排ガス計測機器事件

投稿日: 2017/09/07 21:37:59

今日は平成25年(ワ)第6414号 特許権侵害差止等請求事件について検討します。この事件の原告である株式会社堀場製作所は、判決文によると、平成24年5月21日に設立された、測定機器、医療用機械器具及びこれらの応用装置、部品類の製造販売等を業とする株式会社だそうです。一方、被告であるエイヴィエルジャパン株式会社は平成7年1月4日に設立された、測定機器、試験機器等の物品及びこれらの部品の輸出入、製造並びに販売等を業とする株式会社であり、オーストリア国(8020グラーツ、ハンス-リスト-プラッツ、1所在)に本社を有するAVLLISTGmbH(アー・ファウ・エル・リスト・ゲゼルシャフト・ミト・ベシュレンクテル・ハフツング)の日本で営業展開するための日本法人(株式会社)だそうです。J-PlatPatで検索したところ、原告の株式会社堀場製作所はこれまでに1528件の特許を取得したようです。一方、被告であるエイヴィエルジャパン株式会社がこれまでに特許を取得したことはないようですが、アー・ファウ・エル・リスト・ゲゼルシャフト・ミト・ベシュレンクテル・ハフツングは42件の特許を取得したようです。なお、どちらもすでに存続期間満了した特許、放棄した特許、無効となった特許等の件数も含んでいます。

 

1.手続の時系列の整理(特許第3201506号)

① 訴訟が提起された年月日は把握できませんでしたが、事件番号からすると2013年だと思います。

② 裁判所や両社のホームページを見ても控訴審に関する情報がなく、被告は特許無効審判を取り下げているので、この一審の判決後に係争が終了したものと思われます。

2.特許発明の内容

(本件特許発明)

A 排ガス源(2)から排出される排ガス(G)を希釈用空気(A)によって希釈し、

B この希釈されたガス(KG)を定容量採取装置(1)によって吸引するとともに、

C 定容量採取装置(1)から分岐したガスサンプリング流路(7)に吸引ポンプ(9)および流量制御装置(10)を介してサンプルバッグ(11)を設けたガスサンプリング装置において、

D 前記サンプルバッグ(11)に至るまでのガスサンプリング流路全体を、それを通過するガスが凝縮しない程度に加熱するとともに、

E 前記サンプルバッグ(11)を加熱するようにしたことを特徴とする

F ガスサンプリング装置。

3.争点

(1)被告装置は本件特許発明の技術的範囲に属するか(争点1)

(2)本件特許に進歩性欠如の無効理由があるか(争点2)

(3)原告の損害(争点3)

4.裁判所の判断

4.1 争点1(被告装置は本件特許発明の技術的範囲に属するか)について

(1)証拠(甲3、乙6の1及び2)及び弁論の全趣旨によれば、被告装置は、希釈空気混合部、ブロワー、サンプルバッグを収納するバッグキャビネットと一体となって、排気ガス希釈システムを構成するCVS(定容量採取装置)本体であること、希釈空気混合部は、自動車エンジン等の排ガス源から排出される排ガスを希釈用空気によって希釈すること、ブロワーが、この希釈されたガスをCVS本体に一定量吸引すること、CVS本体内で、メイン流路を流れるガスの一部が、サンプルベンチュリの一種であるCFV−CVS(定流量ベンチュリ−定容量サンプリングシステム)によって分岐され、ガスサンプリング流路を経てサンプルバッグに採取されること、排気ガス希釈システムのうち、CVS本体を収納する被告装置のキャビネット及びサンプルバッグを収納するバッグキャビネットの範囲が、ヒーターにより摂氏35度に温調されていること、以上の事実が認められる。

(2)上記認定事実及び弁論の全趣旨によれば、被告装置は、本件特許発明の構成要件A、B、E及びFを充足すると認められる。

(3)構成要件Cについて

被告は、本件特許発明では、サンプルバッグに至るサンプリング流路のみを加熱し、メイン流路を加熱することは予定されていないから、流路の分岐にサンプルベンチュリを使用した場合、メイン流路を流れる希釈ガスの温度とサンプルベンチュリに取り込まれる希釈ガスの温度とが異なることになり、両者の比例関係が保たれなくなることで取り込んだ希釈ガスの流量が不明となるから、構成要件Cの流量制御装置は、本件明細書の実施例に記載されている、能動的に流量制御が可能なマスフローコントローラーである必要があり、サンプルベンチュリはこれにあたらない旨主張する。

しかしながら、上記(1)で認定したところによれば、被告の排気ガス希釈システムでは、被告装置本体のキャビネット及びサンプルバッグを収納するバッグキャビネットは摂氏35度に温調されており、メイン流路を流れる希釈ガスとCFV−CVSに取り込まれる希釈ガスの温度差の問題は存在せず、定流量ベンチュリ−定容量サンプリングシステムであるCFV−CVSが、サンプリング流路に流れ込む希釈ガスの量を制御する流量制御装置として機能していることは明らかである

したがって、被告装置で使用されている、サンプルベンチュリの一種であるCFV−CVSは、流量制御装置に該当し、被告装置は構成要件Cを充足する。

(4)構成要件Dについて

上記(1)で認定したところによれば、CFV−CVSから分岐し、サンプルバッグに至るサンプリング流路全体が、ヒーターで温調される範囲に入るのであるから、被告装置が構成要件Dを充足することは明らかである。

被告は、温度差によって比例関係が損なわれることのないよう、サンプルベンチュリのみの加熱は行っていない旨を主張する。確かに、被告装置において、サンプルベンチュリにのみヒーターを巻き付けて加熱するといった構成は採用されていないが、構成要件Dに加熱方法についての限定はなく、被告装置及びバッグキャビネットの全体を温調する方法でも、ガスサンプリング流路全体の加熱にあたるというべきである

(5)まとめ

以上によれば、被告装置は、本件特許発明の構成要件をすべて充足する。

4.2 争点2(本件特許発明の進歩性欠如)について

(1)無効理由1について

被告は、乙1発明を主引例として、乙2発明及び乙4発明又は周知技術を組み合わせることにより、本件特許発明を容易に想到可能であるとして、本件特許発明の無効を主張するが、以下に検討するとおり理由がない。

ア 乙1発明と本件特許発明との一致点

本件特許出願前に作成された乙1文献に開示された乙1発明は、排ガス源から排出される排ガスを希釈用空気によって希釈し、この希釈されたガスをCVSによって吸引するとともに、CVSからプローブを経て分岐したガスサンプリング流路にサンプルバッグ(試料バッグ)を設けたガスサンプリング装置であり、乙1発明と本件特許発明とを対比すると、乙1発明は、本件特許発明の構成要件A、B及びFに相当する構成を備えている点で一致する(争いがない)

イ 本件特許発明と乙1発明との相違点

(ア)次の3点の相違点があることについては、相違点2の一部内容を除き、当事者間に争いがない。

相違点1 本件特許発明は、構成要件Cとして、CVSから分岐したガスサンプリング流路に吸引ポンプ及び流量制御装置を介しているのに対し、乙1発明は、吸引ポンプ及び流量制御装置を設けていない

相違点2 本件特許発明は、構成要件Dとして、CVSから分岐したガスサンプリング流路に吸引ポンプ及び流量制御装置を介してサンプルバッグに至るまでのガスサンプリング流路全体を、それを通過するガスが凝縮しない程度に加熱するのに対し、乙1発明がガスサンプリング流路全体を加熱する構成を取っていない(ただし、乙1発明が加熱に関しどのような構成を取っているかについては後記(イ)のとおり争いがある。)

相違点3 本件特許発明は、構成要件Eとして、サンプルバッグをも加熱するのに対し、乙1発明はサンプルバッグの加熱をしていない

(イ)乙1発明の加熱に関する構成

a 被告は、乙1発明には、空気で希釈した排ガス成分の濃度の低下によって測定の精度が低下することを克服するという課題があり、乙1文献には、そのための手段として、希釈して湿度を下げるだけではなく、排ガス自体を加熱して水分の凝縮を防止するという手法が開示されており、CVSから分岐しサンプルバッグに至るまでの「試料ライン」全体に起こる水分凝縮を防ぐためには、結局当該「試料ライン」全体を加熱することになるのであり、乙1文献はそのことも開示していると主張し、原告は、乙1発明は、サンプルバッグを除くシステム領域の所要領域を加熱することで対処することを推奨しているものである旨主張する。

b 乙1文献は、米国環境保護庁に属する者らが執筆し、米国のSAE Internationalが刊行した技術論文であり、要旨以下の内容の記載がある。

(a)要約

有機自動車燃料は、燃焼すると二酸化炭素及び水(H2O)蒸気を生成する。CVSシステムは、試料採取及び分析のための自動車排ガスの調節に一般に使用され、エンジン排ガスの周囲空気希釈を制御する。水分凝縮は、CVSシステム試料調節中の問題となり得る。そこで、希釈排ガス露点及びH2O蒸気凝縮を回避するために必要なCVS流量を詳細に秒単位で決定するための「スプレッドシート」手順について記述する。

(b)課題

有機排ガスの大きな割合が水溶性となるに従い、湿潤表面に吸着するおそれが生じることから、水分凝縮を回避する重要性が増した。自動車排出率の認可のための連邦試験手順(FTP)によれば、試料採取システムのH2O凝縮をなくすためには十分なCVSシステム流量を維持する必要があるとされ、必要流量を決定する手順は、FTP試験段階平均試料H2O濃度の推定に基づいていた。しかし、FTPは、過渡的なエンジン速度、負荷及び排出を含み、所定の手順は、FTP中にH2O凝縮が起こりうる時間を与えるものであった。

(c)解決手段

そこで、1秒間隔でH2O凝縮を回避するのに必要なCVS流量の推定を可能にする「スプレッドシート」手順が開発され、瞬間試料露点の計算をするためのデータを入力するなどして、一般にFTP試験段階1開始後200秒で生じる試験段階最高露点及びH2O凝縮を回避するための必要CVS流量を確認することができる。(試験段階平均及び累積積算値も測定することができる。)

CVS流量が高いほど試料濃度は低下するので、水分凝縮が許す最低流量でCVSシステムを操作することが望ましい。実験室温度及び圧力で一般に維持される試験段階試料バッグにおいて凝縮を回避するCVS流量が選択されることが推奨される。すべての他のCVSシステム希釈排ガス温度は、試験段階バッグ温度以上である。

しかし、システム露点温度がバッグ試料の温度をはるかに超える場合もある。そのような場合にCVSシステム全体の凝縮を回避するためには極めて高いCVS流量が必要となり得るが、そのような流量は実用的ではなく、試験段階試料バッグにおいて凝縮を回避するCVS流量を必要に応じて選択することが推奨される。さらに、試料採取システムの別の領域が最高試験段階露点を超える温度に加熱されることが推奨される(最大希釈排ガスは一般にFTP試験段階1開始後約200秒で生じる。)。希釈トンネルは特徴的な乱流のために加熱が不要なこともある。しかし、例えば、自動車排気管と希釈トンネルの間の移送管、及び試料プローブにおいて、層流の場合、最高試料露点によって規定されるように熱を加えるべきである。

極めて高い流量は、試料採取システムの重要な領域を先に考察した最高露点を超える温度に加熱することによって回避することができる。試料プローブを加熱するときには臨界流量ベンチュリCVSシステムで比例試料採取が確実に維持されるように注意しなければならない。これは、試料プローブに能動マスフロー制御装置を使用し、CVS瞬間流量からその設定値を取ることによって実施することができる。

(d)結論

CVS試料採取システムH2O濃度及び露点温度、並びに試料採取システム内の凝縮を回避するのに必要なCVS流量及び温度を秒単位で決定することを可能にするスプレッドシートが開発された。この情報を使用して、一般に実験室温度及び圧力で貯蔵されるバッグ試料において凝縮を回避する加熱ライン及び最低流量を有するCVS試料採取システムを最適化することができる。

c 上記記載内容によれば、乙1文献の中心的内容は、試料採取システムの凝縮を回避するのに必要なCVS流量及び温度を秒単位で決定することを可能にするスプレッドシートの開発であり、この利用を前提に、試料採取システム全体を通して凝縮を回避するためには、実用的な流量を超える高いCVS流量が必要であることから、試験段階バッグにおいて凝縮を回避するCVS流量を選択することを推奨した上で、試料採取システムの他の領域(希釈トンネル、希釈トンネルへの移送管等を含む)については、各場所の条件により露点を超える温度に加熱することを開示したものと解され、本件特許発明に開示されているように、ガスサンプリング流路全体を常に加熱することの開示があるとは認められない

被告は、加熱が不要とする特別な理由のない限り、「試験段階バッグ」を除く全領域が加熱されることが前提とされている旨指摘する。しかし、乙1文献は、上記のとおり、CVS流量の選択により凝縮を回避することを前提としつつ、それによっても凝縮の可能性がある部分のみ加熱するという内容のものであるから、試料採取システムの全領域を加熱することを開示するものとまでは認められない。

ウ 相違点1(構成要件C)

(ア)被告は、本件特許出願当時において、CVSシステムを用いたガスサンプリング装置は周知のもので、CVSからガスサンプリング流路に分岐する際、何らかの「流量制御装置」と「吸引ポンプ」を設けることは当業者にとって周知の技術であり、また、同様の構成を有する乙4発明を組み合わせることについても当業者にとって容易想到である旨主張する(原告は、積極的にはこの点を争っていない。)。

(イ)証拠(乙4、5)及び弁論の全趣旨によれば、乙4発明は、ガスサンプリング装置とその制御手段、特にベンチュリを有して空気により希釈された排ガスのサンプリングを行い、その成分を測定する装置、及び希釈空気又は排気/空気の混合気の流量を制御する手段に関するものであり(【0001】)、CVSのサンプリング領域から分岐したサンプリング流路にポンプ、サンプルバッグまでの間に流量制御装置を有する構成が開示されていること(乙4文献【0011】、【0015】、【0019】)、他のガスサンプリング装置においてもこのような構成が採用されていたことが認められ、本件特許出願当時、ガスサンプリング装置においてこのような構成を有するものは周知であったといえる

したがって、同じガスサンプリング装置に関する乙1発明に上記構成を有する周知技術を組み合わせることは、当業者にとって容易に想到し得たものといえる。

エ 相違点2(構成要件D)

(ア)被告は、乙1発明の構成に、サンプルバッグを除いた、CVSから分岐しサンプルバッグに至るまでのサンプリング流路全体を、水分凝縮しない程度に加熱する構成が開示されており、乙4文献などに記載のある周知の吸引ポンプを適用して吸引ポンプを含む試料ライン全体を加熱する動機付けは十分にあり、また、乙1文献において、試料プローブである「臨界流量ベンチュリ」をそのまま加熱してはならないとされる一方で、乙4文献に、そのような制約のない「流量制御装置」が開示されていることから、サンプリング流路全体を加熱する動機付けは十分にあり、当業者において容易に想到し得た旨主張する。

(イ)しかし、上記イcに認定のとおり、乙1文献において、そもそもサンプリング流路全体を加熱する構成が開示されているとはいえないため、これに乙4を組み合わせることによって、本件特許発明における構成要件Dの構成を容易に想到し得るとはいえない。

オ 相違点3について

被告は、サンプルバッグを加熱しない乙1発明に乙2発明を組み合わせることにより、当業者は、本件特許発明を容易に想到し得た旨主張する。

(イ)証拠(乙2の1及び2)及び弁論の全趣旨によれば、乙2文献の内容は、要旨以下のとおりと認められる。

a 発明の名称 等速吸引サンプリングプローブ

b 要約

自動車エンジンの排ガスのサンプリング/処理システムであって、通しダクト内を流れる排出物が混合され、等速吸引プローブにより抽出され、抽出ガスの解析が終了するまで加熱状態に維持される、サンプリング/処理システム。可変速ポンプ手段を利用してプローブを通る瞬間圧力の低下と排ガスダクトを通る瞬間圧力の低下とを同じにする。

c 発明の概要

本発明の主な目的は、質量流量の小さい物と大きいものとの両方を含むエンジンの総排出物量を判定する装置(apparatus)及び方法であって、装置が希釈空気を使用せずに機能することができ、特に処理システムが単純化すること、及び構築の経済性を特徴とする装置及び方法を提供することである。

本発明の別の目的は、空気希釈を含まない排出物のみを処理することにより精度を高めるのに効果的であり、かつ初期希釈が簡単に分かる排出物測定システムを提供することである。

d 詳細な説明

通気ダクトAは、ガスタービンなどのエンジンから総排気排出物を受け取るように適合され、かつ排気排出物を均質化するのに効果的な混合装置10を有する。通しダクトの第1の直線部11は曲線部12に連結されており、この組み合わせを用いると、抽出手段Bの一部を構成する等速吸引プローブ13を導入しやすくする。プローブは、混合装置10の下流だが、部11と部12との接合部のやや上流に配置される口、すなわち入口14を有する。プローブは、弾性容器15(膨張性バッグの形態の)を有し、一緒に、排気ガスの比例サンプルを抽出し、当該抽出ガスを運び、最終濃度解析のため最終的には捕集袋16(やはり1つまたは複数の膨張性バッグの形態の)に導く引き抜き路を含む(同路内の弾性容器15より下流に可変速ポンプ17を含んでもよい。)。

弾性容器15は、弾性容器の外部に作用する周囲圧力又は大気圧を含む一定体積の筐体24に収納される。

排出物のガス状成分の凝縮を防ぐには、プローブ、筐体24を取り巻く加熱コイルを有してもよい加熱装置(apparatus)25が利用され、袋16及びポンプ17の周りの筐体24が拡張して凝縮の防止を支援することができる。

(ウ)これらの記載内容によれば、乙2発明には、排気ガスを抽出するプローブから、筐体24を取り巻く加熱コイルを有してもよい加熱装置25によりポンプを経てサンプルバッグである捕集袋まで拡張して加熱して膨張を防ぐ構成が開示されており、ガスサンプリング流路全体だけでなく、サンプルバッグをも加熱するものといえる。

(エ)これらを前提に、乙1発明に乙2発明を組み合わせて本件発明を想到することの容易性について検討する。

乙1発明は、排ガスの成分分析のために排ガス源から排出される排ガスを空気によって希釈した試料を採取するCVSシステムにおいて、水分凝縮を回避するために必要な方策を示したものであるのに対し、乙2発明は、エンジンからの総排出物量を判定する装置及び方法であって、装置が希釈空気を使用せずに、直接排ガスを袋に捕集し、圧力によって試料が凝縮するのを防ぐための方策を示したものである。

両者は、排ガスの成分測定のための試料採取するシステムに関する技術分野についてのもので、ガス成分における水分凝縮を防ぐという課題についてのものである点で共通する。

しかし、システムの試料採取方法が全く異なるため、乙1発明が課題解決の手段としてスプレッドシートによってCVS流量を最適なものとする方策をまず示しているのに対し、乙2発明はサンプルバッグを含むサンプリング流路全体の加熱を提示しており、その解決手段において異なっている。また、乙1文献には、サンプルバッグを加熱する示唆はなく、むしろ、スプレッドシートを使用しながら、サンプルバッグについては、一般に実験室温度及び圧力で貯蔵されることを前提にしている。一方、本件特許発明においては、サンプリング流路全体を加熱するとともにサンプルバッグをも加熱することにより、サンプリングされたサンプルガスの凝縮が回避され、排ガスを必要以上に希釈しなくてよく、その結果排ガス中の高濃度成分は勿論のこと、低濃度成分を精度よく定量分析できるという作用効果が記載されているところ(甲2、本件明細書【0007】、【0018】)、サンプルバッグの加熱がない乙1発明の場合と比較すると、凝縮を回避するための最低CVS流量をさらに少なくすることができ、より上記の効果を奏するものと認められる。

そうすると、技術分野や課題において共通することから当業者において乙2発明を検討することはあったとしても、一般にサンプルバッグが実験室温度に置かれることを前提としているCVSシステムにおける課題解決として、乙2発明を組み合わせてサンプルバッグを加熱することを容易に想到し得たとはいえない。

この点、被告は、乙1文献に、サンプルバッグを他の領域と同様加熱することで水分凝縮を防止してはならないとの記載はなく、また、一般常識として加熱を用いることは当業者にとっては日常的に行う工夫の域を出ない旨主張する。しかし、乙1文献において、サンプルバッグが一般に試験室温及び圧力に置かれることを前提としていることを看過しており、被告の主張は採用できない。

カ 結論

以上により、無効理由1に係る無効の抗弁は認められない。

(2)無効理由2について

被告は、乙3技術に乙4発明あるいは周知技術を組み合わせることにより、本件特許発明は容易に想到可能であったとして、本件特許発明の無効を主張するが、以下に検討するとおり理由がない。

ア 乙3文献の公知性

証拠(乙3、9、10の1及び2)によれば、乙3文献は、1989年2月24日にデータベースに格納され、同データベースは、同年4月11日当時閲覧、公開に供されていたことが認められる

この点、特許法29条1項各号に定められる公知発明は、本件特許出願当時、同項1号及び2号については日本国内におけるもの、同項3号に定める頒布された刊行物に記載された発明(電気回路を通じて公衆に利用可能となった場合については本件特許出願当時規定されていない。)については、外国のものも含めて新規性喪失事由と定めていたところ、乙3文献が、本件出願当時(平成7年2月21日)、刊行物として発行されていたかどうか証拠上明らかではない

したがって、乙3文献に基づいて、本件特許発明の進歩性欠如の判断をすることはできないというべきであるが(同法29条2項)、乙3文献がデータ公開されてから本件特許が出願された平成7年2月21日までの間に刊行物とされた可能性も否定できないことを考慮し、以下のとおり、この点についても検討することとするが、乙3文献に記載された乙3技術に乙4発明又は周知技術を組み合わせることによって、本件特許発明を容易に想到し得たとは認められない。

イ 乙3技術の内容

(ア)証拠(乙3の2)及び弁論の全趣旨によれば、乙3文献には概ね次の内容の記載があると認められる。

メタノール燃料車からの排気炭化水素排出物を判定することについて、EPAは、現在ガソリン燃料車に使用されているようなバッグサンプリング手順を使用して、希釈排気サンプルを収集するように提案した。バッグサンプルの分析は、加熱FID(250°±10°F)を使用して実施するよう提案された。

GMの関心は、非加熱サンプルバッグ内における損失に集中していたが、Chevronの関心は、サンプルバッグに通じる非加熱サンプルラインに集中していた。加熱サンプルラインの使用が提案されて以来、Chevronが表明した問題は、この提案書で対処された。したがって、Chevronのコメントは、見過ごした結果だったと考えるべきである。GMが表明した問題に対処する最初の段階として、EPAは、1つのサンプルバッグ(非加熱サンプル収集ラインを使用)を、室温と95°~100°Fの両方の温度のバッグで分析した。FIDの比較的高い指示値は、バッグを温めた時に見られた。しかし、バッグを温めた時に行われたFIDの測定結果は、バッグ内に含まれるサンプルの量が殆ど枯渇していた時にも見られた。したがって、観察された差異にどのような有意性を付加するべきか判断することはできない。GMのコメントの有意性を定量化するデータはないため、このサンプル収集手順は提案されたとおりに維持することを推奨する。しかし、GMが提起した問題は詳細に調査するべきであり、確証があれば、サンプル収集手順を後日変更するべきである。

(イ)乙3文献の上記記載内容からすれば、GMの指摘した非加熱サンプルバッグ内の凝縮の問題に対して加熱が有意であるか否かについての結論は出されていないものといえる。したがって、希釈排気サンプル収集において、サンプルバッグ内の凝縮を回避する技術として、サンプルバッグを加熱することが、甲3文献において開示されているとは、そもそもいえない。また、「非加熱サンプル収集ラインを使用」と記載されているとおり、サンプルラインはサンプルバッグとともに加熱されていない。さらに、Chevronが示した非加熱サンプルラインでの問題については、加熱サンプルラインの使用が提案されて以来、この提案書で対処されたとして、別の問題として解決されているものである。

ウ 乙3技術と本件特許発明との一致点及び相違点

本件特許発明が、CVSから分岐したガスサンプリング流路に吸引ポンプ及び流量制御装置を介してサンプルバッグを設けたものである(構成要件C)のに対し、乙3文献では、サンプルプローブからサンプルバッグに至るまでの構成が明らかでなく、乙3技術がそのような構成を有するものとは認められない点(相違点1)、また、本件特許発明が、サンプルバッグに至るまでのガスサンプリング流路全体を加熱するとともに、サンプルバッグをも加熱するのに対し(構成要件D、E)、乙3技術は、前記認定のとおり、サンプルバッグを加熱することについての開示がない点(相違点2)において異なっているが、他の構成要件A、B及びFにおいては一致している。

エ 容易想到性

乙3技術においては、前記のとおり、サンプルバッグを加熱することの有意性についての結論は出されておらず、また、乙4発明においても、サンプルラインとともにサンプルバッグを加熱する構成の開示はないから(乙4)、両者を組み合わせても、サンプルバッグを加熱する構成に至るとは考えられない。

さらに、前記(1)オ(エ)記載のとおり、本件特許発明が、サンプルラインとともにサンプルバッグをも加熱することで、効果を奏するものであることからしても、当業者において、サンプルバッグの加熱について想到することが容易であるとは到底いえない。

オ 結論

よって、被告の主張する無効理由2については、乙3文献に記載された乙3技術を進歩性欠如の理由とすることはできず、仮に、乙3文献の刊行物への搭載があったとしても、上記エのとおりであり、乙3技術に乙4発明あるいは周知技術を組み合わせることにより本件特許発明が容易想到可能であったとは認められないから、無効理由2に係る無効の抗弁も認められない。

4.3 争点3(原告の損害)について

-省略-

5.検討

(1)被告製品自体の構成は詳しく書いていないのでわからない部分がありますが、争点の内容からすると非抵触主張はだいぶ無理がある、という印象でした。

(2)また、乙1文献に基づく無効主張も、本件特許発明と主引例との間で相違点が多く、さらにその相違点に関して他の文献に記載の発明と組み合わせる動機づけも存在しないので無効主張も無理がある、という印象でした。

(3)これに対して無効理由2には興味深い点がありました。本件特許が1995年2月21日に出願されました。一方、「乙3文献は、1989年2月24日にデータベースに格納され、同データベースは、同年4月11日当時閲覧、公開に供されていたことが認められる」とあります。しかし、上記4.2(2)記載の通り、本件特許の出願当時、特許法29条1項各号に定められる公知発明は、同項1号及び2号については日本国内におけるもの、同項3号に定める頒布された刊行物に記載された発明に限られており、電気通信回線(インターネット等)を通じて公衆に利用可能となった発明は対象外でした(なお、判決では「電気回路」とありますが、これは条文の「電気通信回線」を意味しているものと思います)。電気通信回線を通じて公衆に利用可能となった発明が対象となるように改正されたのは平成11年(1999年)です。したがって、被告は本事件の場合には乙3文献が本件特許出願前にインターネット上ではなく刊行物の実物として頒布されていたことを立証しなければなりません。

(4)今回のケースと似たような経験を一つ思い出しました。私が知財部門に異動した当時はまだ昭和時代に出願された特許が生きていました。当時、ある他社特許を無効にできるか否か検討した際に、無効資料の中にそのままズバリの内容が記載された外国公報がありました。これでいけると思いましたが、当時私を指導してくれていた先輩社員から指摘されて調べたところ、この特許に対する無効審判は昭和62年改正前の5年の除斥期間の規定を適用されるため、無効資料として使うことができないことがわかりました。本事件を読んでいて久しぶりにそのことを思い出しました。

(5)法改正時の経過措置というのは現在の法律が問題となる出願業務等ではあまり気になりませんが、鑑定等の過去に出願された特許を扱うときに時々どんでん返しを食らう可能性があるので怖いです。特許庁のホームページには平成3年以降に行われた特許法等の改正法律及び新旧対照表が掲載されていますが、それぞれの改正前の全条文も掲載して欲しい、と切に思います。