の審決では特許維持(請求不成立)と判断されましたが、本審決取消訴訟では審決取消と判断されました。
(3)審決では甲1発明の有効塩素発生剤は、過酸化水素と酸化還元反応して一重項酸素を発生させる化合物であるところ、二酸化塩素は、このような化合物であるか明らかでなく、甲1発明の有効塩素発生剤を二酸化塩素に置換する動機付けがあるといえない、と判断しましたが、本判決では、一重項酸素の発生により「相乗的に抑制効果が高まるものと考えられる。」と推論しているに過ぎず、一重項酸素による付着抑制効果の有無及びその程度を実証的なデータ等により確認したものではないとし、また、実施例3で過酸化水素とヒドラジンとの併用によって一重項酸素が発生することは想定できないことに照らすと、二酸化塩素が過酸化水素との併用により一重項酸素を発生しないとしても、そのことから直ちに甲1発明における有効塩素発生剤を二酸化塩素に置換する動機付けを否定することはできない、と認定しました。
また、審決では本件発明1が顕著な効果を奏するという主張を認めましたが、本判決では認めませんでした。
(4)本判決では、甲1文献記載の記載について「一重項酸素の発生により「相乗的に抑制効果が高まるものと考えられる。」と推論しているに過ぎず、一重項酸素による付着抑制効果の有無及びその程度を実証的なデータ等により確認したものではない」、と認定していますが、これは文脈からして、一重項酸素についての記述は根拠となるデータの開示のない発明者の単なる想像であるから、当業者はこの想像に縛られない、と言いたいのだと思います。また、実施例3で用いている過酸化水素とヒドラジンとを併用しても一重項酸素は発生しないので、甲1発明においては一重項酸素の発生が必要とはされない、としています。
この点が少し引っ掛かります。まず甲1文献に対した当業者が一重項酸素については発明者の推論であるので考慮しないというのは不自然と考えます。発明は本来的に技術的思想であるので、明細書に対した当業者はその発明が発明者の推論も含めた考えに沿ってなされたものである、と捉えるというのが自然だと思います。そうして、その発明者の推論を含めて発明を実施した場合に何らかの不具合等が生じたときに初めて発明者の思考過程を疑う、というのが通常の考え方だと思います。この認定は後知恵臭が強いように思います。
また、甲1文献の実施例3ですが、甲1文献では塩素または有効塩素発生剤とヒドラジンまたはヒドラジン発生剤とをわけているため、実施例3をもって有効塩素発生剤には一重項酸素を発生させる化合物以外も含まれる、と認定するのは強引なように思います。
2.手続の時系列の整理(特許第5879596号)
3.特許請求の範囲の記載
【請求項1】
海水冷却水系の海水中に、二酸化塩素と過酸化水素とをこの順もしくは逆順でまたは同時に添加して、前記二酸化塩素と過酸化水素とを海水中に共存させることにより海水冷却水系への海生生物の付着を防止することを特徴とする海生生物の付着防止方法。
【請求項2】
前記二酸化塩素および過酸化水素が、前記海水に対してそれぞれ0.01~0.5mg/Lおよび0.1~2.0mg/Lの濃度で海水中に共存する請求項1に記載の海生生物の付着防止方法。
【請求項3】
前記二酸化塩素と過酸化水素とが1日14~24時間添加される請求項1または2に記載の海生生物の付着防止方法。
【請求項4】
請求項1~3のいずれか1つに記載の方法に使用される海生生物の付着防止剤であって、
前記付着防止剤が、
過酸化水素発生源としての
(a)過酸化水素水溶液、または
(b)過酸化水素供給化合物の水溶液と、
二酸化塩素発生源としての
(1)次亜塩素酸ナトリウムと塩酸と亜塩素酸ナトリウムとの組み合わせ
(2)亜塩素酸ナトリウムと塩酸との組み合わせ、または
(3)塩素酸ナトリウム、過酸化水素および硫酸との組み合わせ
とを含むことを特徴とする海生生物の付着防止剤。
4.本件審決の理由の要旨
(1)本件審決の理由は、別紙審決書(写し)のとおりである。その要旨は、①本件発明1は、本件優先日前に頒布された刊行物である甲1に記載された発明(以下「甲1発明」という。)及び甲2ないし7、9ないし18に記載された発明に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものとはいえず、本件発明2ないし4もこれと同様であるから、甲1を主引用例とする進歩性欠如(特許法29条2項違反。以下同じ。)の無効理由(無効理由1)は理由がない、②本件発明1は、甲5に記載された発明(以下「甲5発明」という。)及び甲1ないし4、6、7、9ないし18に記載された発明に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものとはいえず、本件発明2ないし4もこれと同様であるから、甲5を主引用例とする進歩性欠如の無効理由(無効理由2)は理由がないというものである。
甲1ないし7、9ないし18は、次のとおりである。
甲1 特公昭61-2439号公報
甲2 特公平6-29163号公報
甲3 特開平6-153759号公報
甲4 特開2003-329389号公報
甲5 特開平8-24870号公報
甲6 高効率浄水技術開発研究(ACT21)代替消毒剤の実用化に関するマニュアル、(財)水道技術研究センター、2002年12月発行、1頁~5頁、57頁~58頁、137頁
甲7 海洋生物環境研究所研究報告、(財)海洋生物環境研究所、2005年3月発行、第8号、11頁~17頁
甲9 カーク・オスマー化学大辞典、丸善株式会社、昭和63年9月20日発行、201頁~203頁
甲10 工業化学雑誌、(社)日本化学会、昭和37年12月5日発行、第65巻、第12号、1911頁~1916頁
甲11 工業化学雑誌、(社)日本化学会、昭和37年12月5日発行、第65巻、第12号、1918頁~1922頁
甲12 日本家政学会誌、(社)日本家政学会、平成元年3月5日発行、第40巻、第3号、207頁~212頁
甲13 国際公開第2009/081714号フロントページ
甲14 紙パ技協誌、紙パルプ技術協会、1998年5月1日発行、第52巻、第5号、623頁~629頁
甲15 化学と教育、(社)日本化学会、2007年9月20日、第55巻、第9号、460頁~463頁
甲16 高効率浄水技術開発研究(ACT21)代替消毒剤の実用化に関するマニュアル、(財)水道技術研究センター、2002年12月発行、22頁~24頁
甲17 海生生物汚損対策マニュアル、技報堂出版株式会社、1991年3月8日発行、8頁
甲18 高効率浄水技術開発研究(ACT21)代替消毒剤の実用化に関するマニュアル、(財)水道技術研究センター、2002年12月発行、58頁~60頁
(2)本件審決が認定した甲1発明、甲5発明、本件発明1と甲1発明との一致点及び相違点、本件発明1と甲5発明との一致点及び相違点は、以下のとおりである。
ア 甲1発明
冷却用海水路の海水に、有効塩素発生剤と過酸化水素とを同時または交互に注入することにより、冷却用海水路における海水動物の付着を抑制する海水動物の付着抑制方法。
イ 甲5発明
工業用海水冷却水系の海水冷却水に予め過酸化水素を添加して分散させた後、有効塩素発生剤を添加することにより、工業用海水冷却水系における海生付着生物の付着防止又は成長抑制する工業用海水冷却水の処理方法。
ウ 甲1発明と本件発明1との一致点及び相違点
(一致点)
「海水冷却系の海水中に、過酸化水素を添加して、海水冷却水系への海生生物の付着を防止する海生生物の付着防止方法」である点。
(相違点1)
本件発明1は、海水中にさらに「二酸化塩素」を「この順もしくは逆順でまたは同時に添加して、前記二酸化塩素と過酸化水素とを海水中に共存させ」ているのに対して、甲1発明は、海水中にさらに「有効塩素発生剤」を「同時または交互に注入する」点。
エ 甲5発明と本件発明1との一致点及び相違点
(一致点)
「海水冷却系の海水中に、過酸化水素を添加して、海水冷却水系への海生生物の付着を防止する海生生物の付着防止方法」である点。
(相違点2)
本件発明1は、海水中にさらに「二酸化塩素」を「この順もしくは逆順でまたは同時に添加して、前記二酸化塩素と過酸化水素とを海水中に共存させ」ているのに対して、甲5発明は、過酸化水素を添加して分散させた後に「有効塩素発生剤を添加する」点。
5.当事者の主張
1 取消事由1-1(甲1を主引用例とする本件発明1の進歩性の判断の誤り)について
(1)原告の主張
ア 相違点1の容易想到性の判断の誤り
本件審決は、①甲1発明の有効塩素発生剤は、過酸化水素との酸化還元反応によって一重項酸素を発生させることを目的とする化合物である、②甲1ないし7、9ないし18は、二酸化塩素が、過酸化水素との酸化還元反応によって一重項酸素を発生させる化合物であることを開示するものでなく、このようなことが技術常識であるといえないから、過酸化水素との酸化還元反応によって一重項酸素を発生させることを目的とする甲1発明の有効塩素発生剤を二酸化塩素に置換する動機付けがあるといえないとして、甲1発明において、相違点1に係る本件発明1の発明特定事項とすることは、当業者が容易になし得ることではない旨判断したが、以下のとおり、誤りである。
(ア)甲1発明の有効塩素発生剤の目的の認定の誤り等
甲1記載の有効塩素発生剤(塩素、次亜塩素酸塩)が過酸化水素との酸化還元反応によって一重項酸素を発生させることは認めるが、甲1から、甲1発明における海水動物の付着抑制効果のメカニズムは、過酸化水素と有効塩素発生剤の組み合わせによる一重項酸素の発生であると理解することはできないから、甲1発明の有効塩素発生剤は、過酸化水素との酸化還元反応によって一重項酸素を発生させることを目的とする化合物であるとした本件審決の認定は誤りである。
すなわち、甲1には、海水動物が海水の工業的な利用にもたらす障害について、「このような障害を防止するために、従来有効塩素発生剤、有機スズ化合物、有機イオウ化合物、第4級アンモニウム塩等が用いられて来た。しかしこれらの薬剤は残留毒性、蓄積毒性があり、広く海水動物の生態環境を破壊するものと指摘されている。」(1頁左欄20行~右欄9行)、「過酸化水素と従来使用されて来た上記薬剤を一緒にもしくは交互に組み合わせて連続的または間欠的に使用すれば、相乗効果によって薬剤を著るしく減らしても同一の効果が得られることを見出した。」(2頁左欄6行~10行)、「過酸化水素を従来の抑制剤と組み合わせ使用することによって従来の抑制剤の使用濃度を実質的に低下せしめ、環境問題の見地からこれらの薬剤を有利に使用することを可能ならしめたものである。」(2頁右欄36行~40行)との記載があるとおり、甲1記載の有効塩素発生剤は、従来使用されて来た海水動物付着抑制剤の一つとして記載されているにすぎず、過酸化水素を従来使用されて来た海水動物付着抑制剤と組み合わせて使用することによって従来の抑制剤の使用濃度を実質的に低下せしめることができれば、甲1発明の目的を達成できることは明らかである。
また、甲1には、過酸化水素との組み合わせについて「特に有効塩素との組み合わせの場合には、次式に示す酸化-還元反応によって一重項の酸素(OI)が発生して相乗的に抑制効果が高まるものと考えられる。「H2O2+ClO-→H2O+C1-+OI」(2頁右欄7行~12行)との記載があるが、「相乗的に抑制効果が高まるものと考えられる。」と記載されているに過ぎず、一重項酸素の発生により相乗的に抑制効果が高まることのメカニズムまで解明されているわけではない。
さらに、甲1には、過酸化水素と有効塩素発生剤との併用以外にも、過酸化水素とヒドラジンとを併用した「実施例3」として、過酸化水素とヒドラジンとの併用の結果、過酸化水素と有効塩素発生剤との併用の結果と同様の抑制効果が得られたことが記載されており(4頁左欄1行~6頁左欄2行)、このことは、一重項酸素の発生によらなくても抑制効果が得られたことを示すものであって、甲1記載の海水動物の抑制方法の付着抑制効果のメカニズムは、過酸化水素と第2薬剤との組み合わせによる一重項酸素の発生に限られるものではないことを示すものといえる。
したがって、甲1発明の有効塩素発生剤は、過酸化水素との酸化還元反応によって一重項酸素を発生させることを目的とする化合物であるとはいえないし、二酸化塩素が過酸化水素との酸化還元反応によって一重項酸素を発生させる化合物でないからといって、そのことから直ちに、過酸化水素と組み合わせる甲1発明の有効塩素発生剤を二酸化塩素に置換する動機付けがないということはできない。
したがって、本件審決における相違点1の容易想到性の判断には誤りがある。
(イ)甲1発明の課題の公知性及び自明性
海生生物付着防止剤として過酸化水素を用いる場合、特に二枚貝類の付着防止に関しては、過酸化水素に対する抵抗性が強く、多量の過酸化水素を添加しないと処理できないこと(甲5の【0004】、【0005】)から、過酸化水素と他の薬剤を併用することは、当該技術分野における常套手段である。
そして、甲5には、甲1記載の過酸化水素剤と塩素剤を併用する方法について、「過酸化水素剤と塩素剤とを同時に別々に海水に注入する方法(同時添加法1)であり、海水中の過酸化水素と有効塩素との酸化還元反応により発生する1重項の酸素(活性酸素)の作用により付着生物の付着抑制効果を期待するものであるため、近似する同一箇所に注入点を設けることが好ましい。」(【0007】)、「その場合、酸化還元反応により、両薬剤が消費され、添加個所及びそれ以降の一部区域については有効な海生付着生物に対する付着及び成長抑制効果が発揮されるが、それ以降の区域においては充分な抑制効果が発揮されないという課題があった(技術課題1)。」(【0008】)との記載がある。また、甲22(特開2015―58405号公報)には、「一方、「併用添加法」では、過酸化水素剤と塩素剤との酸化還元反応により、両薬剤が消費される、つまり両薬剤の濃度が低下するので、薬注個所およびその近傍区域では海生付着生物に対する付着および成長抑制の有効な効果が発揮されるが、薬注個所から離れた下流側の区域においては充分な効果が発揮されないという課題がある。」(【0007】)、「また、「分散添加法」では、予め過酸化水素剤を海水に分散させるための装置が必要となるため経済的に不利であり、「併用添加法」と同様に、過酸化水素剤と塩素剤との酸化還元反応により、両薬剤が消費されるので、薬注個所からの距離が長くなると下流側の区域においては海生付着生物に対する付着および成長抑制の充分な効果が発揮されないという課題がある。このように従来技術においては、過酸化水素剤と塩素剤とを安定に共存させることができず、両薬剤の特徴が十分に活かされていなかった。」(【0008】)との記載がある。
これらの記載から、甲1発明の「過酸化水素剤と塩素剤との酸化還元反応を用いた方法」では、両薬剤が消費され、「安定に共存」させることができないという課題は、本件優先日前に、公知であったといえる。次に、甲1記載の「H2O2+ClO-→H2O+C1-+OI」の式は、過酸化水素と有効塩素発生剤とを組み合わせた場合、過酸化水素とClO-が酸化還元反応により時間経過とともに消費され、水と、殺菌力のない「Cl-」と、一重項酸素「OI」とが生成されることを示したものである。この一重項酸素「OI」は、寿命が短く、長く存在し得ないことは技術常識であることからすると、甲1記載の上記式から、甲1発明の過酸化水素剤と塩素剤との酸化還元反応を用いた方法には、両薬剤が消費され、「安定に共存」させることができないという課題があることは自明である。
さらに、甲1発明における有効塩素発生剤である塩素、次亜塩素酸ナトリウムを用いた場合には、有害なトリハロメタンの生成という課題があることは、本件優先日当時、周知であった(甲2)。
(ウ)二酸化塩素に関する技術事項
甲1には、二酸化塩素に関する記載はない。
しかるところ、①甲15の「Cl+のように酸化力を持つ塩素を有効塩素と呼んで、酸化力のないCl-と区別しています」(461頁左欄7行~8行)との記載から、有効塩素とは酸化力のある塩素を意味すると解されるところ、二酸化塩素が酸化力を有することは技術常識であること(甲6、15)、②二酸化塩素は、海水中で亜塩素酸イオン(ClO2-)を発生させる化合物であって(甲2、6)、亜塩素酸イオンが酸化力を有することは技術常識であることからすると、二酸化塩素は、有効塩素であって、海水中で塩素を発生させる有効塩素発生剤の一種である。
仮に二酸化塩素が有効塩素発生剤であるとはいえないとしても、二酸化塩素は、甲1発明の有効塩素発生剤と同じ塩素系の海生生物の付着防止剤に属する(甲15)。
そして、二酸化塩素は、トリハロメタンのような有機化合物を生成せず、環境負荷が少ないことから、有効塩素発生剤である塩素、次亜酸素酸ナトリウム等に替わる付着防止剤として、本件優先日当時、海生生物の付着防止技術の分野において、周知であった(甲2、3、6、7、28)。
また、二酸化塩素を用いた場合、塩素、次亜塩素酸ナトリウム等の薬剤を用いた場合よりも、海生生物付着防止効果が高いことは、本件優先日当時、公知であった(甲2、3)。
(エ)相違点1の容易想到性
甲1発明に前記(イ)の課題があることは本件優先日当時公知又は自明であったこと、前記(ウ)のとおり、二酸化塩素は、甲1発明の有効塩素発生剤と同じ塩素系の海生生物の付着防止剤に属すること、二酸化塩素は、本件優先日当時、有効塩素発生剤である塩素、次亜塩素酸ナトリウム等に替わる海生生物の付着防止剤として周知であり、塩素、次亜塩素酸ナトリウム等の薬剤を用いた場合よりも海生生物付着防止効果が高いことは公知であったことからすると、甲1及び甲2ないし7、9ないし18に接した当業者は、より高い海生生物付着防止効果を得られること等を期待して、甲1発明における有効塩素発生剤を二酸化塩素と置換する動機付けがあるものといえるから、甲1発明において、「海水冷却水系の海水中に、二酸化塩素と過酸化水素とをこの順もしくは逆順でまたは同時に添加して、前記二酸化塩素と過酸化水素とを海水中に共存させる」構成(相違点1に係る本件発明の構成)とすることを容易に想到することができたものである。
したがって、これと異なる本件審決の判断は誤りである。
(オ)被告らの主張について
被告らは、二酸化塩素は、極めて不安定な化学物質であって(甲3の【0018】)、当業者は、酸化力の強い二酸化塩素は過酸化水素との酸化還元反応により共存できないと理解するから、甲1発明における有効塩素発生剤を二酸化塩素に置換することを容易に想到することはできない旨主張する。
しかしながら、甲3の【0018】の記載は、二酸化塩素の貯蔵、輸送が困難であることを述べるものであって、海水中の二酸化塩素に関する記載ではない。また、酸化力は、電子を奪う能力(酸化させることができる対象物の量)の大小を示すものに過ぎず、酸化力と酸化還元反応における共存とは別の問題であるから、酸化力のみをもって過酸化水素との反応速度を推測することはできない。
したがって、被告らの上記主張は理由がない。
イ 本件発明1の予期し得ない顕著な効果に関する判断の誤り
本件審決は、仮に甲1発明の有効塩素発生剤を二酸化塩素に置換できると仮定しても、①本件出願の願書に添付した明細書(以下「本件明細書」という。甲19)の「試験例1」、「試験例4」及び「試験例5」の記載から、試験例1で確認することができる海水中での二酸化塩素と過酸化水素の共存の持続が、次亜塩素酸ナトリウムと過酸化水素の同時添加と比較して、海生生物やスライムの付着を効率よく防止できるとの効果を奏することも確認することができるのに対し、原告提出の各甲号証には、二酸化塩素と過酸化水素の海水中での共存が、次亜塩素酸ナトリウムと過酸化水素の共存より長時間持続することも、海生生物やスライムの付着を効率よく防止できることも具体的に記載していない、②そうすると、二酸化塩素と過酸化水素の海水中での共存が、次亜塩素酸ナトリウムと過酸化水素の共存より長時間持続することができ、海生生物やスライムの付着を効率よく防止できるとの本件発明1の奏する効果は、当業者が予期し得ない格別な効果であるといえるから、本件発明1は、甲1発明及び甲2ないし7、9ないし18に記載された発明に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものとはいえない旨判断したが、以下のとおり、誤りである。
(ア)試験例1の二酸化塩素の残留率について
本件審決は、本件明細書記載の試験例1の実施例1(水温20℃の濾過海水200mLに対して、二酸化塩素を0.1mg/L、過酸化水素を1.05mg/Lになるように、この順序で添加)では、撹拌5分後の二酸化塩素の残留率が60%であるのに対し、実施例1の二酸化塩素を次亜塩素酸ナトリウムに変更した以外は同じ条件で行った比較例1では、撹拌5分後の次亜塩素酸ナトリウムの残留率が17%未満であることから、二酸化塩素と過酸化水素の海水中での共存は、次亜塩素酸ナトリウムと過酸化水素の共存時間より長時間持続するとの「効果1」が確認することができ、実施例2と比較例2を比べても、上記「効果1」を確認することができる旨判断した。
しかるところ、甲25(「Water Reseach Vol.28 №1」1994)記載の二酸化塩素が無機化合物と反応した時の経過時間に対する濃度変化を示す「式(4)」(46頁右欄7行・訳文乙8の2の3頁)に、本件明細書の試験例1に記載された各実施例における二酸化塩素と過酸化水素の初期濃度を当てはめて二酸化塩素の濃度変化を計算すると、実施例1では、攪拌5分後は0.08mg/L(80%)、攪拌15分後は0.04mg/L(40%)、実施例2では、攪拌5分後は0.19mg/L(76%)、15分後は0.11mg/L(44%)となる。これらの計算結果は、実施例1及び2記載の二酸化塩素の残留率に近いか、それ以上であって、二酸化塩素と過酸化水素の海水中での共存は、次亜塩素酸ナトリウムとの共存時間より長時間持続することを示すものである。試験例1の実施例3及び4に係る計算結果も、これと同様である。
したがって、試験例1の二酸化塩素の残留率に係る効果は、甲1発明の有効塩素発生剤を二酸化塩素に置換した場合に当業者が予期し得る範囲内のものであって、当業者が予期し得ない格別な効果であるとは認められない。
(イ)試験例4のスライムの付着量について
本件審決は、本件明細書記載の試験例4の実施例1(水路に海水を1㎥/hで63日間通水し、二酸化塩素を0.05mg/L、過酸化水素を0.175mg/Lになるように同時に連続添加したもの)では、スライムを主体とする汚れを示す湿体積が1.0mlであるのに対し、実施例1の二酸化塩素を次亜塩素酸ナトリウムに変更した以外は同じ条件で行った比較例4では、湿体積が3.0mlであることが記載されていることから、海水中での二酸化塩素と過酸化水素の共存の持続が、次亜塩素酸ナトリウムと過酸化水素の同時添加と比較して、スライムの付着を効率よく防止できるとの効果を奏する旨判断した。
しかるところ、甲2には、二酸化塩素に関し、「本発明は塩素の代わりに塩素の2.6倍の有効塩素量を有し、水溶性の高い二酸化塩素または二酸化塩素発生剤を用いることにより、薬品使用量の減少をはかり、ひいては、毒性のあるTHM(トリハロメタン)の生成を防止しつつ、海洋中などの水中における生物付着を防止することで成功したものである。」(2頁左欄14行~19行)との記載がある。
加えて、甲2記載の表「海生生物付着試験結果」から、別紙4の表Aに示すとおり、次亜塩素酸ナトリウム(3.0ppm)を用いた場合のスライム減少量(「ブランク」のスライム付着量から試験後のスライム付着量を差し引いた量。以下同じ。)は、330g/㎡であるのに対し、二酸化塩素(亜塩素酸ナトリウム(1.0ppm)及び硫酸(0.011ppm)から生成したもの)を用いた場合のスライム減少量は415g/㎡であり、有効成分量を同じ量に換算すると、約3倍の効果(415÷(330×0.36÷0.15)=3.01(小数点第3位切り捨て))が得られたことを理解できる。
したがって、試験例4の効果は、甲1発明の有効塩素発生剤を二酸化塩素に置換した場合に当業者が予期し得る範囲内のものであって、予期し得ない格別な効果であるとはいえない。
(ウ)試験例5の海生生物の付着について
本件審決は、本件明細書記載の試験例5の実施例1(水路に海水を1㎥/hで69日間通水し、二酸化塩素を0.05mg/L、過酸化水素を0.175mg/Lになるように同時に連続添加したもの)では、海生生物付着量を示す付着物量が7.68gであるのに対し、実施例1の二酸化塩素を次亜塩素酸ナトリウムに変更した以外は同じ条件で行った比較例1では、付着物量が26.74gであることが記載されていることから、海水中での二酸化塩素と過酸化水素の共存の持続が、次亜塩素酸ナトリウムと過酸化水素の同時添加と比較して、海生生物の付着を効率よく防止できるとの効果を奏する旨判断した。
しかるところ、甲2記載の表「海生生物付着試験結果」から、別紙4の表Bに示すとおり、次亜塩素酸ナトリウム(3.0ppm)を用いた場合のフジツボの残存率は7.6%であり、二酸化塩素(亜塩素酸ナトリウム(1.0ppm)及び硫酸(0.011ppm)から生成したもの)を用いた場合のフジツボの残存率は、同様に7.6%であるところ、二酸化塩素の有効成分量0.15ppmは、次亜塩素酸ナトリウム有効成分量0.36ppmの1/24である。
また、別紙4の表Bに示すとおり、次亜塩素酸ナトリウム(3.0ppm)を用いた場合には二枚貝の付着量は0であるのに対し、二酸化塩素(亜塩素酸ナトリウム(0.2ppm)及び硫酸(0.02ppm)から生成したもの)においては、1/12の有効成分量で同様の効果が得られている。
したがって、試験例5の効果は、甲1発明の有効塩素発生剤を二酸化塩素に置換した場合に当業者が予期し得る範囲内のものであって、当業者が予期し得ない格別な効果であるとは認められない。
(エ)被告らの主張について
被告らは、本件明細書記載の試験例4及び5について、次亜塩素酸ナトリウムを単体で用いた場合と過酸化水素を組み合わせた場合とで、スライムの付着量及び海生生物の付着量に違いがないのに対し、二酸化塩素と過酸化水素を組み合わせた場合は、二酸化塩素を単体で用いた場合と比較して、スライムの付着量及び海生生物の付着量が大きく減少しており、このことは、二酸化塩素及び次亜塩素酸ナトリウムのそれぞれの単独の結果からそれぞれの過酸化水素との併用効果を予測できないことを示すものである旨主張する。
しかしながら、甲2の記載から、二酸化塩素と過酸化水素を併用した場合には、各々のスライム汚れの防止効果に加えて、両者の反応により生成されるClO2-(亜塩素酸イオン)の効果も付随し、このClO-(亜塩素酸イオン)は、有効塩素発生剤から生成されるClO-(次亜塩素酸イオン)よりも優れたスライム汚れの防止効果を有すること(表2)を理解できる。
したがって、当業者は、二酸化塩素を過酸化水素と組み合わせた場合、二酸化塩素を単独で使用した場合に比べ、各々の効果に加え、亜塩素酸イオンの効果が得られることを予期することができるといえるから、被告らの上記主張は失当である。
(オ)まとめ
以上によれば、本件発明1は当業者が予期し得ない格別な効果を奏するとした本件審決の判断は、誤りである。
ウ 小括
以上のとおり、本件審決が、相違点1は当業者が容易に想到し得たものではない旨及び本件発明1は相違点1に係る構成を備えることによって顕著な効果を奏する旨判断したことは、いずれも誤りである。
そうすると、本件発明1は、甲1に記載された発明(甲1発明)及び甲2ないし7、9ないし18に記載された発明に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものであるから、これと異なる本件審決の判断は誤りである。
(2)被告らの主張
ア 相違点1の容易想到性の判断の誤りの主張に対し
(ア)甲1発明の有効塩素発生剤の目的について
甲1の「特に有効塩素との組み合わせの場合には、次式に示す酸化-還元反応によって一重項の酸素(OI)が発生して相乗的に抑制効果が高まるものと考えられる。H2O2+ClO-→H2O+C1-+OI」(2頁右欄7行~12行)との記載から、当業者は、甲1発明における海水動物の付着抑制効果のメカニズムは、過酸化水素と有効塩素発生剤の組み合わせによる一重項酸素の発生であると理解するから、甲1発明の有効塩素発生剤は、過酸化水素との酸化還元反応によって一重項酸素を発生させることを目的とする化合物であるとした本件審決の認定に誤りはない。
(イ)甲1発明の課題について
甲1には、甲1発明について改善すべき問題点が記載されておらず、それ自体が完成された発明である。
また、仮に甲1発明の課題が公知であったとしても、相違点1に係る本件発明の構成を想起する動機付けがあることにならない。
(ウ)二酸化塩素に関する技術事項について
二酸化塩素は、「極めて不安定な化学物質」(甲3の【0018】)、であって、かつ、「塩素の2.6倍の有効塩素量を有」する(甲2の2頁左欄14~15行)酸化力の強い化合物である。
また、二酸化塩素は、「有効塩素で示される化合物(これらは加水分解して次亜塩素酸を生成する)には属さない」(甲6の57頁31行~58頁1行)から、有効塩素又は有効塩素発生剤ではない。
さらに、二酸化塩素は、上記のとおり、不安定かつ酸化力の強い化合物であるため、過酸化水素との酸化還元反応により共存できないと考えるのが妥当であるので、本件優先日の技術常識では、二酸化塩素と過酸化水素の共存は、通常は考えられていなかった(本件明細書の【0010】)。
しかも、二酸化塩素と過酸化水素を組み合わせた場合、両者が反応して消費され、二酸化塩素は亜塩素酸イオンとなるが(甲9)、一重項酸素は発生しない。そして、甲2の「以上の結果より海水生物付着防止効果について亜塩素酸ナトリウム単独でも従来処理程度の効果を示すが、亜塩素酸ナトリウムを活性化し二酸化塩素にすることで著しい効果をあげることができる。」(5欄43行~46行)との記載から、海水生物付着防止効果について、亜塩素酸イオンは二酸化塩素に劣ることを理解できるから、二酸化塩素と過酸化水素を併用するよりも、二酸化塩素を単独で使用する方が海生生物付着防止効果は高いものといえる。
(エ)相違点1の容易想到性について
甲1には、二酸化塩素は記載されておらず、甲1記載の「従来使用されてきた上記薬剤」には、二酸化塩素は含まれない。ましてや、甲1には、二酸化塩素を過酸化水素と組み合わせて使用することについての記載も示唆もない。
また、甲1ないし7、9には、「二酸化塩素」と「過酸化水素」を組み合わせると、両者の海中での共存が「長時間持続」することについての記載も示唆もない。
さらに、前記(ウ)のとおり、二酸化塩素は、不安定かつ酸化力の強い化合物であるため、二酸化塩素と過酸化水素の共存は、本件優先日当時、通常は考えられていなかったものである。かえって、二酸化塩素と過酸化水素を組み合わせた場合には、両者が反応して消費され、二酸化塩素は海生生物付着防止効果が劣る亜塩素酸イオンとなり、一重項酸素も発生しないため、二酸化塩素と過酸化水素を併用するよりも、二酸化塩素を単独で使用する方が海生生物付着防止効果は高いことから、二酸化塩素に過酸化水素を組み合わせることには、動機付けがなく、むしろ阻害要因がある。
原告主張の二酸化塩素が甲1発明の有効塩素発生剤と同じ塩素系の海生生物の付着防止剤に属すること、二酸化塩素は、トリハロメタンのような有機化合物を生成せず、環境負荷が少ないこと、二酸化塩素を用いた場合、塩素、次亜酸素酸ナトリウム等の薬剤を用いた場合よりも、海生生物付着防止効果が高いことは、二酸化塩素と過酸化水素を組み合わせることを示唆するものではなく、二酸化塩素を単独で使用することを示唆するに過ぎない。
また、甲1発明の課題が公知であるからといって、相違点1に係る本件発明の構成を想起する動機付けがあることにならないし、数多くの薬剤の中から「二酸化塩素」と「過酸化水素」を選ぶことは当業者にとって容易なことではない。
以上によれば、当業者は、甲1発明における有効塩素発生剤を二酸化塩素と置換し、二酸化塩素と過酸化水素を組み合わせる動機付けがなく、むしろ阻害要因があるから、甲1発明において、「海水冷却水系の海水中に、二酸化塩素と過酸化水素とをこの順もしくは逆順でまたは同時に添加して、前記二酸化塩素と過酸化水素とを海水中に共存させる」構成(相違点1に係る本件発明1の構成)とすることを容易に想到することができたものではない。
したがって、これと同旨の本件審決の判断に誤りはない。
イ 本件発明1の予期し得ない顕著な効果に関する判断の誤りの主張に対し
(ア)試験例1の二酸化塩素の残留率について
本件明細書には、「試験例1」として、過酸化水素と次亜塩素酸ナトリウムを組み合わせた場合、攪拌5分後の次亜塩素酸ナトリウムの残留率が17%未満であったのに対し、過酸化水素と二酸化塩素を組み合わせた場合、攪拌5分後の二酸化塩素の残留率が60%であり、過酸化水素と二酸化塩素とを組み合わせた場合の方が、両者の海中での共存が長時間持続するという本件発明1の効果が記載されている(表1、【0032】~【0037】)。
二酸化塩素は、不安定かつ酸化力の強い化合物であるため、二酸化塩素と過酸化水素の共存は、本件優先日当時、通常は考えられておらず、両者の海中での共存が「長時間持続」するものとは考えられていなかったことに照らせば、試験例1記載の上記効果は当業者が予期し得ない格別な効果であるといえる。
これに対し原告は、甲25に記載された二酸化塩素の濃度変化に関する理論式(式(4))を適用することで、当業者が本件発明1の効果を予期することは可能である旨主張する。
しかしながら、甲25は、「様々な種類の基質と二酸化塩素との反応に関する二次速度定数の包括的な測定が、標準的な飲用水用の実験室において再現できる従来の実験室用の方法を用いてなされてきた。」(54頁12行~16行・訳文乙8の2の17頁)との記載のとおり、飲料水用の二酸化塩素の反応速度論に関する文献であって、海水中の状態の反応速度論に関する文献ではない。また、甲25記載の理論式(式(4))は、海水など野外での反応速度を正確に計算できるものではなく、しかも、甲25は次亜塩素酸ナトリウムの反応速度について何ら記載がない。
したがって、当業者は、甲25の記載に基づいて、二酸化塩素と過酸化水素を組み合わせた場合に、両者の海中での共存が長時間持続するという本件発明1の効果を予期することはできないから、原告の上記主張は失当である。
(イ)試験例4のスライムの付着量について
本件明細書には、「試験例4」として、海水を水路に通水した場合のスライム汚れの量が「湿体積」として測定され、その結果が表4に記載されており、二酸化塩素単独(「湿体積」が4.0ml又は2.0ml)よりも過酸化水素と二酸化塩素との組み合わせの方(「湿体積」が1.0ml)がスライム汚れの付着防止効果が高いのに対し、次亜塩素酸ナトリウムの場合、過酸化水素と組み合わせても、「湿体積」が3.0mlで、スライム汚れの防止効果が向上しないという結果が示されている(表4、【0052】)。
しかるところ、二酸化塩素は、次亜塩素酸ナトリウムと異なり、過酸化水素との組み合わせで一重項酸素を発生させるものではないにもかかわらず、過酸化水素と二酸化塩素の組み合わせの方がスライム汚れの付着防止効果が高まるという結果を予測することは困難である。また、表4から、二酸化塩素又は次亜塩素酸ナトリウムのそれぞれ単独の結果から、それぞれの過酸化水素との併用効果を予測できないことが分かる。
したがって、試験例4記載の上記効果は当業者が予期し得ない格別な効果であるといえる。
(ウ)試験例5の海生生物の付着について
本件明細書には、「試験例5」として、過酸化水素と次亜塩素酸ナトリウムを併用した場合に比べ、過酸化水素と二酸化塩素を併用した場合、海生生物付着量の抑制効果が高いことが示されている(表5、【0057】)。
甲1には、過酸化水素と次亜塩素酸ナトリウムとの組み合わせで一重項酸素が発生するという相乗効果が開示されているが、過酸化水素と二酸化塩素との組み合わせについては何ら開示されていないから、これらの2組の海生生物付着量の抑制効果を単独成分の結果から予測することは困難である。
したがって、試験例5記載の上記効果は当業者が予期し得ない格別な効果であるといえる。
(エ)まとめ
以上によれば、本件発明1は当業者が予期し得ない格別な効果を奏するとした本件審決の判断に誤りはない。
ウ 小括
以上のとおり、相違点1に係る発明特定事項は当業者が容易に想到し得たものではなく、また、仮に相違点1に係る発明特定事項を容易に想到し得るとしても、本件発明1は、甲1発明からは予期し得ない格別な効果を奏するものであるから、本件発明1は、甲1に記載された発明及び甲2ないし7、9ないし18に記載された発明に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものではない。
したがって、これと同旨の本件審決の判断に誤りはない。
2 取消事由1-2(甲1を主引用例とする本件発明2ないし4の進歩性の判断の誤り)について
(1)原告の主張
本件審決は、本件発明2ないし4は、本件発明1を更に減縮したものであるから、本件発明1について検討したのと同様に、甲1に記載された発明及び甲2ないし7、9ないし18に記載された発明に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものではない旨判断した。
しかしながら、前記1(1)のとおり、本件審決のした本件発明1の容易想到性の判断に誤りがある以上、本件発明2ないし4の容易想到性を否定した本件審決の上記判断は、その前提を欠くものであって、誤りである。
(2)被告らの主張
前記1(2)のとおり、本件審決のした本件発明1の容易想到性の判断に誤りがないから、本件発明2ないし4の容易想到性を否定した本件審決の判断に誤りがあるとの原告の主張は、その前提を欠くものであって、理由がない。
3 取消事由2-1(甲5を主引用例とする本件発明1の進歩性の判断の誤り)について
(1)原告の主張
ア 相違点2の容易想到性の判断の誤り
本件審決は、①甲5発明の有効塩素発生剤は、過酸化水素との酸化還元反応によって一重項酸素を発生させることを目的とする化合物である、②甲1ないし7、9ないし18は、二酸化塩素が、過酸化水素との酸化還元反応によって一重項酸素を発生させる化合物であることを開示するものでなく、このようなことが技術常識であるといえないから、過酸化水素との酸化還元反応によって一重項酸素を発生させることを目的とする甲5発明の有効塩素発生剤を二酸化塩素に置換する動機付けがあるといえないとして、甲5発明において、相違点2に係る本件発明5の発明特定事項とすることは、当業者が容易になし得ることではない旨判断した。
しかしながら、甲5には、甲1に記載された発明について、「上記特許公報に記載の発明の第1実施態様は、…海水中の過酸化水素と有効塩素との酸化還元反応により発生する1重項の酸素(活性酸素)の作用により付着生物の付着抑制効果を期待するものである」(【0007】)との記載があるが、上記記載は甲1発明の有効塩素発生剤についての誤った認識に基づくものであり、前記1(1)ア(ア)で述べたのと同様の理由により、甲5発明の有効塩素発生剤は、過酸化水素との酸化還元反応によって一重項酸素を発生させることを目的とする化合物であるとはいえないし、二酸化塩素が過酸化水素との酸化還元反応によって一重項酸素を発生させる化合物でないからといって、そのことから直ちに、過酸化水素と組み合わせる甲5発明の有効塩素発生剤を二酸化塩素に置換する動機付けがないということはできない。
そして、前記1(1)ア(エ)で述べたのと同様の理由により、甲5及び甲1ないし4、6、7、9ないし18に接した当業者は、甲5発明における有効塩素発生剤を二酸化塩素と置換する動機付けがあるものといえるから、甲1発明において、「海水冷却水系の海水中に、二酸化塩素と過酸化水素とをこの順もしくは逆順でまたは同時に添加して、前記二酸化塩素と過酸化水素とを海水中に共存させる」構成(相違点2に係る本件発明の構成)とすることを容易に想到することができたものである。
したがって、本件審決の上記判断は誤りである。
イ 本件発明5の予期し得ない顕著な効果に関する判断の誤り
二酸化塩素と過酸化水素の海水中での共存が、次亜塩素酸ナトリウムと過酸化水素の共存より長時間持続することができ、海生生物やスライムの付着を効率よく防止できるという本件発明1の奏する効果は、当業者が予期し得ない格別な効果であるとした本件審決の判断は、前記1(1)イのとおり誤りである。
ウ 小括
以上によれば、本件発明1は、甲5に記載された発明(甲5発明)及び甲1ないし4、6、7、9ないし18に記載された発明に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものであるから、これと異なる本件審決の判断は誤りである。
(2)被告らの主張
前記1(2)アで述べたのと同様の理由により、当業者は、甲5発明における有効塩素発生剤を二酸化塩素と置換し、二酸化塩素と過酸化水素を組み合わせる動機付けがなく、むしろ阻害要因があるから、甲5発明において、「海水冷却水系の海水中に、二酸化塩素と過酸化水素とをこの順もしくは逆順でまたは同時に添加して、前記二酸化塩素と過酸化水素とを海水中に共存させる」構成(相違点2に係る本件発明1の構成)とすることを容易に想到することができたものではない。
また、本件発明1が当業者が予期し得ない格別な効果を奏することは、前記1(2)イのとおりである。
以上によれば、本件発明1は、甲5に記載された発明及び甲1ないし4、6、7、9ないし18に記載された発明に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものではない。
したがって、これと同旨の本件審決の判断に誤りはない。
4 取消事由2-2(甲5を主引用例とする本件発明2ないし4の進歩性の判断の誤り)について
(1)原告の主張
本件審決は、本件発明2ないし4は、本件発明1を更に減縮したものであるから、本件発明1について検討したのと同様に、甲5に記載された発明及び甲1ないし4、6、7、9ないし18に記載された発明に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものではない旨判断した。
しかしながら、前記3(1)のとおり、本件審決のした本件発明1の容易想到性の判断に誤りがある以上、本件発明2ないし4の容易想到性を否定した本件審決の上記判断は、その前提を欠くものであって、誤りである。
(2)被告らの主張
前記3(2)のとおり、本件審決のした本件発明1の容易想到性の判断に誤りがないから、本件発明2ないし4の容易想到性を否定した本件審決の判断に誤りがあるとの原告の主張は、その前提を欠くものであって、理由がない。
6.裁判所の判断
1 取消事由1-1(甲1を主引用例とする本件発明1の進歩性の判断の誤り)について
(1)本件明細書の記載事項について
ア 本件明細書(甲19)の発明の詳細な説明には、次のような記載がある(下記記載中に引用する表1、表4及び表5については別紙1を参照)。
-省略-
イ 前記アの記載事項によれば、本件明細書の発明の詳細な説明には、本件発明1に関し、次のような開示があることが認められる。
(ア)火力発電所や原子力発電所において復水器の冷却水として海水が多量に使用されることにより、海水取水路壁、配管内及び熱交換器内にムラサキイガイなどのイガイ類(二枚貝類)、フジツボ類、コケムシ類などの海生生物種が多量に付着し、様々な障害を惹き起こすため、これらの海生生物種の密集着生(付着)を防止するために、従来提案されていた、付着防止又は抑制の対象とする海生生物種が異なる過酸化水素剤(過酸化水素発生剤)と塩素剤(塩素発生剤)とを併用する海生生物の付着抑制方法(「併用添加方法」)には、過酸化水素剤と塩素剤との酸化還元反応により、両薬剤が消費され安定に共存させることができず、両薬剤の特徴が十分に活かされていないという課題があった(【0002】、【0006】)。一方、二酸化塩素は、殺菌力が強く、有害な有機塩素化合物を形成しないため、環境への影響が小さいという利点があるのに、従来、二酸化塩素と過酸化水素との併用に関する技術が提案されていないが、これは、二酸化塩素の化合物としての不安定性に加えて、二酸化塩素と過酸化水素との併用は、酸化還元反応により両薬剤が消費され、水系において安定に共存できないという技術常識が存在していたためと考えられる(【0009】、【0010】)。
(イ)「本発明」は、低濃度の薬剤添加で、その効果を長期間持続し、しかも広範な海生生物種やスライムの付着を防止し得る海生生物の付着防止方法及び付着防止剤を提供することを課題とし、海水中で過酸化水素剤と共存して、過酸化水素剤と共に海生生物の付着防止効果を発揮し得る、従来技術の塩素剤に代わる薬剤について研究を重ねた結果、これまで共存が不可能と考えられてきた二酸化塩素が海水中で過酸化水素剤と準安定的に共存できることを意外にも見い出し、「本発明」を完成するに到った(【0012】、【0013】)。
「本発明」は、海水冷却水系の海水中に、二酸化塩素と過酸化水素とをこの順もしくは逆順でまたは同時に添加して、前記二酸化塩素と過酸化水素とを海水中に共存させることにより海水冷却水系への海生生物の付着を防止する海生生物の付着防止方法の構成を採用したものである(【0013】)。
「本発明」の海生生物の付着防止方法は、二酸化塩素と過酸化水素とが海水中に一定時間共存するために、両者の海生生物の付着防止効果が一定時間持続して発揮されるものと考えられ、広範な海生生物種やスライムの付着防止に有効であるという効果を奏する(【0015】)。
(2)甲1の記載事項について
ア 甲1(特公昭61-2439号公報)には、次のような記載がある(下記記載中に引用する第4A表及び第4B表については別紙2を参照)。
-省略-
イ 前記アの記載事項によれば、甲1には、次のような開示があることが認められる。
(ア)火力発電所、製鉄所、石油化学工場や船舶などにおける海水の工業的な利用に際し、海水動物が水路に付着することによる障害を防止するために、従来有効塩素発生剤(塩素、次亜塩素酸塩等)、有機スズ化合物、有機イオン化合物、第4級アンモニウム塩等が海水動物の付着抑制剤として用いられて来たが、これらの薬剤には、残留毒性、蓄積毒性があり、広く海水動物の生態環境を破壊するものと指摘され、さらに、塩素の場合には輸送時の危険性、注入時の作業安定性なども問題とされており、これらの薬剤に替る安全な新しい薬剤の開発や、これらの薬剤の使用量を効果的に減少させる方法の開発が強く要望されていた(前記ア(イ))。
(イ)「本発明者等」は、易分解性で残留毒性や蓄積毒性の問題が起らないより安全な海水動物の付着抑制方法を研究した結果、それ自体低毒性で且つ蓄積毒性、残留毒性の殆んどない過酸化水素過が極めて有効であることを見出し、「本発明」は、過酸化水素を従来の抑制剤と組み合わせて使用することによって、相乗効果により、従来の抑制剤の使用濃度を実質的に低下せしめ、環境問題の見地からこれらの薬剤を有利に使用することを可能ならしめたという効果を奏する(前記ア(ウ))。
(3)甲2の記載事項について
-省略-
(4)二酸化塩素に関する技術事項について
ア 各文献の記載事項について
-省略-
イ 本件優先日当時の二酸化塩素に関する知見
前記(3)の記載事項及び前記アの記載事項を総合すると、本件優先日(平成27年4月15日)当時、二酸化塩素は、有効塩素で示される化合物(これらは加水分解して次亜塩素酸を生成する)には属さないが、塩素含有の化合物であり、水への溶解度は塩素よりも高く、酸化力が塩素よりも強い上、塩素、次亜塩素酸ソーダ等の塩素剤の添加により生成する有害なトリハロメタンが発生しない、海生生物の付着防止剤として知られていたことが認められる。
(5)相違点1の容易想到性の有無について
ア(ア)前記(2)イ認定のとおり、甲1には、①従来、海水動物の付着抑制剤として用いられてきた有効塩素発生剤(塩素、次亜塩素酸塩等)、有機スズ化合物、有機イオン化合物、第4級アンモニウム塩等には、残留毒性、蓄積毒性があり、広く海水動物の生態環境を破壊するものと指摘され、これらの薬剤に代わる安全な新しい薬剤の開発や、これらの薬剤の使用量を効果的に減少させる方法の開発が強く要望されていたこと、②「本発明」(甲1に記載された発明)は、それ自体低毒性でかつ蓄積毒性、残留毒性のほとんどない過酸化水素を、従来の抑制剤と組み合わせて使用することによって、相乗効果により、従来の抑制剤の使用濃度を実質的に低下せしめ、環境問題の見地からこれらの薬剤を有利に使用することを可能ならしめたという効果を奏することの開示があることが認められる。
一方で、前記(4)ア(エ)の甲5の記載事項から、甲1記載の有効塩素発生剤と過酸化水素を組み合わせた海水動物の付着抑制方法(甲1発明)には、塩素剤である有効塩素発生剤の添加により有害なトリハロメタン類が生成するという課題があり、その生成防止のために塩素剤の添加量を0.07mg/l未満に減少させた場合、塩素剤の海生付着生物に対する付着及び成長抑制効果を期待できず、また、過酸化水素剤については、特に過酸化水素剤の分解酵素を多く有しているムラサキイガイ等の二枚貝類に対しては、2mg/l以上使用しないと抑制効果が少ないため、海水使用量の大きな冷却水系統においては、その使用量が膨大な量になり、経済的ではないという課題があることを理解できる。
(イ)甲1には、二酸化塩素に関する記載はなく、過酸化水素と二酸化塩素を組み合わせて使用することについての記載及び示唆はない。
しかるところ、本件優先日当時、二酸化塩素は、塩素含有の化合物であるが、水への溶解度は塩素よりも高く、酸化力が塩素よりも強い上、塩素剤の添加により生成する有害なトリハロメタンが発生しない、海生生物の付着防止剤として知られていたことは、前記(4)イ認定のとおりである。
そして、前記(3)の甲2の記載事項によれば、甲2には、①甲2記載の水中生物付着防止方法は、塩素の代わりに、塩素の2.6倍の有効塩素量を有し、水溶性の高い二酸化塩素又は二酸化塩素発生剤を用いることにより、薬品使用量の減少を図り、ひいては、毒性のあるTHM(トリハロメタン)の生成を防止しつつ、海洋中などの水中における生物付着を防止すること(前記(3)ウ)、②二酸化塩素は、実施例1の結果(表2)が示すように、有効塩素発生剤である次亜塩素酸ナトリウムと比較し少量で効果があり、更にトリハロメタンの発生がなく、環境汚染がない、反応生成物は海水中に存在するイオンのみで構成され、残留毒性、蓄積毒性がないという効果を奏すること(前記(3)エ及びオ)の開示があることが認められる。
加えて、前記(4)ア(ア)の甲3の記載事項によれば、甲3には、甲3記載の水路に付着する生物の付着防止又は除去方法は、低濃度の二酸化塩素水溶液を連続的に水路に注入することによって、冷却系水路の内壁に付着するムサキイガイ等の生物を効果的に付着防止し、又は除去することが可能であり、また、二酸化塩素は有害な有機塩素化合物を形成しないことから、海や河川を汚染することもないという効果を奏することの開示があることが認められる。
(ウ)前記(ア)及び(イ)によれば、甲1ないし3、5に接した当業者は、過酸化水素と有効塩素剤とを組み合わせて使用する甲1発明には、有効塩素剤の添加により有害なトリハロメタンが生成するという課題があることを認識し、この課題を解決するとともに、使用する薬剤の濃度を実質的に低下せしめることを目的として、甲1発明における有効塩素剤を、トリハロメタンを生成せず、有効塩素発生剤である次亜塩素酸ナトリウムよりも少量で付着抑制効果を備える海生生物の付着防止剤である甲2記載の二酸化塩素に置換することを試みる動機付けがあるものと認められるから、甲1及び甲2、3、5に基づいて、冷却用海水路の海水中に「二酸化塩素と過酸化水素とをこの順もしくは逆順でまたは同時に添加して、前記二酸化塩素と過酸化水素とを海水中に共存させる」構成(相違点1に係る本件発明1の構成)を容易に想到することができたものと認められる。
イ これに対し被告らは、①甲1記載の有効塩素発生剤は、過酸化水素との酸化還元反応によって一重項酸素を発生させる化合物であるから、甲1発明における有効塩素発生剤を、過酸化水素と反応しても一重項酸素を発生しない二酸化塩素に置換する動機付けはない、②二酸化塩素は、不安定かつ酸化力の強い化合物であるため、本件優先日当時、過酸化水素と組み合わせた場合、両者が反応して消費され、共存できないと考えられており、また、両者の反応により二酸化塩素は、海生生物の付着防止効果が劣る亜塩素酸イオンとなるので、二酸化塩素を単独で使用した方が、二酸化塩素と過酸化水素を併用するよりも海生生物の付着防止効果は高いことからすると、当業者においては、過酸化水素に二酸化塩素を組み合わせることについての動機付けがなく、むしろ阻害要因がある旨主張する。
しかしながら、上記①の点については、甲1には、過酸化水素と有効塩素発生剤との組み合わせについて、「特に有効塩素との組み合わせの場合には、次式に示す酸化-還元反応によって一重項の酸素(OI)が発生して相乗的に抑制効果が高まるものと考えられる。H2O2+ClO-→H2O+C1-+OI」(前記(2)ア(ウ))との記載があるが、一重項酸素の発生により「相乗的に抑制効果が高まるものと考えられる。」と推論しているに過ぎず、一重項酸素による付着抑制効果の有無及びその程度を実証的なデータ等により確認したものではない。
また、甲1には、過酸化水素と有効塩素発生剤との併用以外にも、過酸化水素とヒドラジンとを併用した「実施例3」として、過酸化水素とヒドラジンとの併用の結果、過酸化水素と有効塩素発生剤との併用の結果と同様の抑制効果が得られたことの記載があり(前記(2)ア(オ))、過酸化水素とヒドラジンとの併用によって一重項酸素が発生することは想定できないことに照らすと、二酸化塩素が過酸化水素との併用により一重項酸素を発生しないとしても、そのことから直ちに甲1発明における有効塩素発生剤を二酸化塩素に置換する動機付けを否定することはできない。
次に、上記②の点については、二酸化塩素は、不安定かつ酸化力の強い化合物であるため、本件優先日当時、過酸化水素と組み合わせた場合において、両者が反応して消費され、およそ共存できないと考えられていたことを具体的に裏付ける証拠はない。もっとも、甲3には、「二酸化塩素は、極めて不安定な化学物質であるため、その貯蔵、輸送は非常に困難であるが、このように二酸化塩素発生器を用いた場合には、現場での二酸化塩素の製造が可能であり、取り扱いが非常に簡単である。」(【0018】)との記載があるが、この記載から、海水中で、二酸化塩素と過酸化水素を併用した場合、両者が反応して消費され、およそ共存できないと読み取ることはできない。また、本件明細書の【0010】には、「二酸化塩素と過酸化水素との併用は、塩素剤と過酸化水素との併用と同様に酸化還元反応により両薬剤が消費され、水系において安定に共存できないという技術常識が存在していたためと考えられる。」、「実際に本発明者らが試験したところによると、…当業者であれば、次亜塩素酸ナトリウムより酸化還元電位が高い二酸化塩素は過酸化水素と安定に共存できるはずがないと考えるのが自然である。」、【0012】には、「…その結果、これまで共存が不可能と考えられてきた二酸化塩素が海水中で過酸化水素剤と準安定的に共存できることを意外にも見出し…」との記載があるが、当業者は、本件優先日前に本件出願後に公開された本件明細書の記載に接することができないのみならず、酸化還元電位については、「一方の系の標準酸化還元電位が、他方の系のそれより高い(正である)場合、前者の方がより強い酸化剤となり、前者が還元され、後者が酸化される方向に進みうる。」こと、「酸化還元電位によって予言できるのは反応方向であり、反応速度ではない」ことは、技術常識であること(「化学大辞典3」縮刷版904頁・共立出版2003年)に照らすと、酸化還元電位から反応速度まで予測できるものとはいえないから、本件明細書の上記記載をもって、海水中で、二酸化塩素と過酸化水素を併用した場合、両者が反応して消費され、およそ共存できないということはできない。
したがって、被告らの上記主張は理由がない。
ウ 以上によれば、本件審決における相違点1の容易想到性の判断には誤りがある。
(6)本件発明1の予期し得ない顕著な効果の有無について
原告は、本件審決は、仮に甲1発明の有効塩素発生剤を二酸化塩素に置換できると仮定しても、本件明細書の「試験例1」、「試験例4」及び「試験例5」の記載から、試験例1で確認することができる海水中での二酸化塩素と過酸化水素の共存の持続が、次亜塩素酸ナトリウムと過酸化水素の同時添加と比較して、海生生物やスライムの付着を効率よく防止できるとの効果を奏することも確認することができるのに対し、原告提出の各甲号証には、二酸化塩素と過酸化水素の海水中での共存が、次亜塩素酸ナトリウムと過酸化水素の共存より長時間持続することも、海生生物やスライムの付着を効率よく防止できることも具体的に記載していないから、二酸化塩素と過酸化水素の海水中での共存が、次亜塩素酸ナトリウムと過酸化水素の共存より長時間持続することができ、海生生物やスライムの付着を効率よく防止できるとの本件発明1の奏する効果は、当業者が予期し得ない格別な効果であると判断したのは誤りである旨主張するので、以下において判断する。
ア 試験例1について
本件明細書の「試験例1」(【0032】~【0037】)の結果を記載した表1(別紙1)には、濾過海水(200mL)に二酸化塩素(濃度0.1mg/L)と過酸化水素(濃度1.05mg/L)とをこの順で添加した実施例1では、攪拌5分後の二酸化塩素の残留率が60%であったのに対し、濾過海水に次亜塩素酸ナトリウム(濃度0.1mg/L)と過酸化水素(濃度1.05mg/L)とをこの順で添加した比較例1では、次亜塩素酸ナトリウムの残留率が17%未満であったことが記載されており、二酸化塩素の残留率は次亜塩素酸ナトリウムの残留率の3倍以上であり、二酸化塩素と過酸化水素が次亜塩素酸ナトリウムと過酸化水素よりも共存状態が長く持続できることを示している。また、表1には、二酸化塩素(濃度0.25mg/L)と過酸化水素(濃度1.05mg/L)とをこの順で添加した実施例2では、攪拌5分後の二酸化塩素の残留率が52%であったのに対し、濾過海水に次亜塩素酸ナトリウム(濃度0.25mg/L)と過酸化水素(濃度1.05mg/L)とをこの順で添加した比較例2では、次亜塩素酸ナトリウムの残留率が17%未満であったことが記載されており、二酸化塩素の残留率は次亜塩素酸ナトリウムの残留率の3倍程度であったことが示されている。
一方で、表1には、二酸化塩素の濃度が実施例1よりも高い実施例2では、二酸化塩素の攪拌5分後の残留率は、実施例1よりも低いことが示されていることからすると、二酸化塩素の濃度を高くすると、二酸化塩素と過酸化水素の反応速度が高くなり、二酸化塩素の残留率が低くなることを理解できる。
また、二酸化塩素(濃度0.50mg/L)と過酸化水素(濃度0.15mg/L)とをこの順で添加した実施例3では、二酸化塩素の撹拌5分後の残留率は75%、撹拌15分後の残留率は49%であったのに対し、実施例3と添加の順序を逆にして、過酸化水素(濃度0.15mg/L)と二酸化塩素(濃度0.50mg/L)とをこの順で添加した実施例4では、二酸化塩素の撹拌5分後の残留率は68%、撹拌15分後の残留率は39%であったことが記載されており、過酸化水素を先に添加する実施例4の方が、二酸化塩素と過酸化水素の反応速度が高くなり、二酸化塩素の残留率が低くなることを理解できる。同様に、表1は、過酸化水素(濃度2.00mg/L)と二酸化塩素(濃度0.50mg/L)とをこの順で添加した実施例6は、添加の順序を逆にした実施例5よりも、二酸化塩素の残留率が低くなることを示している。
さらに、表1から、濾過海水に二酸化塩素と過酸化水素とを添加した場合の二酸化塩素の残留率は、それぞれの薬剤の濃度条件及び添加の順序に応じて、撹拌5分後では、35%(実施例6)、40%(実施例5)、52%(実施例2)、60%(実施例1)、68%(実施例4)、75%(実施例3)、撹拌15分後では、18%(実施例6)、21%(実施例2及び5)、49%(実施例3)、50%(実施例1)、64%(実施例4)という広い範囲にわたって変化していることを理解できる。
そして、反応速度が高い高濃度の条件では、比較例1で示された次亜塩素酸ナトリウムの撹拌後5分後及び15分後の残留率「<17%」に近接する18%(実施例6)や21%(実施例5)という低い二酸化塩素の残留率しか得られないことが理解できる。
以上のとおり、表1から、濾過海水に二酸化塩素と過酸化水素を添加した場合の二酸化塩素の残留率は、過酸化水素及び二酸化塩素の濃度条件及び添加の順序に応じて広範囲に変化することを理解できるところ、本件発明1の特許請求の範囲(請求項1)は、過酸化水素及び二酸化塩素の特定の濃度条件及び添加の順序を発明特定事項とするものではないから、上記の実施例1及び比較例1、実施例2及び比較例2の対比の結果は、本件発明1の特許請求の範囲全体の効果を示したものと認めることはできない。
そうすると、試験例1の上記対比の結果から、本件発明1が顕著な効果を奏するものと認めることはできない。
イ 試験例4について
(ア)本件明細書の「試験例4」(【0048】~【0052】)の結果を記載した表4(別紙1)には、未濾過海水を流量1m3/hで63日間通水した水路試験装置の水路に二酸化塩素(濃度0.05mg/L)と過酸化水素(濃度0.175mg/L)を同時に連続添加した実施例1では、スライムを主体とする汚れを示す「湿体積」が1.0mlであったのに対し、次亜塩素酸ナトリウム(濃度0.05mg/L)と過酸化水素(濃度0.175mg/L)を同時に連続添加した比較例4では、「湿体積」が3.0mlであったことが記載されており、また、過酸化水素(濃度0.175mg/L)を単独で添加した比較例1では「湿体積」が25.0ml、二酸化塩素(濃度0.05mg/L)を単独で添加した比較例2では「湿体積」が4.0ml、二酸化塩素(濃度0.1mg/L)を単独で添加した比較例3では「湿体積」が2.0mlであったことが記載されている。表4の実施例1及び比較例4の対比の結果は、二酸化塩素と過酸化水素とを併用添加した場合の効果は、同じ濃度の次亜塩素酸ナトリウムと過酸化水素とを併用添加した場合の効果と比較して、3倍優れていることを示すものといえる。
しかるところ、前記アのとおり、海水に二酸化塩素と過酸化水素を添加した場合の二酸化塩素の残留率は、過酸化水素及び二酸化塩素の濃度条件及び添加の順序に応じて広範囲に変化し、この変化に伴って、スライムを主体とする汚れの付着防止効果も変化し得るものと理解できることからすると、表4の実施例1及び比較例4の対比の結果は、本件発明1の特許請求の範囲全体の効果を示したものと認めることはできない。
(イ)次に、甲2の「実施例1」(前記(3)エ及びオ)の結果を記載した表2(別紙3)には、海水を通水したモデル水路に薬剤を注入し90日経過後のスライムの付着量を測定した結果として、薬剤を添加しない「ブランク」の場合のスライムの付着量は420g/㎡、3ppmの次亜塩素酸ナトリウムを使用した場合のスライムの付着量は90g/㎡、0.1ppmの亜塩素酸ナトリウム及び0.01ppmの硫酸を併用して二酸化塩素を生成した場合のスライムの付着量は100g/㎡であったことが記載されており、上記記載から、3ppmの次亜塩素酸ナトリウムを使用した場合のスライムの減少量(付着防止量)は330g/㎡(420g/㎡-90g/㎡)、二酸化塩素を生成した場合のスライムの減少量(付着防止量)は320g/㎡(420g/㎡-100g/㎡)であることを理解できる。表2には、二酸化塩素の生成量について明記されていないが、亜塩素酸ナトリウム(NaClO2)から二酸化塩素(ClO2)が生成する反応は、反応の前後で塩素及び酸素の原子量が変わらず、ナトリウム原子の有無のみで相違していことからすると、生成後の二酸化塩素の分子量はその原料である亜塩素酸ナトリウムの分子量より低くなり、0.1ppmの亜塩素酸ナトリウムから二酸化塩素を生成した場合、二酸化塩素の生成量は0.1ppmを超えないことは、自明であるといえる。
そうすると、表2から、3ppmの次亜塩素酸ナトリウムを使用した場合のスライムの減少量(付着防止量)と、0.1ppm以下の二酸化塩素を使用した場合のスライムの減少量(付着防止量)は、おおむね同程度であることを理解できるから、二酸化塩素は、次亜塩素酸ナトリウムよりもかなりの低濃度で同程度のスライム付着防止効果を上げることを理解できる。また、甲2にも、「以上の結果より海水生物付着防止効果について…亜塩素酸ナトリウムを活性化し二酸化塩素にすることで著しい効果をあげることができる。」(3頁左欄)との記載がある。
以上によれば、甲1及び甲2に接した当業者は、甲1発明における有効塩素発生剤を二酸化塩素に置換し、二酸化塩素と過酸化水素を併用した場合、次亜塩素酸ナトリウムと過酸化水素を併用した場合よりも優れたスライム付着防止効果を奏することを予期することができるものといえるから、本件明細書の試験例4の実施例1及び比較例4の対比の結果は予期し得ない効果であるものと認めることはできない。
(ウ)前記(ア)及び(イ)によれば、試験例4の実施例1及び比較例4の対比の結果から、本件発明1が、当業者が予期し得ない顕著な効果を奏するものと認めることはできない。
ウ 試験例5について
本件明細書の「試験例5」(【0053】~【0057】)の結果を記載した表5(別紙1)には、海水を流量1m3/hで69日間通水した水路試験装置の水路に二酸化塩素(濃度0.05mg/L)と過酸化水素(濃度0.175mg/L)を同時に連続添加した実施例1では、ムラサキイガイ、フジツボ類、カンザシゴカイ類、オベリア類及びコケムシ類などの海生生物の付着物量が7.68gであったのに対し、次亜塩素酸ナトリウム(濃度0.05mg/L)と過酸化水素(濃度0.175mg/L)を同時に連続添加した比較例1では、海生生物の付着物量が26.74gであったことが記載されている。表5の実施例1及び比較例1の対比の結果は、二酸化塩素と過酸化水素とを併用添加した場合の効果は、同じ濃度の次亜塩素酸ナトリウムと過酸化水素とを併用添加した場合の効果と比較して、3倍以上優れていることを示すものといえる。
しかるところ、前記イ(ア)で述べたのと同様の理由により、表5の実施例1及び比較例1の対比の結果は、本件発明1の特許請求の範囲全体の効果を示したものと認めることはできない。このことは、表5には、二酸化塩素(濃度0.1mg/L)と過酸化水素(濃度0.175mg/L)を同時に連続添加した実施例3では、海生生物の付着物量が8.07gであったのに対し、二酸化塩素と同じ濃度の次亜塩素酸ナトリウムと過酸化水素(濃度0.175mg/L)を同時に連続添加した比較例2では、海生生物の付着物量が10.92gであったことが記載されており、海生生物の付着防止効果は、二酸化塩素の濃度条件によって大きく変化していることとも合致する。
次に、甲2の表2(別紙3)には、海水を通水したモデル水路に薬剤を注入し90日経過後のフジツボの付着量を測定した結果として、薬剤を添加しない「ブランク」の場合の付着量は3300個/㎡、3ppmの次亜塩素酸ナトリウムを使用した場合の付着量は250個/㎡、0.1ppmの亜塩素酸ナトリウム及び0.01ppmの硫酸を併用して二酸化塩素を生成した場合の付着量は250個/㎡であったことが記載されており、上記記載から、3ppmの次亜塩素酸ナトリウムを使用した場合と0.1ppmの亜塩素酸ナトリウムから生成した二酸化塩素を使用した場合のフジツボの減少量(付着防止量)は同数であること(3300個/㎡-250個/㎡)を理解できる。
そして、前記イ(イ)で述べたのと同様の理由により、甲2の記載から、二酸化塩素は、次亜塩素酸ナトリウムよりもかなりの低濃度で海生生物の付着防止効果を上げることを理解できることからすると、甲1及び甲2に接した当業者は、甲1発明における有効塩素発生剤を二酸化塩素に置換し、二酸化塩素と過酸化水素を併用した場合、次亜塩素酸ナトリウムと過酸化水素を併用した場合よりも優れた海生生物の付着防止効果を奏することを予期することができるものといえる。
したがって、本件明細書の試験例5の表5の実施例1及び比較例1の対比の結果から、本件発明1が、当業者が予期し得ない顕著な効果を奏するものと認めることはできない。
エ 被告らの主張について
被告らは、①二酸化塩素は、不安定かつ酸化力の強い化合物であるため、二酸化塩素と過酸化水素の共存は、本件優先日当時、通常は考えられておらず、両者の海中での共存が「長時間持続」することは考えられていなかったことに照らせば、試験例1記載の効果は当業者が予期し得ない格別な効果である、②二酸化塩素は、次亜塩素酸ナトリウムと異なり、過酸化水素との組み合わせで一重項酸素を発生させるものではないにもかかわらず、過酸化水素と二酸化塩素の組み合わせの方がスライム汚れの付着防止効果が高まるという結果を予測することは困難であり、また、本件明細書の表4から、二酸化塩素又は次亜塩素酸ナトリウムのそれぞれ単独の結果から、それぞれの過酸化水素との併用効果を予測できないことが分かるから、試験例4記載の効果は当業者が予期し得ない格別な効果である、③甲1には、過酸化水素と次亜塩素酸ナトリウムとの組み合わせで一重項酸素が発生するという相乗効果が開示されているが、過酸化水素と二酸化塩素との組み合わせについては何ら開示されておらず、海生生物付着量の抑制効果を単独成分の結果から予測することは困難であるから、試験例4記載の効果は当業者が予期し得ない格別な効果である旨主張する。
しかしながら、上記①の点については、前記(5)イ認定のとおり、二酸化塩素は、不安定かつ酸化力の強い化合物であるため、本件優先日当時、過酸化水素と組み合わせた場合、両者が反応して消費され、およそ共存できないと考えられていたことを具体的に裏付ける証拠はない。
次に、上記②及び③の点については、前記(5)イ認定のとおり、甲1には、過酸化水素と有効塩素発生剤との併用以外にも、過酸化水素とヒドラジンとを併用した「実施例3」として、過酸化水素とヒドラジンとの併用の結果、過酸化水素と有効塩素発生剤との併用の結果と同様の相乗的な抑制効果が得られたことの記載があり、過酸化水素とヒドラジンとの併用によって一重項酸素が発生することは想定できないことに照らすと、二酸化塩素が過酸化水素と反応しても一重項酸素を発生しないとしても、そのことから直ちに、過酸化水素と二酸化塩素を組み合わせた場合に、過酸化水素と次亜塩素酸ナトリウムを組み合わせた場合と比べて、スライム汚れの付着防止効果や海生生物付着量の抑制効果が高まることが予測できないということはできない。
したがって、被告らの上記主張は、その前提を欠くものであって、採用することができない。
オ まとめ
以上によれば、本件発明1は当業者が予想し得ない格別な効果を奏するとした本件審決の判断は、誤りである。
(7)小括
以上によれば、本件発明1は、甲1発明及び甲2ないし7、9ないし18に記載された発明に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものであるから、これを否定した本件審決の判断は誤りである。
したがって、原告主張の取消事由1-1は理由がある。
2 取消事由1-2(甲1を主引用例とする本件発明2ないし4の進歩性の判断の誤り)について
本件審決は、本件発明2ないし4は、本件発明1を減縮したものであるから、本件発明1と同様に、当業者が甲1発明及び甲2ないし7、9ないし18に記載された発明に基づいて容易に発明をすることができたものではない旨判断した。
しかしながら、前記1(7)のとおり、本件審決の本件発明1の容易想到性の判断に誤りがある以上、本件発明2ないし4の容易想到性を否定した本件審決の判断は、その前提を欠くものであって、誤りである。
したがって、原告主張の取消事由1-2は理由がある。