ランフラットタイヤ事件

投稿日: 2017/10/17 0:24:50

今日は、平成29年(行ケ)第10006号 審決取消請求事件(以下「甲事件」という。)及び平成29年(行ケ)第10015号審決取消請求事件(以下「乙事件」という。)について検討します。本件訴訟は1件の特許に対する特許無効審判の請求人が審決に対して提起した1件の審決取消訴訟と、同特許無効審判の被請求人(特許権者)が審決に対して提起した1件の審決取消訴訟とを併合したものです。このことからこの審決では複数の請求項のうち一部の請求項については無効と判断され、その他の請求項については特許維持と判断されたことが推測できます。今回は乙事件の明確性要件に関するもののみ取り上げます。

 

1.本件発明の内容(訂正後)

【請求項1】

ゴム補強層(7)によって補強されたサイドウォール部(6)を有し、

該ゴム補強層(7)が、昇温条件で測定したときの動的貯蔵弾性率(E’)の温度による変化を示す図において、100℃以上に存在する動的貯蔵弾性率(E’)の急激な降下前に存在する動的貯蔵弾性率(E’)がほぼ直線的な変化を示す部分の外挿線Aと急激な降下部分の外挿線Bとの交点の温度が170℃以上であり、天然ゴムを含むゴム組成物を含むランフラットタイヤ。

【請求項2】

ゴムフィラーで補強されたビード部を有し、

該ゴムフィラーに昇温条件で測定したときの動的貯蔵弾性率(E’)の温度による変化を示す図において、100℃以上に存在する動的貯蔵弾性率(E’)の急激な降下前に存在する動的貯蔵弾性率(E’)がほぼ直線的な変化を示す部分の外挿線Aと急激な降下部分の外挿線Bとの交点の温度が170℃以上であるゴム組成物を用いたランフラットタイヤ。

【請求項3】

前記ゴム組成物に、1,6-ヘキサメチレンジチオ硫酸ナトリウム・二水和物を配合したことを特徴とする特許請求の範囲1又は2項に記載のランフラットタイヤ。

【請求項4】

前記1,6-ヘキサメチレンジチオ硫酸ナトリウム・二水和物の配合量がゴム成分100重量部に対し1重量部から10重量部であることを特徴とする特許請求の範囲3項に記載のランフラットタイヤ。

【請求項6】

ゴム補強層(7)によって補強されたサイドウォール部(6)を有し、

該ゴム補強層(7)が、昇温条件で測定したときの動的貯蔵弾性率(E’)の温度による変化を示す図において、180℃から200℃における貯蔵弾性率の最大値と最小値の差ΔE’が2.3メガパスカル(MPa)以下であり、天然ゴムを含むゴム組成物を含むランフラットタイヤ。

【請求項7】

ゴムフィラーで補強されたビード部を有し、

該ゴムフィラーに昇温条件で測定したときの動的貯蔵弾性率(E’)の温度による変化を示す図において、180℃から200℃における貯蔵弾性率の最大値と最小値の差ΔE’が2.5メガパスカル(MPa)以下であるゴム組成物を用いたランフラットタイヤ。

【請求項8】

前記ゴム組成物が、1分子中にエステル基を2個以上有する化合物を配合したことを特徴とする特許請求の範囲6又は7項に記載のランフラットタイヤ。

【請求項9】

前記1分子中にエステル基を2個以上有する化合物がアクリレートまたはメタクリレートであることを特徴とする特許請求の範囲8項に記載のランフラットタイヤ。

【請求項10】

前記1分子中にエステル基を2個以上有する化合物が多価のアルコールとアクリル酸またはメタクリル酸との多価エステルであることを特徴とする特許請求の範囲8項に記載のランフラットタイヤ。

【請求項11】

前記1分子中にエステル基を2個以上有する化合物を構成する多価アルコールが、テトラメチロールメタン、トリメチロールプロパン、及び、これらの多量体からなる群から選ばれる少なくとも1種であることを特徴とする特許請求の範囲10項に記載のランフラットタイヤ。

【請求項12】

前記多価アルコールが、テトラメチロールメタンの二量体またはトリメチロールプロパンであることを特徴とする特許請求の範囲11項に記載のランフラットタイヤ。

【請求項13】

前記1分子中にエステル基を2個以上有する化合物の配合量が、ゴム成分100重量部に対して0.5重量部から20重量部であることを特徴とする特許請求の範囲6項から12項のいずれかに記載のランフラットタイヤ。


2.特許無効審判

2.1 無効理由1-12(明確性要件違反)について

事案に鑑み、初めに、無効理由1-12について以下に判断する。

(1)明確性要件について

特許法第36条第6項第2号は、特許請求の範囲に記載された特許を受けようとする発明が明確であることを要する旨、規定している(以下、この要件を「明確性要件」という。)。

特許法第36条第6項第2号は、「特許請求の範囲の機能を担保する上で重要な規定であり、特許を受けようとする発明が明確に把握できるように記載しなければならない旨を規定したものである。」とされ、さらに、「発明が明確に把握されるためには、発明の範囲が明確であること、すなわち、ある具体的な物や方法が請求項に係る発明の範囲に入るか否かを理解できるように記載されていることが必要であり、その前提として、発明を特定するための事項の記載が明確である必要がある。」とされている。

そして、発明が不明確となる類型として、「明細書及び図面の記載並びに出願時の技術常識を考慮しても、請求項に記載された機能・特性等の意味内容(定義、試験・測定方法等)を理解できない結果、発明が不明確となる場合」があり、「標準的に使用されているものを用いないで表現する場合は、それが当該技術分野において当業者に慣用されているか、又は慣用されていないにしてもその定義や試験・測定方法が当業者に理解できるものを除き、発明の詳細な説明の記載において、その機能・特性等の定義や試験・測定方法を明確にするとともに、請求項中のこれらの用語がそのような定義や試験・測定方法によるものであることが明確になるように記載しなければならない。」とされている。

(2)明確性要件違反についての検討

ア 請求人は、以下のとおり主張している。

(ア)外挿線A、外挿線Bの引き方について

本件訂正発明1において、「昇温条件で測定したときの動的貯蔵弾性率の温度による変化を示す図において、100℃以上に存在する動的貯蔵弾性率の急激な降下前に存在する動的貯蔵弾性率がほぼ直線的な変化を示す部分の外挿線Aと急激な降下部分の外挿線Bとの交点の温度が170℃以上」と規定されている。

これに関し、本件訂正明細書の段落【0009】~【0011】には、外挿線および交点の温度についての記載がある。

a 外挿線Aについて

外挿線Aについては、「外挿線Aは、動的貯蔵弾性率の温度による変化を示す図において、100℃以上での動的貯蔵弾性率の急激な降下前であって動的貯蔵弾性率がほぼ直線状になる部分を外挿して得られる線である。外挿線と動的貯蔵弾性率を示す線とは、少なくとも20℃にわたって、好ましくは、少なくとも40℃にわたって接するのがよい。」と記載されている(本件訂正明細書の段落【0011】)。

しかしながら、動的貯蔵弾性率の温度による変化を示す図において、動的貯蔵弾性率の傾き(の絶対値)が具体的にどのような値以上になったときに急激な降下と判断すればよいかわからないため、外挿線Aにおける「急激な降下」部分がどの部分にあたるのか理解できない

また、動的貯蔵弾性率の温度による変化を示す図において、どのような温度範囲にわたって動的貯蔵弾性率の傾きがどのように変化していれば、「ほぼ直線状」と判断できるのかわからないため、外挿線Aの「動的貯蔵弾性率がほぼ直線状になる部分」がどの部分にあたるのかも理解できない。例えば、『30℃の温度範囲の始点における接線の傾きαと終点における接線の傾きβの比であるα/βが0.9以上1.1以下となる温度範囲がほぼ直線状になる部分であり、その温度範囲の始点における接線が外挿線Aである』といったように、温度範囲や動的貯蔵弾性率の傾きの変化の条件が明確に規定されなければ、「動的貯蔵弾性率がほぼ直線状になる部分」の外挿線Aは明確に定まらない。

更に、「ほぼ直線状になる部分」を判断するための温度範囲や動的貯蔵弾性率の傾きの変化の条件が仮に本件訂正明細書に記載されていたとしても、その条件を満たす箇所が必ず一箇所だけになるのか否かは本件訂正明細書の記載から不明であり、二箇所以上存在すれば外挿線Aが一つに定まらない。もし、本件訂正発明1の構成要件bに記載のゴム組成物が、所定の温度範囲における傾きの変化率が所定範囲内となるような箇所が一箇所だけとなる動的貯蔵弾性率を示すゴム組成物なのであれば、本件請求項1において明確に規定されるべきである。

以上の検討の結果、外挿線Aについてわかることといえば、外挿線Aが、動的貯蔵弾性率の温度変化を示す図の100℃以上における接線であることのみである。

b 外挿線Bについて

外挿線Bについては、「外挿線Bは、動的貯蔵弾性率が急激に降下する部分を外挿して得られる線である。外挿線Bと動的貯蔵弾性率を示す線とは、少なくとも10℃にわたって接するのが良く、好ましくは、少なくとも15℃にわたって接するのがよい。」と記載されている(本件訂正明細書の段落【0011】)。

しかしながら、動的貯蔵弾性率の温度による変化を示す図において、動的貯蔵弾性率の傾き(の絶対値)が具体的にどのような値以上になったときに急激な降下と判断すればよいかわからないため、外挿線Bにおける「急激に降下する部分」がどの部分にあたるのか理解できない

また、「急激に降下する部分」を判断するための傾きの条件が仮に本件訂正明細書に記載されていたとしても、その条件を満たす箇所が必ず一箇所だけになるのか否かは本件訂正明細書の記載から不明であり、二箇所以上存在すれば外挿線Bが一つに定まらない。もし、本件訂正発明1の構成要件bに記載のゴム組成物が、具体的な傾きの値以上となる箇所が一箇所だけとなる動的貯蔵弾性率を示すゴム組成物なのであれば、本件請求項1において明確に規定されるべきである。

以上の検討の結果、外挿線Bについてわかることといえば、外挿線Bが、動的貯蔵弾性率の温度変化を示す図の100℃以上における接線であることのみである。

(イ)小括および更なる検討

以上の説明のとおり、本件訂正明細書の記載から外挿線A、外挿線Bの引き方が一義的に決定されるように明確に定義されているとはいえない。外挿線A、外挿線Bについてわかることは、動的貯蔵弾性率の温度変化を示す図において100℃以上における接線であることのみであるので、甲第1-1号証(実験成績証明書)では、以下のa案、b案、およびc案の3通りで2つの接線を選択することとし、外挿線Aと外挿線Bとの交点の温度を算出した。

a案:外挿線Aは、100℃以上における動的貯蔵弾性率の最大値温度よりも10℃低い温度における動的貯蔵弾性率の温度による変化を示す図の接線

外挿線Bは、100℃以上における動的貯蔵弾性率の最大値温度よりも10℃高い温度における動的貯蔵弾性率の温度による変化を示す図の接線

b案:外挿線Aは、100℃以上における動的貯蔵弾性率の最大値温度よりも20℃低い温度における動的貯蔵弾性率の温度による変化を示す図の接線

外挿線Bは、100℃以上における動的貯蔵弾性率の最大値温度よりも20℃高い温度における動的貯蔵弾性率の温度による変化を示す図の接線

c案:外挿線Aは、100℃以上における動的貯蔵弾性率の最大値温度よりも30℃低い温度における動的貯蔵弾性率の温度による変化を示す図の接線

外挿線Bは、100℃以上における動的貯蔵弾性率の最大値温度よりも30℃高い温度における動的貯蔵弾性率の温度による変化を示す図の接線

甲第1-1号証(実験成績証明書)の表5に示すとおり、同じサンプルを測定した場合であっても、外挿線Aと外挿線Bの引き方により、外挿線Aと外挿線Bとの交点の温度は最大で、5.8℃もの差があり、ある具体的な物が当該特許請求の範囲に属するものか否かが明確ではなく、ある具体的な物が請求項に係る発明の範囲に入るか否かを理解することができない。

加えて、本件訂正明細書の表1に示されている比較例1の交点の温度と実施例12の交点の温度との差は2℃しかないが、本件訂正明細書において、この温度差が有意差となるように交点の温度の算出方法が明確に記載されているとはいえない。

以上の説明の通り、本件訂正明細書の記載から外挿線A、外挿線Bの引き方が一義的に決定されるように明確に定義されているとはいえず、外挿線Aと外挿線Bとの交点の温度が一義的に定まらない結果、特定の物が当該特許請求の範囲に属するものか否かが明確にならないといえる。

このように、本件訂正明細書には、交点の温度の算出方法が一義的に記載されていないため、ある具体的な物が当該特許請求の範囲に属するものか否かが明確ではなく、ある具体的な物が請求項に係る発明の範囲に入るか否かを理解することができない。

イ 判断

(ア)本件訂正発明1においては、「昇温条件で測定したときの動的貯蔵弾性率の温度による変化を示す図において、100℃以上に存在する動的貯蔵弾性率の急激な降下前に存在する動的貯蔵弾性率がほぼ直線的な変化を示す部分の外挿線Aと急激な降下部分の外挿線Bとの交点の温度が170℃以上」と特定されている。

(イ)そして、斯かる外挿線および交点の温度については、本件訂正明細書に「【図3】昇温条件で測定したときの動的貯蔵弾性率の温度による変化を表わす図において、100℃以上に存在する動的貯蔵弾性率の急激な降下前であって、動的貯蔵弾性率がほぼ直線的な変化を示す部分の外挿線Aと急激な降下部分の外挿線Bとの交点Cを表わす図である。」(段落【0008】)、「本発明のゴム組成物は、昇温条件で測定したときの動的貯蔵弾性率の温度による変化を示す図において、100℃以上に存在する動的貯蔵弾性率の急激な降下前であって、貯蔵弾性率がほぼ直線的な変化を示す部分の外挿線Aと急激な降下部分の外挿線Bとの交点の温度が170℃以上であることを特徴とする。ここで、昇温条件で測定したときの動的貯蔵弾性率の温度による変化を示す図において、100℃以上に存在する動的貯蔵弾性率の急激な降下前であって、貯蔵弾性率がほぼ直線的な変化を示す部分の外挿線Aと急激な降下部分の外挿線Bとの交点の温度とは、図3で示す温度Cのことである。

温度Cを170℃以上としたのは、この温度が低すぎると、高温でのゴム組成物の耐久性が十分でなく成り、結果として、特にランフラット走行時の耐久性の向上が十分でなくなるためである。

なお、外挿線Aは、動的貯蔵弾性率の温度による変化を示す図において、100℃以上での動的貯蔵弾性率の急激な降下前であって動的貯蔵弾性率がほぼ直線状になる部分を外挿して得られる線である。外挿線と動的貯蔵弾性率を示す線とは、少なくとも20℃にわたって、好ましくは、少なくとも40℃にわたって接するのがよい。また、外挿線Bは、動的貯蔵弾性率が急激に降下する部分を外挿して得られる線である。外挿線Bと動的貯蔵弾性率を示す線とは、少なくとも10℃にわたって接するのが良く、好ましくは、少なくとも15℃にわたって接するのがよい。」(段落【0009】~【0011】)と記載されているだけであり、併せて、「【図2】」と共に、「【図3】」が記載されている。

(ウ)外挿線Aについての検討

a 外挿線Aについては、「外挿線Aは、動的貯蔵弾性率の温度による変化を示す図において、100℃以上での動的貯蔵弾性率の急激な降下前であって動的貯蔵弾性率がほぼ直線状になる部分を外挿して得られる線である。外挿線と動的貯蔵弾性率を示す線とは、少なくとも20℃にわたって、好ましくは、少なくとも40℃にわたって接するのがよい。」と記載されている(本件訂正明細書の段落【0011】)ものの、動的貯蔵弾性率の温度による変化を示す図において、動的貯蔵弾性率の傾き(の絶対値)が具体的にどのような値以上になったときに急激な降下と判断すればよいか、本件訂正明細書には一切記載されていないし、当業者にとり本件特許に係る原出願の優先日当時の技術常識ともいえないので、外挿線Aにおける「急激な降下」部分がどの部分にあたるのかたとえ当業者であっても理解できない

b そして、動的貯蔵弾性率の温度による変化を示す図において、どのような温度範囲にわたって動的貯蔵弾性率の傾きがどのように変化していれば、「ほぼ直線状」と判断できるのか、本件訂正明細書には一切記載されていないし、当業者にとり本件特許に係る原出願の優先日当時の技術常識ともいえないので、外挿線Aの「動的貯蔵弾性率がほぼ直線状になる部分」がどの部分にあたるのかもたとえ当業者であっても理解できない

c また、動的貯蔵弾性率の温度による変化を示す図において、「100℃以上での動的貯蔵弾性率の急激な降下前であって動的貯蔵弾性率がほぼ直線状になる部分」が、そもそも、どのような部分であるのか当業者にとり本件特許に係る原出願の優先日当時の技術常識ともいえない

例えば、本件訂正明細書の図2及び3は模式的な図であって、これらの図をみても、当該部分がどのような部分であり、それを基にどのように外挿線Aが引けるのか明らかであるとはいえない。

d さらに、例えば、甲第1-1号証(実験成績証明書)によれば、甲第1号証の実施例4及び15と同じ組成物について、動的貯蔵弾性率の温度による変化を示す図が示されているところ、これらの図をみても、動的貯蔵弾性率はピークの前後に亘って曲線的に変化しているものと認められ、動的貯蔵弾性率の温度による変化を示す図において、「動的貯蔵弾性率がほぼ直線的な変化を示す部分」が必ず存在することが本件特許に係る原出願の優先日当時の技術常識であるとも認められない以上、斯かる「動的貯蔵弾性率がほぼ直線的な変化を示す部分」を認識・特定することは困難である。

e したがって、温度範囲や動的貯蔵弾性率の傾きの変化の条件が明確に特定されていない以上、「動的貯蔵弾性率がほぼ直線的な変化を示す部分」の外挿線Aが明確に定まるとはいえない。

(エ)外挿線Bについての検討

a 外挿線Bについては、「外挿線Bは、動的貯蔵弾性率が急激に降下する部分を外挿して得られる線である。外挿線Bと動的貯蔵弾性率を示す線とは、少なくとも10℃にわたって接するのが良く、好ましくは、少なくとも15℃にわたって接するのがよい。」と記載されている(本件訂正明細書の段落【0011】)ものの、上記(ウ)aで述べたとおり、動的貯蔵弾性率の温度による変化を示す図において、動的貯蔵弾性率の傾き(の絶対値)が具体的にどのような値以上になったときに急激な降下と判断すればよいか、本件訂正明細書には一切記載されていないし、当業者にとり本件特許に係る原出願の優先日当時の技術常識ともいえないので、外挿線Bにおける「急激に降下する部分」がどの部分にあたるのか理解できない

b そして、動的貯蔵弾性率の温度による変化を示す図において、どのような温度範囲にわたって動的貯蔵弾性率の傾きがどのように変化していれば、「急激に降下する部分」と判断できるのか、本件訂正明細書には一切記載されていないし、当業者にとり本件特許に係る原出願の優先日当時の技術常識ともいえないので、外挿線Bの「動的貯蔵弾性率が急激に降下する部分」がどの部分にあたるのかもたとえ当業者であっても理解できない

c また、動的貯蔵弾性率の温度による変化を示す図において、「100℃以上での動的貯蔵弾性率が急激に降下する部分」が、そもそもどのような部分であるのかが当業者にとり本件特許に係る原出願の優先日当時の技術常識であるともいえない

例えば、本件訂正明細書の図2及び3は模式的な図であって、これらの図をみても、当該部分がどのような部分であり、それを基にどのように外挿線Bが引けるのか明らかであるとはいえない。

d さらに、例えば、甲第1-1号証(実験成績証明書)によれば、甲第1号証の実施例4及び15と同じ組成物について、動的貯蔵弾性率の温度による変化を示す図が示されているところ、これらの図をみても、動的貯蔵弾性率はピークの前後に亘って曲線的になだらかに変化しているものと認められ、動的貯蔵弾性率の温度による変化を示す図において、「動的貯蔵弾性率が急激に降下する部分」が必ず存在することが本件特許に係る原出願の優先日当時の技術常識であるとも認められない以上、斯かる「動的貯蔵弾性率が急激に降下する部分」を認識・特定することは困難である。

e したがって、温度範囲や動的貯蔵弾性率の傾きの変化の条件が明確に特定されていない以上、「動的貯蔵弾性率が急激に降下する部分」の外挿線Bが明確に定まるとはいえない。

(オ)さらなる検討

以上のとおり、本件訂正明細書の記載から外挿線A、外挿線Bの引き方が一義的に決定されるように明確に定義されているとはいえない

そして、甲第1-1号証では、外挿線A、外挿線Bについて、以下のa案、b案、およびc案の3通りで2つの接線を選択することとし、外挿線Aと外挿線Bとの交点の温度を算出している。

a案:外挿線Aは、100℃以上における動的貯蔵弾性率の最大値温度よりも10℃低い温度における動的貯蔵弾性率の温度による変化を示す図の接線

外挿線Bは、100℃以上における動的貯蔵弾性率の最大値温度よりも10℃高い温度における動的貯蔵弾性率の温度による変化を示す図の接線

b案:外挿線Aは、100℃以上における動的貯蔵弾性率の最大値温度よりも20℃低い温度における動的貯蔵弾性率の温度による変化を示す図の接線

外挿線Bは、100℃以上における動的貯蔵弾性率の最大値温度よりも20℃高い温度における動的貯蔵弾性率の温度による変化を示す図の接線

c案:外挿線Aは、100℃以上における動的貯蔵弾性率の最大値温度よりも30℃低い温度における動的貯蔵弾性率の温度による変化を示す図の接線

外挿線Bは、100℃以上における動的貯蔵弾性率の最大値温度よりも30℃高い温度における動的貯蔵弾性率の温度による変化を示す図の接線

それによれば、甲第1-1号証(実験成績証明書)の表5に示されるとおり、同じサンプルを測定した場合であっても、外挿線Aと外挿線Bの引き方により、外挿線Aと外挿線Bとの交点の温度は最大で、5.8℃もの差があったことが伺える。この結果によると、a案ないしc案の3通りで仮に接線を引いた場合ですら、交点の温度は最大で5.8℃もの差があったのであり、ましてや、2つの接線すらどのような部分を基にしてどのように外挿線を引けばよいか明確でない場合においては、交点の温度は、さらに大きな差があるものといえることから、本件訂正発明1の特定をもってしては、ある具体的な物が本件訂正発明1に属するものか否かが明確ではなく、ある具体的な物が本件訂正発明1の範囲に入るか否かを理解することができない。

加えて、本件訂正明細書の表1(段落【0033】)には、実施例1~18及び比較例1について当該交点温度C(℃)が記載されているものの、これらの交点温度C(℃)を求めるに際して、具体的にどのような動的貯蔵弾性率の温度による変化を示す図が描かれ、それに基づいてどのように外挿線Aと外挿線Bとを引くことができたのかという点に関して、本件訂正明細書には一切記載も開示もされておらず、模式的な図として図2及び3が記載されているだけである。そうすると、表1に記載された各交点温度C(℃)をみても、それらの交点温度C(℃)がどのように導かれたものであるのか不明であるといわざるを得ない。そして、本件訂正明細書の表1に示されている比較例1の交点温度(169℃)と実施例12の交点温度(171℃)との差は2℃しかないものであって、本件訂正明細書において、この温度差が有意差となるように当該交点温度の算出方法が明確に記載されているとはいえない。

ウ 被請求人の主張について

(ア)被請求人は、請求項1における「急激な降下部分」との文言、及び図3の記載から、外挿線Bは、100℃以上に存在するE’の降下部分において最も傾きが小さく(傾きの絶対値が大きく)なる点での接線を意味することは自明であり、同様に、外挿線Aは最も直線的な変化を示す部分における接線であることは自明であるから、外挿線A、外挿線Bの引き方が一義的に決定されるように明確に定義されていると主張している。

しかしながら、上記イで述べたとおり、被請求人が主張の根拠とする本件訂正明細書における図3は、あくまでも模式的な図にすぎないものであり、甲第1-1号証(実験成績証明書)をみても、動的貯蔵弾性率の温度による変化を示す図において「動的貯蔵弾性率がほぼ直線的な変化を示す部分」や「動的貯蔵弾性率が急激に降下する部分」が不明であり、それらの部分が必ず存在することが本件特許に係る原出願の優先日当時の技術常識であるとも認められないし、本件訂正明細書の表1に記載された交点温度C(℃)を求めるに際して、具体的にどのように外挿線AとBとを引くことができたのかという点に関して、本件訂正明細書には一切記載も開示もされておらず、当該外挿線Aと外挿線Bとを引くことができることが本件特許に係る原出願の優先日当時の技術常識であるともいえないのであるから、この主張は採用することができない。

(イ)被請求人は、平成28年9月9日付け上申書(2)において、乙第13号証(「JIS プラスチックの転移温度測定方法 JIS K 7121-1987」)を添付して、「ガラス転移の階段状変化部分の曲線のこう配が最大になるような点での接線」及び「ベースライン」の引き方については、模式図である図3による説明で当業者にとって十分に明確な説明であることからみて、本件訂正発明1における外挿線A、外挿線Bの引き方が一義的に決定されるように明確に定義されていると主張している。

しかしながら、乙第13号証は、あくまでも「プラスチックの転移温度測定方法」に係るものであって、本件訂正発明1のようなゴム組成物とは対象物が相違するし、当該乙第13号証に係る方法とゴム組成物の動的貯蔵弾性率とが関連ないし対応するものであることは、本件訂正明細書には一切記載も開示もされておらず、本件特許に係る原出願の優先日当時の技術常識であるともいえないのであるから、この主張も採用することができない。

エ 小括

以上のとおり、本件訂正明細書の記載から外挿線A、外挿線Bの引き方が一義的に決定されるように明確に定義されているとはいえず、外挿線Aと外挿線Bとの交点の温度が一義的に定まらない結果、特定の物が本件訂正発明1に属するものか否かが明確にならない。

このように、本件訂正明細書には、外挿線Aと外挿線Bとの交点の温度の算出方法が一義的に記載されていないため、ある具体的な物が本件訂正発明1に属するものか否かが明確ではなく、ある具体的な物が本件訂正発明1の範囲に入るか否かを理解することができない。

そうすると、本件訂正発明1の特許請求の範囲の記載は、明確性要件を満たすものであるとはいえない。

(3)無効理由1-12についてのまとめ

以上のとおりであるから、請求人の主張に係る無効理由1-12は、理由がある。

2.2 無効理由2-13(明確性要件違反)について

無効理由2-13について検討すると、請求人の主張する明確性要件違反は無効理由1-12と同様のものであるところ、本件訂正発明2においては、本件訂正発明1と同様に、「昇温条件で測定したときの動的貯蔵弾性率の温度による変化を示す図において、100℃以上に存在する動的貯蔵弾性率の急激な降下前に存在する動的貯蔵弾性率がほぼ直線的な変化を示す部分の外挿線Aと急激な降下部分の外挿線Bとの交点の温度が170℃以上」と特定されていることから、上記3 無効理由1-12(明確性要件違反)についてで述べたのと同じ理由により、本件訂正発明2の特許請求の範囲の記載は、明確性要件を満たすものであるとはいえず、請求人の主張に係る無効理由2-13は、理由がある。

2.3 無効理由3-2(明確性要件違反)及び無効理由4-2(明確性要件違反)について

無効理由3-2及び4-2について検討すると、本件訂正発明3は、本件訂正発明1又は2を引用し、本件訂正発明4は、本件訂正発明3を引用するものであって、請求人の主張する明確性要件違反は無効理由1-12及び2-13と同様のものを含むものであるところ、本件訂正発明1及び2においては、上記3 無効理由1-12(明確性要件違反)についてで述べたのと同じ理由により、本件訂正発明3及び4の特許請求の範囲の記載は、明確性要件を満たすものであるとはいえず、請求人の主張に係る無効理由3-2及び4-2は、理由がある。

2.5 本件特許1ないし4についての小括

請求人の主張する無効理由1-12、2-13、3-2及び4-2には理由があり、本件特許1ないし4についてのその余の無効理由(無効理由1-1ないし1-11、2-1ないし2-12、3-1及び4-1)について判断するまでもなく、請求人の請求は理由があるから、これを認容することとし、本件特許1ないし4を無効とする。

 

3.審決取消訴訟

3.1 審決

特許庁は、平成28年12月9日、本件訂正を認めるとともに、「特許第4886810号の請求項5、14及び15に係る発明についての本件審判の請求を却下する。特許第4886810号の請求項1ないし4に係る発明についての特許を無効とする。特許第4886810号の請求項6ないし13に係る発明についての本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をした。

3.2 本件審決の理由の要旨

(1)本件審決の理由は、別紙審決書(写し)のとおりであり、その概要は次のとおりである。

ア 本件発明1ないし4について

本件発明1ないし4は、明確ではなく、その特許請求の範囲の記載は、特許法36条6項2号に規定する要件(以下「明確性要件」という。)を満たさないから、本件発明1ないし4についての本件特許は、無効にすべきである。

イ 本件発明6について

-省略-

ウ 本件発明7について

-省略-

エ 本件発明8ないし13について

-省略-

(2)本件発明6と引用発明1Aの対比

-省略-

(3)本件発明6と引用発明4の対比

-省略-

(4)本件発明7と引用発明1Bの対比

-省略-

3.3 被告主張の取消事由

本件発明1ないし4の明確性要件に係る判断の誤り(取消事由1)

3.4 原告主張の取消事由

(1)本件発明6について

ア 本件発明6のサポート要件に係る判断の誤り(取消事由2)

イ 本件発明6の実施可能要件に係る判断の誤り(取消事由3)

ウ 本件発明6の引用発明1Aに基づく進歩性判断(相違点1)の誤り(取消事由4)

エ 本件発明6の引用発明1A及び引用発明2に基づく進歩性判断(相違点1)の誤り(取消事由5)

オ 本件発明6の引用発明1A及び引用発明3に基づく進歩性判断(相違点1)の誤り(取消事由6)

カ 本件発明6の引用発明4に基づく進歩性判断(相違点3)の誤り(取消事由7)

(2)本件発明7について

ア 本件発明7のサポート要件に係る判断の誤り(取消事由8)

イ 本件発明7の実施可能要件に係る判断の誤り(取消事由9)

ウ 本件発明7の引用発明1Bに基づく進歩性判断(相違点5及び6)の誤り(取消事由10)

(3)本件発明8ないし13に関する判断の誤り(取消事由11)

3.5 裁判所の判断

1 本件各発明について

(1)本件明細書の記載

-省略-

(2)本件各発明の特徴

前記(1)の記載によれば、本件各発明の特徴は、以下のとおりである。

ア 本件各発明は、耐熱性が改良されたゴム組成物を用いたランフラットタイヤに関するものである。(【0001】)

イ 従来の、サイド部の剛性を上げるためのゴム組成物は、ランフラット走行時のように、温度が200℃以上にもなると、弾性率が低下する。このため、タイヤのたわみが増加して発熱が進むなどして、タイヤは比較的早期に故障する。ゴム組成物自体の発熱を抑制する方法があるが、配合面からのアプローチには限界があった。(【0002】【0003】)

ウ 本件各発明は、耐熱性が改良されたゴム組成物を、サイド部やビード部の補強用ゴム組成物として用いることにより、耐久性が改良された空気入りタイヤを提供することを課題とする。(【0004】)

エ 本件各発明は、本件各発明に係るゴム組成物をサイド部やビード部の補強用ゴム組成物として採用することにより、当該補強用ゴム組成物の物性の温度依存性を小さくし、タイヤの耐久性を大幅に改善することができる。(【0007】)

2 取消事由1(本件発明1ないし4の明確性要件に係る判断の誤り)について

(1)特許を受けようとする発明が明確であるか否かは、特許請求の範囲の記載だけではなく、願書に添付した明細書の記載及び図面を考慮し、また、当業者の出願当時における技術常識を基礎として、特許請求の範囲の記載が、第三者の利益が不当に害されるほどに不明確であるか否かという観点から判断されるべきである。

原告は、本件発明1及び2に係る特許請求の範囲の記載のうち、「急激な降下」、「急激な降下部分の外挿線」及び「ほぼ直線的な変化を示す部分の外挿線」との各記載が不明確であると主張するから、以下検討する。

(2)「急激な降下」、「急激な降下部分の外挿線」との記載

請求項1及び2の記載のうち「急激な降下」部分とは、動的貯蔵弾性率の温度による変化を示す図において、左から右に向かって降下の傾きの最も大きい部分を意味することは明らかである(【図2】)。また、傾きの最も大きい部分の傾きの程度は一義的に定まるから、「急激な降下部分の外挿線」の引き方も明確に定まるものである

イ これに対し、原告は、動的貯蔵弾性率の傾きが具体的にどのような値以上になったときに「急激な降下」と判断すればよいか分からない旨主張する。しかし、「急激な降下」とは、相対的に定まるものであって、傾きの程度の絶対値をもって特定されるものではないから、同主張は失当である

(3)「ほぼ直線的な変化を示す部分の外挿線」との記載

ア ASTM規格(乙31)は、世界最大規模の標準化団体である米国試験材料協会が策定・発行する規格であるところ、ASTM規格においては、温度上昇に伴って変化する物性値のグラフから、ポリマーのガラス転移温度を算出するに当たり、ほぼ直線的に変化する部分を特段定義しないまま、同部分の外挿線を引いている。また、JIS規格(乙13)は、温度上昇に伴って変化する物性値のグラフから、プラスチックのガラス転移温度を算出するに当たり、「狭い温度領域では直線とみなせる場合もある」「ベースライン」を延長した直線を、外挿線としている

そうすると、ポリマーやプラスチックのガラス転移温度の算出に当たり、温度上昇に伴って変化する物性値のグラフから、特定の温度範囲における傾きの変化の条件を規定せずに、ほぼ直線的な変化を示す部分を把握することは、技術常識であったというべきである

そして、ポリマー、プラスチック及びゴムは、いずれも高分子に関連するものであるから、ゴム組成物の耐熱性に関する技術分野における当業者は、その主成分である高分子に関する上記技術常識を当然有している。

したがって、ゴム組成物の耐熱性に関する技術分野における当業者は、上記技術常識をもとに、昇温条件で測定したときの動的貯蔵弾性率の温度による変化を示す図において、特定の温度範囲における傾きの変化の条件が規定されていなくても、「ほぼ直線的な変化を示す部分」を把握した上で、同部分の外挿線を引くことができる。

イ これに対し、原告は、ASTM規格におけるガラス転移温度の測定方法における「ベースライン」と、本件発明1における「ほぼ直線的な変化を示す部分」とが関連することを、当業者は理解できないなどと主張する。

しかし、ゴム組成物の耐熱性に関する技術分野における当業者は、その主成分である高分子についての技術常識を当然有しているというべきであるから、ASTM規格やJIS規格における技術常識をもとに、「ほぼ直線的な変化を示す部分」という請求項の記載の意味内容を理解できるものである。

ウ また、原告は、本件発明1及び2においては2℃のずれが問題となっているから、ASTM規格は参考にできるものではなく、本件発明1及び2に関連するゴム組成物の動的貯蔵弾性率の温度による変化を計測したグラフにおいて、外挿線A及び外挿線Bは、その引き方によっては交点温度に5.8℃の差や3℃の差が生じる旨主張する

しかし、後記5(2)のとおり、本件特許の原出願の優先日当時、ランフラットタイヤのサイド部の補強用ゴム組成物の温度範囲は、せいぜい150℃以下の温度範囲で着目されていたにすぎなかったところ、本件発明6は、サイド部の補強用ゴム組成物の180℃から200℃までの動的貯蔵弾性率の変動に着目したものである。本件発明7も、ビード部の補強用ゴム組成物の同様の数値範囲に着目したものである。そして、本件発明1及び2は、かかる技術的思想を、外挿線Aと外挿線Bの交点の温度が170℃以上であるゴム組成物として特定したものである。

そして、本件発明1及び2と同種であるゴム組成物の動的貯蔵弾性率の温度による変化を計測したグラフにおける外挿線A及び外挿線Bの交点温度は、その引き方によっても1℃の差が生ずるにとどまる(甲6の実施例6のゴム組成物に関する甲217、図2、3。なお、図4の接線3は、「ほぼ直線的な変化を示す部分」の外挿線ということはできない。また、引用例1の実施例4及び15のゴム組成物に関する甲1の1の外挿線Aも、動的貯蔵弾性率の最大値温度から10℃ないし30℃低い温度における動的貯蔵弾性率の部分の接線であり、「ほぼ直線的な変化を示す部分」の外挿線Aではない。)。

このように、外挿線Aと外挿線Bの交点温度として特定された170℃という温度は、補強用ゴム組成物の180℃から200℃までの動的貯蔵弾性率の変動に着目したことから導かれたものであって、かかる交点温度は、その引き方によっても1℃の差が生ずるにとどまる。そうすると、外挿線Aと外挿線Bの交点温度によって、ゴム組成物の構成を特定するという特許請求の範囲の記載は、第三者の利益が不当に害されるほどに不明確なものとはいえない

(4)小括

したがって、本件発明1及び2に係る特許請求の範囲の記載のうち、「急激な降下」、「急激な降下部分の外挿線」及び「ほぼ直線的な変化を示す部分の外挿線」との各記載は明確であって、本件特許の特許請求の範囲請求項1及び2の記載が明確性要件に違反するということはできない。請求項3及び4の各記載も同様であるから、明確性要件に違反するということはできない。

よって、取消事由1は理由がある。

3 取消事由2(本件発明6のサポート要件に係る判断の誤り)について

-省略-

4 取消事由3(本件発明6の実施可能要件に係る判断の誤り)について

-省略-

5 取消事由4(本件発明6の引用発明1Aに基づく進歩性判断(相違点1)の誤り)について

-省略-

6 取消事由5(本件発明6の引用発明1A及び引用発明2に基づく進歩性判断(相違点1)の誤り)について

-省略-

7 取消事由6(本件発明6の引用発明1A及び引用発明3に基づく進歩性判断(相違点1)の誤り)について

-省略-

8 取消事由7(本件発明6の引用発明4に基づく進歩性判断(相違点3)の誤り)について

-省略-

9 取消事由8(本件発明7のサポート要件に係る判断の誤り)について

-省略-

10 取消事由9(本件発明7の実施可能要件に係る判断の誤り)について

-省略-

11 取消事由10(本件発明7の引用発明1Bに基づく進歩性判断(相違点5及び6)の誤り)について

-省略-

12 取消事由11(本件発明8ないし13に関する判断の誤り)について

-省略-

3.検討

(1)審決では、請求項1ないし4に係る発明についての特許は明確性要件を満たさないので無効と判断し、請求項6ないし13に係る発明についての特許はサポート要件及び実施可能要件を満たすので維持するという判断でした。これに対して請求人である住友ゴム工業株式会社が請求項6ないし13に係る部分の取消しを求める本件訴訟(甲事件)を提起し、被請求人(特許権者)である株式会社ブリヂストンが本件特許の請求項1ないし4に係る部分の取消しを求める本件訴訟(乙事件)を提起したものです。

(2)請求項1ないし4に係る発明についての特許庁審判部の判断は、外挿線Aについて「動的貯蔵弾性率がほぼ直線状」とあるが一定の温度範囲における動的貯蔵弾性率との傾きの関係がどの程度だと「ほぼ直線状」と判断できるのか基準が明確でない、「動的貯蔵弾性率の急激な降下」とあるが動的貯蔵弾性率の傾きがどのような値以上になったときに急激な降下と判断できるのか基準が明確でない、「急激に降下する部分」とあるが動的貯蔵弾性率の傾きがどのような値以上になったときに急激な降下と判断できるのか基準が明確でない、というものです。つまり、請求項中の外挿線A及び外挿線Bがいずれも動的貯蔵弾性率の温度に対する傾きの変化によって定義されているにも関わらず、肝心の傾きの判断基準が「ほぼ直線状」や「急激な降下」といった定性的な表現で定義されているだけなので明確ではない、と判断したと思います。

(3)これに対し知財高裁の判断は、「急激な降下」部分とは、動的貯蔵弾性率の温度による変化を示す図において、左から右に向かって降下の傾きの最も大きい部分を意味することは明らかである(【図2】)。また、傾きの最も大きい部分の傾きの程度は一義的に定まるから、「急激な降下部分の外挿線」の引き方も明確に定まるものである、としています。

そして、「ほぼ直線的な変化を示す部分の外挿線」については、ASTM規格やJIS規格において、温度上昇に伴って変化する物性値のグラフから、ポリマーのガラス転移温度を算出するに当たり、ほぼ直線的に変化する部分を特段定義しないまま、同部分の外挿線を引いていたり、プラスチックのガラス転移温度を算出するに当たり、「狭い温度領域では直線とみなせる場合もある」「ベースライン」を延長した直線を、外挿線としている例を挙げ、ポリマーやプラスチックのガラス転移温度の算出に当たり、温度上昇に伴って変化する物性値のグラフから、特定の温度範囲における傾きの変化の条件を規定せずに、ほぼ直線的な変化を示す部分を把握することは、技術常識であったというべきである、としています。

「急激な降下」や「急激な降下部分の外挿線」についての判断が非常にあっさりとしていますが、おそらくはASTM規格やJIS規格でも特段の定義なしに記載されていることからしても見たままで良い、と判断したのではないかと思います。

(4)こういうグラフで定義される発明は難しいと思います。現実問題として「ほぼ直線状」や「急激な降下」の判断基準を数値化しようとなると、特定の材料の組み合わせだけでもとんでもない労力がかかると思われます。一方で、特定の材料だけの実験データで一般化され、さらに判断基準が曖昧だと第三者に不利益となってしまいます。こういった場合の明確性要件は個々の事件ごとに判断が大きく分かれそうに思います。

(5)この判決を新規性・進歩性の判断の視点で眺めると、交点の算出方法はASTM規格やJIS規格に記載されている転移温度の例から原出願の優先日当時既に技術常識だったので、もし優先日以前に発行された公報や製品に用いられた材料について片っ端からこの方法を適用して170℃以上で交点が存在するものがあると特許が無効となってしまう可能性があります。