ヒト結膜肥満細胞安定化剤事件

投稿日: 2019/09/06 0:10:18

今日は、平成30年(行ヒ)第69号 審決取消請求事件について検討します。本件は最高裁判決です。裁判所のホームページで見つけた時には、専門外の分野に関する判決なので目を通すだけにしておこうと思いましたが知財高裁の判決の「付言」を読んで面白いと思い、アップすることにしました。

 

1.検討結果

(1)本判決は、要は、原審である知財高裁の判決において、本件発明に係る化合物はもちろん引用発明1とも引用発明2とも構造が異なる化合物の結果をもって本件発明の効果の程度を予測可能としているが、異なる化合物の結果から直ちに本件発明の効果の程度を予測できるものではなく、そのような認定をするのであれば、異なる化合物の結果から本件発明の効果の程度を予測できる根拠を明らかにしなければならない、というものです。

(2)医薬品等の分野での発明は、地裁や知財高裁でも顕著な効果を検討した判決は目にするので、この最高裁判決の記載内容自体は特に目新しいものではないように思います。

(3)ところで、下表にまとめたように特許無効審判から本件判決に至るまでの手続きは複雑です。

特許権者は、特許無効審判で答弁書提出とともに訂正請求して訂正(以下、訂正1)しましたが、最初の審決(以下、審決1)で特許無効と判断されました。その後、特許権者は、改正前の特許法で訂正の機会を得るために、形式的な審決取消訴訟(以下、審決取消訴訟1)を起こし、さらに訂正審判を請求しました。

これにより、知財高裁では差戻決定が出され、特許庁の審判部で審理が再開されるので、特許権者が訂正請求して訂正(以下、訂正2)しました。その結果、2回目の審決(以下、審決2)で特許維持と判断されました。その後、請求人は審決取消訴訟(以下、審決取消訴訟2)を起こしたところ、審決を取消すとの判決が出ました。これに対して特許権者は最高裁に上告しましたが却下されました。

審理再開後に特許権者は訂正請求して訂正(以下、訂正3)をしました。その結果、審決(以下、審決3)で再び特許維持と判断されました。その後、請求人は審決取消訴訟(以下、審決取消訴訟3)を起こしたところ、再び審決を取消すとの判決が出ました。これに対して特許権者は最高裁に上告したところ、上告が受理され、本件判決が出されました。

(4)これら一連の手続きの中で特許権者が行った手続の具体的な内容が非常に興味深いです。審決取消訴訟2では、訂正2の内容で進歩性について争われましたが、引用発明の組み合わせには動機づけが存在し、これらに基づくと本件発明は容易に想到可能である、との判決が出ました。その後の特許無効審判の審理で特許権者は訂正3を行いましたが、この訂正3は訂正2と全く同じものでした。そして、審決取消訴訟2の判決で認定された引用発明の組み合わせ可否についてではなく、引用発明からは当業者が予測できない顕著な効果を本件発明は奏するので進歩性を有する、という主張を展開しました。

つまり、本件は、審決取消訴訟において、当業者にとって先行技術の組み合わせにより容易に想到可能であるとして進歩性が否定された発明にも関わらず、再度の審決取消訴訟において、進歩性が否定された発明(同一の訂正)の内容のままで、新たに引用発明からは予測できない顕著な効果を奏するので進歩性を有する、との主張を行うことが認められた例となります。これが実務上は押さえておくべき点だと思います。

(5)実際、審決取消訴訟3の判決文の最後に知財高裁の裁判官は「当事者に、前訴と同一の引用例である引用例1及び引用例2から、前訴と同一で訂正されていない本件発明1を、当業者が容易に発明することができなかったとの主張立証を許すことは、特許庁と裁判所の間で事件が際限なく往復することになりかねず、訴訟経済に反するもので、行政事件訴訟法33条1項の規定の趣旨に照らし、問題があったといわざるを得ない。」と書いて、特許庁の審判合議体を非難しています。しかし、最高裁が、こう書いた知財高裁に対し、新たに主張された顕著な効果についての検討不足であった、と差し戻したことで、顕著な効果を主張するタイミングについて幅が広がるかもしれません。

(6)最近の知財高裁の進歩性に関する判例を読んでいると、技術分野に関わらず、特許に係る発明とも引用発明とも異なる構成の先行発明を使って周知技術や技術常識を認定し、特許に係る発明の進歩性を否定する案件が見受けられます。もちろん、「異なる」部分が実質的な相違ではなく、確かに進歩性が欠如しているとの印象を持つものも多いのですが、最高裁の指摘するように、「異なる」部分があるにも関わらず周知技術や技術常識を認定するために使うことができる理由についての説明が不足しているように感じる判例もあったので、今回の最高裁判決は特許権者にとって色々良かったように思います。

(7)それにしても、特許庁が審決を取り消した審決取消訴訟2と同一の訂正3の内容でありながら特許維持との審決をし、これら一連の手続きにおける特許権者側の弁護士が元知財高裁の判事であることにガチ感があって面白いものでした。

2.手続の時系列の整理(特許第3068858号)

① 審決1(審決日:2011年12月26日)の結論である特許無効(請求成立)を不服として被請求人(特許権者)が起こした1回目の審決取消訴訟は直ぐに差し戻されています。これは改正前の制度に基づくもので訂正審判を請求することで訂正後のクレーム内容で改めて特許無効審判の審理を受けるための形式的な手続きです。

② そのため、審決2(審決日:2013年1月31日)の結論である特許維持(請求不成立)を不服として請求人が起こした2回目の審決取消訴訟と、この2回目の審決取消訴訟の判決の結論である特許無効(審決取消)を受けての審決3(審決日:2016年12月8日)の結論である特許維持(請求不成立)を不服として請求人が起こした3回目の審決取消訴訟が実質的な審決取消訴訟です。

③ この3回目の審決取消訴訟の判決では再度特許無効(審決取消)となり、これに対する上告が受理されて最高裁で本件判決が出されました。

④ 出願日より20年以上経過していますが、本件特許権は抹消されていません。存続期間満了日は2021年5月3日です。これは特許存続期間の延長登録が認められたためです。

3.特許請求の範囲

(1)登録時

【特許請求の範囲】

【請求項1】

アレルギー性眼疾患を処置するための局所投与可能な眼科用組成物であって、治療的有効量の11−(3−ジメチルアミノプロピリデン)−6,11−ジヒドロジベンズ[b,e]オキセピン−2−酢酸またはその薬学的に受容可能な塩を含有する、組成物。

(2)審決1時(第1回訂正)

【請求項1】

ヒトにおけるアレルギー性眼疾患を処置するための局所投与可能な眼科用組成物であって、治療的有効量の11-(3-ジメチルアミノプロピリデン)-6,11-ジヒドロベンズ[b,e]オキセピン-2-酢酸またはその薬学的に受容可能な塩を含有する、組成物。

(3)審決2時(第2回訂正)

【請求項1】

ヒトにおけるアレルギー性眼疾患を処置するための局所投与可能な、点眼剤として調製された眼科用ヒト結膜肥満細胞安定化剤であって、治療的有効量の11-(3-ジメチルアミノプロピリデン)-6,11-ジヒドロジベンズ[b,e]オキセピン-2-酢酸またはその薬学的に受容可能な塩を含有する、ヒト結膜肥満細胞安定化剤

(4)審決3時(第3回訂正)

【請求項1】

ヒトにおけるアレルギー性眼疾患を処置するための局所投与可能な、点眼剤として調製された眼科用ヒト結膜肥満細胞安定化剤であって、治療的有効量の11-(3-ジメチルアミノプロピリデン)-6,11-ジヒドロジベンズ[b,e]オキセピン-2-酢酸またはその薬学的に受容可能な塩を含有する、ヒト結膜肥満細胞安定化剤

4.審決取消訴訟判決2(平成25年(行ケ)第10058号 審決取消請求事件)

1.当事者の主張

(1)原告の主張(取消事由3(甲1を主引例とする進歩性の判断の誤り))

本件審決は、①甲1には、KW-4679、すなわち、化合物AのZ体の塩酸塩では、モルモットの結膜肥満細胞は安定化されないことが示されており、そのような否定的な甲1の記載は、当業者にとって、ヒト結膜肥満細胞に対しては化合物Aは安定化を示すものであることを示唆するものではないし、また、そのようなモルモットにおける否定的な結果を、ヒトにおける有効性を示唆するものとして解するような、本件特許の優先日時点の技術常識も見当たらないから、本件訂正発明1及び2における「ヒト結膜肥満細胞安定化」という発明特定事項は、甲1に記載のものから動機付けられたものとはいえない、②甲4には、甲4でいう「化合物20」すなわち化合物Aを含む化合物(I)についてのラットにおける、homologous PCA(同族受動皮膚アナフィラキシー)の試験により、PCA抑制作用が示されたことが記載されているが、肥満細胞からのヒスタミン等のオーコタイドの遊離の抑制を評価するものではなく、肥満細胞安定化を評価するものではない、さらに、「48時間homologous PCA」の試験結果を受けて、「PCA抑制作用は皮膚肥満細胞からのヒスタミンなどのケミカルメディエーターの遊離の抑制作用に基づくものと考えられ」るとの記載があるが、この記載は、推測を記載したものであり、実際に試験をして確認したものとは解されないし、甲4記載の「48時間homologous PCA」の試験は、ラットの皮膚において実施したものであるから、「肥満細胞の不均一性」についての技術常識を考慮すれば、ラット皮膚の試験系についての甲4の当該記載は、「ヒト結膜」に対する肥満細胞安定化効果を何ら示唆するものではなく、甲4及び技術常識を考慮したとしても、甲1及び甲4のいずれにも、「ヒト結膜肥満細胞安定化」の点は記載も示唆もないから、本件訂正発明1及び2における「ヒト結膜肥満細胞安定化」という発明特定事項は、甲1及び甲4からは動機付けられたものとはいえないとして、甲1を主引例とする進歩性欠如の原告主張の無効理由2は、理由がない旨判断したが、以下のとおり、本件審決の判断は誤りである。

ア 技術常識の認定の誤り

本件審決は、甲101ないし103(審判乙1ないし3)の記載によれば、本件特許の優先日(平成7年6月6日)前に、「クロモグリク酸二ナトリウムによるヒスタミン放出等の阻害作用は、肥満細胞のタイプによって有無が見られるとともに、げっ歯類の肥満細胞とヒト肥満細胞とは異なる反応を示すということ」は、当業者の技術常識であったことが認められ、上記の技術常識は、クロモグリク酸二ナトリウムだけに限ったものではなく、同様の薬物を含めて広く「肥満細胞の不均一性」として当業者に周知となっており、「ラット肥満細胞における実験はヒト肥満細胞における実験を予測するものではないということ」が、当業者の技術常識となっていたものと認められる旨認定した。

しかしながら、以下のとおり、本件特許の優先日当時、本件審決にいう「肥満細胞の不均一性」が技術常識であったものとは認められず、むしろ、種や部位が相違する実験結果であっても、肥満細胞からのケミカルメディエーターの遊離抑制効果をある程度予測できることが技術常識であったものであり、ラット肥満細胞における実験結果からヒト肥満細胞における実験結果を予測できたものであるから、本件審決の上記認定は誤りである。

(ア)種差について

甲7(1頁右欄の【薬効薬理】)、甲10(2頁左欄の[薬効薬理])、甲13(49頁左欄11行~14行、55頁左欄下から2行~右欄8行)、甲14(1021頁左欄14行~18行、1025頁右欄33行~37行)、甲15(1149頁左欄8行~17行、1155頁左欄10行~18行)、甲16(467頁左欄1行~右欄14行)、甲17(438頁左欄20行~26行)、甲18(475頁右欄10行~14行、26行~34行)、甲20(1519頁左欄6行~9行、12行~27行)、甲23(2頁の【薬効薬理】)及び甲205(90頁左欄16行~右欄3行、92頁左欄14行~16行)の記載事項によれば、本件特許の優先日前に、アレルギー性結膜炎のモルモットモデルは、ヒトのアレルギー性結膜炎のモデルとして広く用いられており、当業者は、モルモット又はラットのアレルギー性結膜炎を利用した試験結果から、ヒトのアレルギー性結膜炎の治療への適用を期待したり、実際にヒトに適用していた。

また、本件特許の優先日前にヒトにおけるアレルギー性結膜炎用の点眼液として製品化されていた、「ザジテンⓇ点眼液0.05%」(ケトチフェンフマル酸塩点眼液)の添付文書(甲7)及び「アレギサールⓇ点眼液0.1%」(ペミロラストカリウム点眼液)の添付文書(甲10)には、ラット腹腔肥満細胞におけるケミカルメディエーターの遊離抑制の実験結果によって、ヒトの抗アレルギー点眼剤におけるケミカルメディエーターの遊離抑制効果があることを確認できたことが示されている。

さらに、甲205には、ラット腹腔肥満細胞からのヒスタミン遊離抑制の実験結果から、ヒト好塩基球からのヒスタミン遊離抑制の実験結果を予測可能であることが示されている。

したがって、種差にかかわらず、ラットにおける実験結果からヒトにおけるケミカルメディエーターの遊離抑制の実験結果を予測できるというのが本件特許の優先日当時の技術常識であった。

(イ)部位差について

前記(ア)の甲7、甲10及び甲205の記載事項に加え、甲41(審判参考資料2)(192頁左欄下から4行~193頁左欄下から5行、194頁左欄2行~9行)、甲42(審判参考資料3)(30頁左欄6行~右欄4行)及び甲206(618頁左欄下から2行~右欄15行、619頁左欄11行~14行、17行~19行)の記載事項には、フマル酸ケトチフェン(甲7、205)、ペミロラストカリウム(甲10)、トラニラスト(甲41、42)、L-アスコルビン酸6-ドコサヘキサエン酸エステル(甲206)の多様な薬剤において、部位差があっても、他部位の結膜肥満細胞のケミカルメディエーターの遊離抑制効果から、結膜肥満細胞のケミカルメディエーターの遊離抑制効果が予測可能であることが示されている。

したがって、部位差にかかわらず、結膜以外の肥満細胞による実験結果から、結膜肥満細胞におけるケミカルメディエーターの遊離抑制の実験結果を予測できるというのが本件特許の優先日当時の技術常識であった。

(ウ)甲101ないし103等について

甲101ないし103(審判乙1ないし3)には、いずれもクロモグリク酸二ナトリウムによる実験では、ラット結合組織肥満細胞におけるヒスタミン遊離抑制効果とヒト肺肥満細胞におけるヒスタミン遊離抑制効果が異なる挙動を示したことが記載されている。

しかし、甲101ないし103(甲101と甲102は、L. B. Schwartzが著者であり、実質的には2グループの文献)では、いずれも、クロモグリク酸二ナトリウムという同一の薬剤を用いた実験が記載されており、広く一般化できるような技術常識が記載されているわけではない。

また、本件審決では、甲101ないし103に記載された事実が、クロモグリク酸二ナトリウム以外にも応用できる根拠を何ら示していない。

前記(ア)及び(イ)のとおり、甲7、10、13ないし18、20、23、41、42、205、206等の多種多様な薬剤に根拠を持つ多数の文献に、種や部位が相違する実験結果であっても、肥満細胞からのケミカルメディエーターの遊離抑制効果を予測できることが示されていたにもかかわらず、本件審決が、クロモグリク酸二ナトリウムのみの少数の文献のみを根拠として、本件審決にいう「肥満細胞の不均一性」を技術常識であると認定したことは誤りである。

被告らは、この点について、「肥満細胞の不均一性」を技術常識であることの根拠として、甲101ないし103に加えて、甲127ないし129を挙げるが、これらの6文献のうち、種差について記載されているのは甲102のみであり、甲101、103、127ないし129は種差について言及するものではなく、これらの文献から「肥満細胞の不均一性」を技術常識であることを裏付けることはできない。

そして、種や部位が相違したことによって異なる挙動を示した事例が少数あるからといって、当業者が他の種や部位で適用してみる動機付けを阻害するものではない。

イ 甲1の記載事項の評価の誤り

甲1には、「抗原抗体反応による結膜からのヒスタミン遊離に対する各薬物の効果を検討したところ、…ketotifenおよびKW-4679は無効であった。」との記載がある。

しかるところ、Ketotifen(ケトチフェン)の点眼液は、本件特許の優先日前に、抗ヒスタミン作用以外にヒスタミン遊離抑制作用を有することが知られていること(甲32の1253頁右欄18行~20行、甲7)に鑑みれば、甲1に接した当業者は、甲1の上記記載は甲1の著者らの実験ではケトチフェン等について「有意な効果差を確認できなかった」ことを「無効であった」と表現したものと認識し、甲1の上記記載からケトチフェンと同列に扱われているKW-4679の結膜肥満細胞安定化効果(ヒスタミン放出阻害効果)が皆無であるとまでは認識しない。

したがって、甲1の上記記載を根拠として、本件審決が、甲1には、KW-4679、すなわち、化合物AのZ体の塩酸塩では、モルモットの結膜肥満細胞は安定化されないことが示されていると認定したのは、誤りである。

そして、KW-4679がケトチフェンと同様にいくばくかの肥満細胞安定化効果を奏することが期待できれば、本件訂正発明1及び2を容易に発明することができたものであり、甲1の上記記載は、本件訂正発明1及び2の容易想到性を阻害することにはならない。

ウ 甲4の記載事項の評価の誤り

本件審決は、甲4には、「化合物20」(化合物A)を含む「化合物(I)」についてのラットにおけるhomologous PCA(同族受動皮膚アナフィラキシー)の試験により示された「PCA抑制作用」について、「PCA抑制作用は皮膚肥満細胞からのヒスタミンなどのケミカルメディエーターの遊離の抑制作用に基づくものと考えられ」るとの記載があるが、この記載は、推測を記載したものであり、実際に試験をして確認したものとは解されないし、甲4記載の「48時間homologous PCA」の試験は、ラットの皮膚において実施したものであるから、「肥満細胞の不均一性」についての技術常識を考慮すれば、ラット皮膚の試験系についての甲4の当該記載は、「ヒト結膜」に対する肥満細胞安定化効果を何ら示唆するものではない旨認定した。

しかしながら、推測を記載した公知文献であっても、その記載に基づいて当業者が発明を想到できたものであれば、進歩性欠如の根拠として十分である。

また、甲4記載の「ラットの48時間homologous PCA試験」(13頁右下欄16行~14頁左上欄18行)は、ケミカルメディエーターの遊離抑制を直接的に測定したものではなく、甲4には、肥満細胞からのケミカルメディエーターの遊離抑制が確定的には記載されていないが、一方で、甲4には、PCA試験は、漏出色素量を定量することによって、どの程度アナフィラキシーを抑制できたかを評価でき、その評価結果から「皮膚肥満細胞からのヒスタミンなどのケミカルメディエーターの遊離の抑制作用に基づくもの」と推論できること(15頁右上欄)が記載されている。これらの記載を総合的に考慮すれば、甲4に接した当業者においては、甲4記載の「化合物20」(化合物A)が肥満細胞からのケミカルメディエーターの遊離抑制作用を奏するであろうと推測して、甲4記載の「化合物20」(化合物A)を肥満細胞安定化剤として適用してみる動機付けは十分にある。

したがって、甲4は「ヒト結膜」に対する肥満細胞安定化効果を何ら示唆するものではないとの本件審決の認定は誤りである。

エ 周知技術の認定の誤り

本件審決は、本件訂正発明1に係る「眼科用ヒト結膜肥満細胞安定化剤」の構成(原告が本件審判において「相違点2」と特定した構成)は、「抗ヒスタミン作用のある抗アレルギー剤は、ヒスタミン遊離抑制作用も有するのが通常であった」との本件特許の優先日当時の周知技術から当業者が容易に想到できたとの原告の主張に対して、①原告が周知技術であることの根拠として挙げた甲30及び甲31は、抗アレルギー剤を、抗ヒスタミン作用のあるものと抗ヒスタミン作用のないものに分類して紹介した文献にすぎないから、抗ヒスタミン作用を有する薬物がヒスタミン遊離抑制作用をも有することが通常であったことを示すものではない、②乙4(「メルク マニュアル 第16版」日本語版第1版)を引用して、ヒスタミン遊離抑制作用のない抗ヒスタミン薬があるとして、原告の上記主張を排斥した。

しかしながら、甲30の48頁表2に掲げられている抗ヒスタミン作用のある薬剤8種は、いずれもヒスタミン遊離抑制作用の欄に「○」が記載されているのであるから、本件特許の優先日当時、「抗ヒスタミン作用のある抗アレルギー剤は、ヒスタミン遊離抑制作用も有するのが通常であった」ことに十分な根拠がある。

また、そもそも「抗ヒスタミン作用のある抗アレルギー剤は、ヒスタミン遊離抑制作用も有するのが通常であった」という原告の主張は、例外を全く許さずに抗ヒスタミン薬がヒスタミン遊離抑制作用を有していたという主張ではない。

したがって、本件審決が「抗ヒスタミン作用のある抗アレルギー剤は、ヒスタミン遊離抑制作用も有するのが通常であった」ことが周知技術でないと認定したのは誤りである。

そして、多くの抗ヒスタミン剤がヒスタミン遊離抑制作用を有するのであれば、仮に少数の例外があったとしても、抗ヒスタミン作用のある化合物に接した当業者は、当該化合物にヒスタミン遊離抑制作用もあるのではないかと思い至ることができる程度の蓋然性がある。

オ 容易想到性の判断の誤り

前記アのとおり、本件特許の優先日当時、本件審決にいう「肥満細胞の不均一性」が技術常識であったものとは認められず、種や部位が相違する実験結果であっても、肥満細胞からのケミカルメディエーターの遊離抑制効果をある程度予測できることが技術常識であったものである。

また、上記技術常識に加えて、甲4には、「化合物20」(化合物A)を含む「化合物(I)」についてのラットにおけるPCA試験の評価結果から「皮膚肥満細胞からのヒスタミンなどのケミカルメディエーターの遊離の抑制作用に基づくもの」と推論できることが記載されており、この記載は、化合物Aがヒスタミンなどのケミカルメディエーターの遊離抑制作用を奏することを示唆するものであり、甲1記載の「KW-4679」(化合物Aのシス体の塩酸塩)をヒト肥満細胞安定化剤として適用してみることの動機付けとなるものである。なお、甲1には、「抗原抗体反応による結膜からのヒスタミン遊離に対する各薬物の効果を検討したところ、…ketotifenおよびKW-4679は無効であった。」との記載があるが、前記イで述べたように、この記載は、甲1記載の「KW-4679」をヒト肥満細胞安定化剤として適用してみることの阻害理由となるものではない。

さらに、本件特許の優先日前の1994年(平成6年)11月1日に頒布された刊行物である甲209(米国特許第5、360、720号公報)には、訂正明細書記載のヒト結膜肥満細胞を用いた実験方法(実験系)と実質的に同じ実験方法が記載されており、当業者は、この記載を参酌して、ヒト結膜肥満細胞を用いた実験で甲1記載の「KW-4679」のヒト結膜肥満細胞安定化剤としての効果を確認することを容易になし得たものである。

以上を総合すれば、甲1及び甲4に接した当業者であれば、甲1記載の「KW-4679」(化合物Aのシス体の塩酸塩)をヒト結膜肥満細胞安定化剤として適用することを試みる動機付けがあり、本件訂正発明1及び2を容易に想到することができたものである。

カ まとめ

以上によれば、本件訂正発明1及び2における「ヒト結膜肥満細胞安定化」という発明特定事項は、甲1及び甲4に記載のものからは動機付けられたものとはいえないとして、甲1を主引例とする進歩性欠如の原告主張の無効理由2は理由がないとした本件審決の判断は誤りである。この判断の誤りは、審決の結論に影響を及ぼすものであるから、本件審決は取り消されるべきである。

(2)被告らの主張

ア 「肥満細胞の不均一性」が本件特許の優先日当時の技術常識であったこと

(ア)本件審決が摘示した甲101ないし103(審判乙1ないし3)の記載事項に加えて、甲127(審判乙27)(訳文1頁図3、2頁図4)、甲128(審判乙28)(訳文1頁6行~12行、2頁図1a、図1b)及び甲129(審判乙29)(訳文1頁図2、2頁7行~10行)の記載事項によれば、本件特許の優先日当時、ある化合物による肥満細胞からのヒスタミン遊離抑制については、ある動物種のある組織の肥満細胞においては抑制したものの、他の動物種の他の組織の肥満細胞を用いた実験結果では全く抑制しなかったという例が多数あることが知られており、特定の化合物が、特定の動物種(例えば、ヒト、ラット、モルモット)の特定の組織の肥満細胞(例えば、結膜肥満細胞、皮膚肥満細胞、腹膜肥満細胞、腸粘膜肥満細胞)に対して、当該肥満細胞の安定化をいくらか達成できたとしても、他の動物種の同じ組織の肥満細胞や同じ動物種の他の組織の肥満細胞において安定化を達成できるか否か、仮にできるとしてどの程度安定化できるのかについての予見可能性は極めて乏しいというのが、本件特許の優先日当時の技術常識であったものである。異なる動物種の異なる組織であればなおさら予見可能性が低い。

このように、本件特許の優先日当時、肥満細胞においては、異なる組織・異なる動物種の間で薬物応答の予測可能性が極めて低いという性質(「肥満細胞の不均一性」)があることが技術常識であったものであり、ある動物種のある組織の肥満細胞の実験結果から、他の動物種の他の組織における肥満細胞の実験結果を予測することは、極めて困難であった。

(イ)a 原告は、これに対し、甲7、10、13ないし18、20、23、41、42、204ないし206の記載事項を挙げて、異なる種・異なる組織の肥満細胞についての実験結果から、ヒト結膜肥満細胞における実験結果を予測可能であったから、「肥満細胞の不均一性」は、本件特許の優先日当時の技術常識ではなかった旨主張する。

しかしながら、甲13ないし18に関しては、ラット及びモルモットの結膜炎がヒトの結膜炎と類似しているというだけでは、これらの動物及びヒトに薬物を投与したときに、薬物応答性が同様であること(例えば、ラット及びモルモットに有効である薬物がヒトにおいても有効であること)を意味しない。また、ある薬物によりこれらの動物で結膜炎症状の抑制が見られたとしても、症状全体としての観察では、その薬物が動物又はヒトにおいて肥満細胞からのヒスタミン遊離を抑制したことを示したものとはいえない。

また、甲7、10、20、23、41、42、204ないし206に関しては、動物又はヒトの一方のみで肥満細胞からのヒスタミン遊離抑制を測定したものにすぎず、動物とヒトとで肥満細胞からのヒスタミン遊離抑制を比較したものですらないから、これらの文献は、肥満細胞について、ある種・ある組織における実験結果から他の種・他の組織における実験結果が予測可能であるとの主張の根拠とはなり得ない。そもそも、肥満細胞の不均一性とは、ある動物種のある組織の肥満細胞の実験結果から、他の動物種の他の組織における肥満細胞の実験結果を予測することが困難であるということを意味するのであって、決して、組織差や種差を超えて同じ結果になることがあり得ないことまでを意味するものではない。このため、異なる2種の肥満細胞において実験をした場合に同じ結果になることがあったとしても、そのことは、肥満細胞の不均一性を否定する根拠とはならず、まして、実験もせずに、単に、予測できるはずであるとの前提に立つ文献が、肥満細胞の不均一性を否定する根拠とはなり得ない。

したがって、原告の上記主張は、理由がない。

b また、原告は、本件審決が引用した甲101ないし103(審判乙1ないし3)に記載されているのは、いずれもクロモグリク酸に関する実験であり、クロモグリク酸以外にも応用できる根拠を示すことなく、本件審決が「肥満細胞の不均一性」を技術常識と認定したのは誤りである旨主張する。

しかしながら、肥満細胞の不均一性とは、その言葉どおり、肥満細胞自体の特性であり、クロモグリク酸は、あくまで例示にすぎず、肥満細胞自体の特性である肥満細胞の不均一性を示すためには、クロモグリク酸のみの例示で何ら問題はない。

また、本件審判において証拠として提出された甲127ないし129(審判乙27なしい29)には、クロモグリク酸だけでなく、ネドクロミル、テルフェナジン、ケトチフェン等を用いた実験に基づき、肥満細胞の不均一性が実証されている。

さらに、本件審決が挙げた甲103(審判乙3)は、「クロモリン様化合物」の開発の失敗について述べたものであって、「クロモリン」自体に限らず、「クロモリン」と同様に「肥満細胞安定化」を目指して開発されようとした化合物について述べたものである。

したがって、原告の上記主張は理由がない。

(ウ)以上によれば、本件審決が「肥満細胞の不均一性」は本件特許の優先日当時の技術常識であったと認定したことに誤りはない。

イ 甲1にはヒト結膜肥満細胞安定化についての記載も示唆もないこと

(ア)甲1は、KW-4679(化合物A)を用いて、モルモットにおける2種類の結膜炎(モデル)、具体的には、①抗原誘発の結膜炎(結膜肥満細胞の安定化と抗ヒスタミンの両方が炎症の抑制に関与する。)と②ヒスタミン誘発の結膜炎(抗ヒスタミンのみが炎症の抑制に関与する。)に対する治療効果を実験により検討し(603頁右欄1行~9行)、その実験結果に基づき、KW-4679(化合物A)が、結膜肥満細胞の安定化ではなく、抗ヒスタミン作用により、結膜炎を抑制したものと予測し(605頁左欄26行~29行)、それを実証するため、モルモットにおいて、KW-4679(化合物A)が結膜肥満細胞を安定化するか否か、より具体的には、ヒスタミンの遊離が阻害されるか否かを測定したところ、予測のとおり、KW-4679(化合物A)の結膜肥満細胞安定化について、科学的統計学的な手法により、「無効であった」(605頁左欄29~34行)と明確に記載している。

したがって、甲1に接した当業者であれば、上記記載から、KW-4679(化合物A)はモルモットの結膜の肥満細胞安定化について、文字通り、「無効であった」と理解する。

このように甲1は、KW-4679(化合物A)がモルモットの結膜肥満細胞安定化について有効か無効かを科学的統計学的に検討し、「無効であった」との結論を導いているのであるから、甲1の記載から、当業者が、本件訂正発明1及び2のヒト結膜肥満細胞安定化剤に容易に想到し得るための動機付けがあるとは到底いえない。

(イ)a 原告は、この点について、当業者は、甲1にKW-4679(化合物A)の肥満細胞安定化効果が「無効であった」と記載されていても、その効果が「皆無であるとまでは認識しない」などと主張する。

しかしながら、そもそも、甲1は、実験結果のばらつきにより、データに「差がない(効果がない)」ものを「差がある(効果がある)」ものと認識してしまう誤りを排除するために、科学的統計学的分析により「有意差」を用いて検討したものであって、当業者がKW-4679(化合物A)の肥満細胞安定化効果が「皆無であるとまでは認識しない」との原告の上記主張は、科学的統計学的分析により排除されるべき誤りをあえて犯そうとするものであり、失当である。

b 原告は、甲1に関して、ケトチフェンの例を持ち出し、ケトチフェンの点眼液について、本件特許の優先日前に抗ヒスタミン以外にヒスタミンの遊離を抑制することが知られていると述べ、そのようなケトチフェンについてまで「無効であった」とする甲1の記載からは、当業者は、ケトチフェンやKW-4679(化合物A)の肥満細胞安定化効果が皆無であるとまでは認識しない旨主張する。

しかしながら、仮にケトチフェンの点眼液が本件特許の優先日前に抗ヒスタミン以外にヒスタミンの遊離を抑制するものとして知られていたとしても、それは、あくまでKW-4679(化合物A)とは異なる化合物であるケトチフェンのヒスタミン遊離抑制効果であって、KW-4679(化合物A)がケトチフェンと同様にヒスタミン遊離抑制を示すか否かは、甲1からは全く把握することができない。

したがって、原告の上記主張は理由がない。

(ウ)以上のとおり、甲1は、KW-4679(化合物A)がモルモットの結膜肥満細胞安定化について有効か無効かを科学的統計学的に検討し、「無効であった」との結論を導いているから、本件審決が、甲1には、KW-4679、すなわち、化合物AのZ体の塩酸塩では、モルモットの結膜肥満細胞は安定化されないことが示されており、そのような甲1の記載は、当業者にとってヒト結膜肥満細胞に対しては化合物Aは安定化を示すものであることを示唆するものではないと判断したことに誤りはない。

ウ 甲4には化合物Aがヒト結膜肥満細胞を安定化することについての記載も示唆もないこと

甲4記載の「ラットの48時間homologous PCA試験」は、ケミカルメディエーターの遊離抑制を測定したものではなく、また、甲4の「PCA抑制作用は皮膚肥満細胞からのヒスタミンなどのケミカルメディエーターの遊離の抑制作用に基づくものと考えられ」との記載が、推測を記載したにすぎないものであることは、原告も認めるとおりである。そして、PCA試験は、皮膚における漏出色素量を測定するものであって、肥満細胞安定化だけでなく、抗炎症性メディエーター作用等を含む複合的な要因により結果として観察されるアレルギー症状全体を評価するものにすぎない。そのため、肥満細胞からのケミカルメディエーターの遊離を抑制できなくとも、アレルギー反応の流れにおいてより下流に位置するヒスタミン受容体へのヒスタミンの結合を阻害する等の反応によって、アレルギー症状全体としては抑制されたものとして観察され、PCA試験では有効と評価されるものであるから、PCA試験で有効であることは、肥満細胞を安定化することを示すものではない。このように甲4の記載は、ラットのいかなる組織においても、肥満細胞の安定化を示すものではなく、まして、ヒト結膜肥満細胞を安定化することを示すものではないから、甲4の記載からヒト結膜肥満細胞の安定化を予測することが不可能である。

また、甲4において、「ラット」の「皮膚」において肥満細胞が安定化されたことが実証されていたと仮定したとしても、前記ア(ア)で述べたとおり、肥満細胞には「肥満細胞の不均一性」があり、ある動物のある組織における肥満細胞の実験結果から、ヒト結膜における肥満細胞の実験結果を予測することは困難であるから、化合物Aがヒト結膜における肥満細胞を安定化するこを動機付けるものでも、示唆するものでもない。

エ 抗ヒスタミン剤であればヒスタミンの遊離も抑制するのが通常であるとの周知技術が存在しないこと

原告は、甲30及び甲31を根拠として挙げて、本件特許の優先日当時、抗ヒスタミン剤は、ヒスタミンの遊離も抑制するのが通常であったことは周知であった旨主張する。

しかしながら、甲30及び甲31は、そもそも、抗アレルギー剤のうち、「ヒスタミンの遊離を抑制するもの」に着目した文献であり、「ヒスタミンの遊離を抑制するもの」を母集団として、「抗ヒスタミンであるもの」と「「抗ヒスタミンでないもの」とに分類した文献であり、「抗ヒスタミン剤であって、ヒスタミンの遊離を抑制しないもの」は、そもそも母集団に含まれていないため、甲30及び甲31の記載から、抗ヒスタミン剤は、ヒスタミンの遊離も抑制するのが通常であったとの原告の主張を根拠付けることは論理的に不可能である。

実際にも、「抗ヒスタミン剤であって、ヒスタミンの遊離を抑制しないもの」は、本件特許の優先日当時、数多く存在していたのであって、「抗ヒスタミン剤」であるからといって、ヒスタミンの遊離も抑制するとは到底いえない。

したがって、原告の上記主張は失当である。

オ 本件特許の優先日当時、当業者がヒト結膜肥満細胞を用いたアッセイ系を構築し、利用可能とすることは極めて困難であったこと

ある化合物がヒト結膜肥満細胞を安定化するか否かを検証するためには、ヒト結膜肥満細胞を用いたin vitroの実験系(生体から切り離された実験系)が必要不可欠である。なぜなら、安全性が確立されていない化合物を、生きているヒトの目に投与することは危険極まりないからである。

本件特許の優先日当時、ヒト結膜肥満細胞を用いた実行可能な実験系(アッセイ系)の構築について記載された文献としては、本件特許の優先日のわずか約7月前に公開された甲209(米国特許第5、360、720号公報)が存在していたが、それ以外には存在しなかった。

そして、ヒト結膜肥満細胞を用いたアッセイ系の構築に成功するには、甲209に記載された技術情報だけでなく、①実験材料である新鮮なヒトの死体から取り出された眼を入手することの困難性、②必要なドナーの眼の数や組織の量、③ドナーの条件を満たすこと、④肥満細胞についての当業者の理解に沿った精製方法とは異なる方法によらなければならないことといった重要な技術的課題を認識し、それらを克服しなければならず、そのために必然的に相当量の時間と労力を要することからすれば、当業者が、本件特許の優先日までに、ヒト結膜肥満細胞を用いたアッセイ系の構築に成功することは極めて困難であった。

このことは、実際にも、米国のみならず、日本を含むいかなる国においても、本件特許の優先日前のみならず、本件特許の優先日の数年後でさえ、ヒト結膜肥満細胞を用いたアッセイ系を開発したという報告が、いかなる企業からも研究機関からも報告されておらず、ヒト結膜肥満細胞を用いたアッセイ系を使用しようとした試みさえも、報告されていないこと(乙20)によっても裏付けられる。

このように当業者が、本件特許の優先日までに、ヒト結膜肥満細胞を用いたアッセイ系の構築に成功することは極めて困難であったものであり、いわんや、そのようなヒト結膜肥満細胞を用いた実行可能なアッセイ系は周知技術となるには至っていなかった。

したがって、当業者が、本件特許の優先日当時、KW-4679(化合物A)がヒト結膜肥満細胞を安定化する効果があるか否かを検証することは極めて困難であったものである。

カ 本件訂正発明1及び2を容易に想到することができなかったこと

前記イのとおり、甲1は、KW-4679(化合物A)がモルモットの結膜肥満細胞安定化について有効か無効かを科学的統計学的に検討し、「無効であった」との結論を導いており、甲1には、KW-4679(化合物A)に肥満細胞安定化効果がないことが明示されているのであるから、KW-4679(化合物A)がヒト結膜肥満細胞の安定化を示すことについての記載も示唆もない。

次に、前記ウのとおり、甲4には、ラットのいかなる組織においても、肥満細胞の安定化を示すものではなく、まして、ヒト結膜肥満細胞を安定化することを示すものではないから、甲4の記載からヒト結膜肥満細胞の安定化を予測することが不可能である。また、甲4において、「ラット」の「皮膚」において肥満細胞が安定化されたことが実証されていたと仮定したとしても、前記アで述べたとおり、肥満細胞には「肥満細胞の不均一性」があることに鑑みると、化合物Aがヒト結膜における肥満細胞を安定化することを動機付けるものでも、示唆するものでもない。

したがって、甲1及び甲4に接した当業者において、甲1記載のKW-4679(化合物A)をヒト結膜肥満細胞を安定化させるために用いることの動機付けがないから、甲1及び甲4に基づいて本件訂正発明1及び2を容易に想到することができたものとはいえない。

さらに、前記オのとおり、本件特許の優先日当時、KW-4679(化合物A)がヒト結膜肥満細胞を安定化することを検証するために不可欠なヒト結膜肥満細胞を用いたアッセイ系は、当業者にとって現実的に利用可能な技術ではなく、KW-4679(化合物A)がヒト結膜肥満細胞を安定化する効果があるか否かを検証することは極めて困難であったものであるから、当業者は、甲1及び甲4に基づいて、KW-4679(化合物A)をヒト結膜肥満細胞安定化剤として用いることができることを容易に想到することができたものとはいえない。

キ まとめ

以上によれば、甲1を主引例とする進歩性欠如の原告主張の無効理由2は理由がないとした本件審決の判断に誤りはなく、原告主張の取消事由3は理由がない。

2.裁判所の判断

原告は、本件審決が、甲1及び甲4のいずれにも、「ヒト結膜肥満細胞安定化」の点は記載も示唆もないから、本件訂正発明1及び2における「ヒト結膜肥満細胞安定化」という発明特定事項は、甲1及び甲4からは動機付けられたものとはいえないとして、甲1を主引例とする進歩性欠如の原告主張の無効理由2は理由がないと判断したのは誤りである旨主張するので、以下において判断する。

(1)甲1の記載事項等について

ア 甲1には、次のような記載がある(下記記載中に引用する「図1」、「図2」及び「表1」については別紙2を参照)。

-省略-

イ 前記アによれば、甲1には、モルモットに抗原誘発及びヒスタミン誘発したアレルギー性結膜炎に対する各種抗アレルギー薬の影響を検討した結果、KW-4679の点眼は、10及び100ng/μlの濃度で、抗原誘発したアレルギー性結膜炎症に有意な抑制作用を示したこと、KW-4679の点眼は、抗原誘発結膜炎よりもヒスタミン誘発結膜炎に対してより強力な抑制効果を示したことが記載されているから、甲1には、アレルギー性結膜炎を抑制するためのKW-4679を含有する点眼剤が記載されていることが認められる。

そして、甲2の1、2には、KW-4679は、「(Z)-11-(3-ジメチルアミノプロピリデン)-6、11-ジヒドロジベンズ[b、e]オキセピン-2-酢酸」の塩酸塩(化合物AのZ体(シス異性体)の塩酸塩)であることが記載されている。

そうすると、甲1記載のKW-4679は、本件訂正発明1の「11-(3-ジメチルアミノプロピリデン)-6、11-ジヒドロジベンズ[b、e]オキセピン-2-酢酸」の「薬学的に受容可能な塩」に相当するとともに、本件訂正発明2の「(Z)-「11-(3-ジメチルアミノプロピリデン)-6、11-ジヒドロジベンズ[b、e]オキセピン-2-酢酸」に相当することが認められる。

一方で、甲1には、KW-4679が「ヒト」の結膜肥満細胞に対してどのように作用するかについての記載はない。

(2)甲4の記載事項等について

ア 甲4には、次のような記載がある(下記記載中に引用する「第5表」については別紙3を参照)。

-省略-

イ 前記アによれば、甲4には、式(I)の一般式で表される化合物(I)の記載があり、化合物(I)に含まれる化合物の例として、「化合物A」のシス体及びトランス体に相当する「化合物20」が示されている。

また、甲4には、化合物(I)に含まれる化合物について、抗アレルギー作用試験としてラットを用いた「48時間homologous PCA試験」の試験を行い、化合物20(化合物A)が「PCA抑制作用陽性」を示し、その最小有効量「MEDmg/kg」が「トランス」体は「0.1」、「シス」体は「0.01」であったことの記載があり(別紙3の第5表参照)、上記試験の試験結果(別紙3の第5表)の記載を受けて、「化合物(I)及びその薬理上許容される塩」の「PCA抑制作用」について「PCA抑制作用は皮膚肥満細胞からのヒスタミンなどのケミカルメディエーターの遊離の抑制作用に基づくものと考えられ」るとの記載がある。

(3)本件特許の優先日当時の技術常識について

原告は、本件審決が、本件特許の優先日当時、クロモグリク酸二ナトリウム及び同様の薬物について「ラット肥満細胞における実験はヒト肥満細胞における実験を予測するものではないということ」が「肥満細胞の不均一性」として、技術常識であった旨認定したのは誤りであり、種や部位が相違する実験結果であっても、肥満細胞からのケミカルメディエーターの遊離抑制効果をある程度予測できることが技術常識であったものであり、ラット肥満細胞における実験結果からヒト肥満細胞における実験結果を予測できた旨主張する。これに対して被告らは、本件審決が「肥満細胞の不均一性」は本件特許の優先日当時の技術常識であったと認定したことに誤りはなく、本件特許の優先日当時、肥満細胞においては、異なる組織・異なる動物種の間で薬物応答の予測可能性が極めて低いという性質(「肥満細胞の不均一性」)があるため、ある動物種のある組織の肥満細胞の実験結果から、他の動物種の他の組織における肥満細胞の実験結果を予測することは、極めて困難であった旨主張する。

そこで、以下においては、本件において提出された各文献に基づいて、本件特許の優先日当時における肥満細胞に係る技術常識について検討する。

ア 各文献の記載事項について

-省略-

イ ヒトのアレルギー性結膜炎を抑制する薬剤の研究及び開発に係る技術常識について

前記アによれば、本件特許の優先日当時におけるヒトのアレルギー性結膜炎を抑制する薬剤の研究及び開発に係る技術常識として、次の点が認められる。

(ア)抗アレルギー薬は、その作用機序によって、肥満細胞から産生・遊離されるヒスタミンなどの各種の化学伝達物質(ケミカルメディエーター)に対する拮抗作用を有する薬剤、それらの化学伝達物質の肥満細胞からの遊離抑制作用を有する薬剤の二つに大別され(前記ア(チ)、(ツ)、ヒトのアレルギー性結膜炎を抑制する薬剤の研究及び開発においても、この二つの作用を確認することが一般的に行われていいた(前記ア(キ)、(ク)、(ソ)、(タ)、(テ)、(ト)、(ナ))。

(イ)ヒトのアレルギー性結膜炎を抑制する薬剤の研究及び開発において、ヒトのアレルギー性結膜炎に類似するモデルとしてラット、モルモットの動物結膜炎モデルが作製され、点眼効果等の薬剤の効果判定に用いられていた(前記ア(ケ)ないし(セ)、(ト)、(ナ)、(ヌ))。

また、本件特許の優先日当時販売されていたヒトにおける抗アレルギー点眼剤(例えば、「ザジテンⓇ点眼液0.05%(ケトチフェンフマル酸塩点眼液)」、「アレギサールⓇ点眼液0.1%(ペミロラストカリウム点眼液)」、「エリックスⓇ点眼液0.25%(アンレキサノクス点眼液」)の添付文書(「薬効・薬理」欄)には、各有効成分がラット、モルモットの動物結膜炎モデルにおいて結膜炎抑制作用を示したことや、ラットの腹腔肥満細胞等からのヒスタミン等の化学伝達物質の遊離抑制作用を示したことが記載されていた(前記ア(キ)、(ク)、(タ))。

ウ 肥満細胞の不均一性について

(ア)前記ア(ア)ないし(ウ)によれば、甲101ないし103には、肥満細胞には複数の型が存在し、ヒト及びラットなどのげっ歯類において、種が異なり、又は同じ種内であっても組織(部位)が異なると肥満細胞の型が異なり、また、肥満細胞の型が異なると、薬剤のヒスタミン遊離抑制作用に対する反応性が異なるという肥満細胞の不均一性が存在し、その具体例として、クロモグリク酸ナトリウムによるヒスタミン放出等の阻害作用について、ヒト肥満細胞とげっ歯類の肥満細胞とでは異なる反応を示したことが記載されている。

また、前記ア(エ)及び(オ)によれば、甲127及び甲128には、クロモグリク酸ナトリウム、ネドクロミルナトリウム、テルフェナジン及びケトチフェンは、ヒトの異なる組織の肥満細胞に対するヒスタミン遊離抑制作用が異なることが記載されている。

さらに、前記ア(カ)によれば、甲129には、ネドクロミルナトリウムは、ラットにおいて、腹膜及び胸膜肥満細胞にヒスタミン遊離抑制作用を示すが、腸からの粘膜肥満細胞には不活性であることが記載され、また、ハムスターの腹膜肥満細胞は、ラットの腹膜肥満細胞よりも活性が低く、マウスの腹膜肥満細胞には不活性であることが記載されている。

他方で、前記イ(イ)のとおり、本件特許の優先日当時販売されていたヒトにおける抗アレルギー点眼剤の添付文書(「薬効・薬理」欄)には、各有効成分がラット、モルモットの動物結膜炎モデルにおいて結膜炎抑制作用を示したことや、ラット腹腔肥満細胞等からのヒスタミン等の化学伝達物質の遊離抑制作用を示したことが記載されている。これらのヒトにおける抗アレルギー点眼剤は、薬事法に基づく医薬品の製造販売の承認を受けて製造販売に至ったものであり、その承認を受けるに当たり、ヒトにおける効能又は効果についても審査を受けているものと考えられる。加えて、前記イ(イ)のとおり、ヒトのアレルギー性結膜炎を抑制する薬剤の研究及び開発において、ヒトのアレルギー性結膜炎に類似するモデルとしてラット、モルモットの動物結膜炎モデルが作製され、点眼効果等の薬剤の効果判定に用いられていたことを考慮すると、ラット、モルモットの動物結膜炎モデルにおける薬剤の応答性に関する実験結果とヒトの結膜炎における薬剤の応答性に関する実験結果が同様の傾向を示す場合があることや、ラット、モルモットのある組織の肥満細胞の実験結果とヒトの結膜における肥満細胞の実験結果が同様の傾向を示す場合があることを否定することはできないというべきである。

以上を総合すると、本件特許の優先日当時、薬剤による肥満細胞に対するヒスタミン遊離抑制作用は、肥満細胞の種又は組織が異なれば異なる場合があり、ある動物種のある組織の肥満細胞の実験結果から他の動物種の他の組織における肥満細胞の実験結果を必ずしも予測することができないというのが技術常識であったものと認められる。この意味において、肥満細胞には不均一が存在するものと認められるから、本件審決が「ラット肥満細胞における実験はヒト肥満細胞における実験を予測するものではないということが、当業者の技術常識となっていたもの認められる」と認定したこと自体に誤りはないものと認められる。

(イ)原告は、これに対し、甲7、10、13ないし18、20、23、41、42、205、206等によれば、本件特許の優先日当時、「肥満細胞の不均一性」が技術常識であったとはいえず、種や部位が相違する実験結果であっても、肥満細胞からのケミカルメディエーターの遊離抑制効果をある程度予測できることが技術常識であったものであり、ラット肥満細胞における実験結果からヒト肥満細胞における実験結果を予測できた旨主張する。

しかしながら、原告が挙げる各証拠は、ラットやモルモットの動物結膜炎モデルがヒトのアレルギー性結膜炎に類似しており、抗アレルギー剤の効果判定に有益であることや、ラットの腹腔肥満細胞からのヒスタミン遊離抑制効果と同様の効果がスギ花粉症患者の涙液中のヒスタミン量にみられ、種や組織が異なる肥満細胞において、ある薬剤のケミカルメディエーター遊離抑制効果が同じ場合があることを示すものにすぎず、種や組織が異なる肥満細胞における実験結果から、ヒト結膜肥満細胞における実験結果が予測可能であることを積極的に示すものではなく、上記各証拠から、ラット肥満細胞における実験結果からヒト肥満細胞における実験結果を予測できたものとまで認めることはできないから、原告の上記主張は採用することができない。

(ウ)また、被告らは、この点に関し、本件特許の優先日当時、肥満細胞においては、異なる組織・異なる動物種の間で薬物応答の予測可能性が極めて低いという性質(「肥満細胞の不均一性」)があるため、ある動物種のある組織の肥満細胞の実験結果から、他の動物種の他の組織における肥満細胞の実験結果を予測することは、極めて困難であった旨主張する。

しかしながら、前記(ア)認定のとおり、ラット、モルモットの動物結膜炎モデルにおける薬剤の応答性に関する実験結果とヒトの結膜炎における薬剤の応答性に関する実験結果が同様の傾向を示す場合があることや、ラット、モルモットのある組織の肥満細胞の実験結果とヒトの結膜における肥満細胞の実験結果が同様の傾向を示す場合があることを否定することはできず、肥満細胞の不均一性は、ある動物種のある組織の肥満細胞の実験結果から他の動物種の他の組織における肥満細胞の実験結果を必ずしも予測することができないというのにとどまるというべきであるから、その限度において、被告らの上記主張は採用することができない。

(4)本件訂正発明1及び2の容易想到性の判断について

原告は、本件審決が、本件訂正発明1及び2における「ヒト結膜肥満細胞安定化」という発明特定事項は、甲1及び甲4に記載のものからは動機付けられたものとはいえないとして、甲1を主引例とする進歩性欠如の原告主張の無効理由2は理由がないと判断したのに対し、本件特許の優先日当時、種や部位が相違する実験結果であっても、肥満細胞からのケミカルメディエーターの遊離抑制効果をある程度予測できることが技術常識であったこと、甲4には、「化合物20」(化合物A)を含む「化合物(I)」についてのラットにおけるPCA試験の評価結果から「皮膚肥満細胞からのヒスタミンなどのケミカルメディエーターの遊離の抑制作用に基づくもの」と推論できることが記載されており、この記載は、化合物Aがヒスタミンなどのケミカルメディエーターの遊離抑制作用を奏することを示唆するものであること、本件特許の優先日当時、「ヒトの結膜肥満細胞を用いた実験系」は公知であったこと(甲209)を総合すれば、甲1及び甲4に接した当業者であれば、甲1記載の「KW-4679」(化合物Aのシス体の塩酸塩)をヒト結膜肥満細胞安定化剤として適用することを試みる動機付けがあり、本件訂正発明1及び2を容易に想到することができたから、本件審決の判断は誤りである旨主張するので、以下において判断する。

ア 容易想到性について

(ア)甲1には、アレルギー性結膜炎を抑制するためのKW-4679(化合物Aのシス異性体の塩酸塩)を含有する点眼剤が記載され、また、甲1には、モルモットに抗原誘発及びヒスタミン誘発したアレルギー性結膜炎に対する各種抗アレルギー薬の影響を検討した結果、KW-4679の点眼は、10及び100ng/μlの濃度で、抗原誘発したアレルギー性結膜炎症に有意な抑制作用を示したこと、及び抗原誘発結膜炎よりもヒスタミン誘発結膜炎に対してより強力な抑制効果を示したことが記載されていることは、前記(1)イ認定のとおりである。

そして、前記(3)イ(イ)認定のとおり、本件特許の優先日当時、ヒトのアレルギー性結膜炎を抑制する薬剤の研究及び開発において、ヒトのアレルギー性結膜炎に類似するモデルとしてラット、モルモットの動物結膜炎モデルが作製され、点眼効果等の薬剤の効果判定に用いられていたこと、本件特許の優先日当時販売されていたヒトにおける抗アレルギー点眼剤の添付文書(「薬効・薬理」欄)には、各有効成分がラット、モルモットの動物結膜炎モデルにおいて結膜炎抑制作用を示したことや、ラットの腹腔肥満細胞等からのヒスタミン等の化学伝達物質の遊離抑制作用を示したことが記載されていたことからすると、甲1に接した当業者は、甲1には、KW-4679が「ヒト」の結膜肥満細胞に対してどのように作用するかについての記載はないものの、甲1記載のアレルギー性結膜炎を抑制するためのKW-4679を含有する点眼剤をヒトにおけるアレルギー性眼疾患の点眼剤として適用することを試みる動機付けがあるものと認められる

(イ)そして、本件特許の優先日当時、ヒトのアレルギー性結膜炎を抑制する薬剤の研究及び開発において、当該薬剤における肥満細胞から産生・遊離されるヒスタミンなどの各種の化学伝達物質(ケミカルメディエーター)に対する拮抗作用とそれらの化学伝達物質の肥満細胞からの遊離抑制作用の二つの作用を確認することが一般的に行われていたことは、前記(3)イ(ア)認定のとおりであるから、当業者は、甲1記載のKW-4679を含有する点眼剤をヒトにおけるアレルギー性眼疾患の点眼剤として適用することを試みるに際し、KW-4679が上記二つの作用を有するかどうかの確認を当然に検討するものといえる。

加えて、前記(2)イ認定のとおり、甲4には、化合物20(「化合物A」に相当)を含む一般式で表される化合物(I)及びその薬理上許容される塩のPCA抑制作用について、「PCA抑制作用は皮膚肥満細胞からのヒスタミンなどのケミカルメディエーターの遊離の抑制作用に基づくものと考えられ」るとの記載がある。この記載は、ヒスタミン遊離抑制作用を確認した実験に基づく記載ではないものの、化合物20(「化合物A」に相当)を含む一般式で表される化合物(I)の薬理作用の一つとして肥満細胞からのヒスタミンなどのケミカルメディエーター(化学伝達物質)の遊離抑制作用があることの仮説を述べるものであり、その仮説を検証するために、化合物Aについて肥満細胞からのヒスタミンなどの遊離抑制作用があるかどうかを確認する動機付けとなるものといえる。

そうすると、甲1及び甲4に接した当業者においては、甲1記載のアレルギー性結膜炎を抑制するためのKW-4679を含有する点眼剤をヒトにおけるアレルギー性眼疾患の点眼剤として適用することを試みるに当たり、KW-4679が、ヒト結膜の肥満細胞から産生・遊離されるヒスタミンなどに対する拮抗作用を有するかどうかを確認するとともに、ヒト結膜の肥満細胞からのヒスタミンの遊離抑制作用を有するかどうかを確認する動機付けがあるものと認められる。

もっとも、甲1には、モルモットにおける「3.結膜からのヒスタミン遊離に対する作用」に関する「実験成績」として「KW-4679の効果は有意ではなかった」、「4.涙液中のヒスタミン含量に対する作用」に関する「実験成績」として「KW-4679は、有意な効果を示さなかった」(前記(1)ア(エ))との記載があり、さらに「考察」として、「・・・KW-4679は主としてこれらの薬物が有する抗ヒスタミン作用により抗原抗体反応による結膜炎を抑制したのではないかと考えられる」、「抗原抗体反応による結膜からのヒスタミン遊離に対する各薬物の効果を検討したところ…KW-4679は無効であった」(前記(1)ア(オ))との記載がある。これらの記載は、甲1におけるモルモットの動物結膜炎モデルにおける実験では、KW-4679は、結膜からのヒスタミン遊離抑制作用を有さなかったことを示すものといえる。

しかしながら、上記のとおり、本件特許の優先日当時、ヒトのアレルギー性結膜炎を抑制する薬剤の研究及び開発において、当該薬剤における肥満細胞から産生・遊離されるヒスタミンなどの各種の化学伝達物質(ケミカルメディエーター)に対する拮抗作用とそれらの化学伝達物質の肥満細胞からの遊離抑制作用の二つの作用を確認することが一般的に行われており、甲1記載のKW-4679を含有する点眼剤をヒトにおけるアレルギー性眼疾患の点眼剤として適用することを試みるに際し、当業者は、KW-4679が上記二つの作用を有するかどうかの確認を当然に検討するものといえること、さらには、前記(3)ウ(ア)認定のとおり、本件特許の優先日当時、薬剤による肥満細胞に対するヒスタミン遊離抑制作用は、肥満細胞の種又は組織が異なれば異なる場合があり、ある動物種のある組織の肥満細胞の実験結果から他の動物種の他の組織における肥満細胞の実験結果を必ずしも予測することができないというのが技術常識であったことに鑑みると、甲1に、モルモットの動物結膜炎モデルにおける実験においてKW-4679がヒスタミン遊離抑制作用を有さなかったことが記載されていることは、KW-4679がヒト結膜の肥満細胞からのヒスタミンの遊離抑制作用を有するかどうかを確認する動機付けを否定する事由にはならないものと認められる。

(ウ)以上によれば、甲1及び甲4に接した当業者は、甲1記載のアレルギー性結膜炎を抑制するためのKW-4679を含有する点眼剤をヒトにおけるアレルギー性眼疾患の点眼剤として適用することを試みる動機付けがあり、その適用を試みる際に、KW-4679が、ヒト結膜の肥満細胞から産生・遊離されるヒスタミンなどに対する拮抗作用を有することを確認するとともに、ヒト結膜の肥満細胞からのヒスタミンの遊離抑制作用を有することを確認する動機付けがあるというべきであるから、KW-4679についてヒト結膜の肥満細胞からのヒスタミンの遊離抑制作用(「ヒト結膜肥満細胞安定化」作用)を有することを確認し、「ヒト結膜肥満安定化剤」の用途に適用することを容易に想到することができたものと認められる

したがって、本件訂正発明1及び2における「ヒト結膜肥満細胞安定化」という発明特定事項は、甲1及び甲4に記載のものからは動機付けられたものとはいえないとして、甲1を主引例とする進歩性欠如の原告主張の無効理由2は理由がないとした本件審決の判断は、誤りである。

イ 被告らの主張について

(ア)被告らは、これに対し、甲1は、KW-4679(化合物A)がモルモットの結膜肥満細胞安定化について有効か無効かを科学的統計学的に検討し、「無効であった」との結論を導いているのであるから、甲1の記載から、当業者が、本件訂正発明1及び2のヒト結膜肥満細胞安定化剤に容易に想到し得るための動機付けがあるとはいえないし、また、甲4の記載は、ラットのいかなる組織においても肥満細胞の安定化を示すものではなく、ヒト結膜肥満細胞を安定化することを示すものではないから、甲4の記載からヒト結膜肥満細胞の安定化を予測することが不可能であり、さらには、甲4において、「ラット」の「皮膚」において肥満細胞が安定化されたことが実証されていたと仮定したとしても、肥満細胞には「肥満細胞の不均一性」があり、ある動物のある組織における肥満細胞の実験結果から、ヒト結膜における肥満細胞の実験結果を予測することは困難であるから、化合物Aがヒト結膜における肥満細胞を安定化することを動機付けるものでも、示唆するものでもないなどと主張する。

しかしながら、前記ア(イ)認定のとおり、本件特許の優先日当時、ヒトのアレルギー性結膜炎を抑制する薬剤の研究及び開発において、当該薬剤における肥満細胞から産生・遊離されるヒスタミンなどの各種の化学伝達物質(ケミカルメディエーター)に対する拮抗作用とそれらの化学伝達物質の肥満細胞からの遊離抑制作用の二つの作用を確認することが一般的に行われており、甲1記載のKW-4679を含有する点眼剤をヒトにおけるアレルギー性眼疾患の点眼剤として適用することを試みるに際し、当業者は、KW-4679が上記二つの作用を有するかどうかの確認を当然に検討するものといえること、さらには、本件特許の優先日当時、薬剤による肥満細胞に対するヒスタミン遊離抑制作用は、肥満細胞の種又は組織が異なれば異なる場合があり、ある動物種のある組織の肥満細胞の実験結果から他の動物種の他の組織における肥満細胞の実験結果を必ずしも予測することができないというのが技術常識であったことに鑑みると、甲1に、モルモットの動物結膜炎モデルにおける実験においてKW-4679がヒスタミン遊離抑制作用を有さなかったことが記載されていることは、KW-4679がヒト結膜の肥満細胞からのヒスタミンの遊離抑制作用を有するかどうかを確認する動機付けを否定する事由にはならない。

また、前記ア(イ)認定のとおり、甲4の「PCA抑制作用は皮膚肥満細胞からのヒスタミンなどのケミカルメディエーターの遊離の抑制作用に基づくものと考えられ」るとの記載は、ヒスタミン遊離抑制作用を確認した実験に基づく記載ではないものの、化合物20(「化合物A」に相当)を含む一般式で表される化合物(I)の薬理作用の一つとして肥満細胞からのヒスタミンなどのケミカルメディエーター(化学伝達物質)の遊離抑制作用があることの仮説を述べるものであり、その仮説を検証するために、化合物Aについて肥満細胞からのヒスタミンなどの遊離抑制作用があるかどうかを確認する動機付けとなるものといえる。

したがって、被告らの上記主張は採用することができない。

(イ)また、被告らは、乙20(2014年(平成26年)3月3日付けミラー博士の宣言書)を根拠として挙げて、本件特許の優先日当時、KW-4679(化合物A)がヒト結膜肥満細胞を安定化することを検証するために不可欠なヒト結膜肥満細胞を用いたアッセイ系は、当業者にとって現実的に利用可能な技術ではなく、KW-4679(化合物A)がヒト結膜肥満細胞を安定化する効果があるか否かを検証することは極めて困難であったものであるから、当業者は、甲1及び甲4に基づいて、KW-4679(化合物A)をヒト結膜肥満細胞安定化剤として用いることができることを容易に想到することができたものとはいえない旨主張する。

そこで検討するに、乙20には、①本件特許の優先日当時、ヒト結膜肥満細胞を用いた実行可能な実験系(アッセイ系)の構築について記載された文献としては、本件特許の優先日のわずか約7月前に公開された甲209(米国特許第5、360、720号公報。1994年(平成6年)11月1日作成)が存在していたが、それ以外には存在しなかったこと、②ヒト結膜肥満細胞を用いたアッセイ系の構築に成功するには、甲209に記載された技術情報だけでなく、実験材料である新鮮なヒトの死体から取り出された眼を入手することの困難性、必要なドナーの眼の数や組織の量、ドナーの条件を満たすこと、肥満細胞についての当業者の理解に沿った精製方法とは異なる方法によらなければならないことといった重要な技術的課題を認識し、それらを克服しなければならず、そのために必然的に相当量の時間と労力を要することからすれば、当業者が、本件特許の優先日までに、ヒト結膜肥満細胞を用いたアッセイ系の構築に成功することは極めて困難であったこと、③実際にも、米国のみならず、日本を含むいかなる国においても、本件特許の優先日前のみならず、本件特許の優先日の数年後でさえ、ヒト結膜肥満細胞を用いたアッセイ系を開発したという報告が、いかなる企業からも研究機関からも報告されておらず、ヒト結膜肥満細胞を用いたアッセイ系を使用しようとした試みさえも、報告されていないことなどの記載がある。

しかしながら、本件特許の優先日前に頒布された刊行物である甲209には、ヒト結膜肥満細胞の安定化作用を確認する実験について、ヒト結膜肥満細胞の調整方法と共に詳細な実施例が記載されており(前記(3)ア(ネ))、また、ヒトのアレルギー性結膜炎を抑制する薬剤の研究及び開発に携わる当業者において、ヒト結膜肥満細胞の入手に困難が伴うとしても、実験に必要な量を入手することは不可能であったものとは考え難く、実験に必要な量を入手することができさえすれば、甲209に記載するアッセイなどに基づいて、KW-4679について肥満細胞からのヒスタミンなどの遊離抑制作用があるかどうかを確認することは可能であったものと認められる。

したがって、乙20のみを根拠として当業者がKW-4679(化合物A)がヒト結膜肥満細胞を安定化する効果があるか否かを検証することは極めて困難であったものと認めることはできない。

以上によれば、被告らの上記主張は採用することができない。

(5)まとめ

以上によれば、本件審決における甲1を主引例とする進歩性欠如の無効理由2の判断の誤りをいう原告主張の取消事由3は、理由がある。

5.審決取消訴訟判決3(平成29年(行ケ)第10003号 審決取消請求事件)

Ⅰ 当事者の主張

1.原告の主張(取消事由1(引用発明1に基づく進歩性判断の誤り))

(1)本件明細書に記載された本件発明1の効果の解釈の誤り

本件審決は、本件明細書に記載された発明の効果について、「化合物Aでは用量300μMで29.6%、600μMで47.5%、1000μMで66.7%、2000μMで92.6%のように、2000μMという高用量(高濃度)に至るまで用量依存的にヒスタミン放出阻害率が上昇し、クロモリンナトリウムやネドクロミルナトリウムのようにヒスタミン放出阻害率の最大値に達した後、さらなる用量上昇に伴い、ヒスタミン放出阻害率が低下する現象が生じていない」、「そうすると、「66.7%」及び「92.6%」という同阻害率は、用量(濃度)依存的に連続して上昇する値のうちの一部であると解すべきであり、同阻害率が2000μMの用量(濃度)で100%近い92.6%まで上昇しているのであるから、用量(濃度)が2000μMよりもさらに増加すれば100%の同阻害率を達成できることは自明である」と認定し、用量(濃度)が2000μMを超えるときの発明の効果も本件明細書に記載されているに等しいものと判断した。

しかし、本件明細書の表1には、化合物Aについて、用量が30μMから2000μMまでのデータしか示されておらず、本件明細書には、2000μMを超える用量(濃度)のときの発明の効果は記載されていない。また、本件特許の優先日前には、本件明細書の表1に記載されているネドクロシルナトリウム(判決注:「ネドクロミルナトリウム」の誤記と認める。)や、ケトチフェンのような、阻害率が最大値に達した用量(濃度)より高用量(濃度)にすると、阻害率がかえって低下する事例が知られていたから、本件特許の優先日当時において、表1を見た当業者は、化合物Aの用量(濃度)を2000μMより高用量(濃度)にしたときに、阻害率がさらに上昇するか、逆に低下するかを予測することはできなかった。

したがって、本件明細書には、「ヒスタミン放出阻害率の最大値に達した後、さらなる用量上昇に伴い、ヒスタミン放出阻害率が低下する現象が生じていない」という発明の効果は記載されていない。それにもかかわらず、上記効果を前提にして本件発明1に顕著な効果があることを認定している点で、本件審決には誤りがある。

(2)本件発明1の効果の顕著性の判断の誤り

ア 平成27年10月1日以降に利用されている特許・実用新案審査基準によれば、進歩性が肯定される方向に働く要素として「引用発明と比較した有利な効果」が挙げられ、上記有利な効果として、「引用発明の有する効果と異質な効果」と「際立って優れた効果」の二つを挙げている。

前訴判決は、引用例1及び引用例2に接した当業者は、KW-4679についてヒト結膜の肥満細胞からヒスタミンの遊離抑制作用(ヒト結膜肥満細胞安定化作用)を有することを確認し、ヒト結膜肥満細胞安定化剤の用途に適用することを容易に想到することができたものと認められると判断しており、引用発明1からヒト結膜肥満細胞安定化の用途を容易に想到することができたのであるから、ヒト結膜肥満細胞安定化という効果に関して、本件発明1は、引用発明1の有する効果と異質な効果があるわけではない。したがって、残る争点は、本件発明1の有する効果が引用発明1の有する効果と比べて際立って優れた効果といえるか、という効果の量的な問題だけである。

この点について、本件審決は、甲39に基づいて、「ケトチフェンでは、ヒト結膜肥満細胞に対して最大値のヒスタミン放出阻害率を奏する濃度(100μM程度)の3倍程度の濃度で、ヒスタミン放出阻害率が急激に低下してヒスタミンの深刻な遊離を引き起こすのに対し、AL-4943A(化合物Aのシス異性体)は、ヒト結膜肥満細胞に対して最大値のヒスタミン放出阻害率を奏する濃度(2000μM)の数倍高い濃度である10000μMに至っても、最大値のヒスタミン放出阻害率が低下せずに維持されている」と認定し、同認定に基づいて、AL-4943Aは最大値のヒスタミン放出阻害率を奏する濃度の範囲がケトチフェンより非常に広いという実験結果を、当業者が予測できたとはいえないと判断した。

しかし、前記⑴のとおり、本件明細書には、化合物Aの用量(濃度)が30~2000μMまでの実験結果しか示されておらず、2000μMを超える濃度でヒスタミン放出阻害率がどのような挙動を示すかを予測させる記載はない。

本件審決は、甲39に記載されている事項を本件明細書の記載と混同して、本件発明1の効果を判断しており、本件発明1の効果の顕著性の判断に誤りがある。

イ 発明の構成が容易に想到できた場合において、顕著な効果を有することを理由として進歩性が肯定されるためには、当該発明の全範囲において顕著な効果を有することが必要である。

しかし、本件明細書の表1によれば、化合物Aが約0.001w/v%である30μMのときのヒスタミン放出阻害率はマイナス3.9%であるため、かえってヒスタミンの遊離を促進しており、ヒト結膜肥満細胞の安定化が低下している。

このように、本件発明1は、ヒスタミン放出阻害率の評価において全く効果を有さない範囲を含んでいるから、本件発明1の全範囲が顕著な効果を有することはあり得ず、本件発明1は進歩性を有さない。

(3)本件発明2の効果の判断の誤り

本件審決は、ヒト結膜肥満細胞からのヒスタミン放出率を66.7%以上阻害することを当業者が予測することは非常に困難であるから、本件発明2を得ることは、容易に想到できないと判断した。

しかし、引用例1には、結膜からのヒスタミン遊離抑制について、ケトチフェンとKW-4679が同列に記載されている。このため、ケトチフェンと同程度にKW-4679がヒスタミン遊離抑制効果を有することは、当業者が予測し得るものであったところ、本件特許の優先日前に頒布された甲32には、0.05%ケトチフェン点眼液のヒスタミン遊離抑制率は、抗原によるアレルギー反応誘発5分後では平均67.5%、誘発10分後では平均67.2%、という記載がある。

また、ケトチフェン以外にも、本件特許の優先日前に頒布された甲20、34及び37には、ペミロラストカリウム点眼液、クロモグリグ酸ナトリウム点眼液及び塩酸プロカテラール点眼液が、抗原によるアレルギー反応誘発5分後又は10分後において70%から90%程度のヒスタミン遊離抑制率を示したという記載があることから、ヒスタミン遊離抑制率が70%前後であるという効果は、本件特許の優先日当時ありふれたものであったといえる。

このように、約67%のヒスタミン遊離抑制効果を有することは、引用例1の記載内容及び本件特許の優先日当時の技術水準から、当業者が予想できた効果の範囲内のものであり、顕著な効果ということはできない。

2.被告らの主張

(1)本件明細書に記載された本件発明1の効果の解釈に誤りはないこと

本件審決が認定するとおり、本件明細書の表1には、化合物Aが、30μMから2000μMまでの範囲内において、クロモリンナトリウムやネドクロミルナトリウムのようにヒスタミン放出阻害率の最大値に達した後、さらなる用量上昇に伴い、ヒスタミン放出阻害率が低下する現象は生じていないことが記載されている。本件審決は、その上で、化合物Aによるヒト結膜肥満細胞に対するヒスタミン放出阻害率は、2000μMという高用量(高濃度)に至るまで用量依存的に上昇し、非常に高いヒスタミン放出阻害率を有すると判断したものである。

本件明細書の表1には、クロモリンナトリウムやネドクロミルナトリウムといった、本件特許の優先日当時、肥満細胞安定化剤として周知の代表的な化合物が、それぞれ約10%や約28%の最大の阻害率を示した後は用量上昇に伴いヒスタミン放出阻害率が低下しているのに対し、化合物Aについては、300μMにおいて、ネドクロミルナトリウムの最大の阻害率を超える29.6%の阻害率を記録した後も、600μMで47.5%、1000μMで66.7%、2000μMで92.6%の阻害率を記録し、理論上の最大値付近まで上昇していることが記載されている。このように、本件明細書の実施例においては、必要かつ十分な実験が行われており、本件審決が、化合物Aによるヒト結膜肥満細胞に対するヒスタミン放出阻害率は、2000μMという高用量(高濃度)に至るまで用量依存的に上昇し、非常に高いヒスタミン放出阻害率を有すると認定したことに、何らの違法もない。原告の主張する2000μMを超える濃度範囲についての認定は、原告が甲32及び甲39を根拠とする主張をしたことに鑑みて、付加的に言及したものにすぎない。

(2)本件発明1の効果の判断に誤りはないこと

発明の構成に至る動機付けがあったと判断される場合であっても、当該発明が、当該発明の構成のものとして当業者が予測した効果と比較して顕著な効果を奏するものであれば、進歩性が肯定されると解すべきである

前記(1)のとおり、本件発明1のヒト結膜肥満細胞安定化剤は、本件特許の優先日当時、ヒト結膜肥満細胞安定化作用を有するものとして分類されていた化合物のうちの代表的なものであるクロモリンナトリウム及びネドクロミルナトリウムと比較しても、圧倒的に優れた、点眼薬の薬効として十分に高い水準において、ヒト結膜肥満細胞を安定化する効果を奏する。

他方、引用例1には、抗原体反応による結膜からのヒスタミン遊離に対する各薬物の効果を検討したところ、KW-4679(化合物Aのシス異性体の塩酸塩)は無効であったとの記載がある。したがって、たとえ本件発明1に至る動機付けがあり、本件発明1の構成が容易に想到可能であったとしても、引用例1から、化合物Aのヒト結膜肥満細胞の安定化として当業者が予測したであろう効果は、せいぜい、「引用例1のとおりヒト結膜肥満細胞安定化を全くしないであろうが、もしかしたら、5%や10%であれ多少なりとも安定化をするかもしれない」という程度のものにすぎない。また、後記2のとおり、引用例2は、いかなる動物種におけるいかなる組織における肥満細胞についても、その安定化を実証していない。

以上のとおり、本件発明1の効果は、化合物Aのヒトの結膜肥満細胞安定化として当業者が予測した効果を格段に上回るものであるから、本件発明1が当業者の予測を超える格段に顕著な効果を奏するものであることは明らかである。

本件審決の判断に誤りはない。なお、本件審決は、化合物Aが2000μMという高濃度に至るまで用量依存的にヒスタミン放出阻害率が上昇し、また、化合物Aの最大の阻害率がクロモリンナトリウムやネドクロミルナトリウムの最大の阻害率をはるかに凌駕する92.6%を示したことをもって、格別顕著な効果であることを既に認定しているのであり、甲39を参酌するまでもなく、本件発明が当業者の予測を超える顕著な効果を奏することを認定している。したがって、原告の主張するような、甲39を参酌した本件発明の効果の認定がなくとも、本件発明の効果の顕著性が認められることに変わりはない。

イ 医薬用途発明においては、当業者は、通常、濃度(用量)を適宜調節して、所望の効果を奏する濃度(用量)において発明を実施することができ、それが想定されているからこそ、医薬用途発明の技術的範囲は、特段、濃度(用量)についての限定を含めていなくとも、黙示的に、所望の効果を奏する濃度(用量)に限定され、無効理由の判断においても、そのような限定が付されたものとして判断される。

本件発明1においても、当業者は、濃度(用量)を適宜調節して、顕著な効果を奏する濃度(用量)において発明を実施することができるのであるから、特許請求の範囲において濃度又は用量の限定がないことが、顕著な効果を否定する理由となるものではない。

(3)本件発明2の効果の判断に誤りはないこと

ア 甲20、32、34及び37(以下「甲20等」と総称することがある。)に記載された実験は、インビボ試験(実際のヒトの眼球への投与実験)であり、本件発明2が前提とする実験条件とは全く異なるため、本件発明2の比較対象となり得ない。また、甲20等においては、本件発明2の化合物との比較はなされておらず、異なる化合物について、異なる実験条件の下で行った実験の結果を比較することは無意味である。

さらに、甲20等に記載された化合物のうち幾つかについては、本件発明2が前提とする実験条件と同一の実験条件において、かつ、本件発明2の化合物と比較して測定した実験結果が記載された文献(乙1)があり、同文献には、本件発明2の化合物がそれらの化合物よりも顕著に高いヒト結膜肥満細胞安定化効果を示すことが記載されている。

加えて、甲20等に記載のインビボ試験においては、実際のヒトの眼球に試験化合物が投与されるが、実際のヒトの眼球は複雑であり、ヒト結膜肥満細胞以外の種々の細胞も存在し、様々な夾雑物も存在し、ごく微量の涙液中のヒスタミンを採取する必要があるため、一般に正確な定量・評価・比較が非常に困難である。また、甲20等は、全て同じ著者らによるものであるが、ほとんどヒト結膜肥満細胞安定化を示さないことが本件明細書において明らかにされた化合物(クロモリンナトリウム)を含め、どの試験化合物についても同様に高いヒスタミン遊離抑制率が示されており、実験条件・実験手法の妥当性に疑問が残る。

したがって、甲20等に記載された実験結果に基づいて本件発明2の顕著な効果を否定することはできない。

イ 本件発明2は、本件発明1の実施態様の一つであり、実質的には、本件発明1と比較して、「ヒト結膜肥満細胞からのヒスタミン放出を66.7%以上阻害する」との加重の発明特定事項を有するものといえる。そして、前記(2)のとおり、そのような加重発明特定事項を有さない本件発明1が、顕著な効果を有するものとして進歩性が肯定されるのであるから、本件発明2は、加重発明特定事項について検討を加えるまでもなく、顕著な効果を有するものとして、進歩性が肯定される。

Ⅱ 裁判所の判断

1.本件各発明について

(1)本件各発明に係る特許請求の範囲請求項1及び請求項5の記載は、前記第2の2のとおりであるところ、本件明細書には、おおむね、以下の記載がある(下記記載中に引用する表1については、別紙本件明細書図表目録を参照。)。

-省略-

(2)前記(1)によれば、本件各発明の特徴は、以下のとおりであると認められる。

ア 本件各発明は、化合物Aのアレルギー性眼疾患を処置するため及び/又は予防するための治療上及び予防上の局所使用に関する。(前記(1)ア)

イ 化合物Aは、ヒト結膜肥満細胞安定化活性を有し、いくつかの場合において、1日1回又は2回の数少ない頻度で適用され得る。(前記(1)エ)

ウ ヒト結膜から得られた肥満細胞における抗アレルギー性の肥満細胞安定剤の阻害効果について試験したところ、化合物A(シス異性体)は、肥満細胞脱顆粒の濃度依存的な阻害を引き起こした。(表1)(前記(1)オ)

エ 本件各発明の点眼剤を調製する一般的な方法は、化合物A及び等張剤を滅菌精製水に加え、必要ならば、保存剤、緩衝剤、安定剤、粘性のビヒクルなどを溶液に加え、そこに溶解させる。化合物Aの濃度は、滅菌精製水に基づいて、0.0001から5w/v%、好ましくは0.001から0.2w/v%であり、最も好ましくは約0.1w/v%である。溶解後、pHを、眼科学的医薬としての使用に許容される範囲内、好ましくは4.5から8の範囲内に、pH調製剤を用いて調製される。(前記(1)カ)

2 引用発明1について

(1)引用例1(甲1)には、おおむね次の記載がある。

-省略-

(2)引用例1記載の発明

前記(1)によれば、引用例1には、アレルギー性結膜炎を抑制するためのKW-4679を含有する点眼剤が記載されていることが認められる。なお、KW-4679は、「Z-11-(3-ジメチルアミノプロピリデン)-6、11-ジヒドロジベンズ[b、e]オキセピン-2-酢酸」の塩酸塩(化合物AのZ体(シス異性体)の塩酸塩)である(甲2の1・2)。よって、引用例1記載のKW-4679は、本件発明1の「11-(3-ジメチルアミノプロピリデン)-6、11-ジヒドロジベンズ[b、e]オキセピン-2-酢酸」(化合物A)の「薬学的に受容可能な塩」に相当するとともに、本件発明2の「(Z)-「11-(3-ジメチルアミノプロピリデン)-6、11-ジヒドロジベンズ[b、e]オキセピン-2-酢酸」(化合物Aのシス異性体)に相当するものである。

以上のとおり、引用例1には、アレルギー性結膜炎を抑制するためのKW-4679(化合物Aのシス異性体の塩酸塩)を含有する点眼剤が記載されていることが認められる。

3 取消事由1(引用発明1に基づく進歩性判断の誤り)について

(1)本件各発明と引用例1記載の発明との対比

引用例1記載の発明は、前記2(2)のとおりであることから、同発明と本件各発明とは、前記第2の3(2)記載のとおりの相違点1ないし4を有するものと認められ、この点は当事者間に争いがない。

(2)確定した前訴判決の判断

前訴判決(甲84)は、「取消事由3(甲1を主引例とする進歩性の判断の誤り)」と題する項目において、本件特許の優先日当時における技術常識について後記アのとおり認定し、それを踏まえて、後記イのとおり、引用例1及び引用例2に接した当業者は、KW-4679を「ヒト結膜肥満細胞安定化剤」の用途に適用することを容易に想到することができたものと認められ、引用例1を主引例とする進歩性欠如の原告主張の無効理由は理由がないとした第2次審決の判断は、誤りであると判断した。

ア 本件特許の優先日当時の技術常識

(ア)ヒトのアレルギー性結膜炎を抑制する薬剤の研究及び開発に係る技術常識抗アレルギー薬は、その作用機序によって、肥満細胞から産生・遊離されるヒスタミンなどの各種の化学伝達物質に対する拮抗作用を有する薬剤、それらの化学伝達物質の肥満細胞からの遊離抑制作用を有する薬剤の二つに大別され、ヒトのアレルギー性結膜炎を抑制する薬剤の研究及び開発においても、この二つの作用を確認することが一般的に行われていた。

ヒトのアレルギー性結膜炎を抑制する薬剤の研究及び開発において、ヒトのアレルギー性結膜炎に類似するモデルとしてラット、モルモットの動物結膜炎モデルが作成され、点眼効果等の薬剤の効果判定に用いられていた。

本件特許の優先日当時販売されていたヒトにおける抗アレルギー点眼剤の添付文書(「薬効・薬理」欄)には、各有効成分がラット、モルモットの動物結膜炎モデルにおいて結膜炎抑制作用を示したことや、ラットの腹腔肥満細胞等からのヒスタミンなどの化学伝達物質の遊離抑制作用を示したことが記載されていた。

(83頁18行~84頁15行)

(イ)肥満細胞の不均一性

本件特許の優先日当時、薬剤による肥満細胞に対するヒスタミン遊離抑制作用は、肥満細胞の種又は組織が異なれば異なる場合があり、ある動物種のある組織の肥満細胞の実験結果から他の動物種の他の組織における肥満細胞の実験結果を必ずしも予測することができないというのが技術常識であった。

しかし、ラット、モルモットの動物結膜炎モデルにおける薬剤の応答性に関する実験結果とヒトの結膜炎における薬剤の応答性に関する実験結果が同様の傾向を示す場合があることや、ラット、モルモットのある組織の肥満細胞の実験結果とヒトの結膜における肥満細胞の実験結果が同様の傾向を示す場合があることを否定することはできず、肥満細胞の不均一性は、ある動物種のある組織の肥満細胞の実験結果から他の動物種の他の組織における肥満細胞の実験結果を必ずしも予測することができないというのにとどまる。

(85頁25行~86頁7行、87頁5行~13行)

イ 第2次訂正後の各発明の容易想到性

(ア)引用例1には、アレルギー性結膜炎を抑制するためのKW-4679(化合物Aのシス異性体の塩酸塩)を含有する点眼剤が記載され、また、モルモットに抗原誘発及びヒスタミン誘発したアレルギー性結膜炎に対する各種抗アレルギー薬の影響を検討した結果、KW-4679の点眼は、10及び100ng/μlの濃度で、抗原誘発したアレルギー性結膜炎症に有意な抑制作用を示したこと、及び抗原誘発結膜炎よりもヒスタミン誘発結膜炎に対してより強力な抑制効果を示したことが記載されている。

そして、本件特許の優先日当時、ヒトのアレルギー性結膜炎を抑制する薬剤の研究及び開発において、ヒトのアレルギー性結膜炎に類似するモデルとしてラット、モルモットの動物結膜炎モデルが作製され、点眼効果等の薬剤の効果判定に用いられていたこと、本件特許の優先日当時販売されていたヒトにおける抗アレルギー点眼剤の添付文書(「薬効・薬理」欄)には、各有効成分がラット、モルモットの動物結膜炎モデルにおいて結膜炎抑制作用を示したことや、ラットの腹腔肥満細胞等からのヒスタミン等の化学伝達物質の遊離抑制作用を示したことが記載されていたことからすると、引用例1に接した当業者は、引用例1には、KW-4679が「ヒト」の結膜肥満細胞に対してどのように作用するかについての記載はないものの、引用例1記載のアレルギー性結膜炎を抑制するためのKW-4679を含有する点眼剤をヒトにおけるアレルギー性眼疾患の点眼剤として適用することを試みる動機付けがあるものと認められる。

(88頁7行~89頁2行)

(イ)そして、本件特許の優先日当時、ヒトのアレルギー性結膜炎を抑制する薬剤の研究及び開発において、当該薬剤における肥満細胞から産生・遊離されるヒスタミンなどの各種の化学伝達物質(ケミカルメディエーター)に対する拮抗作用とそれらの化学伝達物質の肥満細胞からの遊離抑制作用の二つの作用を確認することが一般的に行われていたことから、当業者は引用例1記載のKW-4679を含有する点眼剤をヒトにおけるアレルギー性眼疾患の点眼剤として適用することを試みるに際し、KW-4679が上記二つの作用を有するかどうかの確認を当然に検討するものといえる。(89頁3行~11行)

(ウ)加えて、引用例2には、化合物20(化合物A)を含む一般式で表される化合物(Ⅰ)のPCA抑制作用について、皮膚肥満細胞からのヒスタミンなどのケミカルメディエーターの遊離の抑制作用に基づくものと考えられるとの記載がある。この記載は、ヒスタミン遊離抑制作用を確認した実験に基づく記載ではないものの、化合物(Ⅰ)の薬理作用の一つとして肥満細胞からのヒスタミンなどのケミカルメディエーターの遊離抑制作用があることの仮説を述べるものであり、その仮説を検証するために、化合物Aについて肥満細胞からのヒスタミンなどの遊離抑制作用があるかどうかを確認する動機付けとなるものといえる。(89頁12行~23行)

(エ)前記(イ)の事情に加えて、本件特許の優先日当時、薬剤による肥満細胞に対するヒスタミン遊離抑制作用は、肥満細胞の種又は組織が異なれば異なる場合があり、ある動物種のある組織の肥満細胞の実験結果から他の動物種の他の組織における肥満細胞の実験結果を必ずしも予測できないというのが技術常識であったことに鑑みると、引用例1に、モルモットの動物結膜炎モデルにおける実験においてKW-4679がヒスタミン遊離抑制作用を有さなかったことが記載されていることは、KW-4679がヒト結膜の肥満細胞からのヒスタミンの遊離抑制作用を有するかどうかを確認する動機付けを否定する事由にはならない。

(90頁17行~91頁8行)

(オ)以上によれば、引用例1及び引用例2に接した当業者は、引用例1記載のアレルギー性結膜炎を抑制するためのKW-4679を含有する点眼剤をヒトにおけるアレルギー性眼疾患の点眼剤として適用することを試みる動機付けがあり、その適用を試みる際に、KW-4679が、ヒト結膜の肥満細胞から産生・遊離されるヒスタミンなどに対する拮抗作用を有することを確認するとともに、ヒト結膜の肥満細胞からのヒスタミンの遊離抑制作用を有することを確認する動機付けがあるというべきであるから、KW-4679についてヒト結膜の肥満細胞からのヒスタミンの遊離抑制作用(ヒト結膜肥満細胞安定化作用)を有することを確認し、ヒト結膜肥満安定化剤の用途に適用することを容易に想到することができたものと認められる。

したがって、第2次訂正後の各発明における「ヒト結膜肥満細胞安定化」という発明特定事項は、引用例1及び引用例2に記載のものからは動機付けられたものとはいえないとして、引用例1を主引例とする進歩性欠如の原告主張の無効理由は理由がないとした第2次審決の判断は、誤りである。

(91頁9行~23行)

(3)本件審決の判断

本件審決は、確定した前訴判決の拘束力(行政事件訴訟法33条1項)により、相違点1及び相違点2については、いずれも引用例1及び引用例2に接した当業者が容易に想到することができたものであるとされ、相違点3については、単なる設計事項にすぎないとしつつ、化合物Aは「ヒト結膜肥満細胞」に対して優れた安定化効果(高いヒスタミン放出阻害率)を有すること、また、AL-4943A(化合物Aのシス異性体)は最大値のヒスタミン放出阻害率を奏する濃度の範囲が非常に広いことは、いずれも引用例1、引用例3及び本件特許の優先日当時の技術常識から当業者が予測し得ない格別顕著な効果であり、進歩性を判断するにあたり、引用発明1と比較した有利な効果として参酌すべきものであるとして、本件各発明は当業者が容易に発明できたものとはいえないと判断したものである

(4)本件各発明の効果について

ア 発明の容易想到性は、主引用発明に副引用発明を適用する動機付けや阻害要因の有無のほか、当該発明における予測し難い顕著な効果の有無等も考慮して判断されるべきものである。そして、当該発明の効果を考慮するに当たっては、その効果が明細書に記載されていること、又は、その効果は明細書に記載されていないが、明細書又は図面の記載から当業者がその効果を推論できることが必要である。本件明細書には、本件各発明の効果に関し、以下の点が開示されている。

(ア)化合物Aは、ヒト結膜肥満細胞安定化活性を有し、いくつかの場合において、1日1回又は2回の数少ない頻度で適用され得る。化合物Aはまた、その肥満細胞安定化活性の他に、顕著な抗ヒスタミン活性を有する。従って、予防効果の他に、化合物Aはまた治療効果も有する。(6頁26行~29行)

(イ)ヒト結膜から得られた肥満細胞…における、報告されている抗アレルギー性の肥満細胞安定剤の阻害効果を、以下の実験方法に従って試験した。…表1が明らかに示すように、抗アレルギー薬であるクロモグリク酸二ナトリウムおよびネドクロミルナトリウムは、ヒト結膜肥満細胞脱顆粒を有意に阻害することができなかった。対照的に、化合物A(シス異性体)は、肥満細胞脱顆粒の濃度依存的な阻害を引き起こした。(7頁13行~9頁7行、表1)

(ウ)本発明の点眼剤を調製する一般的な方法を、以下に記載する。…化合物Aの濃度は、滅菌精製水に基づいて、0.0001から5w/v%、好ましくは0.001から0.2w/v%であり、そして最も好ましくは約0.1w/v%である。溶解後、pHを、眼科学的医薬としての使用に許容される範囲内、好ましくは4.5から8の範囲内に、pH調製剤を用いて調製する。…上記方法によって生産された点眼剤は、代表的には、1度に1から数滴の量を、1日2、3回、眼に適用することだけを必要とする。しかし、より重篤な場合には、点眼薬は1日数回適用され得る。代表的な点眼量は約30μlである。(13頁5行~14頁13行)

イ これらの記載によれば、本件明細書に接した当業者は、本件明細書に記載された実験(結膜肥満細胞を培養した細胞集団に薬剤を投じて同細胞からのヒスタミン遊離抑制率を測定する実験)において、化合物A(シス異性体)のヒト結膜組織肥満細胞からのヒスタミン放出の阻害率は、300μMで29.6%、600μMで47.5%、1000μMで66.7%、2000μMで92.6%を記録し、30μMから2000μMまでの濃度範囲内において濃度の増加とともに上昇し、1000μMでは66.7%という高いヒスタミン放出阻害効果を示し、その2倍の濃度である2000μMでも同92.6%という高率を維持していたこと、これに対し、抗アレルギー薬として知られるクロモグリク酸二ナトリウム及びネドクロミルナトリウムが、2000μMまでの濃度範囲でヒト結膜組織肥満細胞からのヒスタミン放出を有意に阻害することができなかったことを認識するものというべきである。

他方、本件明細書には、2000μMを超える濃度における化合物Aのヒスタミン放出阻害率を測定した実験結果等、2000μMを超える濃度においても化合物Aが広い範囲で高いヒスタミン放出阻害効果を有することについて説明した記載や、これを示唆する記載は存在せず、本件特許の優先日当時の技術水準に鑑みても、本件明細書の記載から、当業者において上記効果を推論できたことを認めるに足りる証拠はない。したがって、本件発明1の顕著な効果の有無を判断する際に、2000μMを超える濃度における化合物Aのヒスタミン放出阻害効果を本件発明1の効果として参酌することはできない。なお、本件特許の優先日後に頒布された甲39には、本件明細書に記載された上記実験と同様の実験方法により、AL-4943A(化合物Aのシス異性体)の濃度(用量)が2000μM程度に至っても用量依存的に上昇し、10000μMまで濃度が上昇しても90%程度の阻害率を示したことが記載されているが、当業者において、本件明細書から2000μMを超えて濃度依存的な阻害を引き起こすものと推論できない以上、本件発明1の顕著な効果の有無を判断する際に、その内容を参酌することはできない。

ウ 本件発明1の効果について

確定した前訴判決によれば、引用例1及び引用例2に接した当業者は、引用例1記載のアレルギー性結膜炎を抑制するためのKW-4679(化合物Aのシス異性体の塩酸塩)を含有する点眼剤をヒトにおけるアレルギー性眼疾患の点眼剤として適用することを試みる際に、KW-4679についてヒト結膜の肥満細胞からのヒスタミンの遊離抑制作用(ヒト結膜肥満細胞安定化作用)を有することを確認し、ヒト結膜肥満安定化剤の用途に適用することを容易に想到することができたものと認められ、この点は当事者間に争いがない。そうすると、化合物Aがヒト結膜の肥満細胞からのヒスタミンの遊離抑制作用を有すること自体は、当業者にとって予測し難い顕著なものであるということはできない

また、引用例1及び引用例2には、化合物Aがヒト結膜の肥満細胞からのヒスタミンの遊離抑制作用を有するか否か及び同作用を有する場合にどの程度の効果を示すのかということについて、明示的な記載はされていないものの、甲20等には、本件特許の優先日前にスギ花粉症患者11例ないし30例に対して、化合物A以外の化合物について、抗原による眼誘発試験(スギ抗原液を点眼することによるアレルギー反応誘発試験)を行い、点眼液の点眼後5分後及び10分後の涙液中のヒスタミン遊離抑制率を測定した結果、①0.0003%塩酸プロカテロール点眼液では、誘発5分後で平均79.0%及び誘発10分後で平均82.5%、同0.001%点眼液では、誘発5分後で平均81.6%及び誘発10分後で89.5%、同0.003%点眼液では、誘発5分後で平均81.7%及び誘発10分後で90.7%を(甲20)、②0.05%ケトチフェン点眼液では、誘発5分後で平均67.5%及び誘発10分後で平均67.2%を(甲32)、③2%クロモグリク酸二ナトリウム点眼液では、誘発5分後で平均73.8%及び誘発10分後で平均67.5%を(甲34)、④0.25%ペミロラストカリウム点眼液では、誘発5分後で平均71.8%及び誘発10分後で平均61.3%、同0.1%点眼液では、誘発5分後で平均69.6%及び誘発10分後で平均69.0%を(甲37)、それぞれ記録した旨が開示されている。

そうすると、当業者の本件特許の優先日における技術水準として、化合物Aのほかに、所定濃度を点眼することにより約70%ないし90%程度の高いヒスタミン放出阻害率を示す化合物が複数存在すること、その中には2.5倍から10倍程度の濃度範囲にわたって高いヒスタミン放出阻害効果を維持する化合物も存在することが認められる

以上のとおり、本件特許の優先日において、化合物A以外に、ヒト結膜肥満細胞からのヒスタミン放出に対する高い抑制効果を示す化合物が存在することが知られていたことなどの諸事情を考慮すると、本件明細書に記載された、本件発明1に係る化合物Aを含むヒト結膜肥満細胞安定化剤のヒスタミン遊離抑制効果が、当業者にとって当時の技術水準を参酌した上で予測することができる範囲を超えた顕著なものであるということはできない。なお、本件発明1の顕著な効果の有無を判断する際に、甲39の内容を参酌することができないことについては、前記イのとおりであるが、仮にその内容を参酌したとしても、上記のとおり、本件特許の優先日において、化合物A以外に、高いヒスタミン放出阻害率を示す化合物が複数存在し、その中には2.5倍から10倍程度の濃度範囲にわたって高いヒスタミン放出阻害効果を維持する化合物も存在したことを考慮すると、甲39に記載された、本件発明1に係る化合物Aを含むヒト結膜肥満細胞安定化剤のヒスタミン遊離抑制効果が、当業者にとって当時の技術水準を参酌した上で予測することができる範囲を超えた顕著なものであるということもできない。

したがって、本件発明1の効果は、当業者において、引用発明1及び引用発明2から容易に想到する本件発明1の構成を前提として、予測し難い顕著なものであるということはできず、本件審決における本件発明1の効果に係る判断には誤りがある。

エ 本件発明2について

本件発明2は、本件発明1について、化合物Aがさらに「ヒト結膜肥満細胞からのヒスタミン放出を66.7%以上阻害する」という発明特定事項を付加するものである。

そして、「ヒト結膜肥満細胞からのヒスタミン放出を66.7%以上阻害する」点は、前記ウと同じ理由により、引用発明1及び引用発明2から容易に想到する本件発明2の構成を前提として、予測し難い顕著なものであるということはできないことから、本件審決における本件発明2の効果に係る判断にも誤りがある。

(5)被告らの主張について

ア 被告らは、引用例1には、抗原体反応による結膜からのヒスタミン遊離に対する各薬物の効果を検討したところ、KW-4679(化合物Aのシス異性体の塩酸塩)は無効であったとの記載があるため、引用例1から、化合物Aのヒト結膜肥満細胞の安定化として当業者が予測したであろう効果は、せいぜい、「引用例1のとおりヒト結膜肥満細胞安定化を全くしないであろうが、もしかしたら、5%や10%であれ多少なりとも安定化をするかもしれない」という程度のものにすぎない旨主張する。

しかし、確定した前訴判決は、本件特許の優先日当時、薬剤による肥満細胞に対するヒスタミン遊離抑制作用は、肥満細胞の種又は組織が異なれば異なる場合があり、ある動物種のある組織の肥満細胞の実験結果から他の動物種の他の組織における肥満細胞の実験結果を必ずしも予測できないというのが技術常識であった旨認定しており、証拠(甲7、10、13~18、23、41、42、101~103、127~129)によれば、本件特許の優先日当時、上記技術常識が存在したものと認められる。また、前訴判決は、引用例1に、モルモットの動物結膜炎モデルにおける実験においてKW-4679がヒスタミン遊離抑制作用を有さなかったことが記載されていることは、KW-4679がヒト結膜の肥満細胞からのヒスタミンの遊離抑制作用を有するかどうかを確認する動機付けを否定する事由にはならないとした上で、ヒト結膜肥満安定化剤の用途に適用することを容易に想到することができたと判断したものである。上記のような技術常識に鑑みると、引用例1に、モルモットの動物結膜炎モデルにおける実験においてKW-4679がヒスタミン遊離抑制作用を有さなかったことが記載されていることのみをもって、本件特許の優先日において、当業者が、本件各発明に係る化合物Aにヒスタミン放出阻害効果が全くないと予測したと認めることはできず、仮に同効果があったとしてもその阻害率がせいぜい5%や10%であると予測したと認めることもできない。被告らの主張は、確定した前訴判決の前記認定判断と相反するものである。

イ 被告らは、甲20等に記載された実験はインビボ試験であり、本件発明2が前提とする実験条件とは全く異なるため、本件発明2の比較対象となり得ない、甲20等に記載された化合物のうち幾つかについては、本件発明2が前提とする実験条件と同一の実験条件において、かつ、本件発明2の化合物と比較して測定した実験結果が記載された乙1には、本件発明2の化合物がそれらの化合物よりも顕著に高いヒト結膜肥満細胞安定化効果を示すことが記載されている、甲20等に記載のインビボ試験においては、一般に正確な定量・評価・比較が非常に困難であり、実験条件・実験手法の妥当性にも疑問が残るなどとして、甲20等に記載された実験結果に基づいて本件発明2の顕著な効果を否定することはできない旨主張し、大野重明医師の意見書(乙3)中には、これに沿う部分がある。

しかし、甲20等に記載された実験方法は、実際のヒト(スギ花粉症患者)の眼に薬剤を投与するもの(インビボ実験)であり、本件明細書や乙1に記載されたヒト結膜肥満細胞を培養した細胞集団に薬剤を投与するもの(インビトロ実験)とは実験方法が全く異なるものであるから、特定の化合物におけるヒスタミン遊離抑制率について両実験の実験結果に一致しない点があるとしても、それをもって直ちに、甲20等の実験結果がおよそ信用性に欠けるものであり、本件特許の優先日における技術水準を認定するに当たり参酌し得ないものということはできない。

また、甲20等に記載された実験方法は上記のとおりであり、ヒト結膜の肥満細胞からのヒスタミン遊離抑制率を測定するものとして、特段不合理な点はない。被告らの主張は、甲20等に記載された実験方法、実験結果等のどの部分に技術的な問題があるのか具体的に指摘するものではなく、客観的裏付けを欠くものであって、採用できない。

(6)小括

よって、取消事由1は理由がある。

4 結論

以上のとおりであるから、その余の点について判断するまでもなく、本件審決を取り消すこととし、主文のとおり判決する。

なお、本件審判の審理について付言する。

特許無効審判事件についての審決の取消訴訟において審決取消しの判決が確定したときは、審判官は特許法181条2項の規定に従い当該審判事件について更に審理、審決をするが、再度の審理、審決には、行政事件訴訟法33条1項の規定により、取消判決の拘束力が及ぶ。そして、この拘束力は、判決主文が導き出されるのに必要な事実認定及び法律判断にわたるものであるから、審判官は取消判決の認定判断に抵触する認定判断をすることは許されない。したがって、再度の審判手続において、審判官は、取消判決の拘束力の及ぶ判決理由中の認定判断につきこれを誤りであるとして従前と同様の主張を繰り返すこと、あるいは上記主張を裏付けるための新たな立証をすることを許すべきではない。また、特定の引用例から当該発明を特許出願前に当業者が容易に発明することができたとの理由により、容易に発明することができたとはいえないとする審決の認定判断を誤りであるとしてこれが取り消されて確定した場合には、再度の審判手続に当該判決の拘束力が及ぶ結果、審判官は同一の引用例から当該発明を特許出願前に当業者が容易に発明することができたとはいえないと認定判断することは許されない(最高裁昭和63年(行ツ)第10号平成4年4月28日第三小法廷判決・民集46巻4号245頁参照)。

前訴判決は、「取消事由3(甲1を主引例とする進歩性の判断の誤り)」と題する項目において、引用例1及び引用例2に接した当業者は、KW-4679についてヒト結膜の肥満細胞からのヒスタミンの遊離抑制作用(ヒト結膜肥満細胞安定化作用)を有することを確認し、ヒト結膜肥満安定化剤の用途に適用することを容易に想到することができたものと認められるとして、引用例1を主引用例とする進歩性欠如の無効理由は理由がないとした第2次審決を取り消したものである。特に、第2次審決及び前訴判決が審理の対象とした第2次訂正後の発明1は、本件審決が審理の対象とした本件発明1と同一であり、引用例も同一であるにもかかわらず、本件審決は、本件発明1は引用例1及び引用例2に基づき当業者が容易に発明できたものとはいえないとして、本件各発明の進歩性を認めたものである。

発明の容易想到性については、主引用発明に副引用発明を適用する動機付けや阻害要因の有無のほか、当該発明における予測し難い顕著な効果の有無等も考慮して判断されるべきものであり、当事者は、第2次審判及びその審決取消訴訟において、特定の引用例に基づく容易想到性を肯定する事実の主張立証も、これを否定する事実の主張立証も、行うことができたものである。これを主張立証することなく前訴判決を確定させた後、再び開始された本件審判手続に至って、当事者に、前訴と同一の引用例である引用例1及び引用例2から、前訴と同一で訂正されていない本件発明1を、当業者が容易に発明することができなかったとの主張立証を許すことは、特許庁と裁判所の間で事件が際限なく往復することになりかねず、訴訟経済に反するもので、行政事件訴訟法33条1項の規定の趣旨に照らし、問題があったといわざるを得ない

6.最高裁判決

(1)原審は、上記事実関係等の下において、要旨次のとおり判断し、本件各発明の効果は当業者において引用発明1及び引用例2記載の発明から容易に想到する本件各発明の構成を前提として予測し難い顕著なものであるということはできないから、本件各発明の効果に係る本件審決の判断には誤りがあるとして、本件審決を取り消した。

前訴判決によれば、上記2(2)イのとおり、引用例1及び引用例2に接した当業者は引用発明1に係る化合物をヒト結膜肥満細胞安定化剤の用途に適用することを容易に想到することができたものであるから、本件化合物がヒト結膜肥満細胞からのヒスタミン遊離抑制作用を有すること自体は、当業者にとって予測し難い顕著なものということはできない。

また、優先日における技術水準として、本件化合物のほかに、所定濃度の点眼液を点眼することにより70%ないし90%程度の高いヒスタミン遊離抑制率を示す他の化合物が上記2(4)イのとおり複数存在すること(以下、これらの化合物を「本件他の各化合物」という。)、その中には2.5倍から10倍程度の濃度範囲にわたって高いヒスタミン遊離抑制効果を維持する化合物も存在することが知られていたことなどの諸事情を考慮すると、本件明細書に記載された、本件各発明に係る本件化合物を含有するヒト結膜肥満細胞安定化剤のヒスタミン遊離抑制効果が、当業者にとって当時の技術水準を参酌した上で予測することができた範囲を超える顕著なものであるということはできない。

(2)しかしながら、原審の上記判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。

上記事実関係等によれば、本件他の各化合物は、本件化合物と同種の効果であるヒスタミン遊離抑制効果を有するものの、いずれも本件化合物とは構造の異なる化合物であって、引用発明1に係るものではなく、引用例2との関連もうかがわれない。そして、引用例1及び引用例2には、本件化合物がヒト結膜肥満細胞からのヒスタミン遊離抑制作用を有するか否か及び同作用を有する場合にどの程度の効果を示すのかについての記載はない。このような事情の下では、本件化合物と同等の効果を有する本件他の各化合物が存在することが優先日当時知られていたということから直ちに、当業者が本件各発明の効果の程度を予測することができたということはできず、また、本件各発明の効果が化合物の医薬用途に係るものであることをも考慮すると、本件化合物と同等の効果を有する化合物ではあるが構造を異にする本件他の各化合物が存在することが優先日当時知られていたということのみをもって、本件各発明の効果の程度が、本件各発明の構成から当業者が予測することができた範囲の効果を超える顕著なものであることを否定することもできないというべきである。

しかるに、原審は、本件他の各化合物が存在することが優先日当時知られていたということ以外に考慮すべきとする諸事情の具体的な内容を明らかにしておらず、その他、本件他の各化合物の効果の程度をもって本件化合物の効果の程度を推認できるとする事情等は何ら認定していない。

そうすると、原審は、結局のところ、本件各発明の効果、取り分けその程度が、予測できない顕著なものであるかについて、優先日当時本件各発明の構成が奏するものとして当業者が予測することができなかったものか否か、当該構成から当業者が予測することができた範囲の効果を超える顕著なものであるか否かという観点から十分に検討することなく、本件化合物を本件各発明に係る用途に適用することを容易に想到することができたことを前提として、本件化合物と同等の効果を有する本件他の各化合物が存在することが優先日当時知られていたということのみから直ちに、本件各発明の効果が予測できない顕著なものであることを否定して本件審決を取り消したものとみるほかなく、このような原審の判断には、法令の解釈適用を誤った違法があるといわざるを得ない。

(3)以上によれば、原審の上記判断には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は、この趣旨をいうものとして理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、本件各発明についての予測できない顕著な効果の有無等につき更に審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すこととする。

よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。