磁気記録媒体事件(サポート要件違反)

投稿日: 2019/01/27 22:40:41

今日は、平成28年(ワ)第25956号 特許権侵害損害賠償請求事件(甲事件)及び平成29年(ワ)第27366号 特許権侵害損害賠償請求事件(乙事件)について検討します。甲事件及び乙事件の原告はソニー株式会社、甲事件の被告は富士フィルム株式会社、乙事件の被告は富士フィルムメディアマニュファクチャリング株式会社です。

 

1.検討内容

(1)本件発明は磁気記録体に関するものであって、磁性層の保持力HcとSFD(スイッチング・フィールド・ディストリビューション)が、下記式(1)の関係を有し、保磁力Hcと角形比Rsとが、下記式(2)の関係を有し、全厚12μm以下である磁気記録媒体というものです。

230≦Hc×(1+0.5×SFD)・・・(1)

2.2≦Hc/Rs≦2.6・・・(2)

(2)本判決では抵触性には触れず、本件特許には無効理由が存在するとして権利行使を認めませんでした。被告は5件の無効理由を主張しており、裁判所はそのうちのサポート要件違反を理由とする無効主張を取り上げて無効と判断しています。

(3)サポート要件違反のポイントになったのは式(1)です。判決では、まず式(1)が磁気記録媒体の技術分野で一般的な式ではなく、本件明細書において式(1)の技術的意義に関する記載がない、と認定しました。さらに、式(1)は実施例の範囲では課題解決をするとしても、その範囲外の数値では課題解決できるとの記載がない、と認定しました。つまり、式(1)の関係を満たすような実施例の範囲内の数値ならば課題解決するとしても、式(1)を満たすような実施例の範囲外の数値でも課題解決可能と当業者が認識できないので、式(1)を満たす数値全般でも課題解決するとして上位概念化するためには明細書の記載がサポート不足である、というものです。

(4)本件のように特許請求の範囲に関係式が記載されている発明を時々見ます。このような発明は、本件のように、対象製品のパラメータを当該関係式に適用した場合に当該関係式が成立する場合には特許請求の範囲に属する、とされる可能性があります。しかし、本判決でも述べられているように上限下限なくあらゆる範囲のパラメータに対し、一般的ではない当該関係式が技術的な意味を持つという立証はされていないことがほとんどです。そう考えると、本判決のようにサポート要件違反と判断するのも当然のように思います。

(5)手続についてまとめた表に記載した通り甲事件の訴訟提起後に本件特許に対する特許無効審判が請求され、口頭弁論終結後に審決が出されました。この特許無効審判において請求人(本件被告)は7件の無効理由を主張しましたが、このうち3件の無効理由について検討し、新規性欠如(甲1)及びサポート要件違反の2件について請求を認め、特許は無効であると判断しました。

(6)特許無効審判の審決で新規性欠如の根拠となった先行技術文献(甲1)は本件の争点(2)アで挙げられた先行技術文献(乙5)と同一のものです。請求人(本件被告)の主張は、当該先行技術文献には本件発明と同じく非磁性層、磁性層及びバック層を備えた磁気記録媒体が開示され、さらにHc等の数値も記載され、これら数値は本件発明の式(1)及び(2)の関係を満たすので、本件発明は新規性を有しない、というものです。

(7)本判決では残念ながら新規性欠如について判断はされませんでした。しかし、式(1)、(2)を満たすパラメータを備える磁気記録体全てが本件特許の特許請求の範囲に属すると言うのであれば、特許無効審判の審決のとおり、式(1)、(2)を満たすパラメータを備える磁気記録体が本件特許出願前に存在していた場合には公然実施により無効になると思われます。

(8)本件発明はいわゆるパラメータ発明に区分されると思いますが、パラメータ発明自体、さらに幾つかに細分化されるように思います。パラメータ発明は、複数のパラメータと、そのパラメータの変更により影響を受ける構造体からなるのが基本だと思います。これを三種類に分けて考えてみます。

① 複数のパラメータのうち少なくとも1つは発明者が創造したものである。

② 発明者が創造した構造体である。

③ 複数のパラメータ及び構造体のいずれもが既知のものである。

①の場合は創造したパラメータが物理学等の分野で認められるべきものであることを示す必要があると思います。そのハードルは高いですが、それを超えることができれば特許になる可能性が高いと思います。②の場合は様々なパラメータの組み合わせを試した実験データと範囲を明確にすれば特許になる可能性が高いと思います。それに対して③の場合は潜在的な無効理由を有している可能性が高いと思います。既知のパラメータと既知の構造体の組み合わせの場合、複数のパラメータからなる関係式が新しい場合に特許になっている場合が多いと思います。しかし、出願前から存在した同一の構造体からなる製品のパラメータの数値を当該関係式に適用すればこの関係式が成立する可能性が高いはずです。十分な能力が得られている製品のパラメータの数値が当該関係式を満たさないのであれば、関係式の信頼性が崩れます。

(9)③の場合には既知のパラメータからなる関係式を満たす数値のうちある特定の範囲内で従来よりも格別な効果が得られるといった数値限定発明の要素を備えたものでないと特許となったとしても将来的な権利行使の際には無効理由の面で不安が残る、と思います。

2.手続の時系列の整理(特許第4370851号)

① 特許無効審判(無効2016-800128)の請求人は甲事件の被告と同じ富士フィルム株式会社です。

3.本件発明

(1)本件発明

A 非磁性支持体(1)の一主面上に、

B 少なくとも無機粉末と結合剤とを含有する非磁性層(3)と、

C 少なくとも強磁性粉末と結合剤とを含有する磁性層(2)とが形成されてなり、

D 上記非磁性支持体(1)の他の一主面上に、バック層(4)が形成されてなり、

E 保磁力Hc〔kA/m〕と、SFD(スイッチング・フィールド・ディストリビューション)が、下記式(1)の関係を有し、

F 上記磁性層(2)の保磁力Hc〔kA/m〕と、角形比Rs〔%〕とが、下記式(2)の関係を有し、

G1 全厚12μm以下である

G2 磁気記録媒体。

230≦Hc×(1+0.5×SFD)・・・(1)

I 2.2≦Hc/Rs≦2.6・・・(2)

(2)本件訂正発明

A 非磁性支持体(1)の一主面上に、

B 少なくとも無機粉末と結合剤とを含有する非磁性層(3)と、

C 少なくとも強磁性粉末と結合剤とを含有する磁性層(2)とが形成されてなり、

D 上記非磁性支持体(1)の他の一主面上に、バック層(4)が形成されてなり、

E 保磁力Hc〔kA/m〕と、SFD(スイッチング・フィールド・ディストリビューション)が、下記式(1)の関係を有し、

F1 上記磁性層(2)の保磁力Hc〔kA/m〕と、角形比Rs〔%〕とが、下記式(2)の関係を有し、

F2 上記保磁力Hc〔kA/m〕が、210以上、221以下であり、

G1 全厚12μm以下である

G2 磁気記録媒体

G3 (ただし、上記非磁性層(3)の厚みが、1.1~2μmである磁気記録媒体を除く。)

H 230≦Hc×(1+0.5×SFD)・・・(1)

I’ 2.5≦Hc/Rs≦2.6・・・(2)

4.争点

(1)被告製品の本件発明の技術的範囲への属否(なお、被告らは以下のアないしウ以外の構成要件の充足性について争っていない。)

ア 構成要件Cの充足性

イ 構成要件G2の充足性

ウ 構成要件Hの充足性

(2)本件特許の無効理由の有無

ア 特開2002-183929号公報(乙5。平成14年6月28日公開。以下「乙5文献」という。)に記載の発明に基づく新規性欠如(特許法29条1項)

イ 特開平11-185240号公報(乙6。平成11年7月9日公開。以下「乙6文献」という。)に記載の発明に基づく新規性欠如

ウ 特開平9-22522号公報(乙7。平成9年1月21日公開。以下「乙7文献」という。)に記載の発明に基づく進歩性欠如(特許法29条2項)

エ サポート要件(特許法36条6項1号)違反

オ 実施可能要件(特許法36条4項1号)違反

(3)訂正の再抗弁の成否

ア 本件訂正請求の適法性

イ 本件訂正による無効理由の解消の有無

イ-1 乙5文献に記載の発明に基づく新規性欠如(争点(2)-ア)について

イ-2 サポート要件違反(争点(2)-エ)について

ウ 被告製品1、2、5及び6の本件訂正発明の技術的範囲への属否(なお、原告は、被告製品3及び4が本件訂正発明の技術的範囲に属するとは主張していない。)

(4)本件訂正発明と特許法123条1項所定の事由の有無

ア 乙5文献に記載の発明に基づく進歩性欠如

イ 乙6文献に記載の発明に基づく進歩性欠如

ウ 乙7文献に記載の発明に基づく進歩性欠如

(5)被告FFMMの不法行為責任(共同不法行為の成否)

(6)原告の損害額

5.争点に関する当事者の主張

(1)争点(1)被告製品の本件発明の技術的範囲への属否)について

ア 争点(1)-ア(構成要件Cの充足性)について

(原告の主張)

被告製品は構成要件Cの「磁性層」を充足する。

被告らは、構成要件Cの「磁性層」は多磁区粒子によって構成される磁性層に限られ、被告製品は、磁性層が単磁区粒子によって構成されるから構成要件Cの「磁性層」を充足しないと主張するが、理由がない。

すなわち、磁性体粒子における粒子単体の元素組成、結晶構造、形状は必ずしも同一ではなく、現実の磁気記録媒体の磁性層には単磁区粒子のみならず多磁区粒子も存在する上、磁性層中に磁性体粒子を分散させた場合、各磁性体粒子が配向する方向は必ずしも同一ではないから、磁性体全体(磁性層)の磁化を検討する場合には、磁性体粒子一つ一つのHcがばらつく事情や、磁性体粒子の磁性層中での配向の状態を考慮する必要がある。本件発明はこの点に着目した発明であって、磁性層が多磁区粒子によって構成される場合にのみ技術的意義を有するというものではない。本件発明における構成要件Cの「磁性層」を多磁区粒子によって構成される磁性層であると限定する理由はなく、被告製品は構成要件Cの「磁性層」を充足する。

(被告らの主張)

式(1)は、以下のとおり、磁気記録媒体の磁性層が多磁区粒子によって構成される場合にのみ技術的意義を有するため、本件発明における構成要件Cの「磁性層」は、多磁区粒子によって構成される磁性層であると解釈すべきである。被告製品の磁性層は単磁区粒子によって構成されるものであるから、構成要件Cを充足しない。

原告は、式(1)の技術的意義について、磁性層のHcを大きくしつつもそのばらつき(ΔH)を大きくすることで良好なオーバーカレント特性を得ることにあると主張しており、この主張は、磁気記録媒体に使用されている磁性体粒子において、外部磁場の大きさに応じて、記録が消えやすい磁性体粒子の磁化の程度が連続的に変化することを前提としている。

一般的に、高密度型の磁気記録媒体の磁性層に使用される磁性体粒子はμオーダー以下のサイズであり、1つの粒子が1つの磁区を構成する単磁区粒子である。単磁区粒子の粒子1個の磁化は磁化の回転によってのみ行われ、磁性体粒子の長軸が長手方向に配列した磁性層内における単磁区粒子の磁化は、ある方向に磁化するか、その逆方向に反転するかのいずれかであるため、外部磁場の大きさに応じて、磁性体粒子の長軸が長手方向に配列した磁性層内において、単磁区粒子である磁性体粒子の磁化の程度が連続的に大きくなったり、小さくなったりするという事態は生じない。

もっとも、磁性体粒子のサイズがμオーダー以上であり1つの粒子が磁壁で区切られた複数の磁区を有する多磁区粒子であれば、外部磁場の大きさに応じて磁化の程度が変わることになるから、外部磁場の大きさに応じて、記録が消えやすい磁性体粒子の磁化の程度が連続的に変化する状況もあり得る。

そうすると、式(1)は、磁気記録媒体の磁性層が多磁区粒子によって構成される場合にのみ技術的意義を有することとなる。

イ 争点(1)-イ(構成要件G2の「磁気記録媒体」の充足性)について

(原告の主張)

(ア)磁性層の膜厚について

被告製品は、構成要件G2の「磁気記録媒体」を充足する。

被告らは、構成要件G2の「磁気記録媒体」には、記載されざる構成要件として「磁性層の膜厚が0.10μmを超えること」が要件として付加されていると主張するが、理由がない。

特許請求の範囲の記載には磁性層の膜厚の限定はなく、本件明細書の記載からも、磁性層の膜厚は本件発明の技術的意義と無関係である。

被告らは、被告製品を本件明細書記載の記録再生装置(HDW-500VTR)で記録及び再生する実験を行い、いずれもサーボロックはずれが引き起こされたとして、被告製品は構成要件G2を充足しない旨主張するが、被告製品と上記記録再生装置では規格が異なるにすぎない。

また、被告らは、使用する記録再生装置によっては、磁性層の膜厚が薄すぎるとCTL信号が検出不能となり、サーボロックはずれが引き起こされ、磁気テープが正しく再生されなくなるなどと主張するが、記録再生装置の出力に対してその許容値(閾値)を定め、許容値以上の信号が検出できなかったものをサーボはずれと判定するものであるから、磁性層の膜厚を薄くしても、それに対応して許容値を定めればサーボ信号の検出は可能である。磁性層の膜厚を薄くしてもサーボの許容値を変更することでサーボの検出は可能であり、磁性層の膜厚は、本件発明における必須の構成要件ではない。

(イ)磁気ヘッドについて

被告らは、構成要件G2の「磁気記録媒体」は、ヘリカル・スキャン方式の磁気記録媒体に限定される旨主張し、式(1)の技術的意義が、磁気テープとの接触により摩耗した磁気ヘッドにおける記録が摩耗前の最適記録電流値よりもオーバーカレント側での記録となるような関係がある場合に限られ、このような関係はヘリカル・スキャン方式の磁気記録媒体の場合にしか発生しないと主張するが、理由はなく、「磁気記録媒体」は、ヘリカル・スキャン方式の磁気記録媒体に限られない。

特許請求の範囲の記載に磁気ヘッドの方式の限定はなく、本件明細書にも磁気ヘッドの方式に関する記載はない。本件発明の技術的意義は記録電流値の裕度及び充分な再生出力を得るための最適記録電流を有する磁気記録媒体を提供することにあり、記録電流値の裕度とは、入出力特性において出力一定の範囲を広げること又は記録電流設定マージンを広くすることを意味するから、本件発明の技術的意義は磁気ヘッドが摩耗した場合に限定されない。

被告らの主張は、被告製品は本件発明の技術的範囲には属するものの、被告製品が利用される顧客の記録システムの仕様又は選択によっては、オーバーカレントでの記録が行われないというものにすぎない。原告は、本件訴訟において、被告らの顧客による記録システムの仕様又は選択に起因する被告らの顧客における特許権侵害を問題としているのではなく、被告製品を製造・販売等する被告らの行為自体を問題としているから、被告らの主張は失当である。

また、固定ヘッド方式の磁気記録媒体も、磁気ヘッドは磁気テープとの接触によって摩耗し、磁気ヘッドがその両サイドに位置する部材に対して相対的に奥に引っ込むことにより、磁気ヘッドと磁気テープとの間に隙間が生じ、記録電流(記録磁界)が最適記録電流(最適記録磁界)からずれていくのと同じ事態が起こり、固定ヘッド方式の磁気記録媒体にも記録電流値の裕度の課題は生じるから、被告らの主張は失当である。

(被告らの主張)

(ア)磁性層の膜厚について

本件発明は記録再生が可能な磁気記録媒体であることが前提であるから、構成要件G2の「磁気記録媒体」は、記録再生が実用的に不可能な磁気記録媒体が除かれるように限定的に解釈すべきである。

一般的に、記録再生可能な磁気記録媒体であるためには、磁気再生装置において、テープ送りが適切に行われる必要があるが、磁気テープ上に磁気信号が記録されるトラック(ビデオトラック)の幅は狭く、再生時のテープ送りと磁気再生ヘッドの回転位置との関係を、記録時のテープ送りと磁気記録ヘッドの回転位置との関係と合わせるように調整する必要がある。そこで、記録時に基準となる信号(コントロール信号(CTL信号))を取り出して記録し、再生時にCTL信号が記録されるトラック(コントロールトラック)からCTL信号を読み出してテープの走行速度を検出し、磁気再生ヘッドがトラックからはずれないようにテープの走行速度が調整される。再生時のテープ送りと磁気再生ヘッドの回転位置との関係を、記録時のテープ送りと磁気記録ヘッドの回転位置との関係と合わせた状態をサーボロックといい、記録再生装置において、磁気テープに記録されている磁気信号を正しく再生させるためにはサーボロックがされていることが必須となる。

一般的に、CTL信号は波長が長い信号が使用されるが、磁気ヘッドから空間に広がる漏れ磁束の大きさは、記録したい信号の波長が長いほど大きくなることが知られており、CTL信号を記録する際に磁気記録ヘッドからの漏れ磁束が到達する距離は1μmに満たない磁性層の膜厚より遥かに大きいものとなるため、磁性層の磁化の程度は磁性層の膜厚の厚さに応じることになる。検出可能なCTL信号が記録されるためには磁性層の膜厚がある程度厚いことが必要であり、磁性層の膜厚が薄すぎると、CTL信号の出力が小さすぎて検出不能となる、いわゆるサーボロックはずれを引き起こし、磁気テープが正しく再生されなくなる場合がある。

本件明細書の実施例では、磁性層の膜厚を0.10μmとした実験例3のサンプルでは磁性層が薄すぎるため充分なCTL信号の再生出力が得られず、サーボロックはずれを引き起したことが報告されている(本件明細書の段落【0086】)。つまり、本件明細書記載の記録再生装置を用いた場合、磁気記録媒体の磁性層の膜厚が0.10μm程度であると当該磁気記録媒体は再生不能ということになる。

そして、被告製品の磁性層の膜厚はいずれも0.10μm未満であることから、本件明細書記載の記録再生装置を用いるとサーボロックはずれが引き起こされることになる。実際に、本件明細書記載の記録再生装置を用いて、被告製品において記録再生を行い、CTL信号の再生出力について確認したところ、CTL信号は検出できず、サーボロックはずれが引き起こされていることが判明した。

そうすると、構成要件Hに係る「磁気記録媒体」の磁性層の膜厚は0.10μmを超えるものと解釈されるべきである。そして、被告製品の磁性層の膜厚はいずれも0.10μm未満であるから、被告製品は構成要件G2の「磁気記録媒体」を充足しない。

(イ)磁気ヘッドについて

式(1)の技術的意義は、本件明細書の記載(段落【0079】【図4】)を踏まえても、磁気記録媒体の磁気ヘッドが摩耗し、オーバーカレント状態になった場合の磁気記録特性を改善すること(オーバーカレント特性を良好にすること)にあり、本件発明に係る「磁気記録媒体」とは、磁気ヘッドが継続的な使用により摩耗することによって、オーバーカレント状態で使用されるものを指すと解釈すべきである。そして、このことを前提とすれば、本件発明の構成要件G2の「磁気記録媒体」とはヘリカル・スキャン方式の磁気記録媒体に限られる。

すなわち、ヘリカル・スキャン方式の磁気記録媒体は、磁気テープとの接触により磁気ヘッドが摩耗する現象が生じ、磁気ヘッドからの漏れ磁束が次第に強くなるため、最適記録電流値として設定したものと同じ電流値で記録したとしても、磁気ヘッド摩耗後は、磁気テープ上に生じる漏れ磁界が強くなり、磁気テープにとってはオーバーカレント状態での記録となる。

他方、磁気ヘッドブロックを含む磁気テープ送り機構を有する固定ヘッド方式の場合、磁気テープとの接触によって磁気ヘッドが摩耗すると磁気テープと磁気ヘッドとの間の空間が増大する。その結果、固定ヘッド方式の場合、磁気ヘッドが摩耗すると、ヘリカル・スキャン方式の場合と反対に、磁気テープ上に生じる漏れ磁界が弱くなる。したがって、固定ヘッドの場合は、長期間使用したとしても、オーバーカレント状態になることはない。かえって、固定ヘッドが摩耗した場合、磁気ヘッドのコイルに摩耗前と同じ記録電流を流した場合であっても、磁気テープに及ぶ漏れ磁束が弱くなり、摩耗前に比べて記録しにくくなるため、磁性体のHcを大きくすると、摩耗前の場合よりも、新たな記録が更に一層行いにくくなり、磁気記録特性は悪化することになるから、固定ヘッド方式の磁気記録媒体の場合、本件発明によって磁気記録特性を改善することは不可能である。

したがって、構成要件G2の「磁気記録媒体」は、本件明細書の段落【0079】記載の「VTR用磁気ヘッド」に代表される磁気ヘッド用の磁気記録媒体、すなわち、継続的な使用による摩耗により最適記録電流が変化して、摩耗前の最適記録電流値よりもオーバーカレント側での記録となるヘリカルヘッド方式の磁気記録媒体に限定されると解釈すべきである。そして、被告製品は、いずれも固定ヘッド方式の磁気記録媒体であるから、構成要件G2の「磁気記録媒体」を充足しない。

ウ 争点(1)-ウ(構成要件Hの充足性-式(1)の上限値)について

(原告の主張)

被告製品は、構成要件Hの式(1)を充足する。被告らは、式(1)には記載されざる構成要件として上限値が要件として付加されている旨主張するが、特許請求の範囲の記載には式(1)の上限値は特定されておらず、本件明細書においても式(1)の上限値に関する記載はない。

被告らは、被告製品について、本件明細書に記載された記録再生装置を用いて記録再生を試みたところ、いずれについても実用的な記録再生が不可能であることが判明したから、本件発明に係る磁気記録媒体が記録再生可能な磁気記録媒体であるためには、Hc×(1+0.5×SFD)の数値が、被告製品における値である270未満である必要があると主張する。しかし、実施例は本件発明の技術的意義を裏付けるための実験例であり、また、被告製品と本件明細書記載の記録再生装置は規格が異なるにすぎない。

したがって、構成要件Hの式(1)には、記載されざる構成要件として、上限値が要件として付加されるとはいえず、被告らの主張は失当である。

(被告らの主張)

前記イの被告らの主張のとおり、構成要件G2の「磁気記録媒体」は、記録及び再生が可能な磁気記録媒体であることが前提であるから、「磁気記録媒体」は、記録再生が実用的に不可能な磁気記録媒体が除かれるように限定的に解釈すべきである。

オーバーカレント特性は、磁気記録媒体の磁気特性のみでは定まらず、使用される具体的な記録再生装置の仕様、特に磁気記録ヘッドの仕様と磁気記録ヘッドと磁気記録媒体上の磁性層間の距離等に強く依存する。原告も、平成20年7月31日起案の拒絶理由通知に対する意見書(乙2)において、本件発明は、所定の記録再生装置を用いた実施例1に対して出力、最適記録電流及び高い再生出力が得られる記録電流範囲が適切な範囲内に収まるような磁気記録媒体を特定したものであることを明らかにしている。

そして、本件明細書の実施例におけるHc×(1+0.5×SFD)の最大値は247.5(実施例3)であり、被告製品のHc×(1+0.5×SFD)の数値は270~298.3である。被告製品を本件明細書記載の記録再生装置を用いて記録再生を試みたところ、実用的な記録再生が不可能であった。そうすると、本件発明に係る磁気記録媒体が記録再生可能な磁気記録媒体であるためには、Hc×(1+0.5×SFD)の数値が270未満である必要があるといえる。

したがって、構成要件Hの「磁気記録媒体」には書かれざる構成要件として、式(1)の上限値が存在するところ、被告製品のHc×(1+0.5×SFD)の数値は当該上限値を上回るものであるから、被告製品は構成要件Hを充足しない。

(2)争点(2)(本件特許の無効理由の有無)について

ア 争点(2)-ア(乙5文献に記載の発明に基づく新規性欠如)について

(被告らの主張)

乙5文献の実施例1、比較例1、比較例3、実施例2、実施例5、比較例8及び比較例9には、いずれも、非磁性支持体の一方の面上に、非磁性粉体であるα-酸化鉄及び結合剤を含む下層非磁性層を有し、当該下層非磁性層上に強磁性粉末及び結合剤を含む磁性層(上層)を有し、前記非磁性支持体の磁性層側と反対側の面上にバックコート層を有する磁気記録媒体が記載されている。

そして、上記実施例及び比較例の磁気記録媒体の全厚(総厚さ)及び上記実施例及び比較例の各数値に基づき、Hc×(1+0.5×SFD)及びHc/Rsの数値を算出した結果は以下の表のとおりであり、乙5文献には、実施例1、比較例1、比較例3、実施例2、実施例5、比較例8及び比較例9において、以下の発明(以下、それぞれの実施例や比較例の番号に合わせて「乙5-実1発明」、「乙5-比1発明」などという。)が記載されているといえる。これらの発明は本件発明の構成要件を全て備えているから、本件発明は乙5-実1発明等に基づき新規性を欠く。

a 非磁性支持体の一方の面上に

b 非磁性粉体であるα-酸化鉄及び結合剤を含む下層非磁性層を有し、

c 当該下層非磁性層上に強磁性粉末及び結合剤を含む磁性層(上層)を有し、

d 前記非磁性支持体の磁性層側と反対側の面上にバックコート層を有し、

e 保磁力Hc〔kA/m〕と、SFD(スイッチング・フィールド・ディストリビューション)が、下記式(1)の関係を有し、

f 上記磁性層の保磁力Hc〔kA/m〕と、角形比Rs〔%〕とが、下記式(2)の関係を有し、

g1 全厚が以下の数値である

g2 磁気記録媒体。

h Hc×(1+0.5×SFD)=以下の数値・・・(1)

i Hc/Rs=以下の数値・・・(2)

(原告の主張)

乙5文献の実施例1、比較例1、比較例3、実施例2、実施例5、比較例8及び比較例9に記載されている各発明が構成要件E、F、H及びI(式(1)及び式(2))を備えるという点は否認ないし争う。被告らは、乙5文献の実施例及び比較例記載の各数値から、Hc×(1+0.5×SFD)及びHc/Rsの値を算出して、乙5-実1発明等を認定できると主張するが、式(1)及び式(2)は乙5文献に記載されておらず、当業者の技術常識に基づき記載された事項から導き出すこともできないから、式(1)及び式(2)は記載されているに等しい事項でもない。

したがって、乙5文献に記載の発明と本件発明は構成要件E、F、H及びI(式(1)及び式(2)を満たすようにした点)で相違するから、本件発明は乙5-実1発明等に基づき新規性を欠くとはいえない。

イ 争点(2)-イ(乙6文献に記載の発明に基づく新規性欠如)について

-省略-

ウ 争点(2)-ウ(乙7文献に記載の発明に基づく進歩性欠如)について

-省略-

エ 争点(2)-エ(サポート要件違反)について

(被告らの主張)

(ア)式(1)及び式(2)が示す範囲と得られる効果

式(1)を変形すると、SFD≧2×(230×(1/Hc)-1)となり、実施例及び比較例に記載されたHcの値から1/Hc及びSFDの各数値を算出し、グラフで表記した場合、実施例(実施例2及び実施例4)と比較例(実施例1及び比較例1、2)との間には、式(1)を表す線以外にも、他の数式による直線又は曲線等を無数に描くことが可能であり、本件明細書には式(1)によって所望の効果が得られることの根拠が示されておらず、当業者は式(1)の技術的意義を認識することができない。

また、式(2)におけるHcとRsとの関係をグラフで表記した場合、実施例(実施例2及び実施例4)と比較例(比較例1)との間には、式(2)を表す線で囲まれた領域以外にも、無数に線により無数の領域を描くことが可能であり、本件明細書には、式(2)によって所望の効果が得られることの根拠が示されておらず、当業者は式(2)の技術的意義を認識することができない。

原告は、式(1)及び式(2)は、磁気記録媒体のヒステリシス曲線に関連付けられて設計されたものであり、式自体に技術的意義があり、当業者は、技術常識を参酌して本件明細書からその技術的意義を容易に認識することができると主張するが、当業者は本件明細書から式(1)及び(2)の技術的意義を理解することはできない。

(イ)実施例及び比較例の記載

式(1)及び式(2)によって画される数値範囲は極めて広範囲であり、当業者において、本件明細書記載の実施例及び比較例の記載のみで、式(1)と式(2)によって画される数値範囲の全体について所望の効果が得られると認識することはできない。特に、式(1)は、Hcの上限値やSFDの下限値を特定してないから、SFDの値を大きくせず、Hcの値を230以上の数値にして式(1)を満たすことも可能である。そして、Hcが230を上回る数であり、SFDが実施例の数値を大きく下回るような小さい数値をとる場合にも、式(1)によって所望の効果が得られると本件明細書の記載から認識することは困難である。

(ウ)式(1)の上限値

本件明細書には、Hc×(1+0.5×SFD)の値について、記録電流特性については実施例1に対しての差異が±20%以内であれば実用上良好であると評価したことが記載されているところ(段落【0075】)、実施例3、4の記録電流特性は1.2であり、上記差異を許容し得る上限値となっている。そして、本件明細書に、本件発明の最適記録電流は実施例1に対しての差異が15%以内であれば実用上良好であると評価したことが記載されているところ(段落【0075】)、実施例3の最適記録電流は実施例1との差異が16%であり本件発明の実施例とはならないから、当業者は、本件明細書の記載から、本件発明の式(1)について、実施例4のHc×(1+0.5×SFD)の値である245.8が本件発明の上限値があると認識する。しかしながら、本件発明の特許請求の範囲及び本件明細書において上限値を何ら特定していないから、本件発明はサポート要件に違反する。

(エ)式(2)の上限値の根拠

式(2)の上限値である2.6の数値である実施例は実施例3のみである。しかし、前記(ウ)のとおり、実施例3は本件発明の実施例ではない。なお、実施例3のHc/Rsを正確に算出すると2.63であり、式(2)の上限値2.6を上回るから、この点からも実施例3は式(2)の上限値の根拠にはならない。そして、本件明細書において、実施例3以外に式(2)の上限値を2.6とする記載は見当たらないから、式(2)の上限値を2.6とすることの技術的意義が当業者に認識できる程度に記載されておらず、サポート要件に違反する。

(オ)記録再生装置の特定

前記(1)イの被告らの主張のとおり、本件発明は、本件発明記載の記録再生装置かそれと同等の装置を用いることが必須の前提となるが、本件発明及び本件明細書には記録再生装置の特定がされていないから、サポート要件に違反する。

(カ)磁性層の膜厚

本件明細書には、磁性層の膜厚を0.10μm(実験例3)、0.15μm(実験例1)、0.25μm(実験例2)、0.30μm(実験例4)と変化させて作成したサンプルに関して、サーボロックの評価を行ったことが記載されている。そして、磁性層の膜厚を0.10μmとした実験例3のサンプルでは、磁性層が薄すぎるため充分なCTL信号の再生出力が得られず、サーボロックはずれを引き起したことが報告されている(段落【0086】)。つまり、本件明細書記載の記録再生装置を用いた場合、磁気記録媒体の磁性層の膜厚が0.10μm程度であると正しく再生させることができなくなり、当該磁気記録媒体は再生不能になる。現に、膜厚が0.10μm未満である被告製品について、本件明細書記載の記録再生装置を用いて記録再生を行ったところ、いずれもCTL信号は検出できず、サーボロックはずれが引き起こされていることが判明した。しかし、本件発明の特許請求の範囲及び本件明細書において、膜厚は何ら特定されていないから、本件発明はサポート要件に違反する。

(キ)固定ヘッド方式の磁気記録媒体に関する記載

前記(1)イの被告らの主張のとおり、構成要件G2の「磁気記録媒体」に固定ヘッド方式の磁気記録媒体は含まれないが、仮に、構成要件G2の「磁気記録媒体」に固定ヘッド方式の磁気記録媒体が含まれると解釈されるのであれば、本件明細書には固定ヘッド方式の磁気記録媒体の場合の課題解決手段を何ら示しておらず、サポート要件に違反する。

(ク)エラーレート特性

本件明細書には、「安定したエラーレート特性を実現可能」(段落【0009】)とすることも本件発明の課題であると記載されている。しかしながら、本件明細書には、どのような場合に「安定したエラーレート特性を実現」しているといえるのかについての説明が全くなく、実施例に挙げられた磁気記録媒体が「安定したエラーレート特性を実現」しているかを検証するための実験データもない。そのため、当業者は、本件発明の磁気記録媒体が「安定したエラーレート特性を実現」しているのかを認識することができず、サポート要件に違反する。

(原告の主張)

(ア)式(1)及び式(2)が示す範囲と得られる効果

式(1)及び式(2)は、磁気記録媒体のヒステリシス曲線に関連付けられて設計されたものであり、式自体に技術的意義がある。具体的には、式(1)及び式(2)は、以下の機序により、記録電流値の裕度を確保し、記録電流値を大きくすることなく、充分な再生出力を得ることができ、実用上消費電力を低減化できるという効果を奏するものであり、当業者は、その技術的意義を、技術常識を参酌して本件明細書から容易に認識することができる。

a 式(1)は、ヒステリシス曲線(本件明細書の【図2】)において、Hc+0.5ΔHの数値を230以上にするものである。

磁気記録媒体のHcは、磁化された磁性体を磁化されていない状態(消去状態)に戻すために必要な反対向きの外部磁場の強さを意味し、Hcを大きくすることで記録が一旦されれば記録が消えにくい磁気記録媒体を得られる作用が奏されること、他方、Hcを大きくし過ぎると、記録電流が大きくなるために実用上の消費電力が低減しにくくなることは技術常識である。

そこで、式(1)では、Hcと併せてΔHを大きくすることで、実用上の消費電力の増加を抑制しつつ、記録が一旦されれば記録が消えにくい磁気記録媒体を得られるようにする。

ΔH(Hc×SFD)は、磁性層中に存在する磁性体粒子一つ一つの保磁力のばらつきの指標であり、Hc+0.5ΔHを230以上とするためにはΔHを大きくする必要があるが、これはHc近傍のヒステリシス曲線の傾きを小さく(緩く)することを意味する。ΔHが大きくなってヒステリシス曲線のHcの近傍の傾きを小さく(緩く)すると、磁性体粒子自体のHcのばらつきが大きくなり、磁気記録媒体のHcより大きなHcを有する磁性体粒子が多く存在するようになる。その結果、隣接する記録領域からの漏れ磁界が加わっても(記録磁界が大きくなっても)、上記磁気記録媒体のHcよりも大きなHcを有する磁性体粒子の磁化反転が起きないので、一旦記録がされれば当該記録が消えにくくなる。

なお、式(1)は、Hcの上限値やSFDの下限値を特定してないから、SFDの値を大きくせず、Hcの値を230以上の数値にして式(1)を満たすことも可能である。しかしながら、Hcのみを大きくすると、記録電流設定マージンが広くなる(電流の裕度が改善する)というメリットはあるものの、消費電力が増加するというデメリットがあるから、本件発明は、HcのみならずSFDも制御するという式(1)を採用して、Hc及び0.5ΔHの合算値を230以上とするという手法で記録電流値の裕度の改善を図るものであり、当業者は、実施例2及び実施例4の記載に接することで、SFDが実施例の数値を大きく下回った場合でも、HcとSFDとで式(1)が満たされれば、Hcによる電流の裕度改善作用とSFD(ΔH)による電流の裕度改善作用が同時に奏されることを理解することできる。また、磁気記録媒体のSFDは0.1~0.6程度の値をとるのが技術常識であるから(甲35の段落【0076】、甲36文献の段落【0017】及び乙6の【表2】)、当業者は、技術常識に基づき、SFDを0.1に近い0.083程度の値をとる磁気記録媒体を想定することができる。

b 式(2)は、ヒステリシス曲線の横軸の交点であるHcと縦軸の交点である残留磁束密度Br及び飽和磁束密度Bmとの比率(Rs=Br/Bm)との比率を2.2から2.6の範囲にするものである。Hcを大きくし過ぎないことは実用上消費電力の低減に寄与するものである一方、安定した記録を確保し、再生出力を向上させるためにはHcを一定程度は大きくする必要がある。他方、Rsの分子であるBrは、外部磁場をゼロとした際に磁気記録媒体に残留する磁束密度ゆえ、Brが大きい程(換言すればRsが大きい程)、外部磁場ゼロになっても磁気記録が消失しないことを意味し、再生出力が向上することとなる。また、ヒステリシス曲線から明らかなとおり、Rsを大きくすることは消費電力の低減にも寄与するものである。

式(2)のHcを大きくし過ぎると、最適記録電流が大きくなるために実用上の消費電力が低減しにくくなる一方、Rs(=Br/Bm)は、再生出力の向上及び消費電力の低減の観点から大きい方が好ましい。こうした関係から、Hc/Rsは上限値2.6を有することになる。他方、安定した記録を確保すること、再生出力を向上させること及び式(1)における、記録が一旦されれば記録が消えにくい磁気記録媒体が得られることから式(2)の分子であるHcは大きいほうが望ましい。これが、Hc/Rsにおいて下限を定める技術的意義である。そして、本件発明においてはその下限値を2.2とする。

このように、式(2)の上・下限値のいずれにおいても、Rsを大きくすることで、再生出力を確保し、消費電力の軽減に寄与できる。

他方、式(2)の分子のHcは、実用上の消費電力の低減の観点からはあまり大きくし過ぎないことが好ましいので、式(2)に上限値が設けられることになる。もっとも、式(2)のHcは、安定した記録を確保し、再生出力を向上させ、式(1)における記録が一旦されれば記録が消えにくい磁気記録媒体を得るために、一定以上の大きさである必要があるので、式(2)に下限値が設けられることになる。そして、Hcにこうした上・下限値を設けることで、再生出力を確保しつつも、実用上の消費電力の低減が図られることになる。

(イ)実施例及び比較例の記載

式(1)及び式(2)の技術的意義は、以下のとおり、本件明細書の実施例及び比較例の記載から裏付けられる。

a まず、式(1)について、実施例2は、Hc×(1+0.5×SFD)が230.1となっているところ、リファレンス(実施例1。最適記録電流:100%、記録電流特性:1)と比較して、最適記録電流が107%と+15%以内の増加に抑えられつつも、記録電流特性は1.05となり記録電流の裕度が5%広がっている。また、実施例4は、Hc×(1+0.5×SFD)が245.8となっているところ、実施例1と比較して、最適記録電流が104%と+15%以内の増加に抑えられつつも、記録電流特性は1.2となり記録電流の裕度が20%広がっている。他方、比較例2は、Hc×(1+0.5×SFD)が211.8となっているところ、実施例1と比較して、最適記録電流が88%と-15%以内の減少に抑えられつつも、記録電流特性は0.7となり記録電流値の裕度(記録電流設定マージン)が30%狭くなっている。また、実施例2と実施例4のHc、SFD(ΔH)及び式(1)の3つの数値を比較すると、式(1)の数値の差15.7(=実施例4の数値245.8-実施例2の数値230.1)は、HcのみならずSFD(ΔH)を大きくすることで実現していること、Hc及びSFD(ΔH)の数値を利用して式(1)の値を大きくすることによって、最適記録電流の増加はほとんど変わることなく、記録電流特性(記録電流値の裕度)は15%(=(実施例4の数値1.2-実施例2の数値1.05)×100%)も広くできることが分かる。

b 式(2)について、実施例4と比較例1を比較すると、比較例1はRsが小さい分、式(2)の値は2.8となり上限値(2.6)を超えている。他方、実施例4の式(2)の値は2.5であり、式(2)の上限値以下の値である。また、式(2)の分母のRsは、比較例1は75%であり、実施例4は85%となっている。このため、理論上は、実施例4の磁気記録媒体の方が、再生出力が確保され、消費電力は低減される傾向になり、他方、式(2)の分子のHcは同一の値なので、Hcによる磁気記録媒体に対する記録の安定化、再生出力の向上及び一旦記録された記録の消去のされにくさの程度において、理論上、実施例4と比較例1との間に差はないことになる。そして、実験結果をみると、再生出力は比較例1(0.8dB)と比べて実施例4(2dB)の方が向上している。また、最適記録電流値の増加(実用上の消費電力の低減への寄与)の程度も、比較例1(124%)と比べて、実施例4(104%)の方が向上しているから、上記理論と実験結果とが一致していることを意味する。さらに、実施例4と比較例2を比較すると、比較例2はHcが小さい分、式(2)の値は2.2(下限値)となっている。他方、実施例4の式(2)の値は2.5であり、式(2)の範囲内の値である。また、式(2)の分子のHcは、比較例2は190(kA/m)であり、実施例4は210(kA/m)となっている。このため、理論上、実施例4の磁気記録媒体の方が、消費電力の低減の観点からは不利であるが、Hcによる磁気記録媒体に対する記録の安定化、再生出力の向上及び一旦記録された記録の消去のされにくさは確保され、他方、式(2)の分母のRsは同一の値なので、理論上、Rsによる磁気記録媒体に対する再生出力の確保及び消費電力の低減への寄与について、実施例4と比較例2との間に差はないことになる。そして、実験結果をみると、再生出力は、比較例2(0.8dB)と比べて、実施例4(2dB)の方が向上している。また、最適記録電流値については、比較例2(88%)よりも実施例4(104%)の方が大きくなっているが、これはHcの値による寄与である。もっとも、実施例4の最適記録電流値は、実用上省電力化の抑制に寄与するものであり、リファレンス(実施例1)に対して+15%の許容の範囲内であり、上記理論と実験結果とが一致していることを意味する。

(ウ)式(1)の上限値

被告らは、式(1)には上限値が存在する旨主張するが、前記の原告の主張のとおり、式(1)には上限値が存在せず、被告らの主張は失当である。

(エ)式(2)の上限値の根拠

式(2)の上限値を2.6とする根拠は本件明細書の段落【0013】【0017】ないし【0020】の記載にされているとおりであり、実施例3を根拠とするものではない。もっとも、被告らの実験によれば、実施例3のHc/Rsは2.63であり、最適記録電流は実施例1の最適記録電流の±15%をわずかに超える+16%という内容であるとのことからすれば、実施例3は、上限値を2.6に設定することを裏付ける実験結果となっている。さらに、実施例4ではHc/Rsの値が2.5であり電磁変換特性が規定の範囲内となっている一方で、Hc/Rsの値が2.8である比較例1では電磁変換特性が規定の範囲外となっているから、式(2)の上限値を2.6とすることはこれらの実験結果からも裏付けられる。

(オ)記録再生装置の特定

被告らは、本件発明においては記録再生装置の特定が必須であると主張するが、前記(1)イの原告の主張のとおり、本件発明においては記録再生装置を特定する必要性はなく、被告らの主張は失当である。

(カ)磁性層の膜厚

被告らは、本件発明においては磁性層の膜厚の特定が必須であると主張するが、前記(1)アの原告の主張のとおり、本件発明においては磁性層の膜厚を特定する必要性はなく、被告らの主張は失当である。

(キ)固定ヘッド方式の磁気記録媒体に関する記載

前記(1)イの原告の主張のとおり、本件発明の特許請求の範囲や本件明細書に磁気ヘッドの方式に関する限定はなく、本件発明は磁気ヘッドの方式に関わらず技術的意義を有するから、本件明細書に固定ヘッド方式の磁気記録媒体の場合の課題解決手段を記載していないことはサポート要件に違反しない。

(ク)エラーレート特性

本件明細書の「安定したエラーレート特性を実現可能」(段落【0009】)とは、上記再生の際に、磁気記録を正確に読み出す特性が安定して実現できることをいうところ、本件明細書の記載(段落【0078】【0079】【0082】)から、当業者は、式(1)を230以上とすることで、記録電流特性の値を大きくすること(極めて広い記録電流範囲において高い再生出力が得られるようになること)で、良好なエラーレート特性が発揮されることを認識することができるといえ、サポート要件に違反しない。

オ 争点(2)-オ(実施可能要件)について

-省略-

(3)争点(3)(訂正の再抗弁の成否)について

ア 争点(3)-ア(本件訂正請求の適法性)について

-省略-

イ 争点(3)-イ-1(本件訂正による無効理由の解消の有無-乙5文献に記載の発明に基づく新規性欠如)について

(原告の主張)

(ア)本件訂正によって「上記非磁性層の厚みが1.1~2μmである磁気記録媒体を除く」旨の訂正がなされた(訂正事項1-2)。乙5文献の実施例・比較例に記載された磁気記録媒体の下層非磁性層の厚さは1.5μmであるから、本件訂正によって、乙5文献、乙6文献の実施例・比較例に記載された全ての磁気記録媒体が除かれたことになる。したがって、本件訂正により乙5-実1発明等に基づく新規性欠如の無効理由は解消した。

(イ)被告らは、後記被告らの主張のとおり、乙5文献には、実施例2ないし7に基づく乙5-実2~7発明、乙5-実2~7’発明が記載されていて、乙5-実2~7’発明は本件訂正発明の構成要件を全て備え、本件訂正により新規性欠如の無効理由は解消していない旨主張する。

しかしながら、乙5文献の実施例2ないし7の実験結果からHc、SQ及びSFDについて被告らが主張するような連続した範囲の数値の発明を認定することはできない。また、乙5文献は特許請求の範囲や明細書の記載に不自然な点や矛盾点があり、実施例2ないし7の実験結果は架空の数値であると疑われることから、乙5文献から乙5-実2~7発明を認定することはできない。

また、乙5文献には非磁性層の厚みを0.2μm以上1.1μm未満又は2.0μm超4.0μm以下とすることは記載されていないし、これらが技術常識を参酌して記載されているに等しい事項であるともいえないから、非磁性層の厚みを0.2μm以上1.1μm未満又は2.0μm超4.0μm以下とする乙5-実2~7’発明を認定することはできない。

(ウ)被告らは、後記被告らの主張のとおり、乙5文献には、実施例5に基づく乙5-実5a’発明が開示されており、乙5-実5a’発明は本件訂正発明の構成要件を全て備え、本件訂正により新規性欠如の無効理由は解消していない旨主張する。

しかしながら、前記(イ)のとおり、乙5文献には、非磁性層の厚みを0.2μm以上1.1μm未満又は2.0μm超4.0μm以下とすることは記載されておらず、これらが技術常識を参酌して記載されているに等しい事項であるともいえないから、非磁性層の厚みを0.2μm以上1.1μm未満又は2.0μm超4.0μm以下とする乙5-実5a’発明を認定することはできない。

(被告らの主張)

(ア)乙5文献の実施例2~7には、以下の発明(以下「乙5-実2~7発明」という。)が開示されている。

a 非磁性支持体の一方の面上に、

b 非磁性粉末であるα-酸化鉄及び結合剤を含む下層非磁性層を介して、

c 強磁性粉末を結合剤中に分散してなる磁性層が設けられ、

d 前記非磁性支持体の前記磁性層側と反対側に、厚みが通常0.1~2μm(実施例ではカレンダ処理前において、0.5μm)のバックコート層が設けられ、

e 保磁力Hc〔kA/m〕と、SFD(スイッチング・フィールド・ディストリビューション)が、下記式(1)の関係を有し、

f1 上記磁性層の保磁力Hc〔kA/m〕と、角形比Rs〔%〕とが、下記式(2)の関係を有し、

f2 上記保磁力Hc〔kA/m〕が2580~2940Oe(203.8~232.3kA/m)であり、

g1 総厚さが通常4.5~8.5μmである

g2 磁気記録媒体。

g3 ただし、非磁性層の厚みは1.5μmである。

h Hc×(1+0.5×SFD)≒236.4~274.1・・・(1)

i Hc/Rs≒2.43~2.90・・・(2)

そして、乙5文献には、非磁性層(下層)の厚みが、通常0.2~4.0μmであり、好ましくは0.3~2.0μmであること、さらに好ましくは0.5~1.5μm(0.8~2.0μm)であることが記載されている(乙5文献の段落【0005】【0006】【0043】【0053】【0054】【0059】)。そうすると、乙5文献には、乙5-実2~7発明の構成g3について、非磁性層の厚みが0.2~4.0μm、0.3~2.0μm、0.5~1.5μm又は0.8~2.0μmである発明(以下「乙5-実2~7’発明」という。)が開示されているといえる。そして、この非磁性層の厚みは、「0.2μm以上1.1μm未満」、「2.0μm超4.0μm以下」において本件構成要件G3と重なるから、乙5-実2~7’発明は、本件訂正発明の構成要件を全て備える。したがって、本件訂正発明は乙5-実2~7’発明に基づき新規性を欠く。

(イ)乙5の実施例5には、前記(3)アの被告らの主張のとおり、乙5-実5発明が開示されており、また、実施例5のHcは210〔kA/m〕であるから、乙5の実施例5には、以下の発明(以下「乙5-実5a発明」という。)が開示されている。

a 非磁性支持体の一方の面上に

b 非磁性粉体であるα-酸化鉄及び結合剤を含む下層非磁性層を有し、

c 当該下層非磁性層上に強磁性粉末及び結合剤を含む磁性層(上層)を有し、

d 前記非磁性支持体の磁性層側と反対側の面上にバックコート層を有し、

e 保磁力Hc〔kA/m〕と、SFD(スイッチング・フィールド・ディストリビューション)が、下記式(1)の関係を有し、

f1 上記磁性層の保磁力Hc〔kA/m〕と、角形比Rs〔%〕とが、下記式(2)の関係を有し、

f2 上記保磁力Hc〔kA/m〕が210であり、

g1 全厚が8.75μmである

g2 磁気記録媒体。

g3 非磁性層の厚みが1.5μmである

h Hc×(1+0.5×SFD)=246.8・・・(1)

i Hc/Rs=2.59・・・(2)

そして、前記(ア)のとおり、乙5文献には、非磁性層の厚みについて、0.2~4.0μm、0.3~2.0μm、0.5~1.5μmまたは0.8~2.0μmの数値が記載されているから、乙5文献には、乙5-実5a発明の構成g3について、非磁性層の厚みが0.2~4.0μm、0.3~2.0μm、0.5~1.5μm又は0.8~2.0μmである発明(以下「乙5-実5a’発明」という。)が開示されている。そして、この非磁性層の厚みは本件構成要件G3と重なるから、乙5-実5a’発明は、本件訂正発明の構成要件を全て備える。したがって、本件訂正発明は乙5-実5a’発明に基づき新規性を欠く。

(ウ)以上のとおり、本件訂正によっても、乙5文献に記載の発明に基づく新規性欠如の無効理由は解消していない。

ウ 争点(3)-イ-2(本件訂正による無効理由の解消の有無-サポート要件違反)について

(原告の主張)

前記(2)エの原告の主張のとおり、本件発明はサポート要件に違反しておらず、本件発明よりも特許請求の範囲を限定するものである本件訂正発明にもサポート要件違反はない。

(被告らの主張)

前記(2)エの被告らの主張のとおり、本件発明はサポート要件違反の無効理由があり、本件訂正についても、サポート要件違反の無効理由は解消されていない。

エ 争点-ウ(被告製品1、2、5及び6の本件訂正発明の技術的範囲への属否)について

(原告の主張)

前記(1)の原告の主張のとおり、被告製品1、2、5及び6は本件発明の構成要件を全て充足し、また、本件訂正発明の構成要件も全て充足するから、被告製品1、2、5及び6は本件訂正発明の技術的範囲に属する。

(被告らの主張)

前記(1)の被告らの主張とおり、被告製品は本件発明の構成要件C、G2及びHを充足しないから、被告製品1、2、5及び6は本件訂正発明の技術的範囲に属しない。

(4)争点(4)(本件訂正発明と特許法123条1項所定の事由の有無)

-省略-

(5)争点(5)(被告FFMMの不法行為責任(共同不法行為の成否))について

-省略-

(6)争点(6)(原告の損害額)について

-省略-

6.裁判所の判断

1 本件発明の技術的意義

(1)本件明細書(甲2)の発明の詳細な説明欄には、次の記載がある。

-省略-

(2)本件発明の技術的意義

前記(1)の記載によれば、本件発明は、記録電流値の裕度(記録電流設定マージン)及び充分な再生出力を得るための最適記録電流を考慮しながら磁気記録媒体の特性を規定する(電磁変換特性が良好な磁気記録媒体を提供すること)という課題を解決するため、本件発明の構成、特に式(1)の関係を満たすようにしたことによって、良好なオーバーカレント特性が得られ、記録電流値の裕度を確保し、また、式(2)の関係を満たすようにしたことによって、記録電流値を大きくすることなく、充分な再生出力を得ることができ、実用上消費電力を低減化できるという効果を奏するものである点に技術的意義があると認められる。

2 本件発明のサポート要件違反の有無(争点(2)-エ)について

事案に鑑み、まず、本件発明のサポート要件違反の有無(争点(2)-エ)について検討する。

(1)特許法36条6項1号は、特許請求の範囲の記載は、特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものでなければならないとしており、いわゆるサポート要件を規定している。

特許請求の範囲の記載が、明細書のサポート要件に適合するか否かは、特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し、特許請求の範囲に記載された発明が、発明の詳細な説明に記載された発明で、発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か、また、その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきである。

本件発明の技術的意義は前記1(2)のとおりであり、式(1)の関係を満たすことで、良好なオーバーカレント特性が得られ、記録電流値の裕度を確保することができるというものである。被告は、当業者は式(1)の関係を満たすことで上記課題を解決できると認識できないと主張するので、以下、当業者が、式(1)の関係を満たすことで上記課題を解決できることを認識できるかについて検討する。

(2)ア 式(1)について、磁気記録媒体の技術分野で広く知られている式であることを認めるに足りる証拠はない。また、本件明細書において、式(1)の意義に関する記載はない

イ 原告は、式(1)は、磁気記録媒体のヒステリシス曲線に関連付けられて設計されたものであり、式自体に技術的意義があり、当業者は、技術常識を参酌して、磁気記録媒体のヒステリシス曲線に基づき、式(1)によって課題を解決できると容易に認識することができると主張する。そして、その内容として、式(1)は、Hc+0.5ΔHの数値を230以上とし(SFDは、ΔH/Hcであるから、式(1)は、Hc+0.5ΔHと変形される。)、Hcと併せてΔHを大きくすることで、実用上の消費電力の増加を抑制しつつ一旦記録がされれば記録が消えにくい磁気記録媒体を得られるようにするものであること、ΔHは、磁性層中に存在する磁性体粒子一つ一つの保持力のばらつきの指標であるところ、ΔHが大きくなってヒステリシス曲線のHcの近傍の傾きを小さくすると、磁性体粒子自体のHcのばらつきが大きくなり、記録が一旦されれば当該記録が消えにくくなることを主張する。

本件発明は、式(1)の関係を満たすことによって、前記(2)のとおり、オーバーカレント特性が良好となり、記録電流値の裕度が大きくなるというのであるから、原告の上記主張は、式(1)の意義に関して、オーバーカレント状態において、磁性粒子自体のHcのばらつき(ΔH)が大きくなることによって、そのばらつきが大きくない場合に比べ、再生出力が大きくなり記録電流値の裕度が大きくなるというものといえる。

しかし、本件明細書には、上記の内容を述べる記載がないだけでなく、当業者にとって、本件出願当時、Hcが大きくなれば記録電流値の裕度が大きくなることが技術常識であったとしても(乙9)、オーバーカレント状態において、磁性粒子一つ一つのHcのばらつき(ΔH)が大きくなることによって、そのばらつきが大きくない場合に比べ、再生出力が大きくなり記録電流値の裕度が大きくなることが、技術常識であったことを認めるに足りる証拠はない

(3)ア 本件明細書をみると、本件明細書の発明の詳細な説明には、実施例1ないし4及び比較例1及び2を作製し、それぞれ測定及び評価を行ったことが記載されており、各具体例の数値は以下のとおりである。なお、実施例1は、式(1)の関係を満たさず、本件明細書においても「比較例(参考例)に相当する例であって、実施例2~4及び比較例1~2との比較対象となるリファレンスである。」(段落【0054】)とされているとおり、比較例である(段落【0054】~【0065】、【0070】~【0082】)。

イ 本件明細書には、「最適記録電流」について、「最適記録電流は、リファレンス(実施例1)に対してのズレが±15%以内であれば、実用上良好であると評価した。」(段落【0075】)、「これによると、最適記録電流のリファレンス(実施例1)に対するズレが±15%以内であるものは、2.2≦Hc/Rs≦2.6の範囲であることが分かる。Hc/Rsの値が2.6を超える比較例1のサンプルにおいては、最適記録電流の値が124%と大きくなってしまい、リファレンスとのズレが大きく、充分な出力を得るための消費電力が大きくなってしまった。」(段落【0080】)との記載がある。これらによれば、最適記録電流については、実施例1の±15%以内が実用上良好と判断できる上限であるといえる。そうすると、最適記録電流が実施例1の+16%である実施例3は本件発明の実施例とはならないともいえる。そして、実施例3が実施例とならないとすると、実施例となるのは実施例2と実施例4であり、本件明細書上、式(1)によって、記録電流値の裕度を確保するという課題を解決できると認識できるHc×(1+0.5×SFD)の範囲は、230.1(実施例2)~245.8(実施例4)の範囲となる。また、実施例3を本件発明の実施例としても、上記の範囲は、230.1(実施例2)~247.5(実施例3)となる。

なお、本件明細書には、「記録電流特性」の評価について、「記録電流特性については、リファレンス(実施例1)に対してのズレが±20%以内であれば、実用上良好であると評価した。」(段落【0075】)との記載があり、実施例3、4について、記録電流特性がリファレンス(実施例1)の1に対して1.2となっていることを評価していて(段落【0079】)、記録電流特性における1.2を記録電流特性が実用上良好と判断できる上限であるとしている。

ウ 以上によれば、式(1)には上限値は定められておらず、下限値である230以上の数値の全てにわたり式(1)を満たすことになるにもかかわらず、本件明細書記載の実施例において課題を解決できることが裏付けられるHc×(1+0.5×SFD)の範囲は、230.1~245.8(又は247.5)に限られることになる。そして、本件明細書にはこの範囲よりも大きい数値の磁気録媒体の記録電流値の裕度を大きくすることができることに関する記載はない

これらによれば、式(1)には、Hc×(1+0.5×SFD)の値の上限値がないところ、実施例で示されているのは前記の範囲であって、その値が実施例で示されたものよりも大きくなった場合などを含めた、式(1)の関係が満たされることとなる場合において、当業者が、前記の課題を解決できると認識できたとはいえないとするのが相当である。

エ 更に、本件発明においては、Hcの上限値やSFDの下限値は定められていないから、ΔH、ひいてはSFDの値を大きくせず、Hcの値を例えば230以上の数値にすると、SFDの値が実施例を大きく下回る場合も式(1)の関係を満たすこととなる。しかし、このように実施例を大きく下回るSFDの値の場合に当業者が前記課題を解決できると認識できるとはいえない。原告は、文献(乙9)、実施例2及び実施例4の記載に接することで、SFDが実施例の数値を大きく下回るなどの場合でも、式(1)によって課題を解決できると認識することできると主張するが、式(1)の技術的意義、実施例が示す範囲や本件明細書の記載は前記のとおりであり、採用することができない。

オ したがって、当業者は、本件明細書の記載から、式(1)によって記録電流値の裕度を確保するという課題を解決できると認識できるとはいえず、また、本件出願当時の技術常識から、上記課題を解決できると認識できるともいえない。

(4)以上によれば、本件発明に係る特許請求の範囲の記載が、本件明細書の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるとはいえず、また、その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるともいえないから、本件発明にはいわゆるサポート要件違反がある。

3 本件訂正発明によるサポート要件違反の解消の有無について(争点(3)-イ-1)

(1)原告は、本件訂正によって、いわゆるサポート要件違反が解消したと主張するので、以下、この点について検討する。

(2)訂正事項1-1は、保持力Hcを210以上、221以下とするものである(構成要件F2)。

(3)ア前記2(2)アのとおり、式(1)について、磁気記録媒体の技術分野で広く知られている式であることを認めるに足りる証拠はなく、本件明細書において、式(1)の意義に関する記載はない。また、同イのとおり、原告の主張は、式(1)の意義に関して、オーバーカレント状態において、磁性粒子自体のHcのばらつきが大きくなることによって、そのばらつきが大きくない場合に比べ、再生出力が大きくなり記録電流値の裕度が大きくなることをいうものといえるが、本件明細書にそのことを述べる記載がなく、また、本件出願当時、当業者にとってそのことが技術常識であったことを認めるに足りる証拠はない。

イ 本件明細書をみると、本件明細書の発明の詳細な説明には、前記2(3)アのとおり、実施例1ないし4及び比較例1及び2の数値が記載されている。

そして、Hcが210以上という本件訂正事項1-1によって、実施例2は本件訂正発明の実施例でなくなる。したがって、実施例は、実施例3及び実施例4のみであり、また、前記2(3)イのとおり、「最適記録電流」の点から実施例3が実施例とならないとすると、実施例は、実施例4のみとなる。

そうすると、式(1)には上限値は定められておらず、下限値である230以上の数値の全てにわたり式(1)を満たすことになるにもかかわらず、本件明細書記載の実施例において課題を解決できることが裏付けられるHc×(1+0.5×SFD)の数値(範囲)は、245.8(又は245.8~247.5)に限られることになる。そして、本件明細書にはこの数値(範囲)よりも大きい数値の磁気録媒体の記録電流値の裕度を確保することができることに関する記載はない。

これらによれば、式(1)には、Hc×(1+0.5×SFD)の値の上限値がないところ、実施例で示されているのは前記の数値(範囲)であり、その値が実施例で示されたものよりも大きくなった場合なども含めた、式(1)の関係が満たされるといえる場合において、当業者が、前記の課題を解決できると認識することができたとはいえないとするのが相当である。

ウ 更に、本件訂正発明においては、Hcの上限値は定められたが、SFDの下限値は定められていない。そして、例えば、Hcが上限値である221の場合、SFDが0.082であっても、式(1)を満たすこととなるが、実施例4のSFDは0.341であり、実施例よりも大幅に小さいSFDの値の場合に、当業者が前記の課題を解決できると認識できたとはいえない。被告は、上記のような場合でも、文献(乙9)、実施例2及び実施例4の記載に接することで、式(1)によって課題を解決できると認識することできると主張するが、式(1)の技術的意義、実施例が示す範囲や本件明細書の記載は前記のとおりであり、採用することができない。

(4)以上によれば、当業者は、本件訂正後も、本件明細書の記載から、式(1)によって記録電流値の裕度を確保するという課題を解決できると認識できるとはいえず、また、本件出願当時の技術常識から、上記課題を解決できると認識できるともいえない。

そうすると、本件特許には特許法123条1項4号の事由があり(前記2)、本件訂正によってもその事由が解消したとは認められないから、本件訂正請求が訂正要件を満たすか(争点(3)-ア)など、その他の争点を検討するまでもなく、原告は、特許法104条の3第1項により、本件特許権を行使することができない。