冷媒事件

投稿日: 2017/11/09 1:12:39

今日は、平成28年(行ケ)第10032号 審決取消請求事件について検討します。本件は特許第4571183号に対する特許無効審判の審決(請求成立)の取消しを求める訴えです。判決は請求棄却(特許無効という判断を支持)するものでした。

私があまり知識を持っていない化学分野なのでこれまで取り上げませんでしたが、この判決を紹介している記事を見かけないので今回取り上げてみました。

本件の原告であり特許権者であるハネウエル・インターナショナル・インコーポレーテッドは世界的な複合企業でありその事業の一つに冷媒事業があります。一方、被告であり特許無効審判の請求人であるダイキン工業株式会社はエアコンメーカとして有名ですが、エアコンに用いる冷媒も製造している世界的に見ても珍しい総合メーカです。

 

まず、本件発明の内容を説明するために、訂正後の請求項1を載せておきます。

【請求項1】

自動車の空調装置における2,3,3,3-テトラフルオロプロペン(HFO-1234yf)を含む組成物の冷媒としての使用。

本件発明1は、カーエアコンの冷媒としてHFO-1234yfを用いる、というだけの内容です。「冷媒」や「HFO-1234yf」がよくわからない方でもこの短い請求項を見れば何となくとんでもない特許という印象を持つのではないでしょうか?

とはいってもHFO-1234yfや冷媒について全く知識がないと面白くないので今回はそこから説明します。

 

「冷媒」というのはエアコンの室外機と室内機の間を循環することで熱を運ぶ物質です。暖房の場合には冷媒が室外機で液体から気体になる際に周囲の熱を奪い、室内機で気体から液体になる際に周囲に熱を与えます。一方、冷房の場合には逆の関係になります。空気中の熱を利用できるということで非常に省エネといえます。

しかし、冷媒には環境へ与える重要な問題が2点あります。一つはフロンによるオゾン層破壊、もう一つは温室効果です。これらの問題点を解消するために世界的な取り組み(モントリオール議定書や京都議定書)が行われました。

まず、オゾン破壊係数対策についてみると、1900年代の主力冷媒であるCFC-12(R12)冷媒などはオゾン層破壊係数(ODP)が1.0、地球温暖化係数(GWP)が10,900でした。これが1990年代前半からHCFC-22(R22)冷媒(ODP:0.055 GWP:1,810)に代替され、ついには2000年前後からHFC-410A(R410A)冷媒(ODP:0 GWP:2,090)に代替されました。ここでオゾン層破壊係数はゼロなのですが、地球温暖化係数は依然として高いといえます。そこで2000年に入ってからHFC-32(R32)冷媒(ODP:0 GWP:675)への代替はダイキン工業が主導する形で進んできました。このように環境に与える影響を考慮して国際的な枠組みで冷媒の種類を規制するようになっています。

これらは主に家庭用エアコンの冷媒の変遷ですが、カーエアコンでもほぼ同じです。初期は家庭用エアコンと同じようにCFC-12冷媒を用いていましたが1990年台にはHFC-134a(R134a)冷媒(ODP:0 GWP:1,430)に代替されオゾン層破壊係数はゼロになりました。さらに最近は地球温暖化係数対策としてHFO-1234yf(R1234yf)冷媒(ODP:0 GWP:4)への代替が進んできました。

このようにHFO-1234yf冷媒が今後のカーエアコン用冷媒の主流となることがほぼ間違いないと思われることから、本件発明1のようにHFO-1234yf冷媒をカーエアコンに用いることについて独占排他権を持つことの重要性が理解できると思います

これに対して冷媒メーカとしての顔も持つダイキン工業が特許無効審判を請求したのだと思われます。本件特許に関してはダイキン工業以外に旭硝子株式会社及びアルケマ(フランスの化学メーカ)が特許無効審判を請求しました。これらのうちアルケマが請求した特許無効審判の審決でも本件特許は無効と判断され、その審決の取消しを求める訴訟の判決は本判決と同日にあって本判決と同様に請求棄却でした。一方、旭硝子は2014年11月12日に請求を取下げました。調べてみると、旭硝子は2014年1月23日に「次世代の自動車用冷媒1234yfをハネウェル社に供給~環境負荷を大きく低減する新冷媒の普及に貢献~」というニュースリリースを発行していました。おそらくハネウェル社との間でライセンス契約を結び、請求を取り下げたものと思われます。

なお、本件特許を原出願とする分割出願が10件あります。本件特許と合わせて11件中8件が特許になっています(1件はまだ登録されていないようです)。残りの3件のうち2件は拒絶査定が確定し、1件は審査中です。

 

1.訂正後の特許請求の範囲

【請求項1】

自動車の空調装置における2,3,3,3-テトラフルオロプロペン(HFO-1234yf)を含む組成物の冷媒としての使用。

【請求項2】

前記組成物が潤滑剤をさらに含む,請求項1に記載の使用。

【請求項3】

前記潤滑剤が前記組成物の30~50重量%の量で存在する,請求項2に記載の使用。

【請求項4】

前記潤滑剤がポリアルキレングリコール潤滑剤を含む,請求項2に記載の使用。

 

2.本件審決の理由の要旨

本件審決の理由は、別紙審決書(写し)記載のとおりである。要するに、本件各発明は、以下のとおり、進歩性判断の基準日である本件優先日前に頒布された甲1(特開平4-110388号公報。以下「甲1文献」という。)に記載された発明(以下「甲1発明」という。)並びに甲3(「自動車工学シリーズ カーエアコン[第2版]」渡辺敏監修、カーエアコン研究会編著、平成15年1月15日、株式会社山海堂発行。なお、甲3、27及び40は同一出典の文献であり、以下では併せて「甲3等文献」という。)及び甲4(「代替フロンの探索」乙竹直編著、平成元年12月20日、株式会社工業調査会発行。以下「甲4文献」という。)に開示された当業者の周知(慣用)技術に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものであり、いずれも特許法(以下「法」という。)29条2項により特許を受けることができないものであるから、訂正後の特許請求の範囲の請求項1~4に係る発明についての特許は法123条1項2号に該当し、無効とすべきものである、というものである(なお、以下では、原告主張に係る取消事由と関連する部分のみに言及する。)。

(1)甲1発明

「分子式:C3HmFn(ただし、m=1~5、n=1~5かつm+n=6)で示され且つ分子構造中に二重結合を1個有する有機化合物からなる熱媒体であって、該有機化合物は2、3、3、3-テトラフルオロプロペンである場合を含む熱媒体と、ヒートポンプ用の熱媒体に用いられる潤滑油とからなる熱媒体組成物の、ヒートポンプにおける使用。」

(2)本件発明1と甲1発明との対比等

ア 一致点

空調装置における2、3、3、3-テトラフルオロプロペン(HFO-1234yf)を含む組成物の冷媒としての使用

イ 相違点1

本件発明1では、「自動車の空調装置」であるのに対して、甲1発明では、「ヒートポンプ」である点

ウ 判断

(ア)相違点1について

甲4文献及び甲7(「HFC系冷媒 ハンドブック」被告作成、平成10年12月頃発行。以下「甲7文献」という。)にも記載されているとおり、CFC-12等のクロロフルオロカーボン類、HCFC-22等のハイドロクロロフルオロカーボン類及びHFC-134a等のハイドロフルオロカーボン類を含むフッ素化炭化水素化合物、いわゆるフロン化合物を、空調装置、特にカーエアコンすなわち自動車の空調装置における冷媒として使用することは、本件特許に係る出願日(本件優先日)前における当業者の周知慣用の技術であったと認められる

そして、甲4文献に記載されているとおり、カーエアコン等の蒸気圧縮型空調装置の冷媒化合物を選定するにあたり、使用温度領域(環境温度及び排出温度(凝縮温度))がその冷媒化合物の(標準)沸点以上臨界温度未満の範囲にないと冷媒として使用できるものではないことが当業者の技術常識であるところ、甲6(「Technical Report No.52 ヒートポンプの応用と経済性」早川一也監修、昭和59年2月27日、株式会社シーエムシー発行。以下「甲6文献」という。)にも記載されているとおり、従来、空調装置における冷媒として使用されるCFC-12は、-29.65℃の沸点及び111.8℃の臨界温度を有するものであるのに対して、甲1文献及び甲5(ロシア特許第2073058号公報。以下「甲5文献」という。)にもそれぞれ記載されているとおり、HFO化合物のうちハイドロフルオロプロペン化合物は、概ね-16~-17℃程度の沸点及び121~126℃程度の臨界温度を有し、特にHFO-1234yfは、-29℃(244.9K)の沸点と97℃(370.4K)の臨界温度を有するものであるから、90℃前後までの排出温度が許容できるカーエアコンのフロン化合物系の冷媒として選択することは、当業者が適宜なし得ることである

また、本件明細書の記載並びに甲1及び甲3~6文献の各記載を検討しても、甲1発明におけるヒートポンプに使用されるハイドロフルオロカーボンの一種である2、3、3、3-テトラフルオロプロペンなるハイドロフルオロオレフィンを含む熱媒体組成物を、自動車の空調装置における冷媒として使用することを妨げる技術的要因などが存するものとも認められない。

そうすると、甲1発明のヒートポンプに使用される2、3、3、3-テトラフルオロプロペンを含む熱媒体組成物を、上記当業者の周知慣用の技術に基づき、自動車の空調装置における冷媒として使用することは、当業者が適宜なし得ることと認められる。

したがって、相違点1は、当業者が適宜なし得ることである。

(イ)本件発明1の効果について

本件発明1に係る2、3、3、3-テトラフルオロプロペン(HFO-1234yf)は、従来技術であるHFC-134aを使用した場合に比して、相対能力(比)の点で優れ、相対COP(Coefficient of Performance(成績係数))(比)及び排出温度の点で劣るものと認められるから、冷却/空調サイクルにおける熱力学的特性の点で、本件発明1に係る冷媒(組成物)が格別顕著な効果を奏するものとは認められない

また、環境問題に係る効果につき、オゾン破壊係数(Ozone Depletion Potential。以下「ODP」という。)及び地球温暖化係数(Global Warming Potential。以下「GWP」という。)は、いずれもその物質の有意量が大気中に放出された場合に関する物質の特性であって、実質的な閉鎖系である自動車の空調装置の循環系の中での冷媒としての使用における発明の効果であるとはいえない

さらに、甲1文献には、甲1発明におけるヒートポンプに使用される2、3、3、3-テトラフルオロプロペン等の熱媒体が、「要求される一般的な特性(例えば、潤滑油との相溶性、材料に対する非浸蝕性など)に関しても、問題はないことが確認されている」から、本件発明1におけるHFO-1234yfを使用した場合が、潤滑油との相溶性又は材料に対する非浸蝕性等に係る効果において、甲1発明に比して特段に優れるものと認めることはできない。

そうすると、本件発明1の効果が、甲1発明の効果に比して格別顕著なものであるということはできない。

(ウ)小括

したがって、本件発明1は、甲1発明並びに甲3及び甲4文献に開示された当業者の周知(慣用)技術に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものである。

 

3.原告の主張

(1)本件審決には、以下のとおり、本件発明1に関する認定及び判断の誤りがあり、これは、同発明の構成要件をすべて備える本件発明2~4にも当てはまる。この認定及び判断の誤りは、本件審決の結論に影響を及ぼすことが明らかであり、本件審決は違法なものとして取り消されるべきである。

(2)取消事由1(本件発明1の認定の誤り-「自動車の空調装置」において使用される冷媒)

ア 本件審決は、「カーエアコンなどの蒸気圧縮型空調装置の冷媒化合物を選定するにあたり、使用温度領域(環境温度及び排出温度(凝縮温度))がその冷媒化合物の(標準)沸点以上臨界温度未満の範囲にないと冷媒として使用できるものではない」と認定し、さらに、HFO-1234yfの沸点及び臨界温度を甲5文献に基づいて認定した上で、沸点及び臨界温度のみに基づいて「(HFO-1234yfを)カーエアコンのフロン化合物系の冷媒として選択することは、当業者が適宜なし得ることである」と判断した。これによれば、本件審決は、「自動車の空調装置」において使用される冷媒とは、沸点及び臨界温度によって画される温度範囲が「自動車の空調装置」の使用温度領域を包含する冷媒を意味すると解釈しているものと理解される。

イ しかし、本件優先日前の時点では、CFC-12及びHFC-134aという2つの冷媒のみが自動車の空調装置用に実用化されたところ、CFC-12のODP(1.0)及びGWP(10、900)がいずれも大きいことから、HFC-134aがこれに代替するものとされたものの、HFC-134aも、ODPは0であるもののGWPは依然として問題のあるレベル(1、430)であったことから、更に業界ではGWPの低い新たな自動車の空調装置用冷媒への差し迫った必要が存在していた。これに対し、HFO-1234yfのODPは0であり、GWPは4という低い値である。

また、自動車の空調装置におけるサイズ及び重量の制約ゆえに、冷媒の変更に伴いその設計を大幅に変更することは困難であることとともに、再設計に伴う各種コストの回避の観点からも、当業界では、「自動車の空調装置」で使用される新たな冷媒について、HFC-134aに対する能力及びCOPがほぼ1であることが求められていた。このことは、本件明細書の記載によっても裏付けられている。

このため、本件優先日当時、「自動車の空調装置」において使用される冷媒については、沸点及び臨界温度によって画される温度範囲が「自動車の空調装置」の使用温度領域を包含するという特性のみならず、(ⅰ)地球温暖化防止のため、低減されたGWP、(ⅱ)既存の自動車の空調装置に大幅な変更を施す必要がないように、HFC-134a(本件優先日に自動車の空調装置に使用されていた冷媒)の能力及びCOP(とりわけ能力)とほぼ等しい能力及びCOPといった特性をも有する必要があることは、技術常識であった。

この点で、本件審決は、「自動車の空調装置」において使用される冷媒の認定を誤っている。

ウ 本件審決は、「本件発明におけるHFO-1234yfを『従来の自動車の空調装置の冷媒であるHFC-134aに対するドロップイン置換できる冷媒として使用』することは、本件明細書に記載した事項ではない」と認定した。

しかし、本件明細書は、新たな冷媒の使用に当たり装置の設計の大幅な変更が望ましくないという技術常識に言及するとともに(【0009】)、比較的高い能力の冷媒に関する発明と比較的低い能力の冷媒に関する発明という2つのタイプの発明を開示するところ(【0030】)、本件発明1は前者に当たるのであり、本件明細書には、HFC-134aのHFO-1234yfによるほぼドロップイン置換の発明が記載されている

エ HFO-1234yfのGWPは、本件審決も認定するとおり、極めて低い。にもかかわらず、本件審決は、低いGWP及びODPは「実質的な閉鎖系である自動車の空調装置の循環系の中での冷媒としての使用における発明の効果であるとはいえない」、HFO-1234yfが大気中に放出されることにより生成される生成物によって「新たな環境問題(例えば『酸性雨』など)を生じる可能性が高い」と判断した。しかし、自動車の空調装置では、定置型と比較して冷媒漏れが生じやすいこと、GWPは、地球環境にとって、分解生成物よりも重大な問題であることを踏まえると、本件審決の認定は当業界の技術常識に反している。

また、本件審決は、HFO-1234yfは、HFC-134aと比較して「相対能力(比)の点で優れ、相対COP(比)及び排出温度の点で劣る」とし、「冷却/空調サイクルにおける熱力学特性の点で、本件発明に係る冷媒(組成物)が格別顕著な効果を奏するものとは認められない。」とする。しかし、「自動車の空調装置」において使用される冷媒には、能力及びCOPがHFC-134aよりも高いことが求められていたわけではなく、HFC-134aよりも低いGWPを有し、かつ、HFC-134aとほぼ同等の能力及びCOPを有する冷媒が求められていた。そのような冷媒は稀にしか存在しないところ、HFO-1234yfの能力及びCOPはHFC-134aのそれらと予想外にもほぼ等しいことが見いだされたのである。

にもかかわらず、本件審決は、GWPを無視したことに加え、冷媒の能力及びCOPのいずれもがHFC-134aのものよりも高くあるべきであるとの誤った認定に基づく判断をした。

オ 以上のとおり、本件審決は、「自動車の空調装置」において使用される冷媒の認定を誤り、その結果、本件発明1の予想外かつ顕著な効果を看過した。したがって、本件審決は取り消されるべきである。

(3)取消事由2(引用発明の認定の誤り)

ア HFO-1234yf

本件審決は、甲1発明として、前記第2の3(1)のとおりの認定をしたところ、これは、C3HmFnという一般式の化合物だけでなく、HFO-1234yfという具体的な化合物のヒートポンプにおける使用の発明も、甲1文献に記載されていると認定したものである。

しかし、甲1文献に記載された実施例のうち実施例5がHFO-1234yfに関するものであるところ、実施例1~4には具体的な結果が記載されているのに対し、実施例5のみ記載の具体性が著しく乏しい上、そこで「ほぼ同様の結果が得られた」とする実施例1の結果も誤っている。したがって、HFO-1234yfのヒートポンプにおける使用は、甲1文献には記載されていないというべきである

そうすると、甲1文献に記載された発明は、以下のとおり認定されるべきである。

「分子式:C3HmFn(ただし、m=1~5、n=1~5かつm+n=6)で示され且つ分子構造中に二重結合を1個有する有機化合物からなる熱媒体と、ヒートポンプ用の熱媒体に用いられる潤滑油とからなる熱媒体組成物の、ヒートポンプにおける使用。」

そして、甲1文献には、C3HmFnの化合物をHFO-1234yfに特定する動機付けはない。

イ ヒートポンプ

本件審決は、甲1発明の「ヒートポンプ」は空調装置を包含すると認定した。

しかし、加熱用のヒートポンプと冷却用の自動車の空調装置とは異なる上、甲1文献のヒートポンプは、空気ではなく水を加熱する装置であり、空気を冷却する自動車用の空調装置とはかい離している。

ウ これらの引用発明の認定の誤りは、いずれも結論に重大な影響を及ぼす。

(4)取消事由3(相違点の判断の誤り(1)-HFO-1234yfの沸点及び臨界温度を技術常識として認定したことの誤り)

本件審決は、相違点の判断に当たり、HFO-1234yfの沸点及び臨界温度に関し、甲5文献を引用しており、同文献に基づいてHFO-1234yfの沸点及び臨界温度が技術常識であると認定したものと理解される。

しかし、甲5文献はロシアの特許文献であり、1つの、しかも当業者にアクセスし難い特許文献により、その記載が技術常識となることはない。

また、本件優先日当時、HFO冷媒分子の沸点及び臨界温度のデータは必ずしも正確ではなく、複数の文献が異なる値を報告することがあった。このため、甲5文献にHFO-1234yfの沸点及び臨界温度が記載されていても、そのデータを信頼することはできなかった。

以上のとおり、本件優先日当時、HFO-1234yfの沸点及び臨界温度は、技術常識ではなかった。そのため、甲1文献に接した当業者は、自動車の空調装置の使用温度範囲がHFO-1234yfの沸点及び臨界温度の範囲内にあることを認識できず、まして、HFO-1234yfが低いGWP並びにHFC-134aとほぼ同程度の能力及びCOPを有することを予想できなかった。

したがって、HFO-1234yfの沸点及び臨界温度が技術常識であったとの本件審決の認定は誤りであり、本件審決は、これにより相違点の判断を誤った。

(5)取消事由4(相違点の判断の誤り(2)-甲1文献の阻害事由の看過)

甲1文献の実施例5には、「実施例1と同様にして、ヒートポンプの運転を行ったところ、実施例1とほぼ同様の結果が得られた。」との記載がある。同文献記載の実施例1(HFO-1243zf)の結果によると、その能力はCFC-12を上回るとされている。

しかし、実際には、HFO-1243zfの能力はCFC-12の約70%にすぎず、この低い能力は、当業者に対し、HFO-1243zfが自動車の空調装置に適していないことを示している。そうすると、当業者は、「実施例1とほぼ同様の結果が得られた」との甲1文献の記載から、HFO-1234yfの能力もCFC-12の70%であると予期し、装置の大幅な再設計なしには自動車の空調装置に適していないと理解したはずである。このことに、本件優先日前にHFC-134aはCFC-12とほぼ同等の能力及びCOPを有することが知られていたことを併せ考えると、当業者は、HFO-1234yfは、HFC-134aの代替物たり得ず、「自動車の空調装置」において使用される冷媒に適さないと結論付けるしかなかったはずである。

したがって、甲1文献には本件発明1に想到することの阻害事由がある。

(6)取消事由5(相違点の判断の誤り(3)-予想外かつ顕著な効果の看過)

前記のとおり、本件発明1のHFO-1234yfは、GWP及びODPが低いとともに、能力及びCOPがHFC-134aのものとほぼ同等であるという顕著な効果を奏する。加えて、その顕著な効果の例として、毒性が低く許容し得ること、燃焼性が低く許容し得ること、圧縮機潤滑剤との混和性が優れていること、機器及び潤滑剤との安定性が優れていることが挙げられる。

このうち、低毒性及び低燃焼性は、以下の理由から重要である。すなわち、自動車の空調装置では、フレキシブルホースの浸透性や走行時の振動のため、定置型と比較すると、ホース及びジョイントから冷媒漏れが起こりやすい点や、車内空間が一般家庭の部屋と比較すると狭い点から、その冷媒には特に、毒性が低いことが望まれる。また、自動車事故等による漏洩に起因する火災のおそれから、自動車の空調装置では特に、燃焼性が低く許容できる冷媒が求められる。

本件優先日当時、一般的な傾向として、フッ素化オレフィンの毒性は高く、燃焼性も高いと考えられていた。しかし、本件発明1のHFO-1234yfは、フッ素化オレフィンに該当するにもかかわらず、毒性及び燃焼性が低く、いずれも許容し得ることが予想外に判明した。

本件審決は、これらの予想外かつ顕著な効果を看過したものである。

(7)取消事由6(相違点の判断の誤り(4)-不飽和化合物の使用に関する阻害事由の看過)

HFO-1234yf(CF3-CF=CH2)は、炭素-炭素二重結合を有するフッ素化オレフィンであり、不飽和化合物に分類される。一般に、本件優先日当時、フッ素化オレフィンは、飽和化合物と比較すると反応性が高く、安定性に欠け、及び/又は毒性が高いと当業界では予測されていた。

自動車の空調装置は過酷な運転条件でも使用され得るため、反応性及び安定性の劣る冷媒は、自動車の空調装置には適していない。このため、当業界において、フッ素化オレフィンの冷媒は、自動車の空調装置に適していないと認識されていた。

したがって、HFO-1234yfの前記構造そのものが自動車の空調装置の用途の阻害事由であるところ、本件審決はこの阻害事由を看過している。

 

4.裁判所の判断

4.1 取消事由1(本件発明1の認定の誤り-「自動車の空調装置」において使用される冷媒)について

(1)本件明細書の記載

-省略-

(2)本件発明1の認定について

ア 上記(1)の各記載によれば、本件発明1については、以下のとおり把握される。

(ア)本件発明1の課題

本件発明1は、特に冷却装置(refrigeration systems)を含む、多くの応用に用途を有する組成物、及びその組成物を利用する方法と装置に関するものであり、特に、1つ以上の多フッ素化オレフィンを含む冷媒組成物を対象とするものである(【0001】)。

フルオロカーボン系の流体は、空調、熱ポンプ及び冷却への適用等の装置における作動流体としてしばしば用いられてきた(【0002】)。しかし、地球の大気や気候に害を与える可能性についての関心の高まりにより、空調装置や冷却装置における冷媒としての塩素含有組成物(例えば、クロロフルオロカーボン類(CFCs)、ヒドロクロロフルオロカーボン類(HCFCs)、その他同種類のもの)の使用は、それら化合物の多くのものと関連するオゾン破壊性のために嫌われるようになった。このため、冷却と熱ポンプの適用のための代替物を提供する新しいフルオロカーボン及びヒドロフルオロカーボン化合物並びにこれらの化合物のいずれかを含む組成物に対する要求が増大しており、塩素含有冷媒をヒドロフルオロカーボン類(HFCs)などのオゾン層を破壊しないであろう塩素非含有冷媒化合物に置き換えることによって、塩素含有冷却装置を改造するのが望ましいとされている(【0005】)。ただし、代替の冷媒として可能性のあるいかなるものであっても、優れた熱伝達特性、化学的安定性、低毒性/非毒性、不燃性及び潤滑剤適合性等を備えることが重要であるところ(【0006】)、フッ素化C5~C8化合物の製造を対象とする米国特許第4、788、352号において、このような高級オレフィンが冷媒、熱伝達流体等として有用であることが確認されているが、他方で、プラスチックを侵食しやすい、有毒性、高沸点等の不利益も有すると考えられている(【0011】~【0013】)。

そこで、本件発明1は、蒸気圧縮加熱装置と冷却装置において、代替の冷媒として有用である可能性がありつつも上記不利益の1つ以上を避けられる熱伝達組成物を使用する方法を提供することを解決課題としたものである(【0014】)。

(イ)本件発明1の組成物

上記(ア)の課題を満たす組成物は、1以上のC3又はC4フルオロアルケン(好ましくは、式Ⅰ:XCFZR3-Z)を有する化合物を含む組成物であり(【0015】)、好ましい態様として、段落【0018】記載の式Ⅱの化合物を含み、非常に好ましい態様として、YはCF3であり、nは0であり、また、残りのRのうちの少なくとも1つはFである(【0019】)。さらに、非常に好ましい、特に低い毒性の化合物を含む態様において、本件発明1の組成物は、1以上のテトラフルオロプロペン(HFO-1234)を含む(【0021】)。

上記式Ⅱの化合物のうち非常に好ましい態様とされた、YはCF3であり、nは0であり、また、残りのRのうちの少なくとも1つはFとされる化合物であるHFO-1225ye、HFOトランス-1234ze、HFOシス-1234ze、HFO-1234yfの4種の冷媒組成物につき、実施例1として、圧縮機の入口温度が約50°F、凝縮器の温度約150°F、蒸発器の温度約-35°Fである冷却/空調サイクル装置における、HFC-134aに対する相対COP及び相対能力、排出温度が測定された(【0058】、【0059】)。その結果、上記4種のうちHFO-1234yfを除く3種の冷媒組成物に関しては、HFC-134aよりも良好なエネルギー効率を有することなどが示された(【0060】)。

このため、本件発明1の組成物の中でも特にHFO-1234zeは、HFC-134aの代替物として大きな排気量の圧縮機を使用する装置において、また、もともとの装置における場合とR-12やR-500などの冷媒の代替物として用いられる場合のいずれにおいても、商業用の空調装置に関して典型的に用いられる冷却機(チラー:chiller)において使用する場合に利点を有するとされている(【0030】、【0031】)。他方、HFO-1234yfについては、実施例1の表1に冷媒組成物の1つとして挙げられているものの、特に好ましい利用に関する明示的な記載は本件明細書中に見当たらない(【0059】)。

(ウ)本件発明1の組成物を適用する装置

本件明細書中、「発明の背景」欄には、「CFC冷媒の代替物については、CFC冷媒を用いて現在使用されている在来の蒸気圧縮技術に対して大きな工学的設計変更を行わずに実施されることが望ましいと、一般に考えられる。」と記載されている(【0009】)。また、「好ましい態様の詳細な説明」欄においては、「多くの現行の冷却装置は現在、現行の冷媒と関連して用いることに適合しているが、本発明の組成物は、装置に改造を施すかまたは施さずに、多くのそのような装置において用いるように適合させうると考えられる。多くの適用において、本発明の組成物は、現在は比較的高い能力を有する冷媒を用いている装置における代替物として、有利なものになるであろう。」(【0030】)、本件発明1の組成物は「自動車の空調装置と機器、商業用の空調装置と機器、冷却機(chiller)、住宅用の冷蔵庫と冷凍庫、一般の空調装置、熱ポンプなどと関連して用いるように適合させることができる。」(【0032】)と記載されている。

これらの記載によれば、本件発明1の組成物は、冷却装置に適用するに当たり、装置に改造を施す場合もあれば施さない場合もあり、また、比較的高い能力を有する冷媒を用いている装置における代替物として有利であり、さらに、自動車の空調装置と機器、商業用の冷却装置と機器、冷却機(chiller)、住宅用の冷蔵庫と冷凍庫、一般の空調装置、熱ポンプなどと関連して用いるように適合させることができるものと理解される。

イ 以上によれば、既存の装置に対して大きな工学的設計変更を行わずに利用し得るような代替冷媒が望ましいと一般的に考えられる中で、本件発明1は、自動車の空調装置と機器、商業用の冷却装置と機器、冷却機(chiller)、住宅用の冷蔵庫と冷凍庫、一般の空調装置、熱ポンプに用いられる、地球環境の悪化を招かない塩素非含有の冷媒であって、熱伝達特性、化学的安定性、低毒性/非毒性、不燃性及び潤滑剤適合性等のうち、不利益の1つ以上が避けられる熱伝達組成物及びその使用方法を提供するものであり、特に好ましい態様として、非毒性を有する、実施例1に列挙された各冷媒を開示した上で、その用途を「自動車の空調装置」に限定したものと認められる。

そうすると、本件審決が、本件発明1の認定に当たり、「自動車の空調装置」に使用される冷媒におけるGWP、能力及びCOPに関する特性を考慮しなかったからといって、その認定を誤ったということはできない

(3)原告の主張について

ア これに対し、原告は、本件優先日当時の技術常識によれば、「自動車の空調装置」において使用される冷媒については、本件審決が認定した、沸点及び臨界温度によって画される温度範囲が「自動車の空調装置」の使用温度範囲を包含するという特性のみならず、低減されたGWP並びにHFC-134aとほぼ等しい能力及びCOPという特性をも有する必要があるにもかかわらず、本件審決はこの点を看過し、「自動車の空調装置」において使用される冷媒の認定を誤った旨などを主張する。

イ(ア)このうち、GWPに関しては、証拠(各項に掲げたもの)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

a 自動車の空調装置は、圧縮機、凝縮器、膨張弁及び蒸発器を備え、これらの部品間を循環している冷媒が、蒸発器において液体から気体への相変化により外部を冷却し、凝縮器において気体から液体への相変化により外部に熱を放出して、熱移動を実現するものであるが、その原理は蒸気圧縮サイクルを利用した一般の加熱冷却装置と同じものである。(甲3等文献、甲16、41)

b 「第12版 空気調和・衛生工学便覧 2 汎用機器・空調機器篇」(社団法人空気調和・衛生工学会編、平成7年3月25日発行。甲2。以下「甲2文献」という。)には、冷媒に関しては、1987年にモントリオール議定書が採択されて以降、オゾン破壊係数(ODP)が極めて小さいか0であり、地球温暖化係数(GWP)が小さく、エネルギー効率が高いことが必要とされる代替フロンへの転換が進められており、カーエアコンディショナーでは現在の冷媒CFC-12から新冷媒HFC-134aへの、家庭用冷蔵庫や冷蔵冷凍ユニットでは現在の冷媒R502(HCFC-22+CFC-115)からHCFC-22やHFC-134aへの、それぞれ切替えが進んでいることが記載されている。

c 甲3等文献には、カーエアコンにおいては、コンプレッサに接続する配管は、エンジンの振動を吸収、緩和するためにゴム製のクーラホースを用いており、ゴムを通して冷媒が外部に透過し減少するのに対し、ルームエアコンの場合は金属配管を使えることが記載されている。

d 甲7文献には、「代替冷媒と適合冷凍機油」として冷媒の用途、従来・現行冷媒、代替冷媒、代替冷媒用冷凍機油についての表が掲載されているところ、カーエアコン、家庭用電気冷蔵庫及びショーケースにおいてはR-12の代替冷媒としてHFC-134aが、ルームエアコンやパッケージエアコンにおいてはR-22の代替冷媒としてR-410A又はR-407Cが用いられることが記載されている。

e 「HFC の種類と用途」(日本フルオロカーボン協会ウェブサイト(http://www.jfma.org/korekara/youto.html)、平成22年7月29日付けプリントアウト。甲25)には、HFC の利用状況及び使用可能な用途が掲げられているところ、家庭用冷蔵庫、カーエアコン、ルームエアコン、ターボ冷凍機等の用途に応じて、それぞれ適切な冷媒が用いられていることが示されている。例えば、カーエアコンにおいてはCFC-12の主要代替品としてHFC-134aが、家庭用冷蔵庫ではCFC-12、R-502の主要代替品としてやはりHFC-134aが、ルームエアコンにおいてはHCFC-22の主要代替品としてR-410Aが、ターボ冷凍機においてはCFC-11、12の主要代替品としてHFC-134aが、それぞれ用いられることが示されている。

f 「カーエアコン用冷媒について」(一般社団法人日本自動車工業会、平成22年7月29日付け作成。甲35)には、カーエアコン用冷媒において、1991年(平成3年)に、それまで使用していたCFC-12(ODP:1.0、GWP:10、900)からHFC-134a(ODP:0、GWP:1、430)への切替えが開始されたものの、京都議定書(1997年(平成9年)。発効:2005年(平成17年))においてHFC-134aが温室効果ガスの対象となったこと、自動車の空調装置から冷媒が漏れるのを防止するため、接続方法や素材の改良等が行われていることが記載されている。

(イ)上記(ア)の各事実によれば、本件優先日当時、自動車の空調装置や家庭用冷蔵庫等の様々な蒸気圧縮サイクルを使用した装置に使用される冷媒一般において、より低減されたGWPを有する代替冷媒への転換が進められ、各装置に適した代替冷媒が用いられていたこと、自動車の空調装置においては、他の装置と異なり金属配管ではなくゴム製ホースを用いているため冷媒が外部に漏れるところ、これを防ぐために接続方法や素材の改良等が行われていたことがうかがわれる

他方、自動車の空調装置において使用される冷媒につき、他の装置と異なる要求として、低減されたGWPであることが求められていたことをうかがわせる証拠はない

そうすると、本件審決が、「自動車の空調装置」において使用される冷媒に必要な固有の特性としてGWPにつき検討しなかったからといって、「自動車の空調装置」において使用される冷媒の認定を誤ったということはできないというべきである

ウ(ア)他方、自動車の空調装置において用いられる冷媒の能力及びCOPについては、証拠(各項に掲げたもの)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

a 甲2文献には、「特定フロン削減対策の基本は代替フロンへの転換であり、新冷媒対応の圧縮機システムの開発、新冷媒適合の潤滑油・材料の開発、信頼性の確認が進められている。」と記載されている。

b 甲3等文献には、カーエアコン用の代替冷媒が満足する必要のある特性として、オゾン層破壊への影響がないこと、安全であること(無毒性、不燃性)、システム性能が確保できること、製造容易、低コストであることの4つが挙げられるとともに、カーエアコンは、一般のルームエアコンと大きく異なり、冷房暖房それぞれの能力とも約2倍が必要であることなどの違いがあること、カーエアコンの修理の際、CFC-12の市場補給ができなくなったときには、代替冷媒HFC-134aにマッチングできるように、従来部品の一部を交換して対応するいわゆるレトロフィットが必要となることが記載されている。

c 「Etude sur la climatisation automobile」(D.Clodic、C.Rousseau、平成7年12月作成。甲16)には、「自動車用空調装置の仕様」の項(2.1.2)において、「このコンパクトな設計は、結合部の数を制限することを目的とする。なぜなら、自動車空調装置がさらされる機械的及び熱的応力は、固定式の空調のそれらよりもはるかに強烈なものだからである。」との記載がある。また、同文献には、「最適化なしでのR12/R134aの比較」の項(2.2.2.1)において、R12(CFC-12)とR134a(HFC-134a)のCOPfとQ0v(容積測定による冷却能力)等の測定数値を記した表2-5が示されるとともに、「設備の改良なしで冷媒を置換した設備の性能」の項(2.2.2.2)において「R12用空調設備の冷媒をR134aに直接置換したとしてもエネルギー性能の損失は大したものにはならない。」と、また、「R134aを使用するシステムの最適化」の項目(2.2.2.3)において「新たに設置される空調装置のために、R134aの特性に適合した技術ソリューションが開発され得る。その技術ソリューションは、R12で得られた以上のエネルギー性能をもたらす。…*管径の短縮*液体-蒸気交換機の設置」と、それぞれ記載されている。

d 「技術情報 DuPont Suva 冷媒 DuPont HFC-134a 特性、用途、貯蔵及びハンドリング」と題するパンフレット(E.I.du PONT deNEMOURS AND COMPANY、平成16年7月頃作成。甲67)には、「HFC-134aの熱力学的及び物理的性質により、そしてその低い毒性も加味されて、それ(注:HFC-134a)は、冷凍工業での多くのセグメント(中でも注目すべきは自動車空調、家電製品、小規模定置型装置、中温スーパーマーケットケース並びに工業及び商業チラー)において、CFC-12の非常に効率的でありかつ安全な置換冷媒となる。表1には、中温条件におけるCFC-12及びHFC-134aの理論性能の比較を提供する」と記載された上で、表1として、CFC-12の能力を100%とすると、HFC-134aの能力は99.7であること、成績係数(COP)はCFC-12が3.55に対してHFC-134aが3.43であることなどが示されている。

e 「フロンの環境化学と対策技術(季刊 化学総説 No.11)」(社団法人日本化学会編、平成3年4月25日、学会出版センター発行。甲68)には、CFC-12の代替冷媒の本命がHFC-134aであること、「HFC-134a使用システムの代表はカーエアコンシステムである」こと、「HFC-134aおよびCFC-12を使用したサイクルの性能の差は少なく、HFC-134aを使用したサイクルはCFC-12と同等の冷凍能力とサイクル効率を得ることができる」こと、「HFC-134aはCFC-12に比べ吐出圧力が多少高くなる傾向があるが、HFC-22のように耐圧容器の仕様を変更しなければならないというものではないということがわかる」ことが、それぞれ記載されている。

f 「Some Thermodynamic Performance Test Results of Refrigerant 134a」(W.K.Snelsonほか3名、International Refrigeration and Air Conditioning Conference. Paper 119、1990年作成。甲74)には、CFC冷媒の代替物の調査の一環としてR12とR134aの熱力学的性能を比較し、水/水ヒートポンプ試験施設において行われた一連の試験の結果が記載されているところ、蒸発温度を変化させた場合の各冷媒の能力及びCOPの変化を比較した図4、6~8が示されるとともに、結論の項では「同一の機器によって運転するシステムであれば、空調サイクルよりも冷凍サイクルの方がR12の替りにR134aを使用する効果が大きい。」と記載されている。

g 「Alternative Refrigerant To R22 In Low-Temperature And Air-Conditioning Refrigerators」(K.Furuyamaほか3名、International Refrigeration and AirConditioning Conference.Paper 619、2002年作成。甲75)には、R-22と比較したR-32/125/134a/600の冷凍能力及びCOPが記載されるとともに(図9、11)、「R-22用に設計された冷凍倉庫および空調システムなどの低温冷凍システムのドロップイン冷媒としてR-32/134a/125/600…を提案する。」と記載されている。

(イ)上記(ア)の各事実によれば、自動車の空調装置は、一般のルームエアコンの約2倍の冷房暖房能力が必要とされ、また、自動車の空調装置が曝される機械的及び熱的応力は固定式の空調装置のそれらよりもはるかに強烈なものであることから、結合部の数を制限する目的でコンパクトな設計がされており、さらに、自動車の空調装置用の代替冷媒を選定するに当たっては、オゾン層破壊への影響がないこと、安全であること(無毒性、不燃性)、システム性能が確保できること、製造容易、低コストであること、という特性を満足する必要があることが理解される。加えて、様々な装置において、代替冷媒への転換に当たり、それに対応した圧縮機システムの開発等が進められているところ、自動車の空調装置においてCFC-12からHFC-134aへ冷媒を変更するに際しては、HFC-134aの特性に適合するように管径の短縮などが検討されたものの、装置の仕様を(あまり)変更しなくて済む冷媒(ドロップイン冷媒)が望ましいとされていたこと、もっとも、その点は冷凍倉庫等の他の装置でも同様であることが、それぞれうかがわれる。

その上で、装置の仕様を(あまり)変更しなくて済む冷媒であるか否かを判断するに当たっては、COPと能力が重要なパラメータであるところ、CFC-12とその代替冷媒であるHFC-134aとは、能力及びCOPがほぼ等しいことが知られていたことが認められる。

他方で、自動車の空調装置における代替冷媒につき、自動車の空調装置の特殊性から、他の空調装置と異なって、装置の仕様を(あまり)変更しなくて済む冷媒に限られるとともに、代替冷媒の能力及びCOPは現行冷媒とほぼ等しいことが必須とされていたことが技術常識であったことを認めるに足りる証拠はない。なお、原告は、この点につき、自動車の空調装置においては、サイズ及び重量の制限等から再設計は受け入れられない旨を指摘するけれども、再設計に伴い多額の経費その他のコストが必要となることなどは他の空調装置等でも生じ得ることなどを考えると、その指摘は当たらないというべきである。

(ウ)そうすると、本件審決が、「自動車の空調装置」において使用される冷媒に必要な特性として、本件優先日当時の現行冷媒であるHFC-134aとの比較において能力及びCOPがほぼ等しいことを検討しなかったからといって、「自動車の空調装置」において使用される冷媒の認定を誤ったということはできないというべきである。

エ このほか、原告は、本件明細書は、比較的高い能力の冷媒に関する発明と比較的低い能力の冷媒に関する発明とを開示しているところ、本件発明1は前者に当たり、HFC-134aのHFO-1234yfによるほぼドロップイン置換の発明が記載されている旨なども主張する。

しかし、その指摘に係る本件明細書の記載のうち、「CFC冷媒の代替物については、CFC冷媒を用いて現在使用されている在来の蒸気圧縮技術に対して大きな工学的設計変更を行わずに実施されることが望ましいと、一般に考えられる。」(【0009】)との記載は、「発明の背景」を受けて一般的な用途における冷媒につき述べたにとどまり、特に能力の高い冷媒に限定する趣旨の記載ではない。また、「本発明の組成物は、現在は比較的高い容量を有する冷媒を用いている装置における代替物として、有利なものになるであろう。」(【0030】)との記載における「本発明の組成物」とは、式Ⅱの化合物を含む「本発明の組成物」全体を意味しており(【0018】)、「比較的高い能力の冷媒」に特定されるものではない。そもそも、実施例1に示された相対COP及び相対能力の数値を見ると、HFO-1234yfは、HFC-134aよりもエネルギー効率が低く、排出温度が最も高く有利な排出温度はもたらさないものである一方、相対能力は最も良好であることから、HFO-1234zeを含む他の3つの冷媒と異なる物性を有することは見て取れるものの、上記イ及びウで検討した技術常識を併せ考慮しても、本件明細書において、HFC-134aの(ほぼ)ドロップイン冷媒としてのHFO-1234yfが開示されているということはできない

オ その他原告がるる指摘する点を考慮しても、この点に関する原告の主張は採用し得ない。

(4)以上より、取消事由1は理由がない。

4.2 取消事由2(引用発明の認定の誤り)について

(1)甲1文献の記載

-省略-

(2)甲1発明の認定について

ア 上記(1)の各記載によれば、甲1発明は、以下のとおりのものと認められる。

すなわち、甲1発明は、冷凍機、ヒートポンプ等で使用される熱伝達用流体に関するものである。

従来、ヒートポンプの熱媒体(冷媒)としては、一般にフロンと称されるR-11(トリクロロモノフルオロメタン)、R-22(モノクロロジフルオロメタン)、R-502(R-22+クロロペンタフルオロエタン)等が主に使用されてきたが、フロンによるオゾン層破壊が生態系に重大な悪影響を及ぼすとの指摘を受けて国際的な取決めによりその使用及び生産が規制されるようになったところ、冷凍・空調設備の普及に伴い需要が毎年増大しつつあるフロンの使用及び生産の規制は、居住環境をはじめとして、現在の社会機構全般に与える影響が極めて大きい。このため、オゾン層破壊問題を生じる危険性がないか極めて小さい新たなヒートポンプ用の熱媒体(冷媒)の開発が緊急の課題となった。

そこで、甲1発明は、ヒートポンプ又は熱機関に適した熱伝達用流体であって、かつ、大気中に放出された場合にもオゾン層に及ぼす影響がないか小さいという要件に適合する新たな熱伝達用流体として、以下の熱伝達用流体を提供するものである。

「分子式:C3HmFn

(ただし、m=1~5、n=1~5かつm+n=6)で示され、かつ、分子構造中に二重結合を1個有する有機化合物からなる熱伝達用流体」

上記C3HmFnで示される化合物は、オゾン層破壊の問題を生じる危険性はなく、ヒートポンプ用熱媒体としての特性にも優れ、成績係数、冷凍能力、凝縮圧力、吐出温度等の性能においてバランスが取れており、その沸点は、現在広く使用されているR-12(CFC-12)、R-22、R-114及びR-502のそれに近いため、これら公知の熱媒体の使用条件下、すなわち、蒸発温度-20~10℃及び凝縮温度30~60℃での使用に適している。また、上記C3HmFnで示される化合物、又はC3HmFnで示される化合物とR-22、R-32、R-124、R-125、R-134a、R-142b、R143a及びR-152aの少なくとも一種との混合物は、ヒートポンプ用の熱媒体に対して要求される一般的な特性(例えば、潤滑油との相溶性、材料に対する非浸蝕性等)に関しても、問題はないことが確認されている。

HFO-1234yf(2、3、3、3-テトラフルオロプロペン)は、甲1文献の「特許請求の範囲」に記載の「熱媒体」として実施例5に示されているところ、「実施例1と同様にして、ヒートポンプの運転を行ったところ、実施例1とほぼ同様の結果が得られた。」との記載は、HFO-1234yfをヒートポンプにおいて使用し得ることを確認した記載であると解される。そうすると、甲1文献には、他の実施例に係る化合物と異なり、HFO-1234yf自体の沸点及び臨界温度等の物性値やヒートポンプにおいて使用した際のCOP及び冷凍能力について具体的なデータは記載されていないものの、なお、分子式C3HmFnで示される化合物に含まれる具体的化合物であるHFO-1234yfも、実施例1の3、3、3-トリフルオロ-1-プロペン(HFO-1243zf)と同様に、ヒートポンプにおける熱媒体として使用されるものであることが記載されているものと理解し得る。

また、「本発明で使用するC3HmFnで示される化合物…は、ヒートポンプ用の熱媒体に対して要求される一般的な特性(例えば、潤滑油との相溶性、材料に対する非浸蝕性など)に関しても、問題はないことが確認されている。」との記載から、甲1文献には、分子式C3HmFnで示される化合物と潤滑油を含む組成物として用いることも記載されているということができる。

そうすると、甲1文献には、「分子式:C3HmFn(ただし、m=1~5、n=1~5かつm+n=6)で示され且つ分子構造中に二重結合を1個有する有機化合物からなる熱媒体であって、該有機化合物は2、3、3、3-テトラフルオロプロペンである場合を含む熱媒体と、ヒートポンプ用の熱媒体に用いられる潤滑油とからなる熱媒体組成物の、ヒートポンプにおける使用」という発明が記載されていると認められる。すなわち、本件審決の甲1発明の認定に誤りはない。

(3)原告の主張について

ア これに対し、原告は、甲1文献にはHFO-1234yfのヒートポンプにおける使用は記載されておらず、また、甲1発明のヒートポンプは空調装置を包含するものではない旨を主張する

イ このうち、甲1文献にはHFO-1234yfのヒートポンプにおける使用は記載されていないとの主張については、確かに甲1文献には実施例5において使用された冷媒分子であるHFO-1234yfの物性値等の具体的な記載はないものの、前記(1)のとおり、その性能については、「実施例1とほぼ同様の結果が得られた」旨記載され、HFO-1243zfと同程度であることが明示的に示されているのであるから、HFO-1234yfも、HFO-1243zfと同様に、ヒートポンプにおける使用に適することが理解できるものといえる

したがって、この点に関する原告の主張は採用し得ない(なお、原告は、実施例1の結果に誤りがある旨も指摘するが、この点については後述する。)。

ウ 次に、甲1発明のヒートポンプは空調装置を包含するものではないとの主張については、一般に、物又は空間の熱を奪い去ることにより周囲の外気よりも低い温度に維持すること(冷凍)を実現する装置を冷凍機といい、他方、冷媒が凝縮するときに発生する熱を利用したものを狭義のヒートポンプというが、広義のヒートポンプには、加熱だけでなく冷却のために用いるものも含まれ、ヒートポンプをルームエアコンや自動車の空調装置として用いて暖房冷房の両方を行うことも周知であることを考慮すると、「ヒートポンプ」は加熱用装置に限られるものではない。

また、甲1文献の実施例においては、ヒートポンプ用熱媒体の性能として、COP(=(h1-h4)/(h2-h1))、冷凍効果(=h1-h4)及び冷凍能力を測定していることから、加熱ではなく冷却における性能を評価しているものといってよい。

さらに、甲1文献の「従来技術とその問題点」欄には「冷凍・空調設備の普及に伴って、…フロンの使用および生産の規制は、居住環境をはじめとして、現在の社会機構全般に与える影響が極めて大きい。従って、オゾン層破壊問題を生じる危険性のない或いはその危険性の極めて小さい新たなヒートポンプ用の熱媒体(冷媒)の開発が緊急の課題となっている。」と記載されていることを考慮すると、甲1発明における「ヒートポンプ」は、加熱だけでなく冷却も行う「空調設備」を包含するものであることは明らかである

したがって、甲1発明の「ヒートポンプ」は空調装置を包含するとする本件審決の認定に誤りはない。この点に関する原告の主張は採用し得ない。

エ そうすると、この点に関する原告の主張はいずれも採用し得ず、本件審決の判断に誤りはない。

(4)以上より、取消事由2は理由がない。

4.3 取消事由3(相違点の判断の誤り(1)-HFO-1234yfの沸点及び臨界温度を技術常識として認定したことの誤り)について

(1)本件審決は、「甲1及び甲5にもそれぞれ記載されている…とおり、HFO化合物のうちハイドロフルオロプロペン化合物は、概ね-16~-17℃程度の沸点及び121~126℃程度の臨界温度を有し、特にHFO-1234yfは、-29℃(244.9K)の沸点と97℃(370.4K)の臨界温度を有するものである」ことを根拠の1つとして、HFO-1234yfをカーエアコンの冷媒として選択することは、当業者が適宜なし得ることである旨判断した。

これに対し、原告は、根拠となる文献が甲5文献1つである上、その文献も、アクセスし難いロシアの特許文献であることを指摘し、当該文献が技術常識になることはない旨、及び、本件優先日当時、HFO冷媒分子の沸点及び臨界温度については複数の文献が異なる値を報告することがあったことを指摘し、甲5文献のデータを信頼することはできなかった旨主張する。

(2)しかし、本件審決における上記記載部分の趣旨は、甲5文献だけでなく甲1文献の記載と併せ、ハイドロフルオロプロペン化合物の沸点及び臨界温度についての本件優先日当時における当業者の認識を示したものと理解し得るのであって、甲5文献のみから技術常識を認定し、それに基づいて判断をしたものではない。また、HFO-1234yfの沸点及び臨界温度について記載する文献が甲5文献というロシアの特許文献であるからといって、直ちに、当業者の本件優先日当時における認識を示すものとして不適切であったということもできない。

さらに、甲1文献及び甲5文献に記載された標準沸点や臨界温度の数値はある程度近似したものであることを考慮すると、本件優先日当時、HFO冷媒分子の沸点及び臨界温度について複数の文献が異なる値を報告することがあったとしても、それらの数値は、甲1発明に係るHFO-1234yfを自動車の空調装置の冷媒として選択可能か否かを判断する材料としては、十分に信頼性のある数値ということができる。仮に、甲5文献を考慮しないとしても、甲1文献記載のC3HmFnで示される化合物の沸点及び臨界温度に加え、同文献には、C3HmFnで示される化合物の沸点はCFC-12のそれに近く、CFC-12の熱媒体の使用条件下での使用に適している旨の記載があること、CFC-12は自動車の空調装置用冷媒であることは周知であること(甲16、弁論の全趣旨)に鑑みると、当業者において、HFO-1234yfをCFC-12と同じ用途である自動車の空調装置用冷媒として用いることは、適宜なし得ることということができる。

(3)以上より、この点に関する原告の主張は採用し得ず、本件審決の判断に誤りはない。

したがって、取消事由3は理由がない。

4.4 取消事由4(相違点の判断の誤り(2)-甲1文献の阻害事由の看過)

原告は、甲1文献記載の実施例1(HFO-1243zfを使用するもの)の結果は誤っており、実際にはHFO-1243zfの能力はCFC-12の約70%にすぎないから、「実施例1とほぼ同様の結果が得られた」との甲1文献の記載によれば、当業者は、HFO-1234yfは「自動車の空調装置」において使用される冷媒に適さないと結論付けるしかなく、甲1文献には本件発明1に想到することの阻害事由がある旨主張する。

しかし、本件優先日当時の技術常識に照らし、甲1文献の上記結果の信用性を疑うべき具体的な根拠は見出せないことに鑑みると、本件優先日当時、甲1文献に接した当業者は、同文献記載のとおり、HFO-1234yfは、HFO-1243zfと同様に、CFC-12を熱媒体として使用するヒートポンプと同等以上の能力を得られると認識するものと見られる。仮に、本件優先日当時、原告指摘に係るREFPROPソフトウェアによる計算を行うことが通常であったとしても、甲1文献記載の実施例5のHFO-1234yfにつき冷媒としての使用を検討する際には、端的にHFO-1234yfにつき計算を行うものと思われるし、少なくとも、実施例1に係るHFO-1243zfについてのみ計算を行い、実施例5に係るHFO-1234yfについては計算を行わないままその能力について結論を出してしまうとは考え難いことから、HFO-1243zfの計算値が実施例1の結果と異なっていたとしても、直ちに、他の実施例について追加の確認を行うことなく甲1文献の記載全体の信用性を疑うものと考えることはできない。その他HFO-1234yfを自動車の空調装置における冷媒として使用することについての阻害事由となるべき事由は、甲1文献中には見当たらない。そうすると、甲1文献にはHFO-1234yfを「自動車の空調装置」において冷媒として使用することについての阻害事由があるとはいえず、この点に関する原告の主張は採用し得ない。

したがって、取消事由4は理由がない。

4.5 取消事由5(相違点の判断の誤り(3)-予想外かつ顕著な効果の看過)について

(1)原告は、本件審決は、HFO-1234yfのGWP及びODPの低さ、能力及びCOPがHFC-134aのものとほぼ同等であること、低毒性及び低燃焼性、圧縮機潤滑剤との混和性が優れていること、機器及び潤滑剤との安定性が優れていることといった予想外かつ顕著な効果を看過したものである旨主張する。

(2)ア このうち、GWP及びODPの点については、甲1文献においても、HFO-1234yfを含む分子式:C3HmFnで示される有機化合物からなる熱媒体はオゾン層破壊問題を生じる危険性がないか小さいことが記載されていることから、HFO-1234yfのODPが低いことは、本件優先日当時の当業者にとって予測可能であったと見られる。

また、本件優先日当時の技術常識(前記1(3)イ)に照らすと、本件優先日当時、冷媒のGWPを測定することは、自動車の空調装置の場合に限らず必須となっていたことがうかがわれること、甲1発明のヒートポンプで使用されるHFO-1234yfのGWPは、ヒートポンプの具体的な用途にかかわらず同じであることから、本件発明1においてHFO-1234yfのGWPが低いことは、本件発明1の進歩性を基礎付けるような、本件発明1に特有の効果ということはできない。

イ 能力及びCOPの点については、甲1文献には、COPに関してはCFC-12と同程度、冷凍効果に関してはこれよりも高めの値を示すHFO-1243zfとほぼ同様の結果をHFO-1234yfが示したことが記載されており、また、本件優先日当時、CFC-12とHFC-134aは同等の能力及びCOPを示すことが知られていたことから(甲68、74、弁論の全趣旨)、当業者であれば、甲1文献の記載に基づき、HFO-1234yfの能力及びCOPはHFC-134aとほぼ同等と見なせる範囲内であることが予測可能であったと考えられる。

ウ(ア)低毒性の点については、確かに、本件明細書には、本件発明1における化合物に関する構造式、特に式Ⅱで示される化合物、中でも特にHFO-1234yfを含む構造式によるものが低い毒性を示すことが記載されている(【0020】、【0021】)。

しかし、本件明細書には、HFO-1234yfが、一般の冷媒に要求される限度を超え、とりわけ自動車の空調装置に用いる冷媒に適した低毒性を有し、その毒性試験の結果が顕著であることを具体的に記載した部分は見当たらない。甲24、36~38に基づくHFO-1234yfの低毒性に関する原告の主張は、いずれも本件明細書に具体的に開示されたものではないから(そもそも、甲37、38は本件優先日後の文献である。)、ここで参酌することはできない。

(イ)低燃焼性の点については、確かに、本件明細書には、本件発明1における可燃性低減方法(【0049】、【0050】)及び鎮火方法(【0051】)に関する記載がある。

しかし、本件明細書には、HFO-1234yfの燃焼性に関する具体的な実験結果は示されておらず、HFO-1234yfが、一般の冷媒に要求される限度を超え、とりわけ自動車の空調装置に用いる冷媒に適した低燃焼性を有することを具体的に記載した部分は見当たらない。原告が言及する甲35に基づくHFO-1234yfの低燃焼性に関する主張は、本件明細書に具体的に開示されたものではないから(そもそも、甲35は本件優先日後の文献である。)、ここで参酌することはできない。

(ウ)また、HFO-1234yfが有する毒性及び燃焼性に関する効果は、いずれも、甲1発明においても奏される効果である。

(エ)そうすると、HFO-1234yfが有する毒性及び燃焼性に関する効果は、いずれも本件発明1特有の効果ということはできないから、これらの点を本件発明1の進歩性を基礎付けるものとして理解することはできない。

エ 圧縮機潤滑剤との混和性、機器及び潤滑剤との安定性の点については、確かに、本件明細書には、実施例2及び3において、HFO-1234yfと同じく式Ⅱに含まれる化合物HFO-1225ye、HFO-1234ze及びHFO-1243zfを使用して、混和性及び安定性について試験が行われたこと及びその結果が記載されており(【0061】~【0069】)、その結果からは、HFO-1234yfも、上記各化合物と同程度の潤滑剤との混和性、安定性を有することがうかがわれる。

もっとも、甲1文献においても、「本発明で使用するC3HmFnで示される化合物…は、ヒートポンプ用の熱媒体に対して要求される一般的な特性(例えば、潤滑剤との相溶性、材料に対する非浸蝕性など)に関しても、問題はないことが確認されている。」と記載されている。この甲1文献に記載された効果との比較において、本件発明1のHFO-1234yfが、潤滑剤との混和性、安定性に関して格別顕著な効果を有するとはいえない。

(3)以上より、本件発明1は予想外かつ顕著な効果を奏するとはいえないから、この点に関する原告の主張はいずれも採用し得ない。

したがって、取消事由5は理由がない。

4.6 取消事由6(相違点の判断の誤り(4)-不飽和化合物の使用に関する阻害事由の看過)について

(1)原告は、本件優先日当時、不飽和化合物に分類されるフッ素化オレフィンは、飽和化合物と比較すると反応性が高く、安定性に欠け、及び/又は毒性が高いと当業界では予測されていたから、HFO-1234yfの構造そのものが自動車の空調装置の用途の阻害事由である旨主張する。

(2)ア まず、フッ素化オレフィンの反応性、安定性の点につき、原告は、本件優先日当時、不飽和分子タイプの反応性が懸念されていたことを示す証拠として、甲22及び23の各文献の記載に言及する。すなわち、甲22の文献においては「表2.R12の代替となる可能性のある流体混合物の選択」と題する表に掲載された飽和及び不飽和の冷媒のうちフッ素を含む不飽和の冷媒は全てコメント欄に「反応性( Reactive )」、 「許容(Accepted)/拒絶(Rejected)」欄に「拒絶(R)」と記載され、また、甲23の文献においては「二重結合の炭素原子を有する化合物及びアセトンに基づく化合物は、冷媒としては問題のある評価を有するものである。」、「これらの化合物の安定性は、分子にフッ素を加えるにつれて減少する。」と記載されている。

しかし、甲22には、その表2に掲載されていないもの(HFO-1234yfは掲載されていない。)を含むフッ素化オレフィン全体が冷媒として使用できない旨記載されているわけではない。また、甲23には、どの程度分子にフッ素を加えると冷媒として使用し得ないほど安定性が減少するかについては記載されていない。

そうすると、上記各文献から、HFO-1234yf等の部分的にフッ素化されたフッ素化オレフィンが、その具体的な構造に関わらず、およそ、自動車の空調装置の冷媒として使用できないほどの安定性しか有しないことが示されているとは認められない。

イ 毒性の点については、原告は、本件優先日当時、フッ素化オレフィンに毒性の懸念もあったことを示す証拠として、甲20、21及び23の各文献の記載に言及する。すなわち、甲20の文献の記載によれば、飽和フルオロカーボン及びフルオロハイドロカーボン冷媒中に不純物として存在するオレフィン系不純物は有毒な場合があり、その含有量をできるだけ下げることが必要とされている。また、甲23の文献の記載によれば、二重結合の炭素原子を有する化合物は、完全にフッ素化するとより高い毒性を有することが示されている。さらに、甲21(ただし、本件優先日後の文献である。)の文献の記載によれば、飽和のフッ素化冷媒の試験試料は、ハロゲン化された不飽和揮発性不純物を重量で40ppm以上含むべきでないことが示されている。

しかし、上記各文献から、飽和のフルオロカーボンに含まれる不純物ではなく、完全にフッ素化された不純物でもないHFO-1234yf等のフッ素化オレフィンについて、その具体的な構造に関わらず毒性があることが示されているとは認められない。すなわち、上記各文献にはある特定のフッ素化オレフィンについて安定性が低く毒性を有することが示されているものの、フッ素化オレフィンは、その具体的な構造に関わらず、反応性及び毒性の面から自動車の空調装置の冷媒として使用できないことが当業者の共通の認識であったことまで示されているわけではなく、また、HFO-1234yfという個別の化合物について具体的な懸念があったことが示されているわけでもない。

ウ 以上より、HFO-1234yfの反応性及び毒性という点において、甲1文献に接した当業者が、同文献に「ヒートポンプ用の熱媒体に対して要求される一般的な特性…に関しても、問題はないことが確認されている」、「(1)従来からR-12、R-22或いはR-502を熱媒体として使用してきたヒートポンプと同等以上のサイクル性能が得られる。(2)熱媒体としての優れた性能のゆえに、機器設計上も有利である。」との記載があるにもかかわらず、なおHFO-1234yfの反応性及び毒性に懸念を有し、その自動車の空調装置の冷媒としての使用を断念するであろうといえるような阻害事由があるとまではいえない。

また、そうである以上、温度の上昇に伴う反応速度の上昇により冷媒と他の成分との望ましくない反応が促進され得ることを考慮しても、自動車の空調装置での使用の場合、甲1文献において使用に適する凝縮温度とされた30~60℃の温度範囲から5℃以上高い凝縮温度(自動車の空調装置において少なくとも達し得るとされる凝縮温度)となる可能性があるからといって、直ちに、自動車の空調装置に適用するに当たっての阻害要因があったということもできない。

(3)以上より、不飽和化合物であるHFO-1234yfの構造そのものが自動車の空調装置の用途の阻害事由であったとまでは必ずしもいえないのであって、この点に関する原告の主張は採用し得ない。

したがって、取消事由6は理由がない。

5.検討

(1)本件は甲1文献に開示されたHFO-1234yfをカーエアコンに用いることについて本件特許出願時に当業者が容易に想到できたか否かがポイントでした。

審査では拒絶理由通知無しで特許査定になっていますが、審査官の作成した特許メモにも「参考文献には「テトラフルオロプロペンを自動車の空調装置の冷媒として使用すること」が記載されておらず、しかもその点は「自動車の空調装置は既存のコンデンサーにおける圧力で凝縮温度が65度以上である性質や低毒性であることが要求されるところ、参考文献にはそのような性質に関する開示がないこと」から当業者といえども容易に想到し得ない。」と書いてありました。

審決では、甲1文献にはHFO-1234yfがヒートポンプに使用されることが開示されていると認定しました。その上で、甲4文献等に記載された事項からカーエアコンに用いられていたCFC-12とHFO-1234yfの物性が近いと認定し、HFO-1234yfをカーエアコンのフロン化合物系の冷媒として選択することは、当業者が適宜なし得ることである、と判断しました。

(2)これに対して原告は色々反論しています。しかし、審決で認定されたカーエアコンに許容される冷媒の特性に対する反論ではなく、どちらかというと審決の中の細かい部分に対する反論が多いように見受けられました。結局、判決では審決の内容が支持されました。もっとも本件特許の明細書を読むとHFO-1234yfというよりもHFO-1234zeをメインとして書いてあるようなので、反論が少し弱くなってしまっても、やむを得ないように思います。

(3)本件訴訟の請求棄却を受けて原告は上告したようですが、一般的に上告が受理されるケースは少ないです。冒頭に書いたように本件特許出願のファミリのうち1件がまだ審査中なので、特許権者にはこれから分割出願するという手段も残ってはいます。しかし、新たに分割出願して本件特許と同じような請求項を作成しても進歩性判断のポイントはほぼ同じになると思われるので、難しいように思います。

(4)また、本件特許の対応海外出願が少なくとも10数件はあるようですが、欧州特許庁でも特許になった後に異議申立により取り消されたようです。

(5)特許無効審判を取り下げた旭硝子はアモレアという商品面でHFO-1234yfを単一成分とする冷媒、CHFO-1224ydを単一成分とする冷媒及びHFO-1123を含む混合冷媒を販売しています。ハネウェル社と争うよりもHFO-1234yfをカーエアコン用の冷媒として製造・販売する道を確保しつつ、その他の新たな冷媒の開発に力を入れたものと思われます。