水中音響測位システム(新規事項追加)

投稿日: 2019/05/09 22:53:29

今日は、平成30年(行ケ)第10122号 審決取消請求事件について検討します。

 

1.検討結果

(1)本件は海洋電子株式会社が審判請求人となって株式会社エス・イー・エイが所有する特許についての特許無効審判を請求したところ、当該審判請求が不成立となって特許が維持されたため、海洋電子株式会社が審決の取消しを求めて起こした審決取消訴訟です。特許無効審判で審判請求人が主張した三つの無効理由(①新規事項追加、②サポート要件違反、③進歩性欠如)はいずれも認められませんでしたが、審決取消訴訟では新規事項追加が認められ、審決取消と判断されました。

(2)本件発明は、海底の地殻変動等を音響信号によって観測する水中音響測位システムに関するものであって、船上局送信部は複数の海底局にIDコードおよび測距信号からなる音響信号を送信し、海底局送受信部は受信した音響信号のIDコードが自局に割り当てられたものである場合に全海底局に予め決められた同じIDコードを受信した測距信号に付して送信し、船上局受信部は当該信号を受信し、データ処理装置は当該信号およびGPSからの位置信号を基にして、海底局送受信部の位置を決めるための演算を行うものです。

(3)新規事項追加の争点は2点あり、1点は構成Dの「一斉に」でした。この「一斉に」については本件当初明細書中で先願システムの説明に用いられた文言でしたが、その先願システムの解釈から導かれた「一斉に」の定義を本件発明に係る実施例にも適用して新規事項追加ではない、と判断しました。

(4)もう1点は構成Eの「直ちに」でした。こちらは本件当初明細書中に位置決め演算の時期を限定することに関する記載は見当たらないことから新規事項追加と判断されました。

(5)本判決では背景技術の説明のみで登場した「一斉に」の意義を解釈して定義づけました。それから実施例で開示する態様がこの定義と一致すると認定して新規事項追加ではない、と判断していますが、常にこのような解釈が認められるとは思えません。むしろ実施例には明確な記載はありませんが、実質的には「一斉に」であると捉えられるので認めたように思われます。

(6)一方、「直ちに」は本件当初明細書のどこにも記載がなく、判決でも「位置決め演算を船上で行う場合には、海底局及びGPSの信号を受信した後、観測船が帰港するまでの間で、その実行時期を自由に決めることができるにもかかわらず、位置決め演算を「受信次第直ちに」実行しなければならないような特段の事情や、本件発明の実施の形態において、当該演算が「受信次第直ちに」実行されていることをうかがわせる事情等は、本件当初明細書に何ら記載されていない」と述べられています。

(7)両者は共に時間的概念についての文言です。そして実施例に直接的な記載がないことでも共通しています。そのような文言の追加で新規事項追加であるか否かの判断に差が生じたのは何故なのか検討してみます。まず、「一斉に」というのは海底局送受信部からの返信信号を船上局受信部が受信する態様を表現したものであり、余分な修飾ではあるけども、時間的差は地形などの外乱により生じる微差であるので許容できる範囲と考えたように思います。これに対して「直ちに」は本件発明の実施者の行為に依存するものであり、直ちにすることもできれば直ちにしないこともできます。そのため補正を認めるには「直ちに」することの意義が要求されたものと思われます。

(8)もう少し違う方向から見ると、「一斉に」が発明の構成に関する修飾であるのに対し、「直ちに」は本件発明のようなシステムとすることによる効果から導かれた修飾と言えます。つまり、本件発明システムは、帰港後に演算、あるいは、船上で演算のいずれも選択できるという効果を奏するものであるのに対して、「直ちに」とすることで選択肢を船上で演算できる点のみに変更した、と言えます。効果を変更する意義はよくわかりませんが、当初明細書に記載がない状況で効果を変更する補正を行うのは難しいように思います。

2.手続の時系列の整理(特許第5769119号)

 

3.特許請求の範囲の記載

(1)本件補正後の特許請求の範囲

【請求項1】

A 陸上におけるGPS観測データを基準としたGPSを備えている船上局(11)から送信した音響信号を海底に設置された複数の海底局(12(m1、m2、m3、・・・))でそれぞれ受信し、それぞれの海底局(12(m1、m2、m3、・・・))から前記音響信号を前記船上局(11)へ送信することによって、前記海底局(12(m1、m2、m3、・・・))の位置データの取得密度を向上して収集することができる水中音響測位システムにおいて、

B 前記船上局(11)から各海底局(12(m1、m2、m3、・・・))に個別に割り当てられるIDコードおよび測距信号からなる音響信号をそれぞれの前記海底局(12(m1、m2、m3、・・・))に対して互いに混信しない最低の時間差をもって送信する船上局(11)送信部と、

C 前記船上局(11)送信部からの音響信号をそれぞれ受信するとともに、受信した前記音響信号中の前記IDコードが自局に割り当てられたものである場合にのみ、前記全ての海底局(12(m1、m2、m3、・・・))に予め決められた同じIDコードであって海上保安庁が設置した既存の海底局(12(m1、m2、m3、・・・))において用いられるM系列コードを、受信した前記音響信号中の測距信号に付し、前記船上局(11)から送信した前記音響信号が届いた順に直ちに返信信号を送信する海底局送受信部と、

D 前記それぞれの海底局送受信部から届いた順に直ちに返信された各返信信号を一斉に受信する一つの船上局受信部と、

E 前記一つの船上局受信部において、前記返信信号およびGPSからの位置信号を基にして、前記海底局送受信部の位置を決めるための演算を受信次第直ちに行うことができるデータ処理装置と、

F から少なくとも構成されていることを特徴とする水中音響測位システム。

【請求項2】

G 前記IDコードの送信を開始してから測距信号の送信終了までの時間nは、0.4秒以上であり、前記測距信号の送信終了から次のIDコードの送信開始までの時間は、2.6秒以下である

H ことを特徴とする請求項1に記載された水中音響測位システム。

(2)補正前の特許請求の範囲

【請求項1】

A 陸上におけるGPS観測データを基準としたGPSを備えている船上局(11)から送信した音響信号を海底に設置された複数の海底局(12(m1、m2、m3、・・・))でそれぞれ受信し、それぞれの海底局(12(m1、m2、m3、・・・))から前記音響信号を前記船上局(11)へ送信することによって、前記海底局(12(m1、m2、m3、・・・))の位置データの取得密度を向上して収集することができる水中音響測位システムにおいて、

b 前記船上局(11)からIDコード(S1、S2、・・・たとえば、256bitからなるM系列コード)および測距信号(M1、M2、・・・たとえば、512bitからなるM系列コード)からなる音響信号をそれぞれの前記海底局(12(m1、m2、m3、・・・))に対して一定の時間差をもって送信する船上局(11)送信部と、

c 前記船上局(11)送信部からの音響信号をそれぞれ受信するとともに、前記全ての海底局(12(m1、m2、m3、・・・))に予め決められた同じIDコードS6を前記測距信号(M1、M2、・・・)に付し、前記船上局(11)から送信した前記音響信号が届いた順に返信信号を送信する海底局送受信部と、

d 前記それぞれの海底局(12(m1、m2、m3、・・・))からの前記返信信号(前記IDコードS6および測距信号M1、M2、・・・)を受信する船上局受信部と、

e 前記船上局受信部において、前記返信信号(前記IDコードS6および測距信号M1、M2、・・・)およびGPSからの位置信号を基にして、前記海底局(12(m1、m2、m3、・・・))の位置を決める演算を行うデータ処理装置と、

F から少なくとも構成されていることを特徴とする水中音響測位システム。

【請求項2】

G 前記IDコードの送信を開始してから測距信号の送信終了までの時間nは、0.4秒以上であり、前記測距信号の送信終了から次のIDコードの送信開始までの時間は、2.6秒以下である

H ことを特徴とする請求項1に記載された水中音響測位システム。


4.審決の理由

審決の理由は、別紙審決書の写しに記載のとおりであるところ、その概要は次のとおりである。

(1)本件補正は、本件当初明細書等に記載した事項の範囲内においてされたものであるから、特許法17条の2第3項に規定する要件に適合する。

(2)本件特許は、サポート要件(特許法36条6項1号)に適合する。

(3)本件発明1及び2は、「文部科学省研究開発局、国立大学法人東北大学『海底地殻変動観測技術の高度化(平成23年度)成果報告』、平成24年5月」(甲2。以下、各証拠に係る文献を証拠番号に従って「甲2文献」などといい、甲3の1文献及び甲3の2文献を併せて「甲3文献」という。)に記載された発明(以下「甲2発明」という。)と甲3文献ないし甲6文献に記載された構成に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものであるとはいえない。

5.裁判所の判断

当裁判所は、原告の取消事由1の主張は理由があり、審決にはこれを取り消すべき違法があると判断する。その理由は、以下のとおりである。

1 本件当初明細書等の記載

-省略-

2 本件発明について

(1)本件補正後の特許請求の範囲の記載

上記第2の2に記載のとおりである。

(2)本件明細書の記載

-省略-

3 取消事由1(新規事項追加の判断の誤り)について

(1)構成Dの「一斉に」について

ア 原告は、構成Dの「一斉に」との文言を追加する本件補正は、本件当初明細書等に記載された事項との関係において、新たな技術的事項を導入しないとした審決の判断が誤りであると主張する。

ここで、構成Dの「一斉に」は、一つの船上局受信部がそれぞれの海底局送受信部から返信された各返信信号を受信する動作を形容する語であるから、当該文言を追加する本件補正がいわゆる新規事項の追加に当たるか否かは、「それぞれの海底局送受信部から返信された各返信信号を一斉に受信する一つの船上局受信部」との構成(以下「一斉受信構成」という。)が、本件当初明細書等に記載された事項との関係において、新たな技術的事項に当たるか否かにより判断すべきである。

イ 本件当初明細書等の記載について

(ア)上記1(1)において認定したとおり、本件補正前の特許請求の範囲には「一斉に」との文言は使用されていないし、その余の文言を斟酌しても、一斉受信構成と解し得る構成が記載されていると認めることはできない

(イ)次に、上記1(2)において認定したとおり、本件当初明細書の段落【0004】、【0009】、【0010】及び【0019】に「一斉に」との文言が使用されているところ、これらはいずれも特願2013-102097号に係る水中音響測位システム(以下「先願システム」という。)に関する記載である。そこで、先願システムにおいて用いられている「一斉に」の語の意味について検討する

a 先願システムが解決しようとする課題及びこれを解決するための手段は、本件当初明細書の段落【0004】、【0006】、【0007】及び【0010】の記載によれば、次のとおりと認めることができる。すなわち、従来の水中音響測位システムにおいては、船上局から海底局の1つに向けて音響信号を送信し、海底局がこれに応答して送信された応答信号が船上局に到達し受信された後に、他の海底局に対して同様の動作を順次行うとの手順を採用していたため、船上局と海底局の間の音響信号の送受信に時間がかかる(どの時点でみても、船上局はいずれか1つの海底局との間でしか音響信号の送受信を行わないため、全体の測距時間は、最低でも各海底局に対する測距時間を合計した時間となる。)との課題があった。そこで、先願システムは、当該課題を解決するための手段として、船上局からの音響信号を各海底局に一斉に送信し、各海底局からの音響信号を船上局で一斉に受信する構成を採用した。

そして、「一斉に」の語は「そろって。同時に。」との意味を有すること(甲1)に鑑みると、先願システムは、複数の海底局に対して一斉に、すなわち、同時に測距を行うとの構成を採用したことにより、1つの海底局に対する測距時間を他の海底局に対する測距時間としても利用可能となり、従来の水中音響測位システムと比較して全体の測距時間が短縮するという効果を奏するものと認められる。

b ところで、本件当初明細書の段落【0004】及び【0010】では、先願システムの動作に関し、船上局における音響信号の送信のみならず、受信についても「一斉に」との語が用いられている。

確かに、先願システムでは、船上局から各海底局に対する音響信号を厳密な意味で同時に送信することができる。しかし、船上局と各海底局との距離には当然にばらつきがあるため、船上局から各海底局に対する音響信号を厳密に同時に送信したとしても、船上局が各海底局からの音響信号を受信するタイミングには、この距離のばらつきに応じた時間差が生じ得る。そして、このような時間差が生じることを測距前に完全に排除することは不可能である。

そうすると、先願システムにおける「一斉に」との語は、厳密に同時であることを意味する語としてではなく、船上局と各海底局との位置関係次第では無くなり得るほどの、ある程度の時間差を許容する語として用いられていると認めるのが相当である(このような理解は、全体の測距時間が短縮するとの先願システムが奏する効果(受信のタイミングが厳密に同時でなくとも、複数の海底局に対する測距が同時に行われ得ることは明らかである。)や、本件当初明細書の段落【0019】及び図7の記載とも整合する。)。

c なお、本件当初明細書の段落【0009】では、船上局からの送信について「一斉に」との表現を用いているのに対し、海底局からの送信及び船上局での受信については「ほぼ一斉に」との表現を用いている。これは、船上局からの音響信号の送信が厳密な意味で同時に行われるのに対し、船上局からの音響信号が海底局に到達し、当該海底局がこれに応答して音響信号を送信するタイミング及び当該海底局からの音響信号が船上局に到達するタイミングには、船上局と各海底局との距離のばらつきに応じた時間差が生じ得ることを明確にする意図であると推察できるから、先願システムにおける「一斉に」の語の意味についての上記理解を否定するものとはいえない。

d 以上によれば、本件当初明細書は、先願システムにおける「一斉に」の語について、「船上局と各海底局との位置関係次第では船上局での受信が同時にされる程度の時間差の範囲内で」との意味を開示していると認められる

(ウ)本件当初明細書に記載されている本件発明の実施の形態についてみると、本件当初明細書の段落【0036】には、IDコードの長さが0.1秒、測距信号の長さが0.2秒、IDコードと測距信号との間が0.1秒であって、これらの合計0.4秒の長さを持つ音響信号を、測距信号の送信終了から次のIDコードの送信開始まで2.6秒の間隔をあけて送信する実施例が記載されている。この実施例では、最初の音響信号の送信開始から次の音響信号の送信開始までに3秒の時間差が生じる。音速を1500m/秒(本件当初明細書の段落【0026】、【0033】参照)とすると、3秒の時間差は4500mの距離差に相当するから、船上局から海底局までのそれぞれの距離の差が2250mである2つの海底局に対し、遠方の海底局、近接する海底局の順に測距を行うと、2つの海底局からの音響信号が同時に船上局に到着することになる(当該実施例が船上局から5000m離れた海底局を想定している(本件当初明細書の段落【0038】)ことに鑑みれば、2250mの距離の差は当該実施例においても想定されている範囲といえる。)。

また、本件当初明細書には、当該実施例に関し、海底局からの応答信号が重複しても、すなわち、複数の海底局からの音響信号を船上局で同時に受信しても、相関処理によって識別できることが記載されている(段落【0044】、【0045】)。

そうすると、当該実施例は、船上局において、複数の海底局からの応答信号を「船上局と各海底局との位置関係次第では船上局での受信が同時にされる程度の時間差の範囲内で」受信する態様を開示していると認められるから、上記(イ)において説示した「一斉に」の語の意味に照らせば、当該実施例が開示する態様は、船上局において、複数の海底局からの応答信号を「一斉に」受信するものといえる

ウ 以上によれば、本件当初明細書に記載されている本件発明の実施の形態は、一斉受信構成、すなわち、「それぞれの海底局送受信部から返信された各返信信号を一斉に受信する一つの船上局受信部」を備えていると認められる。

そして、この一斉受信構成を表現するために、先願システムで使用された「一斉に」との語を、先願システムと同様の意味を有するものとして構成Dに追加することは、本件当初明細書に記載された事項との関係において、新たな技術的事項を何ら導入しないものというべきである

したがって、この点についての原告の主張を採用することはできない。

(2)構成Eの「直ちに」について

ア 原告は、構成Eの「直ちに」との文言を追加する本件補正は、本件当初明細書等に記載された事項との関係において、新たな技術的事項を導入しないとした審決の判断が誤りであると主張する。

ここで、構成Eの「直ちに」は、「受信次第」との文言と併せて、海底局送受信部の位置を決めるための演算を行う時期を限定するものであるから、当該文言を追加する本件補正がいわゆる新規事項の追加に当たるか否かは、構成Eのうち演算を行う時期について特定する「前記海底局送受信部の位置を決めるための演算を受信次第直ちに行うことができるデータ処理装置」との構成(以下「位置決め演算時期構成」という。)が、本件当初明細書等に記載された事項との関係において、新たな技術的事項に当たるか否かにより判断すべきである。

イ 本件当初明細書等の記載について

(ア)上記1(1)において認定したとおり、本件補正前の特許請求の範囲には「直ちに」との文言は使用されていないし、その余の文言を斟酌しても位置決め演算時期構成と解し得る構成が記載されていると認めることはできない

(イ)また、上記1(2)において認定したとおり、本件当初明細書の段落【0008】、【0009】、【0013】、【0025】、【0030】、【0032】、【0035】、【0036】及び【0040】等には、先願システム及び本件発明の実施の形態において、海底局の位置を決めるための演算(以下「位置決め演算」という。)は、海底局からの音響信号(又はデータ)及びGPSからの位置信号に対して行われるものであって、船上局又は地上において実行される(特に段落【0025】、【0040】)ことが開示されている。しかし、本件当初明細書には、位置決め演算の時期を限定することに関する記載は見当たらない

(ウ)この点に関し、審決は、データ処理装置による位置決め演算には、船上で行う場合と、船上で受信したデータを地上に持ち帰って行う場合とがあるところ、後者の場合にはそれなりの時間がかかるから、技術常識をわきまえた当業者であれば、構成Eの「受信次第直ちに」とは、船上で演算を行う場合を指すと理解すると認められると判断した

しかし、位置決め演算を船上で行うか地上で行うかは、位置決め演算を実行する場所に関する事柄であって、位置決め演算を実行する時期とは直接関係がない。そして、位置決め演算を船上で行う場合には、海底局及びGPSの信号を受信した後、観測船が帰港するまでの間で、その実行時期を自由に決めることができるにもかかわらず、位置決め演算を「受信次第直ちに」実行しなければならないような特段の事情や、本件発明の実施の形態において、当該演算が「受信次第直ちに」実行されていることをうかがわせる事情等は、本件当初明細書に何ら記載されていない

また、本件当初発明では、構成eに「前記船上局受信部において、…前記海底局の位置を決める演算を行うデータ処理装置と、」と、位置決め演算を船上で行うことが特定されていたのであるから、本件補正によって追加された「受信次第直ちに」との文言を、位置決め演算を船上で行うことと解すると、当初明確な文言によって特定されていた事項を、本来の意味と異なる意味を有する文言により特定し直すことになり、明らかに不自然である。

したがって、「受信次第直ちに」との文言を、船上で位置決め演算を行う場合を指すと解することはできない。

(エ)よって、本件当初明細書に、位置決め演算時期構成が記載されていると認めることはできない。

ウ 以上検討したところによれば、本件当初明細書等に位置決め演算時期構成が記載されていると認めることができないから、構成Eに位置決め演算を「受信次第直ちに」行うとの限定を追加する本件補正は、本件当初明細書に記載された事項との関係において、新たな技術的事項を導入するものというべきである。

したがって、この点についての審決の判断には誤りがあり、その誤りは結論に影響を及ぼすものである。

(3)小括

よって、原告が主張する取消事由1は理由がある。

4 取消事由2(サポート要件適合性の判断の誤り)について

原告は、構成Dの「一斉に」及び構成Eの「直ちに」は、いずれも本件明細書の発明の詳細な説明に記載された事項でないと主張する。

しかし、上記2(2)において認定したとおり、本件補正後の本件明細書の段落【0013】には、「前記それぞれの海底局送受信部から届いた順に直ちに返信された各返信信号を一斉に受信する一つの船上局受信部」との記載及び「前記一つの船上局受信部において、前記各返信信号およびGPSからの位置信号を基にして、前記海底局送受信部の位置を決めるための演算を受信次第直ちに行うことができるデータ処理装置」との記載があるところ、これらの記載はそれぞれ構成Dの「一斉に」及び構成Eの「直ちに」の各特定事項に相当するものというべきである。

したがって、本件発明は、本件明細書の発明の詳細な説明に記載されたものと認められるから、本件特許はサポート要件に適合する。

よって、この点についての審決の判断に誤りがあるとはいえず、原告が主張する取消事由2は理由がない。

5 取消事由3(甲2文献に基づく容易想到性判断の誤り)について

(1)審決が認定した甲2発明(上記第2の4(1))については、当事者間に争いがない。

また、審決が認定した本件発明1と甲2発明との相違点のうち、相違点2及び3の認定、並びにこれらの相違点が甲2発明と甲5文献及び甲6文献記載の技術事項に基づいて容易に想到できるものであることについては、当事者間に争いがない。

(2)甲2発明の特徴について

ア 甲2文献の記載(図21は別紙甲2図面参照。甲2)

「1.移動観測における高精度かつ高効率な海底地殻変動観測・解析技術の開発…

…1.の研究課題では、海上のGPS測位と海中の音響測位を結合したGPS音響結合方式の海底精密測位の繰り返しにより海底地殻変動を観測する手法において、船を用いて観測点の周囲を移動しながら観測する方法により、高精度かつ高効率な観測を実現するために必要な観測システム及び解析手法を開発することを目的としている。」(iii頁)

「3.1 移動観測における高精度かつ高効率な海底地殻変動観測・解析技術の開発」(2頁)

「効率的な広域高密度観測が可能なシステム開発のため、最低でも既存の3つの海底局との間をほぼ同時に測距できる複数海底局同時測距システムの基本設計を得た。」(6頁)

「複数海底局との間の完全な同時測距を行うためには海底局の改造も必要となる。しかし、既設の海底局がまだ寿命を迎えていないため、既設の海底局の有効利用も念頭に置いて、海底局の改造を行うことなく、現有の海底局との間での同時測距も可能なシステム設計とした。設計した複数海底局同時測距システムの概念図を図21に示す。海上局からは、スリープ状態にある海底局を起こすための目覚まし信号と測距する海底局を指定するヘッダ信号に続いて測距信号を送信する。目覚まし信号は全海底局に共通なため1つとし、ヘッダ信号と測距信号のペアを3回送信する方式とした。現有の海底局は、海上からの測距信号を受信した後に、海上局に返信を知らせるためのヘッダ信号を測距信号の前に付けて返信する。…

ただし、この収録方式では、海上局から等距離にある海底局からの測距信号が重なってしまう。」(28頁)

また、図21中には、海底局が返信する測距信号につき、「ミラー応答」である旨が記載されている。

イ 上記アにおいて認定した甲2文献の記載内容によれば、甲2発明の特徴として、次の点を指摘することができる。

甲2発明の技術分野は、GPS及び音響測位を用いた複数海底局同時測距システムである。そして、その解決しようとする課題は、既設の海底局を改造することなく有効利用しつつ、海底局との間での複数海底局同時測距を実現し、効率的な広域高密度観測が可能なシステムを開発することである。

そして、その課題解決手段として、甲2発明の構成c2が特定する海底局送受信部を前提とし、船上局から各海底局に対し、同構成b2が特定するように、各海底局に個別に割り当てられるヘッダ信号及び各海底局に共通に割り当てられる測距信号を含む音響信号を送信する点に技術的意義を有する。

(3)本件発明1と甲2発明との相違点の認定について

ア 相違点1

(ア)原告は、「測距信号」には、船上局から海底局に送信される「測距信号」と、海底局から船上局に返信される「測距信号」とがあり、前者の「測距信号」と後者の「測距信号」は、ミラー応答方式では一致するが、ミラー応答以外の方式では必ずしも一致しないのに、審決は、この2つの測距信号を区別することなく相違点1を認定したと主張する。

そこで検討するに、本件発明1の海底局は、IDコードを「受信した前記音響信号中の測距信号に付し、前記船上局から送信した前記音響信号が届いた順に直ちに返信信号を送信する」(構成C)のであるから、ミラー応答方式を採用したものである。また、甲2発明の海底局も、「全ての海底局に予め決められたヘッダ信号を、受信した前記音響信号中の測距信号に付し、…返信信号を送信する」(構成c2)のであるから、やはりミラー応答方式を採用したものである。そうすると、本件発明1及び甲2発明のいずれについても、船上局から海底局に送信される測距信号と、海底局から船上局に返信される測距信号とが一致する。したがって、本件発明1と甲2発明との対比において、船上局から海底局に送信される「測距信号」と、海底局から船上局に返信される「測距信号」とを区別しなかったとしても、誤りがあるとはいえない。

(イ)また、原告は、当業者にとって、ミラー応答方式であるか否かは、従来から知られている単なる技術的な選択事項にすぎないから、相違点に係る本件発明1の構成がミラー応答に限定されるような審決の相違点1の認定は、本件発明1の進歩性を判断するために適切とはいえないと主張する。

しかし、上記(ア)のとおり、本件発明1はミラー応答方式を採用したものであるし、甲2文献にもミラー応答方式を採用した技術のみが記載されており、ミラー応答方式を採用しないことについての記載ないし示唆は見当たらない。

したがって、本件発明1と甲2発明との対比の際に、甲2文献の記載を離れて、ミラー応答方式以外の方式が採用されることを前提として甲2発明を評価しなければならないとはいえない。

(ウ)以上によれば、相違点1についての審決の認定に誤りがあるとはいえない。

イ 相違点4

審決は、本件発明1の構成Dは、各返信信号を受信する態様が「一斉に」である点で、甲2発明の構成d2と相違するとして、本件発明1と甲2発明との間に相違点4があると認定した。これについて、原告は、構成Dの「一斉に」をどのように解したとしても、本件発明1と甲2発明との間に相違点4は存在しないと主張する。

そこで検討するに、上記3(1)において説示したとおり、構成Dの「一斉に」は、「船上局と各海底局との位置関係次第では船上局での受信が同時にされる程度の時間差の範囲内で」と解される。そして、甲2発明は、「海上局から等距離にある海底局からの測距信号が重なってしまう。」(甲2・28頁30行目~31行目)方式であるというのであるから、甲2発明も、本件発明1と同じ意味において、船上局(海上局)で返信信号を「一斉に」受信するものと認められる。そうすると、甲2発明の構成d2は、本件発明1の構成Dに相当する。

したがって、本件発明1と甲2発明との間に相違点4があるということはできないから、この点についての審決の判断には誤りがある。

(4)相違点1の容易想到性判断について

ア 原告は、相違点1に係る本件発明1の構成は、甲2発明と甲3文献に記載された構成(甲3構成b3(原告))に基づいて当業者が容易に想到できるから、この点についての審決の判断は誤りであると主張するので、以下検討する。

イ 甲3文献記載の構成について

(ア)原告は、審決の甲3構成b3の認定に誤りがあると主張するので、この点について検討する。

(イ)ところで、審決は、甲3の1文献及び甲3の2文献を併せて「甲3文献」とした上で、甲3文献に甲3構成b3が記載されていると認定しているところ、甲3の1文献が博士学位論文、甲3の2文献が甲3の1文献の内容の要旨であることについては、当事者間に争いがない。そうすると、甲3の2文献に記載されている内容は、甲3の1文献に記載されているものと認められるから、これらの2つの文献からひとまとまりの技術的思想を認定し得るというべきである。

(ウ)甲3文献の記載

a 甲3の2文献

「本研究では、海底での地殻変動観測を行うための海底測位システムの開発を行った。…この観測システムは、GPSによる移動体のキネマティック測位と、音波を用いた音響測距を組み合わせたものである。

…音響測距に於いては、海上-海底装置間の音波の往復送時が計測される。」(287頁)

「第4章では、複数の海底基準点に対して音響測距を多重化して同時に行う方法を示している。」(288頁)

b 甲3の1文献

「4.2 多重音響測距」(100頁)

「4.2.2 海底基準点のための実験

…この実験において、3000、3001及び3002と番号付けされた3つの海底基準点が使用された。…海上装置が海底装置3000を呼び出す時、全ての3つの海底装置は、異なるM系列により変調された音響信号を返信する。」(104頁)

「多重音響測距において、全ての3つの海底基準点装置は、海上装置からの単一呼び出しに対して信号を返信する。」(図4.6の説明。106頁)

また、図4.6(106頁)には、多重音響測距においては、海上装置が単一の信号を送信して各海底装置(海底基準点)を呼び出し、各海底装置は単一の信号を海上装置に返信する態様を示す図が記載されている。

(エ)上記(ウ)において認定した甲3文献の記載によれば、甲3文献には、次の発明(以下「甲3発明」という。)が記載されていると認められる。「複数の海底基準点に対して音響測距を多重化して同時に行う多重音響測距により海底での地殻変動観測を行うための海底測位システムであって、GPSによる移動体のキネマティック測位と、音波を用いた音響測距を組み合わせ、音響測距に於いては、海上-海底装置間の音波の往復送時が計測されるものであり、海上装置が3つの海底装置それぞれに対して海底装置を呼び出すための単一の信号(以下「多重測距信号」という。)を送信し、各海底装置が多重測距信号を受信すると、海底装置ごとにそれぞれ異なるM系列により変調された単一の音響信号(以下「返信信号」という。)を海上装置に返信する海底測位システム。」

そうすると、審決が認定した甲3構成b3は、甲3発明のうち、海上装置(船上局)が送信する多重測距信号が各海底装置(海底局)に個別に割り当てられたものではなく、海底局ごとに異なる返信信号が船上局に返信される点を抽出したものであるから、その認定に誤りがあるとはいえない。

ウ 容易想到性について

(ア)上記(2)イにおいて認定したとおり、甲2発明の技術分野は、GPS及び音響測位を用いた複数海底局同時測距システムである。そして、その解決しようとする課題は、既設の海底局を改造することなく有効利用しつつ、海底局との間での複数海底局同時測距を実現し、効率的な広域高密度観測が可能なシステムを開発することにある。

そうすると、甲2発明と甲3発明とは、GPS及び音響測位を用いた複数海底局同時測距システムという同じ技術分野に属し、かつ、複数海底局同時測距を実現するとの点で課題が一致していると認められる。

(イ)しかし、甲2発明では、既設の海底局を改造することなく有効利用するとの課題を解決するために、海上局と海底局との間でやりとりする音響信号はヘッダ信号と測距信号とを含むものとし、かつ、海底局は測距信号をミラー応答することを、その技術的特徴としている。

これに対し、甲3発明では、海上局と海底局との間でやりとりする音響信号が、ヘッダ信号及び測距信号などの区別がない単一の信号からなるものであり(少なくとも、甲3文献には、当該音響信号が、ヘッダ信号、測距信号などのように、性格の異なる複数の信号で構成されるものであることをうかがわせる記載は見当たらない。)、全ての海底局は船上局から同一の送信信号を受信し、海底局ごとに異なる返信信号を船上局に返信するものであるから、音響信号の具体的構成の点からも、海底局の返信動作の点からも、既設の海底局を改造することなく有効利用するとの課題の解決に向けた思想は全くうかがわれない。

このように、甲2発明と甲3発明とは、既設の海底局を改造することなく有効利用するとの課題解決の点において相違している上に、甲3発明における音響信号の具体的構成及び海底局の返信動作に照らせば、甲2発明に甲3構成b3を適用すると、かえって当該課題の解決ができないこととなる。

(ウ)そうすると、甲2発明に甲3構成b3を適用する動機づけがあるということはできず、むしろ阻害要因があるというべきである。

したがって、相違点1に係る本件発明1の構成は、甲2発明と甲3文献に記載された構成に基づいて、当業者が容易に想到することができたものとはいえない。

エ 原告の主張について

(ア)原告は、ミラー応答方式であるか否かの違いは単なる技術的な選択事項にすぎないから、甲2文献及び甲3文献の記載事項を組み合わせることの阻害要因とならないと主張する。

しかし、かかる違いが技術的選択事項であると認めるに足りる証拠はない。仮にこの点を措くとしても、甲2発明は、ミラー応答方式を採用している既設の海底局を改造することなく有効利用するという課題の解決に向けられたものであるから、ミラー応答方式であることは、甲2発明における必須の構成というべきである。

(イ)また、原告は、水中音響測位システムの創作に当たり、当業者において、船上局の送信信号と受信信号とが一連不可分のものであるとの認識は希薄であると主張する。しかし、原告が主張する、①船上局の送信信号を変えれば、船上局の受信信号は既存の海底局の仕様に応じて自動的に決まる、②船上局の受信信号を変えるには、船上局の送信信号を既存の海底局の仕様に応じて自動的に決まるものとしなければならない、との事実は、結局のところ、船上局の送信信号と受信信号との間に強い相関があることを示しているというべきであるから、原告の主張は失当といわざるを得ない。

(ウ)このほか原告は種々の主張をするが、上記ウにおいて説示した阻害要因を覆すに足りる事情があると認めることはできない。

オ 小括

したがって、相違点1に係る本件発明1の構成は、甲2発明と甲3文献に記載された構成に基づいて、当業者が容易に想到することができたものとはいえないから、この点についての審決の判断に誤りがあるとはいえない。

(5)ア そうすると、本件発明1は、甲2発明と甲3文献ないし甲6文献に記載された構成に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものとはいえない。

イ なお、原告は、観測船が中間領域にいるときも2つの海底局から異なる測距信号を受信して測距可能であることが、本件発明1の効果であるとしても、当該効果は甲3文献に開示されているから、本件発明1の容易想到性を否定する要素とならないと主張する。

しかし、上記(3)において説示したとおり、当業者は、相違点1に係る本件発明1の構成そのものにつき、甲2発明と甲3文献に記載された構成に基づいて容易に想到することができたとはいえず、既にその点において進歩性を肯定し得るものであるから、この点についての原告の主張を採用することはできない。

(6)以上検討したところによれば、審決には、本件発明1と甲2発明との間に相違点4があると認定判断した点に誤りがあるものの、本件発明1は、甲2発明と甲3文献ないし甲6文献に記載された構成に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものではないとの結論に誤りはない。

そして、本件発明2は、本件発明1の構成を全て含むものであるから、本件発明2についても、当業者が容易に発明をすることができたものであるとはいえないとの審決の判断に誤りはない。

したがって、原告が主張する取消事由3は理由がない。