点眼薬事件

投稿日: 2018/09/18 23:18:35

今日は、平成29年(行ケ)第10210号 審決取消請求事件について検討します。本件は特許無効審判(無効2015-800023)の2回目の審決取消訴訟です。この特許無効審判は1回目、審判請求は成り立たない旨の審決(以下、第一次審決)がありました。これを不服とした審判請求人(本件被告)が審決取消訴訟を提起したところ、知財高裁は第一次審決を取り消す旨の判決(以下、一時判決)をしました。特許庁での審理が再開され、特許権者(本件原告)は訂正請求し、特許庁は訂正を認めた上で、特許を無効とする旨の審決(以下、第二次審決)をしました。これを不服とした特許権者が審決取消訴訟を提起し、これに対する判決(以下、二次判決)が今回の主な検討対象です。

 

Ⅰ.手続の時系列の整理(特許第5403850号)

Ⅱ.一次審決から一次判決までの経緯

1.特許請求の範囲

【請求項1】

a)メントール、カンフル又はボルネオールから選択される化合物を、それらの総量として0.01w/v%以上0.1w/v%未満、

b)0.01~10w/v%の塩化カリウム、塩化カルシウム、塩化ナトリウム、炭酸水素ナトリウム、炭酸ナトリウム、硫酸マグネシウム、リン酸水素二ナトリウム、リン酸二水素ナトリウム、リン酸二水素カリウムから選ばれる少なくとも1種、および

c)平均分子量が0.5万~4万のコンドロイチン硫酸或いはその塩を0.001~10w/v%含有することを特徴とするソフトコンタクトレンズ装用時に清涼感を付与するための眼科用清涼組成物。

【請求項2】

さらに、非イオン性界面活性剤を0.001~5w/v%含有する請求項1に記載の眼科用清涼組成物。

【請求項3】

さらに、エデト酸又はその塩を0.0001~1w/v%含有する請求項1又は2に記載の眼科用清涼組成物。

【請求項4】

さらに、アミノエチルスルホン酸、グルタミン酸、アスパラギン酸カリウム、アスパラギン酸マグネシウム、グルタミン酸ナトリウム、グルコース又はトレハロースから選択される少なくとも1種以上の成分を、それらの総量として0.01~5w/v%含有する請求項1乃至3に記載の眼科用清涼組成物。

【請求項5】

点眼剤又は洗眼剤である請求項1乃至4に記載の眼科用清涼組成物。

【請求項6】

a)メントール、カンフル又はボルネオールから選択される化合物を、それらの総量として0.01w/v%以上0.1w/v%未満、

b)0.01~10w/v%の塩化カリウム、塩化カルシウム、塩化ナトリウム、炭酸水素ナトリウム、炭酸ナトリウム、硫酸マグネシウム、リン酸水素二ナトリウム、リン酸二水素ナトリウム、リン酸二水素カリウムから選ばれる少なくとも1種、および

c)平均分子量が0.5万~4万のコンドロイチン硫酸或いはその塩を0.001~10w/v%含有することを特徴とするソフトコンタクトレンズ常用者用の眼科用清涼組成物。

2.一次審決の理由

審決の理由は、別紙審決書(写し)に記載のとおりである。その要旨は、次のとおりである(以下、審決が引用する刊行物のうち、特開2003-183157号公報(甲1)は、「甲1公報」と、「一般薬 日本医薬品集」(じほう2003年7月発行)(甲4)は、「甲4刊行物」と、「新アスパライトフレッシュ添付文書(中新薬業)」(甲7)は、「甲7刊行物」と、「新アスパクール添付文書(中新薬業)」(甲8)は、「甲8刊行物」と、「ピタール目薬添付文書(中新薬業)」(甲9)は、「甲9刊行物」と、「新アスパライトフレッシュ、新アスパクール、ピタールの販売時期を示すウェブサイト(http://www.pref.toyama.jp/sections/1208/syonin.htmより2003年11月12日ダウンロードしたもの)」(甲10)は、「甲10刊行物」と、特開2001-187733号公報(甲13)は、「甲13公報」と、それぞれいう。)。

① 本件特許は、本件特許請求の範囲又は本件明細書の「平均分子量」等の記載に不備はなく、特許法36条6項2号の明確性要件(無効理由1)、同条4項1号の実施可能要件(無効理由2)、同条6項1号のサポート要件(無効理由3)を満たしていない特許出願に対してされたものとはいえず、無効とすべきものではない、②本件発明は、甲1公報に記載された発明(以下「甲1発明」という。)と同一なものであるとはいえず、同法29条1項3号の規定に違反するものではなく、(無効理由4)、又は甲1発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものとはいえず、同条2項に違反するものではなく(無効理由7-1)、③ 本件発明1及び3ないし6は、甲4刊行物及び甲7刊行物ないし甲10刊行物に記載された発明と同一なものであるとはいえず、同条1項3号に違反するものではなく(無効理由5)、

④ 本件発明1及び3ないし6は、甲4刊行物及び甲7刊行物ないし甲10刊行物によれば公然実施されたものと認められる発明と同一なものであるとはいえず、同項2号に違反するものではなく(無効理由6)、⑤ 本件発明は、甲13公報に記載された発明(以下「甲13発明」という。)に基づき、当業者が容易に発明をすることができたものとはいえず、同条2項に違反するものではなく(無効理由7-2)、

⑥ 本件発明は、「新スマイルコンタクトクール」に基づき、当業者が容易に発明をすることができたものとはいえず、同項に違反するものではなく(無効理由7-3)、

⑦ 本件発明は、「新アスパライトフレッシュ(中新薬業)」、「新アスパクール(中新薬業)」、「ピタール目薬(中新薬業)」に基づき、当業者が容易に発明をすることができたものとはいえず、同項に違反するものではなく(無効理由7-4)、以上によれば、本件特許は、無効とすべきものとはいえないというのである。

審決が認定した甲1発明の内容、本件発明1及び6と甲1発明の一致点及び相違点は、次のとおりである。

(1)甲1発明の内容

ア 「l-メントール0.03g/100mL、dl-カンフル0.003g/100mL、約20000~25000の重量平均分子量を有するコンドロイチン硫酸ナトリウム2g/100mL、L-アスパラギン酸カリウム1g/100mL、塩化ナトリウム0.4g/100mL、エデト酸ナトリウム0.1g/100mLを含み、眼に対するDraize法により評価される刺激性が低く、清涼感及び清涼感の持続性が極めて高い点眼剤」(以下「甲1発明11」という。)

イ 「l-メントール0.02g/100mL、dl-カンフル0.03g/100mL、d-ボルネオール0.01g/100mL、約20000~25000の重量平均分子量を有するコンドロイチン硫酸ナトリウム0.5g/100mL、塩化ナトリウム0.44g/100mL、L-アスパラギン酸カリウム1g/100mL、ポリオキシエチレン(P=20)ソルビタンモノオレエート0.05g/100mL、エデト酸ナトリウム0.1g/100mLを含み、眼に対するDraize法により評価される刺激性が低く、清涼感及び清涼感の持続性が極めて高い点眼剤」(以下「甲1発明17」という。)

(2)本件発明1と甲1発明11の一致点及び相違点

ア 一致点

「a)メントール、カンフル又はボルネオールから選択される化合物を、それらの総量として0.01w/v%以上0.1w/v%未満、

b)0.01~10w/v%の塩化カリウム、塩化カルシウム、塩化ナトリウム、炭酸水素ナトリウム、炭酸ナトリウム、硫酸マグネシウム、リン酸水素二ナトリウム、リン酸二水素ナトリウム、リン酸二水素カリウムから選ばれる少なくとも1種、および

c)平均分子量が0.5万~4万のコンドロイチン硫酸或いはその塩を0.001~10w/v%含有することを特徴とする眼科用清涼組成物。」

イ 相違点

本件発明1は、「ソフトコンタクトレンズ装用時に清涼感を付与するため」の組成物であるのに対し、甲1発明11は、当該構成について特定されていない点(以下「相違点1」という。)

(3)本件発明1と甲1発明17の一致点及び相違点

ア 一致点

「a)メントール、カンフル又はボルネオールから選択される化合物を、それらの総量として0.01w/v%以上0.1w/v%未満、

b)0.01~10w/v%の塩化カリウム、塩化カルシウム、塩化ナトリウム、炭酸水素ナトリウム、炭酸ナトリウム、硫酸マグネシウム、リン酸水素二ナトリウム、リン酸二水素ナトリウム、リン酸二水素カリウムから選ばれる少なくとも1種、および

c)平均分子量が0.5万~4万のコンドロイチン硫酸或いはその塩を0.001~10w/v%含有することを特徴とする眼科用清涼組成物。」

イ 相違点

本件発明1は、「ソフトコンタクトレンズ装用時に清涼感を付与するため」の組成物であるのに対し、甲1発明17は、当該構成について特定されていない点(以下「相違点1’」という。)

(4)本件発明6と甲1発明11の一致点及び相違点

ア 一致点

「a)メントール、カンフル又はボルネオールから選択される化合物を、それらの総量として0.01w/v%以上0.1w/v%未満、

b)0.01~10w/v%の塩化カリウム、塩化カルシウム、塩化ナトリウム、炭酸水素ナトリウム、炭酸ナトリウム、硫酸マグネシウム、リン酸水素二ナトリウム、リン酸二水素ナトリウム、リン酸二水素カリウムから選ばれる少なくとも1種、および

c)平均分子量が0.5万~4万のコンドロイチン硫酸或いはその塩を0.001~10w/v%含有することを特徴とする眼科用清涼組成物。」

イ 相違点

本件発明6は、「ソフトコンタクトレンズ常用者用」の組成物であるのに対し、甲1発明11は、当該構成について特定されていない点(以下「相違点2」という。)

(5)本件発明6と甲1発明17の相違点

ア 一致点

「a)メントール、カンフル又はボルネオールから選択される化合物を、それらの総量として0.01w/v%以上0.1w/v%未満、

b)0.01~10w/v%の塩化カリウム、塩化カルシウム、塩化ナトリウム、炭酸水素ナトリウム、炭酸ナトリウム、硫酸マグネシウム、リン酸水素二ナトリウム、リン酸二水素ナトリウム、リン酸二水素カリウムから選ばれる少なくとも1種、および

c)平均分子量が0.5万~4万のコンドロイチン硫酸或いはその塩を0.001~10w/v%含有することを特徴とする眼科用清涼組成物。」

イ 相違点

本件発明6は、「ソフトコンタクトレンズ常用者用」の組成物であるのに対し、甲1発明17は、当該構成について特定されていない点(以下「相違点2’」という。)

3.取消事由に関する当事者の主張

主たる争点は、多岐にわたる取消事由のうち、取消事由1及び取消事由8であると整理され、当事者双方は、第1回口頭弁論期日において、甲141及び乙9に基づき、取消事由1及び8に関する主張を中心として技術説明を行った(第1回口頭弁論調書及び弁論の全趣旨)。

1 原告の主張

審決には、記載不備に関する判断の誤り(取消事由1ないし7)及び新規性欠如又は進歩性欠如に関する判断の誤り(取消事由8ないし11)があり、これらは審決の結論に影響を及ぼすものであるから、審決は違法として取り消されるべきである。

(1)取消事由1(「平均分子量」についての記載不備に関する判断の誤り)について

本件特許請求の範囲及び本件明細書に記載されている「平均分子量」には、「重量平均分子量」、「粘度平均分子量」、「数平均分子量」、「z-平均分子量」等の様々な平均分子量が存在し、それぞれ定義及び測定方法が異なるから、同一物質であっても測定方法によって数値自体が大きく異なるものになる。それにもかかわらず、本件明細書には、上記にいう「平均分子量」の定義又は説明が一切なされていないから、「平均分子量」という記載はそれ自体明確であるとはいえない。この点につき、審決は、本件明細書及び技術常識によれば、本件特許請求の範囲及び本件明細書にいう「平均分子量」とは、「重量平均分子量」であると解することができると認定したものの、単に「平均分子量」と記載するのみでは、いずれの測定方法により定められた平均分子量であるかが明らかではないから、本件出願日当時の技術常識を考慮したとしても、上記にいう「平均分子量」が一義的に「重量平均分子量」であると解することはできない。のみならず、本件明細書の発明の詳細な説明(【0021】)には、「マルハ株式会社から販売されているコンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約0.7万等)等が利用できる。」と記載されているところ、当該記載にいう「平均分子量」は、「粘度平均分子量」を意味するから、本件発明の詳細な説明には、少なくとも「粘度平均分子量」のものも混在している。しかも、仮に本件特許請求の範囲及び本件明細書にいう「平均分子量」が「重量平均分子量」であるとしても、具体的な試験条件等によっても数値が変動し得るものであり、本件明細書には当該試験条件等の記載がないのであるから、平均分子量を一義的に特定できるものとはいえない。

したがって、当業者が「平均分子量」を一義的に理解することができない以上、「平均分子量」という本件特許請求の範囲及び本件明細書の記載が特許法36条4項1号の実施可能要件、同条6項1号のサポート要件及び同項2号の明確性要件のいずれにも違反しないとした審決の判断には誤りがある。

(2)取消事由2(「0.01~10w/v%」についての明確性要件に関する判断の誤り)について

-省略-

(3)取消事由3(平均分子量の範囲(0.5万~4万)についての記載不備に関する判断の誤り)について

-省略-

(4)取消事由4(コンドロイチン硫酸又はその塩の濃度の範囲についての記載不備に関する判断の誤り)について

-省略-

(5)取消事由5(その他高分子の存在についての記載不備に関する判断の誤り)について

-省略-

(6)取消事由6(塩化ナトリウムについての記載不備に関する判断の誤り)について

-省略-

(7)取消事由7(清涼組成物についての記載不備に関する判断の誤り)について

-省略-

(8)取消事由8(甲1発明に基づく新規性欠如又は進歩性欠如に関する判断の誤り)について

-省略-

(9)取消事由9(新アスパクール等に基づく新規性欠如又は進歩性欠如に関する判断の誤り)について

-省略-

(10)取消事由10(甲13発明に基づく進歩性欠如に関する判断の誤り)について

-省略-

(11)取消事由11(新スマイルコンタクトクールに基づく進歩性欠如に関する判断の誤り)について

-省略-

2 被告の反論

(1)取消事由1(「平均分子量」についての記載不備に関する判断の誤り)について

本件特許請求の範囲及び本件明細書には、高分子化合物の平均分子量につき一貫して「平均分子量」と記載されているから、当業者は「平均分子量」の意味が全て同じものであると理解するものと認められる。そして、本件明細書にいう「ポリビニル系高分子化合物」及び「セルロース系高分子化合物」の「平均分子量」は「重量平均分子量」であると認められる上、高分子化合物の各種物性と分子量の関係を示す場合等には、一般に「重量平均分子量」を用いることが多く、「数平均分子量」、「粘度平均分子量」等は、分子量分布の目安、高分子物質の試料の分子量の目安を示すにすぎないから、眼科用薬分野の当業者は、本件特許請求の範囲及び本件明細書にいう「平均分子量」が「重量平均分子量」であると理解するものと認められる。したがって、当業者は「平均分子量」が「重量平均分子量」であると理解するのであるから、「平均分子量」という本件特許請求の範囲及び本件明細書の記載が特許法36条4項1号の実施可能要件、同条6項1号のサポート要件及び同項2号の明確性要件のいずれにも違反しないとした審決の判断に誤りはない。

(2)取消事由2(「0.01~10w/v%」についての明確性要件に関する判断の誤り)について

-省略-

(3)取消事由3(「平均分子量」の範囲(0.5万~4万)についての記載不備に関する判断の誤り)について

-省略-

(4)取消事由4(コンドロイチン硫酸又はその塩の濃度範囲についての記載不備に関する判断の誤り)について

-省略-

(5)取消事由5(その他高分子の存在についての記載不備に関する判断の誤り)について

-省略-

(6)取消事由6(塩化ナトリウムについての記載不備に関する判断の誤り)について

-省略-

(7)取消事由7(清涼組成物についての記載不備に関する判断の誤り)について

-省略-

(8)取消事由8(甲1発明に基づく新規性欠如又は進歩性欠如に関する判断の誤り)について

-省略-

(9)取消事由9(新アスパクール等に基づく新規性欠如又は進歩性欠如に関する判断の誤り)について

-省略-

(10)取消事由10(甲13発明に基づく進歩性欠如に関する判断の誤り)について

-省略-

(11)取消事由11(新スマイルコンタクトクールに基づく進歩性欠如に関する判断の誤り)について

-省略-

4.裁判所の判断

当裁判所は、原告の取消事由1及び取消事由8には理由があり、審決にはこれを取り消すべき違法があるものと判断する。その理由は、次のとおりである。

1 取消事由1(「平均分子量」についての記載不備に関する判断の誤り)について

(1)特許法36条6項2号は、特許請求の範囲の記載に関し、特許を受けようとする発明が明確でなければならない旨規定する。この趣旨は、特許請求の範囲に記載された発明が明確でない場合には、特許の付与された発明の技術的範囲が不明確となり、第三者に不測の不利益を及ぼすことがあり得るため、そのような不都合な結果を防止することにある。そして、特許を受けようとする発明が明確であるか否かは、特許請求の範囲の記載のみならず、願書に添付した明細書の記載及び図面を考慮し、また、当業者の出願時における技術常識を基礎として、特許請求の範囲の記載が、第三者に不測の不利益を及ぼすほどに不明確であるか否かという観点から判断されるべきである。

原告は、本件特許請求の範囲及び本件明細書における「平均分子量」という記載が不明確であり、明確性要件を欠くと主張するので、以下検討する。

(2)本件明細書の記載

-省略-

(3)本件発明の技術的特徴

前記(2)の本件明細書の記載によれば、本件発明は、ソフトコンタクトレンズ装用時においても十分な清涼感を付与することができる眼科用清涼組成物を提供するものである。従来から、メントール等の清涼化剤を増量することなく十分な清涼感を持続させるとともに、メントールの刺激性を改善した点眼剤については知られていたものの、これらの点眼剤は、専ら裸眼又はハードコンタクトレンズ常用者に対して清涼感を付与することを主たる目的として開発されたものである。そのため、これらの点眼剤は、ソフトコンタクトレンズ装用者が裸眼の場合と比較して格段に清涼感を感じにくいという、ソフトコンタクトレンズ特有の課題を考慮するものではなかった。

本件発明は、上記課題を解決して、ソフトコンタクトレンズの装用者又は常用者に対し十分な清涼感を付与する眼科用清涼組成物を提供するものである。本件発明によれば、ソフトコンタクトレンズ装用者に対し十分な清涼感を付与し、かつ、刺激がなく安全性が高い眼科用清涼組成物を提供するとともに、ソフトコンタクトレンズ常用者に対しても、ソフトコンタクトレンズの装用中のほか、ソフトコンタクトレンズを外した後の眼にも清涼感を付与する眼科用清涼組成物を提供するものである。

(4)本件明細書における「平均分子量」の意義

前提となる事実に証拠(後掲各証拠のほか、甲49〔本件明細書〕)及び弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められる。

ア 「平均分子量」という概念は、一義的なものではなく、測定方法の違い等によって、「重量平均分子量」、「数平均分子量」、「粘度平均分子量」等にそれぞれ区分される(甲17)。そのため、同一の高分子化合物であっても、「重量平均分子量」、「数平均分子量」、「粘度平均分子量」等の各数値は、必ずしも一致せず、それぞれ異なるものとなり得る(甲27)。

本件特許請求の範囲及び本件明細書には、単に「平均分子量」と記載されるにとどまり、上記にいう「平均分子量」が「重量平均分子量」、「数平均分子量」、「粘度平均分子量」等のいずれに該当するかを明らかにする記載は存在しない

もっとも、本件明細書に記載された他の高分子化合物については、例えば、ヒドロキシエチルセルロース(【0016】)、メチルセルロース(【0017】)、ポリビニルピロリドン(【0018】)及びポリビニルアルコール(【0020】)の平均分子量として記載されている各社の各製品の各数値は、重量平均分子量の各数値が記載されているものであり、この重量平均分子量の各数値は公知であったから(甲58、61ないし67)、当業者は、これらの高分子化合物の平均分子量は、重量平均分子量を意味するものと解するものと推認される。

ウ 次に掲げる事実によれば、高分子化合物の「平均分子量」は、本件出願日当時には、一般に「重量平均分子量」によって明記されていたことが認められる。

(ア)特開平10-139666号公報(甲58【0027】)には、ポリビニルピロリドン(ポビドン)の「平均分子量」が「重量平均分子量」によって明記されている。

(イ)特開2001-187731号公報(甲61【0006】、【0007】)には、ヒドロキシエチルセルロース、メチルセルロース、ポリビニルピロリドン、ヒドロキシプロピルメチルセルロース、ポリビニルアルコールの「平均分子量」が「重量平均分子量」によって明記されている。

(ウ)特開2002-154989号公報(甲62【0014】)には、セルロース系高分子化合物の「平均分子量」が「重量平均分子量」によって明記されている。

(エ)特開2001-125052号公報(甲63【0009】)には、ポリビニル系高分子化合物及びセルロース系高分子化合物の「平均分子量」が「重量平均分子量」によって明記されている。

(オ)特開2003-201241号公報(甲64【0016】)には、セルロース誘導体の「平均分子量」が「重量平均分子量」によって明記されている。

(カ)特開2002-345929号公報(甲65【特許請求の範囲】)には、特定の構造を有するカチオンポリマーの「平均分子量」が「重量平均分子量」によって明記されている。

(キ)特開2002-20320号公報(甲66【0009】)には、塩基性アミノ酸のポリマーの「平均分子量」が「重量平均分子量」によって明記されている。

(ク)信越化学工業株式会社作成に係る「医薬品添加剤メトローズ」と題するカタログ(甲67の6頁)には、ヒドロキシプロピルメチルセルロースの「平均分子量」が「重量平均分子量」によって明記されている。

(ケ)特開平9-202731号公報(甲59【0026】、【0041】ないし【0048】)には、「平均分子量」は「重量平均分子量」であることが好ましいとされた上、コンドロイチン硫酸の「平均分子量」が「重量平均分子量」の測定方法である光散乱法(甲17)で算定されている。

(コ)特開2002-3384号公報(甲60【0017】)には、「多糖類の平均分子量は、重量平均分子量で示すのが一般的である」と記載されている。

エ 次に掲げる事実によれば、マルハ株式会社(その後に同社の事業を承継したマルハニチロ株式会社を含む〔甲43〕)から販売されていたコンドロイチン硫酸ナトリウムの「重量平均分子量」は、本件出願日当時、2万ないし2.5万程度のものであったことが認められる。

(ア)特開2004-196695号公報(甲28【0028】ないし【0030】、【0033】及び【0034】。以下、当該公報を「甲28公報」という。)には、マルハ株式会社製Lot.PUC-791のコンドロイチン硫酸ナトリウムの「平均分子量」が「重量平均分子量」の測定方法である光散乱法により測定され、その数値が「21、500」であると算定されている。また、マルハ株式会社製Lot.PUC-794及び790のコンドロイチン硫酸ナトリウムの「平均分子量」が「重量平均分子量」の測定方法である光散乱法により測定され、その数値が「24、100」と算定されている。

(イ)特開2004-263109号公報(甲29【0032】ないし【0035】、【0039】。以下、当該公報を「甲29公報」という。)には、マルハ株式会社製Lot.PUC-790(甲45)のコンドロイチン硫酸ナトリウムの「平均分子量」が「重量平均分子量」の測定方法である光散乱法により測定され、その数値が「21、500」であると算定されている。また、マルハ株式会社製Lot.PUC-794のコンドロイチン硫酸ナトリウムの「平均分子量」が「重量平均分子量」の測定方法である光散乱法により測定され、その数値が「21、200」と算定されている。

オ マルハ株式会社は、平成15年ないし平成16年頃、コンドロイチン硫酸ナトリウム(Lot.PUC-822、829、844、845、849、850及び855)の平均分子量につき、全て「粘度平均分子量」で測定してこれを販売しており、それ以外の測定方法によって算出したものは存在しない。また、上記の各製品の「粘度平均分子量」は6千ないし1万程度のものであったことが認められる。(甲2)

カ マルハ株式会社は、過去において、ユーザーからコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量について問合せがあった場合には、粘度平均分子量の数値を提供していたものであり(甲43)、ユーザーには当業者が含まれると推認されるから、本件出願日当時、マルハ株式会社のコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量として、同社のユーザーである当業者に公然に知られた数値は、粘度平均分子量の数値であったと認められる。

キ マルハ株式会社と生化学工業株式会社の2社は、本件出願日当時、コンドロイチン硫酸又はその塩の製造販売を市場において独占していた。

(5)明確性要件違反について

本件特許請求の範囲にいう「平均分子量が0.5万~4万のコンドロイチン硫酸或いはその塩」にいう平均分子量が、本件出願日当時、「重量平均分子量」、「粘度平均分子量」等のいずれを示すものであるかについては、本件明細書において、これを明らかにする記載は存在しない。もっとも、このような場合であっても、本件明細書におけるコンドロイチン硫酸あるいはその塩及びその他の高分子化合物に関する記載を合理的に解釈し、当業者の技術常識も参酌して、その平均分子量が何であるかを合理的に推認することができるときには、そのように解釈すべきであるしかし、本件においては、次に述べるとおり、「コンドロイチン或いはその塩」の平均分子量が重量平均分子量であるのか、粘度平均分子量であるのかを合理的に推認することはできない

前記(2)ないし(4)の認定事実によれば、本件明細書(【0021】)には、「本発明に用いるコンドロイチン硫酸又はその塩は公知の高分子化合物であり、平均分子量が0.5万~50万のものを用いる。より好ましくは0.5万~20万、さらに好ましくは平均分子量0.5万~10万、特に好ましくは0.5万~4万のコンドロイチン硫酸又はその塩を用いる。かかるコンドロイチン硫酸又はその塩は市販のものを利用することができ、例えば、生化学工業株式会社から販売されている、コンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約1万、平均分子量約2万、平均分子量約4万等)、マルハ株式会社から販売されているコンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約0.7万等)等が利用できる。」という記載がされているまた、本件出願日当時、マルハ株式会社が販売していたコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量は、重量平均分子量によれば2万ないし2.5万程度のものであり、他方、粘度平均分子量によれば6千ないし1万程度のものであったことからすれば、本件明細書のマルハ株式会社から販売される上記「コンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約0.7万等)」にいう「平均分子量」が客観的には粘度平均分子量の数値を示すものであると推認される

そして、マルハ株式会社は、本件出願日当時、コンドロイチン硫酸ナトリウムの製造販売を独占する二社のうちの一社であって、コンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量を粘度平均分子量のみで測定し、ユーザー(当業者を含む。以下同じ。)から問い合わせがあった場合には、その数値(6千ないし1万程度のもの)をユーザーに提供していたのであり、マルハ株式会社のコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量として、同社のコンドロイチン硫酸ナトリウムを利用する当業者に公然と知られていた数値は、このような粘度平均分子量の数値であったと認められる。のみならず、本件出願日当時には、マルハ株式会社から販売されていたコンドロイチン硫酸ナトリウムの重量平均分子量が2万ないし2.5万程度のものであることを示す刊行物が既に複数頒布され、当該数値は、本件明細書にいう0.7万等という数値とは明らかに齟齬するものであることが認められる。これらの事情の下においては、本件明細書の「コンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約0.7万等)」という記載に接した当業者は、上記にいう平均分子量が粘度平均分子量を示す可能性が高いと理解するのが自然である。そうすると、当業者は、本件特許請求の範囲の記載について、少なくともコンドロイチン硫酸又はその塩に限っては、重量平均分子量によって示されていることに疑義を持つものと認めるのが相当である。

したがって、当業者は、本件出願日当時、本件明細書に記載されたその他高分子化合物であるヒドロキシエチルセルロース(【0016】)、メチルセルロース(【0017】)、ポリビニルピロリドン(【0018】)及びポリビニルアルコール(【0020】)については重量平均分子量で記載されているものと理解したとしても、少なくとも、コンドロイチン硫酸ナトリウムに限っては、直ちに重量平均分子量で記載されているものと理解することはできず、これが粘度平均分子量あるいは重量平均分子量のいずれを意味するものか特定することができないものと認められる

以上によれば、本件特許請求の範囲にいう「平均分子量が0.5万~4万のコンドロイチン硫酸或いはその塩」にいう平均分子量が、本件出願日当時、「重量平均分子量」、「粘度平均分子量」のいずれを示すものであるかが明らかでない以上、上記記載は、第三者に不測の不利益を及ぼすほどに不明確であり、特許法36条6項2号に違反すると認めるのが相当である。

(6)被告の主張に対する判断

ア 甲28公報及び甲29公報には、マルハ株式会社製のコンドロイチン硫酸ナトリウム(Lot.PUC-790等)の「重量平均分子量」の数値が記載されるにとどまり、その他測定方法による数値が記載されず、マルハ株式会社がコンドロイチン硫酸ナトリウムの「重量平均分子量」以外の平均分子量の値を当業者に提供していたことはうかがわれないのであるから、当業者は本件明細書(【0021】)の「コンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約0.7万等)」の「平均分子量」が「粘度平均分子量」であると理解することはない旨主張する。しかしながら、前記(4)の認定事実のとおり、マルハ株式会社は、コンドロイチン硫酸ナトリウムを全て「粘度平均分子量」の数値で算定していた上、ユーザーから問合せがあればその数値を伝えていたのであるから、マルハ株式会社がそのコンドロイチン硫酸ナトリウムについて「重量平均分子量」以外の平均分子量の値を当業者に提供していないとする被告の主張は、その前提を欠く。かえって、甲28公報及び甲29公報において示されているコンドロイチン硫酸ナトリウムの「重量平均分子量」の数値は、甲28公報及び甲29公報各記載の各製品と本件明細書記載の製品が概ね同時期に販売されていたにもかかわらず、本件明細書にいうコンドロイチン硫酸ナトリウムの「平均分子量」の数値と大きく齟齬しているのであるから、当業者は、むしろ、上記各公報の測定方法と本件明細書の測定方法が異なるものと理解するのが自然である。したがって、被告の上記主張は理由がない。

イ 被告は、本件出願日当時、「重量平均分子量」が高分子の「平均分子量」として最も多い頻度で使用され、しかも「重量平均分子量」は、他のものとは異なり高分子の各種物性と関わりを有するものであるから、当業者は、本件特許請求の範囲にいう「コンドロイチン硫酸或いはその塩」の「平均分子量」を「重量平均分子量」であると理解するのが自然であるなどと主張する。

しかしながら、前記(4)の認定事実によれば、本件出願日当時、高分子の平均分子量は一般には「重量平均分子量」によって明記されていたことが認められるものの、マルハ株式会社の販売するコンドロイチン硫酸ナトリウムに限っては、そのユーザーには粘度平均分子量によって測定された平均分子量の数値が公然と示されていたのであり、同数値は、本件出願日前に頒布された複数の刊行物に記載されていた、同社のコンドロイチン硫酸ナトリウムの重量平均分子量の数値とは明らかに齟齬することからすれば、本件出願日当時の当業者にとっては、他の高分子化合物とは異なり、少なくとも本件明細書に示された同社のコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量が重量平均分子量か、粘度平均分子量であるかは不明であったものといわざるを得ない。

以上のとおり、本件明細書の発明の詳細な説明と、当業者の技術常識から、これを合理的に解釈しようとしても、本件特許請求の範囲におけるコンドロイチン硫酸ナトリウムに係る「平均分子量」が「重量平均分子量」か「粘度平均分子量」を意味するかが不明であり、その数値範囲を特定することができないのであるから、本件特許請求の範囲の上記記載は不明確であるといわざるを得ない。したがって、被告の上記主張は、採用することができない。

(7)まとめ

以上によれば、「平均分子量」という本件特許請求の範囲の記載は、特許法36条6項2号の明確性要件に違反するものと認められるから、その余の点を判断するまでもなく、審決にはこれを取り消すべき違法があり、原告の取消事由1には理由がある。

2 取消事由8(甲1発明に基づく新規性欠如又は進歩性欠如に関する判断の誤り)について

-省略-

Ⅲ.二次審決から二次判決までの経緯

1.特許請求の範囲(訂正後)

【請求項1】

a)メントール、カンフル又はボルネオールから選択される化合物を、それらの総量として0.01w/v%以上0.1w/v%未満、

b)0.01~10w/v%の塩化カリウム、塩化カルシウム、塩化ナトリウム、炭酸水素ナトリウム、炭酸ナトリウム、硫酸マグネシウム、リン酸水素二ナトリウム、リン酸二水素ナトリウム、リン酸二水素カリウムから選ばれる少なくとも1種、および

c)平均分子量が2万~4万のコンドロイチン硫酸或いはその塩を0.001~10w/v%含有することを特徴とするソフトコンタクトレンズ装用時に清涼感を付与するための眼科用清涼組成物(ただし、局所麻酔剤を含有するものを除く)

【請求項2】

さらに、非イオン性界面活性剤を0.001~5w/v%含有する請求項1に記載の眼科用清涼組成物。

【請求項3】

さらに、エデト酸又はその塩を0.0001~1w/v%含有する請求項1又は2に記載の眼科用清涼組成物。

【請求項4】

さらに、アミノエチルスルホン酸、グルタミン酸、アスパラギン酸カリウム、アスパラギン酸マグネシウム、グルタミン酸ナトリウム、グルコース又はトレハロースから選択される少なくとも1種以上の成分を、それらの総量として0.01~5w/v%含有する請求項1乃至3に記載の眼科用清涼組成物。

【請求項5】

点眼剤又は洗眼剤である請求項1乃至4に記載の眼科用清涼組成物。

【請求項6】

a)メントール、カンフル又はボルネオールから選択される化合物を、それらの総量として0.01w/v%以上0.1w/v%未満、

b)0.01~10w/v%の塩化カリウム、塩化カルシウム、塩化ナトリウム、炭酸水素ナトリウム、炭酸ナトリウム、硫酸マグネシウム、リン酸水素二ナトリウム、リン酸二水素ナトリウム、リン酸二水素カリウムから選ばれる少なくとも1種、および

c)平均分子量が2万~4万のコンドロイチン硫酸或いはその塩を0.001~10w/v%含有することを特徴とするソフトコンタクトレンズ常用者用の眼科用清涼組成物(ただし、局所麻酔剤を含有するものを除く)

2.二次審決の理由

本件審決の理由は、別紙審決書(写し)のとおりである。要するに、本件訂正を認めた上で、当業者の技術常識から合理的に解釈しても、本件訂正後の特許請求の範囲の「平均分子量が2万~4万のコンドロイチン硫酸或いはその塩」(【請求項1】【請求項6】)における「平均分子量」がいかなる平均分子量を意味するのかが不明であるから、特許請求の範囲の記載は特許法36条6項2号に規定する要件(以下「明確性要件」という。)を満たさず、本件訂正発明1~6についての特許は無効にすべきであるというものである。

3.原告主張の取消事由(明確性要件に係る認定判断の誤り)

1 本件訂正後の特許請求の範囲の「平均分子量が2万~4万のコンドロイチン硫酸或いはその塩」にいう平均分子量は重量平均分子量を意味するものと解されるから、本件訂正後の特許請求の範囲の記載は明確性要件を満たすものであり、本件審決は誤りである。

2 本件訂正明細書の段落【0021】の「平均分子量」の意味について、まずは段落【0016】~【0020】の「平均分子量」の意味と同じく重量平均分子量であるというのが自然かつ合理的である。そして、本件訂正明細書には「平均分子量」が重量平均分子量を意味しないと推論する根拠となる記載もないから、本件訂正後の特許請求の範囲の「平均分子量が2万~4万のコンドロイチン硫酸或いはその塩」にいう平均分子量について当業者は重量平均分子量を意味すると解するというべきである。

3 生化学工業株式会社製のコンドロイチン硫酸ナトリウムについて生化学工業株式会社製のコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量は重量平均分子量で示されており、本件出願時の当業者の理解も同様であった。

すなわち、生化学工業株式会社の回答書(甲100)によれば、同社は、平成16年当時から、ユーザーからの同社製コンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量についての問合せには重量平均分子量の値を提供しており、また、生化学工業株式会社の回答書(甲84)添付のカタログ(以下「本件カタログ」という。)にもコンドロイチン硫酸ナトリウムの重量平均分子量が記載されている

さらに、生化学工業株式会社が出願人である公開特許公報等(甲59、70、71及び73)の記載からも、生化学工業株式会社から販売されるコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量は重量平均分子量を意味すると理解できる。なお、公開特許公報(甲71及び甲73)の「グリコサミノグリカンの分子量とは、通常平均分子量を意味し、一般的には極限粘度から算出される重量平均分子量を指称する。」との記載にいう「極限粘度から算出される重量平均分子量」が重量平均分子量を示すことは、複数の文献(甲101~103)から明らかである。

4 マルハ株式会社の製品について

第一次判決において、マルハ株式会社製のコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量として当業者に公然知られた数値は粘度平均分子量であったと判断されたが、本件訂正により、本件訂正明細書からマルハ株式会社製のコンドロイチン硫酸ナトリウムに関する記載が削除されたのであるから、本件訂正後の特許請求の範囲の「平均分子量が2万~4万のコンドロイチン硫酸或いはその塩」にいう平均分子量が粘度平均分子量と解する余地はなく、本件訂正により特許請求の範囲の記載は明確性要件を充足する。また、本件訂正により特許請求の範囲の実質的な変更があったとはいえない。

4.被告の反論

1 本件訂正後の特許請求の範囲の「平均分子量が2万~4万のコンドロイチン硫酸或いはその塩」にいう「平均分子量」がいかなる平均分子量を意味するのか不明であり、特許請求の記載が明確性要件を満たさないとした本件審決の判断に誤りはない。

2 仮に、第一次判決の認定するとおり、本件出願日当時、本件訂正明細書に記載された他の高分子化合物については、その平均分子量が重量平均分子量で記載されているものと理解したとしても、本件訂正明細書に製品名が記載されていないコンドロイチン硫酸あるいはその塩に関しては、直ちに重量平均分子量で記載されているものと理解することはできず、その平均分子量がいかなる平均分子量であるか特定することはできない。

3 生化学工業株式会社製のコンドロイチン硫酸ナトリウムについて

(1)生化学工業株式会社においては、次のとおり、重量平均分子量と粘度平均分子量を厳密に区別しないで用いていた可能性があり、生化学工業株式会社が重量平均分子量とする数値には粘度平均分子量が含まれていた可能性がある。

すなわち、生化学工業株式会社が出願人である公開特許公報(甲71及び甲73)には、「グリコサミノグリカンの分子量とは、通常平均分子量を意味し、一般的には極限粘度から算出される重量平均分子量を指称する。」と記載されているが、重量平均分子量は一般に光散乱及び超遠心法で決定され、「極限粘度から算出される」平均分子量は一般には粘度平均分子量である(なお、固有粘度は極限粘度と同義である。)から、「極限粘度から算出される重量平均分子量」とは、粘度平均分子量を意味すると解される。

文献(甲101~103)に記載された算出方法はいずれも粘度平均分子量の算出方法であり、この点に関する原告の主張は誤りである。すなわち、粘度平均分子量とは、「分子量をMark-Houwinkの関係式により固有粘度[η]と結びつける」ことで算出される平均分子量であり、「Mark-Houwinkの関係式」とは、固有粘度[η](極限粘度ともいい、測定可能である。)と粘度平均分子量(M)との関係を示す式([η]=KMa)である。「K」と「a」は、対象となる物質ごとに、何らかの平均分子量(例えば重量平均分子量)の測定値を「M」に代入し、固有粘度の測定値を[η]に代入して、複数のプロットを取ることで実験的に得られる定数であり、このようにして定めた「K」と「a」により得られたMark-Houwinkの関係式から、固有粘度[η]と粘度平均分子量(M)との関係が明らかになる。このように、粘度平均分子量とは、予め実験により「K」および「a」の値を決定して導き出したMark-Houwinkの関係式に、固有粘度[η]の測定値を代入することにより求められるものであるところ、甲101~103には、いずれもこのような算出方法が記載されている。

(2)本件カタログの「分子量」は、コンドロイチン硫酸ナトリウム中のアルデヒド基(還元末端)の定量によりその全体の分子量を測定したものであるから、数平均分子量である。

すなわち、本件カタログに「分子量」の参照文献として引用されている論文(以下「乙1論文」という。)には、アルドースという「アルデヒド基」(還元末端)を持つ「糖」の還元力を測定することが記載されている。そして、化学大辞典(乙2)等によれば、「糖」の「還元末端」に基づいて平均分子量を測定する方法は「末端基定量」(法)であり、この方法で測定される平均分子量は数平均分子量である。コンドロイチン硫酸あるいはその塩は糖の一種であり、その末端のグルコース中のCHOH基は水中で平衡状態になり、還元性のCHOで示されるアルデヒド基を形成するから、コンドロイチン硫酸あるいはその塩は、アルデヒド基を実質的に持つ分子で、「アルデヒド基」(還元末端)を持つ「糖」であると解することができ、乙1論文にいう「アルドース」に該当するのであり、その平均分子量は数平均分子量である。

(3)生化学工業株式会社自身が出願人である、① 公開特許公報等(甲71及び甲73)には粘度平均分子量が記載され(上記(1))、② 本件優先日と同年の優先日を有する再公表特許WO2006/068146公報(乙4)には、コンドロイチン硫酸又はその塩の重量平均分子量及び還元性末端基測定法による分子量(数平均分子量)が記載されているから、同社製のコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量がいかなる平均分子量であるかは明らかではない。

また、生化学工業株式会社自身が出願人である公開特許公報等にコンドロイチン硫酸又はその塩の重量平均分子量が記載されているとしても、メーカーが出願人である公報にはメーカーが自家調達したものが記載されていると考えるのが自然であるから、「生化学工業株式会社から販売されているコンドロイチン硫酸ナトリウム」(本件訂正明細書段落【0021】)の平均分子量が重量平均分子量で示されていたことの根拠とはならない。

(4)生化学工業株式会社から販売される製品に関する当業者の認識を適切に示すのは、製品のユーザーである、同社以外の者による文献であるが、生化学工業株式会社以外の者が出願人である公開特許公報(甲30及び甲31)では、同社製のコンドロイチン硫酸ナトリウム製品についてそれぞれ粘度平均分子量及び数平均分子量で示されている。

(5)本件カタログ及びその他の生化学工業株式会社製品のカタログ(甲22及び甲78)には「分子量」の記載しかなく、それが平均分子量であることを示す記載がないから、生化学工業株式会社はコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量を記載せずに販売していたと推認され、当業者にとって、同社製のコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量がいかなる平均分子量であるかは一義的に確定していなかった。

4 マルハ株式会社の製品について

本件出願日当時のコンドロイチン硫酸又はその塩の製造販売の市場はマルハ株式会社と生化学工業株式会社の2社が独占していたから、当業者は両社の製品を利用可能であると認識する。そして、第一次判決の認定するとおり、マルハ株式会社の製品の平均分子量として当業者に公然に知られた数値は粘度平均分子量であるから、当業者は、「平均分子量が2万~4万のコンドロイチン硫酸或いはその塩」にいう平均分子量が粘度平均分子量でないと判断することはできない。この点は、本件訂正により、本件明細書の段落【0021】からマルハ株式会社製のコンドロイチン硫酸を削除したからといって変わりはないし、このような訂正により明確性要件の治癒を認めることは特許請求の範囲を実質的に変更するに等しく、妥当性を欠く。

5 電気化学工業株式会社が出願人である特開2006-129796号公報(乙5)(出願日平成16年11月8日)には、コンドロイチン硫酸の数平均分子量及び重量平均分子量の双方が記載され、また、同特許出願についての特許法30条1項の適用申請に係る自己公知資料である学会予稿(乙7。平成16年5月1日)にも、コンドロイチン硫酸塩の数平均分子量が記載されている。これは、当業者の間で、コンドロイチン硫酸あるいはその塩の「平均分子量」が多義的に用いられていたことを示す。

5.裁判所の判断

1 本件各訂正発明について

(1)本件訂正後の特許請求の範囲

本件訂正後の特許請求の範囲は、上記第2の2に記載のとおりである。

(2)本件訂正明細書の記載内容

-省略-

2 取消事由(明確性要件に係る認定判断の誤り)について

(1)明確性要件について

特許法36条6項2号は、特許請求の範囲の記載に関し、特許を受けようとする発明が明確でなければならない旨規定する。同号がこのように規定した趣旨は、特許請求の範囲に記載された発明が明確でない場合には、特許が付与された発明の技術的範囲が不明確となり、権利者がどの範囲において独占権を有するのかについて予測可能性を奪うなど第三者の利益が不当に害されることがあり得るので、そのような不都合な結果を防止することにある。そして、特許を受けようとする発明が明確であるか否かは、特許請求の範囲の記載だけではなく、願書に添付した明細書の記載及び図面を考慮し、また、当業者の出願当時における技術常識を基礎として、特許請求の範囲の記載が、第三者の利益が不当に害されるほどに不明確であるか否かという観点から判断されるべきである。

(2)「平均分子量」の意義

ア 「平均分子量」という概念は、一義的なものではなく、測定方法の違い等によって、「重量平均分子量」、「数平均分子量」、「粘度平均分子量」等に区分される。そして、同一の高分子化合物であっても、重量平均分子量、数平均分子量、粘度平均分子量等の各数値は必ずしも一致せず、それぞれ異なるものとなり得る。(甲17、27)

イ 本件訂正後の特許請求の範囲及び本件訂正明細書には、コンドロイチン硫酸又はその塩につき単に「平均分子量」と記載されるにとどまり、これが重量平均分子量、数平均分子量、粘度平均分子量等のいずれに該当するかを明らかにする記載は存在しない。

もっとも、本件訂正明細書に記載された他の高分子化合物については、例えば、メチルセルロース(段落【0017】)、ポリビニルピロリドン(段落【0018】)、ヒドロキシプロピルメチルセルロース(段落【0019】)及びポリビニルアルコール(段落【0020】)の平均分子量として記載されている各社の各製品の各数値は、重量平均分子量の各数値が記載されているものであり、この重量平均分子量の各数値は公知であったから(甲61~64、67)、当業者は、本件出願日当時、これらの高分子化合物の平均分子量は、重量平均分子量を意味するものと解するものと推認される。

ウ 次に掲げる事実によれば、高分子化合物の平均分子量は、本件出願日当時には、一般に重量平均分子量によって明記されていたことが認められる。

(ア)沢井製薬株式会社が出願人である特開平10-139666号公報(甲58段落【0027】)には、ポリビニルピロリドン(ポビドン)の「平均分子量」が「重量平均分子量」によって明記されている。

(イ)ライオン株式会社が出願人である特開2001-187731号公報(甲61段落【0006】、【0007】)には、ヒドロキシエチルセルロース、メチルセルロース、ポリビニルピロリドン、ヒドロキシプロピルメチルセルロース、ポリビニルアルコールの「平均分子量」が「重量平均分子量」によって明記されている。

(ウ)ライオン株式会社が出願人である特開2002-154989号公報(甲62段落【0014】)には、セルロース系高分子化合物の「平均分子量」が「重量平均分子量」によって明記されている。

(エ)ライオン株式会社が出願人である特開2001-125052号公報(甲63段落【0009】)には、ポリビニル系高分子化合物及びセルロース系高分子化合物の「平均分子量」が「重量平均分子量」によって明記されている。

(オ)ロート製薬株式会社が出願人である特開2003-201241号公報(甲64段落【0016】)には、セルロース誘導体の「平均分子量」が「重量平均分子量」によって明記されている。

(カ)千寿製薬株式会社が出願人である特開2002-345929号公報(甲65【特許請求の範囲】)には、特定の構造を有するカチオンポリマーの「平均分子量」が「重量平均分子量」によって明記されている。

(キ)参天製薬株式会社が出願人である特開2002-20320号公報(甲66段落【0009】)には、塩基性アミノ酸のポリマーの「平均分子量」が「重量平均分子量」によって明記されている。

(ク)信越化学工業株式会社作成に係る「医薬品添加剤メトローズ」と題するカタログ(平成6年8月)(甲67の6頁)には、メトローズ(ヒドロキシプロピルメチルセルロース・メチルセルロース)の「平均分子量」が「重量平均分子量」によって明記されている。

(ケ)生化学工業株式会社が出願人である特開2002-3384号公報(甲60段落【0017】)、特開2003-252906公報(甲82段落【0019】)及び特開2004-210714号公報(甲83段落【0023】)には、多糖類の「平均分子量」は、「重量平均分子量」で示すのが一般的であることが記載されている。

(3)コンドロイチン硫酸又はその塩について

ア マルハ株式会社と生化学工業株式会社の2社は、本件出願日当時、コンドロイチン硫酸又はその塩の製造販売を市場において独占していた。(甲11、12)

イ 生化学工業株式会社製のコンドロイチン硫酸ナトリウムについて

(ア)生化学工業株式会社は、平成16年より以前から、ユーザーからコンドロイチン硫酸ナトリウム製品の平均分子量について問合せがあった場合には、通常、重量平均分子量の数値を提供し、平均分子量約1万、約2万及び約4万とする製品についても重量平均分子量の数値を提供していた(甲100)。これによれば、本件出願日当時、生化学工業株式会社製のコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量として同社が提供していたのは重量平均分子量の数値であり、当業者に公然に知られた数値も、重量平均分子量の数値であったと認められる。

(イ)また、生化学工業株式会社が出願人である特許公開公報等には、次の記載がある。

a 特開平9-202731号公報(甲59段落【0026】【0045】)には、硫酸化多糖の「平均分子量」は「重量平均分子量」であることが好ましいこと、生化学工業株式会社製のコンドロイチン硫酸(「平均分子量」1万)を用いることが記載されている。

b 国際公開01/12675号(甲70・8頁13~19行、9頁2~11行)には、GAG(グリコサミノグリカン又はその塩)の「重量平均分子量」につき当該公報中では「分子量」と表記すること、GAGとして生化学工業株式会社製の特定の「分子量」のコンドロイチン硫酸又はコンドロイチン硫酸ナトリウムを用いることが記載されている。

c 特開2003-160498号公報(甲71。以下「甲71公報」という。段落【0010】【0042】)には、コンドロイチン硫酸を含むグリコサミノグリカンの「分子量」は、通常「平均分子量」を意味し、一般的には「極限粘度から算出される重量平均分子量」を指称すること、生化学工業株式会社製の特定の「重量平均分子量」のコンドロイチン硫酸を使用することが記載されている。

d 特開2003-335801号公報(甲73。以下「甲73公報」という。段落【0008】【0024】【0027】~【0029】)には、グリコサミノグリカンの「分子量」は、通常「平均分子量」を意味し、一般的には「極限粘度から算出される重量平均分子量」を指称すること、生化学工業株式会社製の特定の「平均分子量」のコンドロイチン硫酸及びコンドロイチン硫酸ナトリウムを使用することが記載されている。

e 特開2000-65837号公報(甲72段落【0038】)、国際公開2004/081054号(国際公開日平成16年9月23日)(甲76・13頁11~12行、17頁12~13行)、特開2004-361144号公報(甲77段落【0062】)には、生化学工業株式会社製の特定の「重量平均分子量」のコンドロイチン硫酸を用いることが記載されている。

ウ マルハ株式会社製のコンドロイチン硫酸ナトリウムについて

(ア)マルハ株式会社は、平成15年ないし平成16年頃、コンドロイチン硫酸ナトリウム(Lot.PUC-822、829、844、845、849、850及び855)の平均分子量につき、全て粘度平均分子量で測定してこれを販売しており、それ以外の測定方法によって算出したものは存在しない。また、上記の各製品の粘度平均分子量は6千ないし1万程度のものであった。(甲2)

(イ)マルハ株式会社は、過去において、ユーザーからコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量について問合せがあった場合には、通常粘度平均分子量の数値を提供していたものであり(甲43)、ユーザーには当業者が含まれると推認されるから、本件出願日当時、マルハ株式会社のコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量として、当業者に公然に知られた数値は、粘度平均分子量の数値であったものと認められる

(4)以上を踏まえて本件訂正後の特許請求の範囲の記載の明確性について判断する。

本件訂正後の特許請求の範囲にいう「平均分子量が2万~4万のコンドロイチン硫酸或いはその塩」にいう平均分子量が、本件出願日当時、重量平均分子量、粘度平均分子量、数平均分子量等のいずれを示すものであるかについては、本件訂正明細書において、これを明らかにする記載は存在しない。もっとも、このような場合であっても、本件訂正明細書におけるコンドロイチン硫酸又はその塩及びその他の高分子化合物に関する記載を合理的に解釈し、当業者の技術常識も参酌して、その平均分子量が何であるかを合理的に推認することができるときには、そのように解釈すべきである。

イ 上記1(2)カのとおり、本件訂正明細書には、「本発明に用いるコンドロイチン硫酸又はその塩は公知の高分子化合物であり、平均分子量が0.5万~50万のものを用いる。より好ましくは0.5万~20万、さらに好ましくは平均分子量0.5万~10万、特に好ましくは0.5万~4万のコンドロイチン硫酸又はその塩を用いる。かかるコンドロイチン硫酸又はその塩は市販のものを利用することができ、例えば、生化学工業株式会社から販売されている、コンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約1万、平均分子量約2万、平均分子量約4万等)が利用できる。」(段落【0021】)と記載されている。

上記の「生化学工業株式会社から販売されているコンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約1万、平均分子量約2万、平均分子量約4万等)」については、本件出願日当時、生化学工業株式会社は、同社製のコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量について重量平均分子量の数値を提供しており、同社製のコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量として当業者に公然に知られた数値は重量平均分子量の数値であったこと(上記(3)イ(ア))からすれば、その「平均分子量」は重量平均分子量であると合理的に理解することができ、そうだとすると、本件訂正後の特許請求の範囲の「平均分子量が2万~4万のコンドロイチン硫酸或いはその塩」にいう平均分子量も重量平均分子量を意味するものと推認することができる。加えて、本件訂正明細書の上記段落に先立つ段落に記載された他の高分子化合物の平均分子量は重量平均分子量であると合理的に理解できること(上記(2)イ)、高分子化合物の平均分子量につき一般に重量平均分子量によって明記されていたというのが本件出願日当時の技術常識であること(上記(2)ウ)も、本件訂正後の特許請求の範囲の「平均分子量が2万~4万のコンドロイチン硫酸或いはその塩」にいう平均分子量が重量平均分子量であるという上記の結論を裏付けるに足りる十分な事情であるということができる。

ウ よって、本件訂正後の特許請求の範囲の記載は明確性要件を充足するものと認めるのが相当である。

(5)被告の主張について

ア 被告は、仮に、当業者が本件訂正明細書に記載された他の高分子化合物の平均分子量が重量平均分子量で示されていると理解するとしても、本件訂正明細書にはコンドロイチン硫酸ナトリウムの具体的な製品名の記載がないから、コンドロイチン硫酸ナトリウムについてはその平均分子量がいかなる平均分子量であるか特定することはできないと主張する。

しかし、上記(4)イのとおり、本件訂正明細書にコンドロイチン硫酸ナトリウムの具体的な製品名の記載がなくても、本件訂正明細書におけるコンドロイチン硫酸又はその塩及びその他の高分子化合物に関する記載を合理的に解釈し、当業者の技術常識も参酌すれば、コンドロイチン硫酸又はその塩の平均分子量がいかなる平均分子量であるかを理解することができるというべきであり、被告の主張は採用できない。

イ 生化学工業株式会社製のコンドロイチン硫酸ナトリウムについて被告は、生化学工業株式会社製のコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量について、本件出願日当時、それがいかなる平均分子量であるかは確定していなかったと主張するが、その論拠とするところは以下のとおりいずれも採用できない。

(ア)被告は、生化学工業株式会社を出願人とする甲71公報及び甲73公報中の「極限粘度から算出される重量平均分子量」は粘度平均分子量を意味するから、生化学工業株式会社は重量平均分子量と粘度平均分子量を区別しないで使用していた可能性があり、生化学工業株式会社が重量平均分子量としている数値には粘度平均分子量が含まれていた可能性があると主張する。しかし、重量平均分子量と固有粘度(判決注:極限粘度と同義)の関係式を得て、この関係式と、測定した資料の固有粘度から重量平均分子量を算出する方法は本件出願日当時の技術常識であり(甲101~103、105)、甲71公報及び甲73公報の「極限粘度から算出される重量平均分子量」が重量平均分子量を示すことに疑義はない。

この点に関し、被告は、上記の甲101~103の各文献は粘度平均分子量の算出方法を記載したものであると主張するが、上記各文献には重量平均分子量(質量平均分子量も同義と解される。)を算出することが明記され、また、一般に固有粘度と重量平均分子量の関係式における定数と、固有粘度と粘度平均分子量の関係式における定数は等しくないから(甲105)、上記各文献に記載された算出方法につき粘度平均分子量の算出方法であると理解することはできない。

(イ)被告は、本件カタログが引用する乙1論文と、化学大辞典(乙2)等の末端基定量(法)に関する記載から、本件カタログの「分子量」は数平均分子量であると理解され、生化学工業株式会社はコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量を数平均分子量で示していたと主張する。しかし、乙1論文にはアルドースの分離及び定量が記載されているに過ぎず、多糖試料の末端基を定量するとの記載もないから、乙1論文から本件カタログの分子量の記載が数平均分子量であると解することは困難である。かえって、本件カタログの作成者である生化学工業株式会社が本件カタログの分子量の記載は重量平均分子量に基づく数値である旨回答しており(甲84)、これが虚偽ないし誤りであるというべき理由も見いだせないから、本件カタログの「分子量」の数値が数平均分子量であるとの被告の主張は採用できない。

(ウ)被告は、生化学工業株式会社が出願人である甲71公報、甲73公報及び再公表特許WO2006/068146公報(優先日・平成16年12月20日、国際公開日平成18年6月29日)(乙4)には、重量平均分子量以外の分子量が記載されているから、生化学工業株式会社製のコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量が重量平均分子量であるとはいえないと主張する。しかし、甲71公報及び甲73公報にはコンドロイチン硫酸ないしコンドロイチン硫酸ナトリウムの重量平均分子量が記載されていることは上記(ア)に認定したとおりである。また、上記再公表特許公報は、分解酵素により低分子化されたコンドロイチン硫酸又はその塩の画分及びその製造方法に関する発明であり、生化学工業株式会社製のコンドロイチン硫酸ナトリウムに言及したものではないから、この記載によって、同社製のコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量の意義が左右されるものではない。そして、生化学工業株式会社が出願人である公開特許公報等における同社製のコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量に関する記載は、同社から販売されるコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量についての記載であると理解すべきであり、同社が公開特許公報等において同社製のコンドロイチン硫酸又はその塩の平均分子量を重量平均分子量で記載していること(上記(3)イ(ウ))は、同社がコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量を重量平均分子量で提供していた事実(上記(3)イ(ア))に沿うものといえる。

(エ)被告は、生化学工業株式会社から販売されている製品に関する当業者の認識を適切に示すのは、製品のユーザーである生化学工業株式会社以外の者による文献であり、大塚製薬株式会社が出願人である特開2000-191534号公報(甲30)及び富士写真フイルム株式会社が出願人である特開平6-128289号公報(甲31)には同社製のコンドロイチン硫酸ナトリウム製品について粘度平均分子量や数平均分子量が使用されていると主張する。しかし、上記各公報においては、各公報の中で言及されている他の高分子化合物とコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量について、各公報ごとに粘度平均分子量又は数平均分子量により統一的に示されており、発明者が公報における使用目的に応じた平均分子量を測定して記載したものと理解することができる。したがって、これらの記載は、本件出願日当時、生化学工業株式会社製のコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量として同社が重量平均分子量の数値を提供し、当業者に公然に知られた数値も重量平均分子量の数値であったとの認定(上記(3)イ(ア))を左右するものではない。

(オ)被告は、生化学工業株式会社のカタログには「分子量」の記載しかなく、同社はコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量を記載せずに販売していたと推認され、当業者にとって、生化学工業株式会社製のコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量がいかなる平均分子量であるかは一義的に確定していなかったと主張する。

しかし、上記(3)イ(ア)のとおり、生化学工業株式会社は、同社製のコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量について問合せを受けた場合には重量平均分子量の数値を提供していたのであり、製品に分子量の記載しかされていなかったとしても、同社製のコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量がいかなる平均分子量であるかについての認定を左右するものではない。

ウ 被告は、コンドロイチン硫酸ナトリウムの市場は生化学工業株式会社とマルハ株式会社が独占していたところ、マルハ株式会社製のコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量として当業者に公然に知られた数値は粘度平均分子量であるから、当業者は、本件訂正後の特許請求の範囲の「平均分子量が2万~4万のコンドロイチン硫酸或いはその塩」にいう平均分子量が粘度平均分子量でないと判断することはできないと主張する。しかし、本件訂正明細書には、マルハ株式会社製のコンドロイチン硫酸ナトリウムの記載はなく、ほかにコンドロイチン硫酸又はその塩の平均分子量が粘度平均分子量の意味であることを示唆する記載もないから、上記(4)イに説示したとおり、当業者は、本件訂正明細書におけるコンドロイチン硫酸又はその塩及びその他の高分子化合物に関する記載を合理的に解釈し、当業者の技術常識も参酌することによって、コンドロイチン硫酸又はその塩の平均分子量が重量平均分子量であることを合理的に理解できるというべきである。

被告は、マルハ株式会社製の製品に関する記載を削除する本件訂正により明確性要件の充足を認めるのは特許請求の範囲を実質的に変更するに等しく妥当性を欠くと主張する。しかし、本件訂正は、① 本件明細書の「かかるコンドロイチン硫酸又はその塩は市販のものを利用することができ、例えば、生化学工業株式会社から販売されている、コンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約1万、平均分子量約2万、平均分子量約4万等)、マルハ株式会社から販売されているコンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約0.7万等)等が利用できる。」(段落【0021】)との記載から、「、マルハ株式会社から販売されているコンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約0.7万等)等」を除く訂正(訂正事項5)、② 請求項1及び6の「平均分子量が0.5万~4万のコンドロイチン硫酸或いはその塩」を「平均分子量が2万~4万のコンドロイチン硫酸或いはその塩」と改める訂正(訂正事項1及び3)を含むものであるところ(甲95)、これをもって、実質上特許請求の範囲を変更したものということはできず、被告の主張は採用できない。

エ 被告は、電気化学工業株式会社が出願人である特開2006-129796号公報(乙5)及びその自己公知資料である学会予稿(乙7。平成16年5月1日)にコンドロイチン硫酸の数平均分子量が記載されていることから、当業者において、コンドロイチン硫酸の平均分子量が多義的に用いられていたと主張する。しかし、上記記載は、酵素化学的手法によって合成されたコンドロイチン硫酸ナトリウムの数平均分子量の分析結果を記載したものであり(乙5【請求項1】~【請求項5】、段落【0007】、【0009】、乙7)、医薬品等の原料として一般に実用に供されているコンドロイチン硫酸に関する記載ではないから、この記載をもってコンドロイチン硫酸の平均分子量一般の意義に関する当業者の技術常識を示したものと解することはできない。したがって、被告の主張は採用できない。

(6)小括

以上によれば、本件訂正後の特許請求の範囲の記載は明確性要件を満たすものといえるから、本件審決にはこれを取り消すべき違法があり、原告の取消事由には理由がある。

Ⅳ.検討

(1)本事件は特許無効審判での1回目の審決は請求不成立(特許維持)でしたが、請求人が原告となって提起した1回目の審決取消訴訟の判決ではこの審決が取り消されました(明確性要件違反及び進歩性要件違反)。そのため、特許庁で再審理が開始され、特許権者は訂正しましたが、特許庁の2回目の審決は明確性要件違反を認め請求成立(特許無効)でした。そうすると今度は特許権者が原告となって2回目の審決取消訴訟が提起され、その判決では審決が取り消され、明確性要件を満たすという結論になりました。

(2)明確性要件違反のポイントは、本件特許請求の範囲及び本件明細書には、単に「平均分子量」と記載されるにとどまり、「平均分子量」が「重量平均分子量」、「数平均分子量」、「粘度平均分子量」等のいずれに該当するかを明らかにする記載は存在しない、というものでした。

(3)再開された特許無効審判の審理において、特許権者が訂正請求したことにより、進歩性要件違反が解消することはよくありますが、明確性要件違反が解消したケースは記憶にありません。

本件特許請求の範囲及び本件明細書のいずれにも「平均分子量」がどの平均分子量なのか特定されていない、という理由で明確性要件違反と判断されたわけですから、普通に考えると、願書に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面に記載した事項の範囲内においてしなければならない訂正により明確性要件違反が解消するということはありえないように思います。

そのため、今回は進歩性要件違反に関する検討は省略し、明確性要件違反についてのみ検討することにしました。

(4)一次判決では、明細書の段落【0021】の「本発明に用いるコンドロイチン硫酸又はその塩は公知の高分子化合物であり、平均分子量が0.5万~50万のものを用いる。より好ましくは0.5万~20万、さらに好ましくは平均分子量0.5万~10万、特に好ましくは0.5万~4万のコンドロイチン硫酸又はその塩を用いる。かかるコンドロイチン硫酸又はその塩は市販のものを利用することができ、例えば、生化学工業株式会社から販売されている、コンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約1万、平均分子量約2万、平均分子量約4万等)、マルハ株式会社から販売されているコンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約0.7万等)等が利用できる。」との記載を引用しています。

また、本件出願日当時、マルハ株式会社が販売していたコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量は、重量平均分子量によれば2万ないし2.5万程度のものであり、他方、粘度平均分子量によれば6千ないし1万程度のものであったことからすれば、本件明細書のマルハ株式会社から販売される上記「コンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約0.7万等)」にいう「平均分子量」が客観的には粘度平均分子量の数値を示すものであると推認される、と認定しています。

そして、マルハ株式会社は、本件出願日当時、コンドロイチン硫酸ナトリウムの製造販売を独占する二社のうちの一社であって、コンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量を粘度平均分子量のみで測定し、ユーザー(当業者を含む。以下同じ。)から問い合わせがあった場合には、その数値(6千ないし1万程度のもの)をユーザーに提供していたのであり、マルハ株式会社のコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量として、同社のコンドロイチン硫酸ナトリウムを利用する当業者に公然と知られていた数値は、このような粘度平均分子量の数値であったと認められる、と認定しています。

(5)簡単にまとめると、本件明細書には、コンドロイチン硫酸又はその塩の例として、生化学工業株式会社とマルハ株式会社のコンドロイチン硫酸ナトリウムが掲載されているが、マルハ株式会社のコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量は粘度平均分子量と推認される。そのため、「平均分子量」が直ちに重量平均分子量で記載されているものと理解することはできず、これが粘度平均分子量あるいは重量平均分子量のいずれを意味するものか特定することができない、というものです。

(5)一次判決後に特許庁での審理再開に伴い特許権者は訂正請求を行い、特許請求の範囲と明細書の訂正をしています。これらのうち特許請求の範囲の訂正はⅢ.1に記載した通りです。一方、明細書の訂正は段落【0021】の「、マルハ株式会社から販売されているコンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約0.7万等)等が利用できる。」とあるのを、「が利用できる。」と訂正するものです。つまり、一次判決で引用した段落【0021】の記載は「本発明に用いるコンドロイチン硫酸又はその塩は公知の高分子化合物であり、平均分子量が0.5万~50万のものを用いる。より好ましくは0.5万~20万、さらに好ましくは平均分子量0.5万~10万、特に好ましくは0.5万~4万のコンドロイチン硫酸又はその塩を用いる。かかるコンドロイチン硫酸又はその塩は市販のものを利用することができ、例えば、生化学工業株式会社から販売されている、コンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約1万、平均分子量約2万、平均分子量約4万等)、が利用できる。」となります。

このように、明細書に記載された生化学工業株式会社のコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量とマルハ株式会社のコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量のうち、粘度平均分子量と認定されたマルハ株式会社のコンドロイチン硫酸ナトリウムに関する記載を削除する訂正を行い、生化学工業株式会社だけに限定しました。さらに、ユーザーからのコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量についての問合せには重量平均分子量の値を提供しているという生化学工業株式会社の回答書を付けることで、特許請求の範囲の「平均分子量」は重量平均分子量であると主張しました。

(6)二次判決では、本件出願日当時、マルハ株式会社のコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量として、当業者に公然に知られた数値は、粘度平均分子量の数値であったものと認められる、としつつも、訂正により明細書からマルハ株式会社のコンドロイチン硫酸ナトリウムに関する記述が削除されたため、明細書に記載された生化学工業株式会社のコンドロイチン硫酸ナトリウムをベースに「平均分子量」について検討し、重量平均分子量であると認定し、明確性要件を充足すると結論付けています。

(7)本件は訂正前の特許請求の範囲の「平均分子量」が明細書を参考にすると「重量平均分子量」又は「粘度平均分子量」のいずれにも解釈されるものだったので、二つの解釈を生む明細書の文言のうちの一方を削除する訂正をすることで特許請求の範囲の「平均分子量」を「重量平均分子量」のみ解釈されるようにするというものでした。このような訂正を行う事例は少ないように思われますが、覚えておいて損はないように思います。

実際、私も似たような経験があります。その時は拒絶査定不服審判の対応を任されたのですが、審査段階で明りょうでない記載の釈明を目的とする補正で追加した文言が新規事項追加と認定されていたので、思い切ってもともとの文言からすべて削除してしまったところ、すんなり特許になりました。補正でも訂正でも足し算だけではなく引き算も頭に入れておく必要があるように思います。