抗ウイルス性マスク事件

投稿日: 2019/08/05 2:01:58

今日は、平成29年(ワ)第43269号 特許権侵害差止等請求事件について検討します。原告である株式会社ジムウェイは、判決文によると、日用品雑貨の企画、開発、販売等を業とする株式会社だそうです。一方、被告である株式会社徳光は、繊維製品加工販売、織物製造販売等を業とする株式会社で、株式会社マルゼンは繊維製品の製造販売等を業とする株式会社だそうです。

 

1.検討結果

(1)本件発明は、簡単に言うと、鼻頂部、左耳介部の外側、下顎部、右耳介部の外側を結ぶ周縁を縁取った枠体を形成した少なくとも2層構造のマスク本体の中央部に非伸縮性の接合部を設けたものです。

(2)侵害論では抵触性、有効性、先使用の抗弁の有無が争われましたが、その中で比較的興味が引かれたのは抵触性の争点となった、構成要件Bの「左右の両耳介部を覆う形態」及び構成要件Dの「空間を形づくる非伸縮性の接合部」に関するものでした。

(3)「左右の両耳介部を覆う形態」について、被告は「左右の両耳介部の全てを覆う形態であると解釈すべきである」と述べ、「被告製品は、左右の両耳介部に掛止可能な環状を為す掛紐体を備えた形態であり、左右の両耳介部の全てを覆う形態ではない」ので非抵触であると主張しました。

確かに「覆う」という言葉の辞書的な意味、及び、構成要件Bで「左右の両耳介部」と並列して「鼻部」及び「下顎部」が挙げられており、これらはマスク本体の布で覆われていること、からすると、被告がこのような主張をすることもわかります。

しかし、本件明細書及び図面を見ると、本件発明もマスク本体で左右の両耳介部をすっかり覆う構造ではないことは明らかです。そうなると、裁判所としては請求項の記載を解釈するために明細書等を参酌することになり、結果、マスクの枠体が左右の両耳介部の付け根の外側を覆う形態を意味すると解するのが相当、として被告の主張を退けています。

(4)「空間を形づくる非伸縮性の接合部」について、被告は「「非伸縮性」とは、伸縮しない、又は、伸縮するものを除くという意味」であって、そのためには「二重の縫合であることが必須の構成」であるので、「被告製品のマスク本体中央部の接合部は伸縮性をもたせるように設計され、1回の本縫いでただ縫い合わせているにすぎない」ので非抵触であると主張しました。

確かに「非伸縮性」という言葉には引っ掛かるものがあります。伸縮性をそれほど有さないことを表現するのであれば対義語を用いたりすることで十分であり、わざわざ「非」を用いて新たに造語を作ってしまうとかなり強く伸縮性を否定する言葉であると捉えられます。

しかし、裁判所は、本件明細書に「可及的に伸縮性をもたない非伸縮性とすべく縫合する」との記載があることから全く伸縮性を持たない状態を想定してはいない、と解釈し、被告の主張を退けています。

(5)構成要件Bの充足性についての被告の主張を読むと、本件発明のマスク本体は左右の両耳介部を覆う形態でなければならない、ということになります。しかし、本件明細書及び図面にはそのような態様は全く示されていません。被告が上記主張をするのであれば、非抵触主張と同時に36条に基づく無効主張等をして、特許請求の範囲の記載を明細書等の記載と矛盾しないように解釈するだけになることを防ぐ必要があると思います。

また、構成要件Dについて、被告製品のマスク本体中央部の接合部は伸縮性をもたせるように設計している、と主張していますが、それは発明の効果を奏さない程度の伸縮性を有している、と主張できなければあまり意味がないように思います。

(6)原告及び被告らは全て栃木県の会社であって、さらに先使用の抗弁に関する原告の主張の中に被告の一方に中国輸出を打診したとあります。このような背景も裁判官にあまり良い印象を与えなかった可能性があります。

2.手続の時系列の整理(特許第6188984号)

① 本件特許は特願2015-214479を優先権の基礎出願とする国際出願(PCT/JP2016/081901)から日本に移行した国際特許出願(特願2017-513167)からの分割出願です。

② 親出願である国際特許出願の出願番号(特願2017-513167)よりも本件特許出願の出願番号(特願2017-046177)が小さくい理由ですが、国際出願から日本に移行されて、日本の国際特許出願としての出願番号が付与されるまでに分割出願がされたためだと思われます。

3.本件発明

A 抗ウイルス剤を施したニット布地と、抗ウイルス剤を施さないニット布地との2層以上の布地から成り、

B 鼻部、下顎部、左右の両耳介部を覆う形態で、表側に前記抗ウイルス剤を施したニット布地を、前記鼻部及び前記下顎部と接する内側には前記抗ウイルス剤を施さないニット布地を重ねてマスク本体(10)を形成し、

C 該マスク本体(10)には、鼻頂部(21)、左耳介部(23a)の外側、下顎部(22)、右耳介部(23b)の外側を結ぶ周縁に沿ってニット布地で一定厚みの縁取を形づくる枠体(20)を形成し、

D 中央部には、前記鼻部の鼻下及び唇部を覆って空間を形づくる非伸縮性の接合部(13)を形成した、

E ことを特徴とする抗ウイルス性衛生マスク。


4.争点

(1)被告製品の本件発明の技術的範囲への属否(なお、被告らは、後記ア、イ以外の構成要件の充足性を争わない。)

ア 「左右の両耳介部を覆う形態」(構成要件B)の充足性

イ 「空間を形づくる非伸縮性の接合部」(構成要件D)の充足性

(2)特開2004-24620号公報(乙10。平成16年1月29日公開。以下「乙10文献」という。)記載の発明(以下「乙10発明」という。)に基づく進歩性欠如(特許法29条2項)

(3)先使用の抗弁の成否(特許法79条)

(4)原告の損害額

5.争点に関する当事者の主張

(1)争点(1)-ア(「左右の両耳介部を覆う形態」(構成要件B)の充足性)について

(原告の主張)

「左右の両耳介部を覆う形態」とは、左右の両耳介部の付け根の外側を覆う形態を意味し(本件明細書の段落【0043】【0044】【0054】【0055】【0066】【0068】【0070】【図8】)、被告製品は当該形態を有するから、構成要件Bを充足する。

これに対し、被告らは、「左右の両耳介部を覆う形態」とは、左右の両耳介部の全てを覆う形態であると主張するが、本件明細書にはそのような記載や示唆はなく、理由がない。

(被告らの主張)

「覆う」とは、「露出するところがないように、全体にかぶせてしまう」等の意味を有するから、「左右の両耳介部を覆う形態」とは、左右の両耳介部の全てを覆う形態であると解釈すべきであるところ、被告製品は、左右の両耳介部に掛止可能な環状を為す掛紐体を備えた形態であり、左右の両耳介部の全てを覆う形態ではない

原告は、本件明細書の記載や【図8】から、「左右の両耳介部を覆う形態」とは左右の両耳介部の付け根の外側を覆う形態であると主張するが、本件明細書には、「付け根」との記載はないし、【図8】が耳介部の付け根の外側を覆う形態であるとしても、特許請求の範囲や明細書の記載と矛盾し、構成要件の解釈の根拠にならないし、上記のとおり、被告製品は、左右の両耳介部に掛止可能な環状を為す掛紐体を備えた形態として特定されるべきであるから、原告の主張を前提としても、被告製品は構成要件Bを充足しない。

(2)争点(1)-イ「空間を形づくる非伸縮性の接合部」(構成要件D)の充足性)について

(原告の主張)

「空間を形づくる非伸縮性の接合部」とは、会話等で唇を動かしても、呼吸をしても、ニット生地による拡大、縮小といった変化を生じることなく安定してこれを行うために設けられたものであり(本件明細書の段落【0020】【0061】【0063】【0092】)、その目的を達成するため、会話や呼吸の妨げにならないように、マスクの本体が鼻下及び唇の表面に接触しない程度の空間が保たれるよう(段落【0062】)、マスク本体の中央部を左右に分離させて縫合する構成をいい、「非伸縮性」とは、まったく伸縮性を有しないことを意味するものではなく、可及的に伸縮性をもたない非伸縮性を意味する。

そして、被告製品における左右の2層のニット生地は、外膨らみの扇形状に裁断され、裁断片の弧の部分に沿って縫合されており、縫合によってマスク本体の中央部は外膨らみの扇形状が維持される。これによって、鼻呼吸や会話に伴う唇の動きが生じても鼻部の鼻下及び唇部を覆って空間を形づくるものとなっており、無理に引っ張ることなく、顔にあったサイズを着用すると着用時に横方向に延伸されても、中央部に形成された接合部によって、十分な空間が形作られ、小さいサイズを着用しても、空間はある程度確保される。したがって、被告製品の接合部は、「鼻下及び唇部を覆って空間を形づくる非伸縮性の接合部」である。

これに対し、被告らは、本件明細書の記載(段落【0060】【0061】)から、「非伸縮性」の接合部とは、二重の縫合であることが必須の構成であると主張するが、本件明細書の段落【0061】に「例えば・・・二重の縫合を施すことで可及的な非伸縮性を得ることができる。」との記載があるとおり、二重の縫合は実施形態の一つとして例示されているにすぎず、「非伸縮性」の接合部の構成は二重の縫合を施す場合に限定されない。

また、被告らは、被告製品はマスク本体中央部の接合部に伸縮性をもたせるように設計されているなどとも主張するが、その根拠は明らかではないし、そうであれば、そもそも中央部を縫製すべきではない。

(被告らの主張)

「非伸縮性の接合部」について、「非」とは、後に続く語句について「そうでない」という意味であり、「非伸縮性」とは、伸縮しない、又は、伸縮するものを除くという意味である。原告は、可及的に伸縮性をもたない非伸縮性という意味であると主張するが、特許請求の範囲の記載に反する解釈である。そして、本件明細書には、中央の接合部に二重の縫合を施す形態が記載され、当該形態を採用しない場合の問題点や当該形態の作用効果が記載されており(段落【0060】【0061】)、「非伸縮性」の接合部とは、二重の縫合であることが必須の構成であるところ、被告製品のマスク本体中央部の接合部は伸縮性をもたせるように設計され、1回の本縫いでただ縫い合わせているにすぎないのであるから、被告製品は「非伸縮性の接合部」を有しない

また、被告製品のマスク本体中央部の接合部は伸縮性をもたせるように設計されており、マスク着用時にマスク本体が接合部から左右に引っ張られ、ニット生地も柔らかく作成されているため、鼻部の鼻下及び唇部に密着する形となり、「空間を形づくる」ともいえない。

(3)争点(2)(乙10発明に基づく進歩性欠如)について

(被告らの主張)

ア 乙10文献には、鼻口部周囲を密着して覆うための立体形状マスクであって、そのマスクにおいて、布地に対してカップ状の立体形状を形成するための接合箇所が支持補強機能を有する少なくとも交差する2本の線状部分からなることを特徴とし(乙10文献の【請求項1】)、布地が複数枚積層され(乙10文献の【請求項7】)、支持補強機能とは、装着中に呼吸する度に膨らんだりする動きを防ぎ、カップ状の立体形状を崩さない構造をいい、立体形状を保持する手段として、立体形状を形成するための接合箇所を縫製することで構造体として使用でき、支持補強機能を有する接合箇所が非伸縮性をもたらすという乙10発明が記載されている。

イ 乙10発明と本件発明を対比すると、鼻部、下顎部を覆う形態で、2層以上の布地から成り、中央部には、前記鼻部の鼻下及び唇部を覆って空間を形づくる非伸縮性の接合部を形成したマスクである点で一致し、①本件発明は、抗ウイルス剤を施したニット布地と、抗ウイルス剤を施さなニット布地との2層以上の布地から成り、表側に前記抗ウイルス剤を施したニット布地を、前記鼻部及び前記下顎部と接する内側には前記抗ウイルス剤を施さないニット布地を重ねてマスク本体を形成したものであるのに対し、乙10発明は抗ウイルス剤を施したニット生地を用いていない点(相違点①)、②本件発明は、マスク本体が鼻部、下顎部、左右の両耳介部を全て覆う形態であるのに対し、乙10発明はそのような構成を有しない点(相違点②)、③本件発明のマスク本体は、鼻頂部、左耳介部の外側、下顎部、右耳介部の外側を結ぶ周縁に沿ってニット布地で一定厚みの縁取を形づくる枠体を形成したものであるのに対し、乙10発明はそのような枠体を備えていない点(相違点③)で相違する。

ウ 相違点①について、平成29年4月1日改訂版公開の一般社団法人繊維評価技術協議会製品認証部作成の「SEKマーク繊維製品認証基準」(乙11。以下「乙11文献」という。)及び特表2008-534791号公報(乙12。平成20年8月28日公開。以下「乙12文献」という。)によれば、抗ウイルス加工が施された繊維製品が存在することや布地に抗ウイルス剤を付着させ機能特性を与えることは、本件優先日前から公知である。また、乙11文献には、「加工剤が口唇や鼻孔に直接、接触するマスクは対象としない。」と記載されており、2層以上の布地のうち口唇や鼻孔に接触する可能性のある内側に抗ウイルス剤を施さない布地を重ねてマスク本体を形成することは技術常識であるから、マスクの分野において、抗ウイルス加工の布地を採用し、その際、表側にのみ抗ウイルス剤を施し、口唇や鼻孔に接触する可能性のある内側に抗ウイルス剤を施さない布地を重ねることは容易に想到することができる。なお、乙11文献は平成29年公開の改訂版であるが、平成24年4月1日公開の統一版にも同様の記載があった。

相違点②について、本件特許の優先日前から耳介部を覆う耳帯が存在し、また、左右の両側に耳帯を有するマスクが本件特許の優先日前から公知となっていることからすれば(実開昭63-130023号公報(乙13。昭和63年8月25日公開。)、マスクの分野において、マスクを左右の両耳介部全てを覆う形態とすることは容易に想到することができる。

相違点③について、特開2006-26111号公報(乙8。平成18年2月2日公開。以下「乙8文献」という。)には、マスク本体の周縁部を縁取材でくるんで縫い綴じるとの記載があり、マスクの分野において、マスク本体周縁に沿ってニット布地で一定厚みの縁取を形づくる枠体を形成することは容易に想到することができる。

エ したがって、当業者が乙10発明に上記各文献に記載されている技術常識ないし公知技術を適用して、相違点①ないし③に係る本件発明の構成に容易に想到することができるから、本件発明は進歩性を欠く。

(原告の主張)

ア 乙10文献には、マスクの生地に伸縮性があることは記載されておらず、生地の伸縮を抑えるという発想は存在しないから、支持補強機能を有する接合箇所は非伸縮性という作用効果を生じるものではなく、乙10文献にはマスク中央部の伸縮性を抑えるために、非伸縮性の接合箇所を形成するという技術的思想は開示されていない。

イ 乙10発明と本件発明を対比すると、鼻部、下顎部を覆う形態で、2層以上の布地から成るマスクであるという点で一致する。他方、相違点については、被告が主張する相違点①及び③のほか、②本件発明は、マスク本体が鼻部、下顎部、左右の両耳介部を覆う形態であるのに対し、乙10発明のマスクは、マスク本体とは別に左右の両耳介部を覆う紐を設けている点(相違点②)、④本件発明は、中央部に、前記鼻部の鼻下及び唇部を覆って空間を形づくる非伸縮性の接合部を形成したものであるのに対して、乙10発明は、そのような非伸縮性の接合部を備えていない点(相違点④)も相違点となる。

ウ 相違点①について、乙11文献中の被告が指摘する記載が、本件優先日前である平成24年に公開された統一版に記載されていたことの証拠はない。仮に、平成24年公開の統一版に被告が指摘する記載があったとしても、乙11文献には、マスクの布地に抗ウイルス加工することは記載されておらず、乙12文献にもその記載はないから、当業者が、乙11文献及び乙12文献の記載に基づいて、乙10発明のマスクの布地に抗ウイルス加工を施すことが容易に想到できるとはいえず、まして、表側の布地に抗ウイルス加工を施し、鼻部や下顎部に接触する可能性のある裏側に施さないことが容易に想到できるとはいえない。

相違点②及び③について、乙8文献記載の縁取材は、耳介部の内側を縁取っているもので、本件発明の耳介部の外側を結ぶ周縁を縁取るものとは異なるから、当業者が、乙10発明のマスクに乙8文献記載の構成を適用しても、相違点②及び③に係る本件発明の構成に至らない。

また、相違点④についても、前記アのとおり、乙10発明から容易に想到できるとはいえない。

エ したがって、当業者が乙10発明に上記各文献に記載されている技術常識ないし公知技術を適用して本件発明に想到することが容易であるということはできないのであるから、本件発明が進歩性を欠くとはいえない。

(4)争点(3)(先使用の抗弁の成否)について

(被告らの主張)

被告らは、遅くとも平成27年7月頃には、抗ウイルス性のニット生地で縫製されたマスクの製造を計画し、開発を進めていた。そして、同年9月頃には、マスクの商品サンプル(以下「本件サンプル品」という。)を製作し、また、抗ウイルス性のニット生地の研究開発を進め、同月下旬頃には、抗ウイルス性のニット生地で縫製されたマスクの商品化を具体的に進める段階に至っていた。

本件サンプル品は、(a)抗ウイルス剤を施したニット布地と、抗ウイルス剤を施さないニット布地との2層の布地から成り、(b)鼻部、下顎部、左右の両耳介部の付け根の外側を覆う形態で、表側に前記抗ウイルス剤を施したニット布地を、前記鼻部及び前記下顎部と接する内側には前記抗ウイルス剤を施さないニット布地を重ねてマスク本体を形成し、(c)該マスク本体には、鼻頂部、左耳介部の外側、下顎部、右耳介部の外側を結ぶ周縁に沿ってニット布地で一定厚みの縁取を形づくる枠体を形成し、(d)中央部には、前記鼻部の鼻下及び唇部を覆って空間を形づくる可及的に伸縮性をもたない非伸縮性の接合部を形成した、(e)抗ウイルス性衛生マスクである。

したがって、被告らは、本件優先日より前に、本件発明の内容を知らないで自ら本件サンプル品を完成させ、その実施の準備を行っており、被告製品は本件サンプル品と同一の発明の範囲内のものであるから、被告らは本件特許権に対して先使用権を有し、被告らが被告製品の製造、販売等をする行為は本件特許権を侵害しない。

(原告の主張)

被告らが、平成27年7月から9月頃にかけて、抗ウイルス性のニット生地で縫製されたマスクの製造を計画し、開発を進めていたという事実はない。被告らは、平成27年7、8月頃のマスクの製造に関する被告ら間の電子メール(乙27、28)を提出するが、同電子メールには被告らが抗ウイルス性マスクを開発していたことの記載はない。この頃、原告代表者は被告徳光に対して抗ウイルス性マスクを中国に輸出することを打診し、被告徳光は取引先であった被告マルゼンに対して中国輸出用の抗ウイルス性マスクの話を持ち掛けていたのであり、上記電子メールは、原告が製造を検討していた抗ウイルス性マスクに関するものであって、被告製品に関するものではない。

また、被告らは、平成27年9月下旬頃には、抗ウイルス性のニット生地で縫製されたマスクの商品化を具体的に進める段階に至っていたと主張し、その証拠として電子メール等(乙31~33)を提出するが、これらの電子メールは靴下の抗ウイルス試験に関するものであり、マスクに関する記載はない。

さらに、被告らは、同月頃には、本件サンプル品を製作したと主張し、写真(乙30)や仕様書(乙34)を提出するが、同写真の撮影日や仕様書との関係は不明であり、さらに、写真や仕様書からは本件サンプル品の構成は不明であり、被告ら主張の構成(a)~(e)を有するものではない。

以上のとおり、被告らが、本件優先日より前に、本件発明の内容を知らないで、その実施の準備を行っていたとは認められないのであるから、被告らは本件特許権に対して先使用権を有しない。

(5)争点(4)(原告の損害額)について

(原告の主張)

被告らが、平成29年8月10日(本件特許の登録日)から平成31年3月26日までに、被告製品を販売することによって得た利益は、被告徳光が10万5700円、被告マルゼンが30万4580円であるから、同額が本件特許権の侵害によって原告の受けた損害であると推定される(特許法102条2項)。

また、本件特許権の侵害と因果関係がある弁護士費用相当額は、被告徳光につき1万0570円、被告マルゼンにつき3万0458円である。

(被告らの主張)

損害額に関する原告の主張は争う。

6.裁判所の判断

1 本件発明の技術的意義

(1)本件明細書(甲2)の発明の詳細な説明欄には、次の記載がある。

-省略-

(2)前記(1)の本件明細書の記載によれば、本件発明は、衛生マスクの構成に関する発明であり、抗ウイルス剤を施したニット布地と、抗ウイルス剤を施さないニット布地との2層以上の布地から成り、鼻部、下顎部、左右の両耳介部を覆う形態で、表側に前記抗ウイルス剤を施したニット布地を、前記鼻部及び前記下顎部と接する内側には前記抗ウイルス剤を施さないニット布地を重ねてマスク本体を形成し、該マスク本体には、鼻頂部、左耳介部の外側、下顎部、右耳介部の外側を結ぶ周縁に沿ってニット布地で一定厚みの縁取を形づくる枠体を形成し、中央部には、前記鼻部の鼻下及び唇部を覆って空間を形づくる非伸縮性の接合部を形成するという構成を採用することで、抗ウイルス性とフィット性に優れた衛生マスクを実現することができるという点に技術的意義があると認められる。

2 争点(1)-ア(「左右の両耳介部を覆う形態」(構成要件B)の充足性)について

(1)「左右の両耳介部を覆う形態」の意義について、本件明細書には、次の記載がある。

「以下、本発明に係る抗ウイルス性衛生マスクを実施するための形態を図面に基づいて説明する。」(段落【0028】)

「マスク本体10の形態は、上下方向には、鼻頂部21(隆起した鼻の一部)から下顎部22(下顎の喉方向に入った部分)に至る長さとし、左右方向には、一方の右又は左の耳介の裏側から始まって他方の左又は右の耳介の裏側へと至る長さとする(図1~図4、及び図8参照)。総じて、鼻部、左右の両耳介部、下顎部を全体的に覆う形態となる。」(段落【0043】【0044】)

「マスク本体10の下顎部22は、下顎の底部に掛かり、下顎の喉方向に入った部分も覆う形態とする。

鼻部、左右の両耳介部、下顎部を全体的に覆うことで枠体の密着効果を高めるためである。

一方、左右方向へは、両耳介の外側に及ぶ外周に沿って左耳介部23a、右耳介部23bを形成する他に、耳介内側にもニット布地で一定厚みの縁取による左内耳介部24a、右内耳介部24bを形成する(図1、図6参照)。左右両耳介の外側に及ぶ外周に沿った左耳介部23a、右耳介部23bによって、鼻頂部21から耳介外側に向けて密着力が働くが、残された耳介内側と頬部との間には、そのままでは間隙が生じ易い。

そこで、この耳介内側にも縁取による左内耳介部24a、右内耳介部24bを形成することで、両耳介と頬との隙間発生を防止する。」(段落【0052】~【0056】)

「本発明マスクは、鼻部、下顎部、左右の両耳介部を覆う形態でマスク本体10が形成され、該マスク本体10の外周に沿ってニット布地で一定厚みの縁取を形づくる枠体20が形成される(図1~図3参照)。」(段落【0066】)「そこで、使用の際、マスク本体10を顔面に装着すると、枠体20が若干伸ばされて鼻部、下顎部、左右の両耳介部に掛かると、その伸張に対するニット布地の反力として縮み方向(内側方向)に力が働く(図8参照)。伸縮性に富んだニット布地は、引張り力によって伸張すると、そこに反力が生まれ、その反力が枠体20を内側方向へ引っ張る作用を生む。その結果、鼻部、下顎部、左右の両耳介部に掛かった枠体20が、内側に若干収縮するものとなり、これが枠体20を顔面に密着させる効果を生む。」(段落【0068】~【0070】)

(2)前記(1)のとおり、本件明細書には、左右の両耳介部を覆うマスクの発明である本件発明の実施の形態として、両耳介の外側に及ぶ外周に沿ってマスクの「耳介部」を形成し、両耳介内側に頬との隙間を防止するためニット布地で一定厚みの縁取による「内耳介部」を形成することが記載されている。また、本件明細書には、本件発明を実施したマスク本体の形態として【図1】~【図4】、【図8】を参照することが記載されているところ、これらの図のマスクでは、いずれも、耳介の外側に及ぶ外周に沿うものである「耳介部」の枠体と、頬に接し得る「内耳介部」の枠体が形成されていて、【図8】には、マスク本体の外周に沿った枠体が耳介部の付け根の外側を覆う形態のマスクが開示されているが、本件明細書にマスクが耳介部の全てを覆う形態の図はない(甲2)。

そして、マスク本体の外周に沿ってニット布地で一定の厚みの縁取を形作る枠体が耳介部の外側を覆い、その収縮性に伴う密着性によってウイルスの侵入を防止することができるという本件発明の技術的意義に照らすと、マスクが耳介部全てを覆う必要性はない。

これらの本件明細書の記載や本件発明の技術的意義を踏まえると、「左右の両耳介部を覆う形態」とは、マスクの枠体が左右の両耳介部の付け根の外側を覆う形態を意味すると解するのが相当である

証拠(甲5)及び弁論の全趣旨によれば、被告製品は、マスクの枠体が左右の両耳介部の付け根の外側を覆う形態であると認められ、被告製品は、「左右の両耳介部を覆う形態」(構成要件B)を充足するといえる。

(3)これに対し、被告らは、「覆う」とは、「露出するところがないように、全体にかぶせてしまう」等の意味を一般的に有することから、「左右の両耳介部を覆う形態」とは、左右の両耳介部の全てを覆う形態であると主張する。たしかに、「覆う」とは、一般的に被告らが主張するとおりの意味を有する(乙6、7)。しかし、本件発明は衛生マスクの発明であり、一般的に耳介部全てを覆う形態のマスクが当然に想定されているとはいえず、また、本件発明の上記技術的意義に照らすと、マスクが耳介部全てを覆う必要性はないし、本件明細書の記載に照らしても、被告らの主張は採用することができない。

3 争点(1)-イ(「空間を形づくる非伸縮性の接合部」(構成要件D)の充足性)について

(1)「空間を形づくる非伸縮性の接合部」の意義について、本件明細書には、マスク布地の中央部に鼻下及び唇部を覆って空間を形づくる非伸縮性の接合部を形成したので、会話等で唇を動かしても、呼吸をしても、ニット布地による拡大、縮小といった変化を生じることがなく、安定して会話や呼吸を行うことができること、非伸縮性の接合部を形成する手段として、マスク本体の中央部を左右に分離させた上、鼻下及び唇部との間に一定空間を保つような外膨らみの扇形状に裁断し、可及的に伸縮性をもたない非伸縮性とすべく縫合するとの記載がある(段落【0020】【0059】【0060】【0092】)。

そうすると、「空間を形づくる非伸縮性の接合部」とは、少なくとも、会話や呼吸の妨げにならないように、マスクの本体が鼻下及び唇の表面に接触しない程度の空間が保たれるよう、マスク本体の中央部を左右に分離させ、外膨らみの扇形状に裁断して可及的に伸縮性をもたない非伸縮性とすべく縫合する構成を含むと解するのが相当である

証拠(甲5、21の1・2、乙37)及び弁論の全趣旨によれば、被告製品は、マスク本体の中央部を左右に分離させ、外膨らみの扇形状に裁断して縫合する構成を有しており、それによって、マスク本体の中央部に非伸縮性の接合部が形成され、会話や呼吸の妨げにならない程度に、マスクの本体が鼻下及び唇の表面に接触しない程度の空間が保たれていると認められる。

したがって、被告製品は、「空間を形づくる非伸縮性の接合部」(構成要件D)を充足するといえる。

(2)これに対し、被告は、「非伸縮性の接合部」について、「非」とは、後に続く語句について「そうでない」という意味であり、「非伸縮性」とは、伸縮しない、又は、伸縮するものを除くという意味であると主張するが、本件明細書には、前記のとおりの記載があり、他方、「非伸縮性」について全く伸縮性を有しないとは記載されていない。また、本件発明はニット生地のマスクに関する発明であり、一切伸縮しない製品のみを想定しているとは考え難い

被告は、本件明細書の記載(段落【0060】【0061】)から、「非伸縮性」の接合部とは、二重の縫合であることが必須の構成であると主張するが、本件明細書の段落【0061】には、「例えば・・・二重の縫合を施すことで可及的な非伸縮性を得ることができる。」との記載があるとおり、二重の縫合はあくまで実施形態の一つとして例示されているにすぎず、「非伸縮性」の接合部の構成が二重の縫合に限定されるとは認められない。

したがって、被告の主張はいずれも採用することができない。

4 争点(2)乙10発明に基づく進歩性欠如)について

(1)乙10文献には、鼻口部周囲を密着して覆うための立体形状マスクであって、そのマスクが、布地に対してカップ状の立体形状を形成するための接合箇所が支持補強機能を有する少なくとも交差する2本の線状部分からなることを特徴とする布地製立体形状マスクであり(乙10文献の【請求項1】)、布地が複数枚積層され(乙10文献の【請求項7】)、その支持補強機能は、装着中に呼吸する度に膨らんだりする動きを防ぎ、カップ状の立体形状を崩さない構造であって、接合箇所を縫製することによって非伸縮性の接合部を形成することによってもたらされる(乙10文献の段落【0007】【0015】【0019】)という構成を有する乙10発明が開示されていると認められる(乙10)。

原告は、乙10文献には伸縮性を抑えるために非伸縮性の接合箇所を形成するという技術思想は開示されていないと主張するが、乙10文献には、マスクの生地として伸縮性がある素材を使わないとフィット性があるマスクになりにくいと記載されていて(乙10文献の段落【0015】)、マスクの生地に伸縮性の素材を用いることが記載されており、乙10発明の接合部は縫製により形成されているところ(乙10文献の段落【0019】)、縫製により非伸縮性がもたらされるから、乙10文献には、伸縮性を抑えるために非伸縮性の接合箇所を形成するという技術思想が開示されているというべきである。

(2)乙10発明と本件発明を対比すると、2層以上の布地から成り、鼻部、下顎部を覆う形態で、中央部には、前記鼻部の鼻下及び唇部を覆って空間を形づくる非伸縮性の接合部を形成した衛生マスクであるという点で一致し、①本件発明は、抗ウイルス剤を施したニット布地と、抗ウイルス剤を施さないニット布地との2層以上の布地から成り、表側に前記抗ウイルス剤を施したニット布地を、前記鼻部及び前記下顎部と接する内側には前記抗ウイルス剤を施さないニット布地を重ねてマスク本体を形成したものであるのに対し、乙10発明は抗ウイルス剤を施したニット布地を用いていない点(相違点①)、②本件発明は、マスク本体が鼻部、下顎部、左右の両耳介部を覆う形態であるのに対し、乙10発明は、マスク本体とは別に左右の両耳介部を覆う紐を設けている点(相違点②)、③本件発明のマスク本体は、鼻頂部、左耳介部の外側、下顎部、右耳介部の外側を結ぶ周縁に沿ってニット布地で一定の厚みの縁取を形づくる枠体を形成したものであるのに対し、乙10発明のマスク本体は、そのような枠体を備えていない点(相違点③)で相違する。

(3)相違点①について、被告は、乙11文献の「加工剤が口唇や鼻孔に直接、接触するマスクは対象としない」との記載等から、2層以上の布地のうち口唇や鼻孔に接触する可能性のある内側に抗ウイルス剤を施さない布地を重ねてマスクを形成することは当業者の技術常識であると主張する。しかし、乙11文献の上記記載から、2層の布地の表面側のみに抗ウイルス剤を施すことが容易に想到し得るとはいえず、他に2層以上の布地のうち口唇や鼻孔に接触する可能性のある内側に抗ウイルス剤を施さない布地を重ねてマスクを形成することが技術常識であったと認めるに足りる証拠もない。また、乙12文献にはマスクは記載されていないから、乙12文献の記載からマスクに抗ウイルス剤を施すことが容易に想到し得るともいえない。

相違点②及び③について、被告は、乙8文献に、マスク本体の周縁部を縁取材でくるんで縫い綴じるとの記載があることを根拠に、マスクの分野において、マスク本体周縁に沿ってニット布地で一定厚みの縁取を形づくる枠体を形成することは容易に想到することができると主張する。しかしながら、本件発明は、鼻頂部、左耳介部の付け根の外側、下顎部、右耳介部の付け根の外側を結ぶ周縁に沿ってニット布地で一定厚みの縁取を形づくる枠体を形成するものであるところ(前記2)、乙8文献に記載されたマスク本体の縁取り材4は耳介部の外側を縁取ってはおらず、耳介部の付け根の外側を覆うのは耳掛け2である。そして、乙8文献には、耳掛け2は帯紐状であり、マスク本体の四隅の角部に縫い付けていると記載されており(乙8文献の【0007】【0008】【0015】)、耳掛け2がマスク本体の縁取りを形作る枠体であるとはいえず、乙8文献の記載から、鼻頂部、左耳介部の外側、下顎部、右耳介部の外側を結ぶ周縁に沿ってニット布地で一定厚みの縁取を形づくる枠体を形成することが容易に想到し得るともいえない。

(4)以上によれば、本件優先日当時、当業者は、乙10発明に上記各先行文献に記載されている技術常識ないし公知技術を適用して、相違点①ないし③に係る本件発明の構成に容易に想到することができたとは認められず、本件発明が進歩性を欠くとはいえない。

5 争点(3)(先使用の抗弁の成否)について

被告らは、平成27年9月頃には、(a)抗ウイルス剤を施したニット布地と、抗ウイルス剤を施さないニット布地との2層の布地から成り、(b)鼻部、下顎部、左右の両耳介部の付け根の外側を覆う形態で、表側に前記抗ウイルス剤を施したニット布地を、前記鼻部及び前記下顎部と接する内側には前記抗ウイルス剤を施さないニット布地を重ねてマスク本体を形成し、(c)該マスク本体には、鼻頂部、左耳介部の外側、下顎部、右耳介部の外側を結ぶ周縁に沿ってニット布地で一定厚みの縁取を形づくる枠体を形成し、(d)中央部には、前記鼻部の鼻下及び唇部を覆って空間を形づくる可及的に伸縮性をもたない非伸縮性の接合部を形成した、(e)抗ウイルス性衛生マスクである本件サンプル品を作製したと主張し、その証拠として、マスクの写真(乙30)及び仕様書(乙34)を提出する。

しかしながら、上記各証拠によっても、本件サンプル品について、少なくとも、抗ウイルス剤を施したニット布地と、抗ウイルス剤を施さないニット布地との2層の布地から成ること(構成(a))や、表側に前記抗ウイルス剤を施したニット布地を、鼻部及び前記下顎部と接する内側には前記抗ウイルス剤を施さないニット布地を重ねてマスク本体を形成していること(構成(b)の一部)を認めることはできず、他にこれらを認めるに足りる証拠はない。

そうすると、本件サンプル品は被告製品と同一の発明の範囲内のものであるとは認められないから、その余の先使用権の成立要件を判断するまでもなく、被告が本件特許権に対して先使用権を有するとは認められない。

6 争点(4)(原告の損害額)について

以上によれば、被告らによる被告製品の製造、販売等は原告の本件特許権を侵害するから、原告は、被告らに対し、特許法100条1項に基づき被告製品の製造等の差止めを請求することができるとともに、同条2項に基づき、侵害行為を組成した被告製品及びその半製品(被告製品の構造を具備するが製品として完成するに至らないもの)の廃棄を請求することができる。

また、原告は、被告らに対して民法709条に基づく損害賠償金の支払を求めることができる。被告らが、平成29年8月10日(本件特許の登録日)から平成31年3月26日までに、被告製品を販売することによって得た利益は、被告徳光が10万5700円、被告マルゼンが30万4580円であるから(前提事実(3))、同額が原告の受けた損害であると推定される(特許法102条2項)。

また、本件特許権の侵害と因果関係がある弁護士費用相当額は、被告徳光につき1万0570円、被告マルゼンにつき3万0458円であると認めるのが相当である。